エルデハイムの惨状
フェデルタを出立し、ルーゼの背に乗り原野を駆ける。
獣の唸り声に似た馬の蹄鉄が地面を踏み鳴らす音が、地響きのように響く。
空を飛ぶルーゼの隣には同じく、空を飛ぶ翼のある虎の姿をしたエゴルにジオニスが乗っている。
本来幻獣とは人を乗せて飛ぶものではない。
人に懐くような存在ではないからだ。
けれどルーゼの支配下にあるが故に、俺には忠実である。
「アルベール様。騎兵たちは、幻獣たちの速度についてくることは困難です。このまま走らせたら、馬が潰れてしまう」
「問題ない。国境の街に、騎兵は置いていく。国境を超えて俺の不在なフェデルタに攻め入らないようにな。そこまでエルデハイムが賢いとは思わないが、万が一ということもある。お前と幻獣を連れて、エルデハイムに駐留させている兵たちと共に王都へ向かう」
「了解しました」
国境の街の周辺には、すでに魔獣が溢れていた。
それは、黒い影のような姿をした獣である。狼のような形だったり、猿のような形だったりするものだ。
幻獣たちの魔力の残滓である。
暗闇から溢れるものたちは、まさしく影や夜の闇の中から現れる。
影絵のような獣たちには陽光や炎が有効で、騎士たちが火矢を放ちその体を燃やしていく。
フェデルタの兵は魔獣に慣れているが、エルデハイムのものたちはそうではないだろう。
無闇矢鱈に切り掛かっても、影が形を変えるだけで倒すことができないものだ。
炎の鳥フェニスが大きく翼を開く。
浄化の炎により魔獣たちが燃え上がり、消えていく。
街の中に入り込んだ魔獣たちも全て燃やし尽くすと、家の中に怯え隠れていた人々が姿を表し始める。
「フェデルタの騎士団……フェデルタ王と、救いの神々だ……!」
誰かがそう口にすると、それは波のように人々に伝染していく。
深々と頭を下げる人々の中から、軍服を着た騎士が一歩前に出ると、恭しく地面に膝をついた。
「皆を守ってくれていたフェデルタの騎士たちが、王が救いに来てくれると言いました。私たちはそれだけを希望として、今日まで恐ろしい化け物から身を守り続けていました」
「お前は、イグノア辺境伯だな。学園で姿を見かけたことがある。……リリステラの断罪の場には、確かいなかったな」
イグノア・グレース辺境伯息子は、エルデハイムの学園で、同級だった。
物静かな印象で、誰に対してもあまり興味を抱いていないような男だ。
皆がリリステラを悪様に罵る中、イグノアだけは沈黙を保っていた。
「あの時の学園は、異様な雰囲気に包まれていました。皆で、か弱い女性を糾弾するなど、正気の沙汰ではない。リリステラ様に罪があるかどうかはともかくとして、とても見ていられないと考えて、夏季休暇後は学園に戻らずに領地を継いだのです」
「そうか。お前は、まともだったのだな」
「何があったかは、聞きました。全ては、ミリアの嘘。騙されてリリステラ様を殺そうとまでしたラウル殿下やあの場にいた貴族たちには、神罰が降ったのだと。そしてその神罰を与えたのは、アルベール様。あなただと」
「あぁ」
「アルベール様を怒らせたエルデハイムは、ルーゼの加護を失ったのだと、フェデルタの騎士団の方々から聞きました。……だが、アルベール様。あなたはこの国を救いに来てくれたのですね」
「それもある。だが、エルデハイムが我が国に侵攻する準備を整えていると耳にした故な」
「ええ。……私の元へも、王家からの勅命が。兵を率いて、フェデルタを攻めよ、と。フェデルタの兵たちを殺せ、とも。フェデルタの兵たちは、化け物から民を守ってくれています。そして、ヒルドバランの兵を幾度も追い払うのに協力をしてくれました」
「お前は、戦場に出ることが多かったのだな」
「はい。国境を守るのが、グレース家の役割ですから」
イグノアは感情が欠落したような冷静な顔に、怒りを滲ませた。
「国の現状を、何度か手紙にて訴えました。けれどラウル殿下は……民を顧みず、守ることもせず、兵を集めてフェデルタを滅ぼすというのです」
「国王はどうした?」
「殺されたと聞きました。ラウルによって。城門にその首が晒されたようです。ラウルに意見をしたり、諌めたものたちも全て」
「あぁ、……そうか」
「はい。ラウルのそばには、ルーファン公爵が。まるで宰相のように付き従っているようです」
ルーファン公爵とは、リリステラの話ではどうやら人の心を操ることが上手い男のようだ。
ラウルは、手玉に取られたのだろう。
讒言に惑わされて、父をその手にかけたのか。
「この国は、駄目です。ラウルは、フェデルタに侵攻し、奪われたリリステラ様を取り戻すと。この国の異変は、全てリリステラ様を自分から奪いたいアルベール様の策略だと、言っています」
「……あれほど、酷くリィテを傷つけたくせに、まだ欲しいのか」
ふつふつと腹の底から怒りが湧き上がる。
リリステラの名前をあの男が呼ぶことさえ、不愉快だ。
「アルベール様。グレース家はあなたに従います。民を顧みない王など、いらない」
イグノアはそう言うと、再び深々と礼をした。
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