リリステラの役割
アルベール様はキルシュとルディの頭を撫でて、私の腕の中で眠っているフレアを抱き上げると、「リィテに話があったのだが、まずはフレアを離宮に届けよう」と言った。
三人を離宮に送り届けて、迎えに出てくれたお母様に挨拶をすると、アルベール様に連れられて私は庭園へと向かった。
後宮には小川が流れていて、小川の上流には大きな青く美しい宝石のような石が浮かんでいる。
水配の時に形作られるルーゼの魔力の塊である、水魔石と呼ばれるものだ。
宝石のような石から流れる水がつくる小川には、目が覚めるような青色の魚が泳いでいる。
水生の草花が川面に揺れている。
白と桃色の小さな花がぽつぽつと水の中に咲いていた。
小川にかかる橋を渡った先にある白いガゼボで、アルベール様と二人きりになる。
手を引かれて中にあるベンチに座る私の隣にアルベール様も座って、私の手を軽く握った。
いつの間にか、ルーゼも現れて、私の膝の上におさまっている。
私はルーゼを撫でながら、じっとアルベール様の顔を見つめた。
先ほどキルシュから聞いた話が、頭の中で反芻される。
「リィテ。話がある」
「はい」
「エルデハイムは近く我が国に軍を侵攻させるという情報が入ってきた。奴らに我が国土を汚されたくはない。先手を打って、エルデハイムを制圧したいと考えている」
「戦いになるのですか?」
「あぁ。だが、君との婚礼の儀式までには戻る。必ず。だから、心配せずに、待っていてくれ」
フェデルタがエルデハイムを制圧する。
エルデハイムは、私の故郷だ。
けれど、あちらの国がフェデルタに侵攻するつもりであるなら、それも仕方ないことなのかもしれない。
それとも、アルベール様は私のためにエルデハイムを滅ぼそうとしているのだろうか。
そう、一瞬思ったけれど、考え直した。
アルベール様は皇帝陛下。立派にその役割を果たしている。
私一人のために、多くの犠牲を出すような真似はしないだろう。
「……わかりました。……アル様、もし私が、あなたと出会っていなかったら、エルデハイムは」
「エルデハイムの制圧は、君に責任はない。もちろん、君を傷つけたあの国の者たちには、今でも怒りがおさまらない。だが、もとより、同盟関係は解消するつもりでいた。同盟解消の知らせを受けて我が国に攻め入ってくるほどにエルデハイムが愚かなら、そのような愚王が玉座にいるのは民にとっては不幸だ」
「そうなのかもしれません」
「それに、ルーゼの加護を失ったエルデハイムには、魔獣が溢れている。民を救い、民を顧みない王を討つ。これは、エルデハイムの民を守るための戦いだ」
「……アル様。もし私に気を遣ってくださっているのなら、私は大丈夫です。国とは、貴族とは、常に他国の脅威から民を守るための心構えをしておかなくてはならないもの。アル様の話を聞く限り、大切なのは魔獣の脅威から民を守ること。それをせずにフェデルタに攻め入ってくるのが本当であれば、そのような王など、討たれて当然だと考えます」
ラウル様が憎いから、死んでしまえばいい。
そんな気持ちは、湧いてこなかった。
ただ、フェデルタに侵攻することを選んだとしたら、フェデルタに食い殺される覚悟を決めておかなくていけない。
アルベール様の圧倒的な力は、ラウル様は一度見て、味わっているのに。
どうして、民を守らずにフェデルタと戦おうと思うのだろう。
「君にとっては、故郷だろう。大丈夫か?」
「はい。……あの場所には、何もありません。ただ、妹のことは哀れと思います。……私は、妹を疎む気持ちがありました、ずっと。まだ幼くて、ただそれだけだったと思うのに」
「それは違う。リィテ。幼いは、理由にならない。仮にも公爵家に生まれたのだ。己の発言がどのような事態を招くのか、理解していなかったというのは言い訳にはならない。まだ幼いが、少なくともルディとフレアは、君の妹のようなことは言わない」
「……はい」
私は頷いた。
アルベール様は励ますように私の手を握る指先に、力を込めた。
「ただ、幼い者を非道な目に遭わせたりはしない。フェデルタは、エルデハイムの民を救いに行くのであって、無駄な殺し合いをしたいわけではないからな」
「ありがとうございます、アル様。心配してくださって。私は大丈夫です。それより」
私はアルベール様の手に、もう片方の自分の手を重ねる。
「キルシュから聞きました。ルーゼは、愛に飢えているのだと。アル様がルーゼの力を使うと、その後に、飢えがもたらされるのだと。……アル様の飢えを、私は癒すことができているでしょうか」
「……それは、勿論。……キルシュから聞いたのか」
アルベール様は俄に目を見開いて、それから困ったように小さく息をついた。
「君には話さないつもりでいたんだ。……その話をすると、まるで君を道具のように扱っているようで、嫌だったから」
「大切なことです」
「だが」
「私は、私に役割があることが嬉しいです。アル様の役に立てることが、嬉しいです。だから、……もし、飢えを感じたら、遠慮なくおっしゃってください。抱きしめて差し上げると、落ち着くのですよね?」
「あぁ。……そうだな。リィテ。抱きしめたり、キスをしたり、手を繋いだり。君からの愛を感じると、飢えが満たされる。俺も、俺の中のルーゼも、乾きが癒やされる」
「よかった! 私、嬉しいです。もし、愛が足りないときは、おっしゃってくださいね。……私は、アル様のことが、大好きですから。だから、これ以上どう、伝えたらいいのかわからないのですけれど」
「十分だ、リィテ。それに俺は、愛されるのもいいが、自分から愛する方が好きだ。君の照れた顔や、困り顔を見るのが楽しい」
「……ええと、それは」
アルベール様は私を引き寄せると、腕の中に抱き込んだ。
それから耳元に唇を寄せる。
「戦に出れば、君と離れることになる。ルーゼの力も、使うだろう。俺が帰ってきたら、すぐに婚礼の儀式になる。だから、リィテ。覚悟しておいてくれ」
私は耳元に低い声が響くくすぐったさに、くすくす笑った。
それからアルベール様の首に腕を回して、その唇に軽く自分のそれを触れ合わせる。
「覚悟なら、とっくにできています。だから、無事に帰ってきてください」
「あぁ、リィテ。……愛している」
唇が深く重なり、濡れた水音が小さく響いた。
腰を引き寄せられて、強く抱きしめられる。
私は与えられる熱に翻弄されながら、エルデハイムが攻め落とされ、ラウル様やお父様たちが傷つくことを悲しめない自分は冷酷なのではないかと考えていた。
けれど、アルベール様が無事でお帰りになられる方が、私にとってはずっと大切だ。
どうか、怪我をされないようにと祈りながら、広い背中に手を回した。
私の膝の上にいたルーゼは、いつの間にかいなくなっていた。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。




