ルーゼの力の代償
婚礼の儀式の準備のために、後宮はいつもよりも賑やかだ。
レベッカさんや侍女の方々が沢山のドレスのサンプルを持ってきてくれて、私の体型に似合うものを毎日皆で相談していた。
私のドレスもそうだけれど、キルシュやルディ、フレアもお祝い用のドレスを着て参加する。
試作のドレスを着た皆はそれはもう可愛らしくて、皆まるで、妖精みたいだった。
キルシュはドレスではなくて礼拝用の衣装だけれど、フリルが多く、女の子のように可愛らしい――と言ったら、「男ですよ、姉上」と言って拗ねていた。
「姉上、時間はありますか?」
「お姉様、今日もお勉強を教えてください」
「私も、文字を教えてください、お姉様」
フェデルタに来たばかりのころは、それこそ執務室にまで一緒に連れて行っていただいていて、一日中一緒にいた。
けれど私がもう大丈夫だと分かったのか、このところはアルベール様は一人で日中はお仕事をされている。
私は一人の時間を、婚礼の準備のためにレベッカさんや侍女たちに全身の手入れをしてもらったり、後宮を散策したり、お母様にお呼ばれをして、お茶を飲んだりして過ごしていた。
それから、キルシュとルディとフレアに勉強を教えることも日課の一つだ。
三人とも家庭教師がついているのだけれど、午前中の授業を終えると、私の元にノートを持ってきて分からなかったことを質問してくる。
私はフェデルタ語の読み書きは得意だったし、三人ともまだ幼いので、三人が習っている程度の問題なら教えることができた。
今日も来るだろうと思い、中庭のテーブルセットに座って花を眺めながら待っていたら、いつものように来てくれたので、椅子に座ってもらった。
レベッカさんが微笑ましそうに私たちを眺めながら、お茶とクッキーをテーブルに並べてくれる。
「姉上、この算術なのですが」
「お姉様、この文章の意味がよく分からなくて……」
「お姉様、スペルの練習が終わったら、ご本を読んで下さいな」
次々と、私に話しかけてくれる皆に、私はひとつずつ優しく丁寧に教えることを心掛けて、返事をした。
私に勉強を教えてくれた家庭教師の先生は、笑わない怖い人だった。
少しでも間違えると、酷く冷めた目で私を睨んで「お父上に報告しておきます」と言う。
私が懲罰を受けることを知っていたのだろうと思う。
だからできれば、皆には勉強を楽しいと思って欲しい。
楽しいと思うのは難しいだろうけれど、間違えたりできないことが、怖いことだと思って欲しくない。
フレアが持ってきた、おじいさんと猫の出てくる物語を読み終えて、お勉強の時間は終わった。
用意してくれたお菓子をすっかり食べ終えて、フレアは私の膝の上に乗ってうとうとし始める。
ルディが羨ましそうにしていたので、その頭を撫でてあげた。
キルシュの頭も撫でると、恥ずかしそうにしていた。
「姉上。もうすぐ婚礼の儀式ですね。あと、一週間後のようです」
「とっても楽しみですね、お姉様」
「ええ。ありがとう。私も楽しみです。可愛いドレスを着た、ルディやフレアを早く見たいです。キルシュも、見届け人の役割をしてくれるのですよね?」
「はい。父上と一緒に」
「とても心強いです」
胸に手を当てて答えてくれるキルシュに、私は微笑んだ。
「兄上が結婚をしてくれて、愛する人を見つけてくれて、とてもよかったと思います。ルーゼの力を譲渡された皇帝にとって、誰かに愛されるというのはとても大切なことなんです」
「それは以前もお父様がおっしゃっていましたね。どういう意味なのか、私はまだ、知らなくて」
「兄上は、姉上に話をしていないのですか?」
「ええ。秘密にしなくてはいけないことなら、無理に聞き出そうとは思いません」
「そんなことはありません。フェデルタの王族ならば皆、知っていることです。もし兄上に万が一何かが起これば、ルーゼの力は僕に継がれます。ですから、幼い頃からその話は聞いていますし、妻になる者にも、まずはじめに伝えなくてはいけないことです」
キルシュは困ったように眉を寄せて、軽く首を振った。
「兄上は、言い忘れているのかもしれませんね」
「私も、あえて聞きませんでしたから、そうなのかもしれません」
アルベール様はずっと、私が不自由していないか、辛い思いをしていないか、寂しくないかと、気を配っていてくださったから。
だから、その話はまだする必要がないと思っているのかもしれない。
「隠すようなことではないのでお話しますが、ルーゼは愛に飢えた獣と言われています。初代フェデルタ王に血を与えたのは、人々の苦しみを憂いたから――というのもあるのでしょうが、人の愛が欲しかったからだとも言われています」
「愛に飢えた獣……」
「はい。幻獣は恐れられる存在です。幻獣の王であるルーゼもまた、人から恐れられていました。ルーゼは寂しかったのでしょう。だから、フェデルタ王に血を与えて、その体に入り込み──王と体を共有することで、人を愛し、愛される喜びを知りたがったのだと」
私は、ルーゼの愛らしい姿を思い出した。
今も時折アルベール様の体から出てきては、一緒に食事をしたり、私の膝で眠ったりしている。
「そのせいでしょうか、ルーゼの力を多く使うと、飢えるのです。魔力を失うと、愛に、飢える。……人肌が欲しくなり、ふれあいを欲する。愛する者をその手に抱き、肌を重ねることが、一番の薬になると言われています」
「手を繋いだり、抱きしめたり?」
「ええ、そうです。人肌なら誰でもというわけではありません。自分を愛してくれる者。妻や恋人であることが、必要です。だから、歴代のフェデルタ皇帝は、後宮に多くの妻を持つ者も多かったのです。飢えを満たすためですね」
「そうなのですね……それなのに、お父様は最初の奥方様を失ってから、十年近く誰とも再婚をせずにいたのですね」
「そうみたいです。よほど、愛が深かったのでしょう。他の誰もいらないと、思うほど。けれど今は母上がいます。……それは兄上にとっては、寂しいことだったかもしれません」
「お兄様は、今まで一緒にお食事をしてくれなかったから。それは、お父様を私たちが奪ってしまったせいだと、思っていました。けれど、お姉様と出会って、よく笑うようになりました」
「以前から笑う方ではあったのですが、どこか、作り物みたいな笑顔だったから、……でも今は、違います」
「アル様は、キルシュたちがいて嬉しいと思いますよ」
キルシュとルディが少し悲しそうに目を伏せるので、私は励ますように声をかけた。
アルベール様は、弟妹たちを可愛がっているように見える。
新しいお母様と皆がお父様と過ごす時間を奪わないように遠慮はしているのだろうけれど、弟妹が可愛いという感情に、嘘はないと思う。
「……姉上、ありがとうございます」
「お姉様。ありがとうございます」
二人が微笑んでくれるので、ほっとした。
腕の中で眠るフレアを離宮に送り届けようと、立ち上がろうとしたところで、今まさに話題になっていたアルベール様が丁度姿を現した。
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