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唯一の逃げ場



 学園寮の自室に、すぐに帰りたかった。

 けれど、帰り道では他の生徒たちに姿を見られるだろう。

 泣いている姿を見られてはいけない。私は、公爵令嬢として、王太子殿下の婚約者として、いつも余裕のある笑みを浮かべて、背筋を伸ばして立っていなければ。

 叩かれて、おそらくは腫れているだろう頬も、見られたくない。


 一人きりになりたくて、私は図書室へと向かった。

 放課後の図書室には、ほとんど人がいない。

 こんなことになってしまってから、私のそばからは誰もいなくなってしまった。

 お友達のように仲のよかった──仲がいいと思っていた方々も、私を冷たい目で見るようになった。

 私はいつも一人だけれど、図書室は昼の休憩時間などの逃げ場になっていた。


 集団の中で一人きりでいるのは苦しい。

 誰かが私のことを悪くいっている声が聞こえてきたり、馬鹿にして笑っている声が聞こえてくると、心臓に鉄線が巻き付けられたかのように苦しさと痛みでいっぱいになってしまう。

 それに、教室にいると今日みたいなことが起こるから、できるだけ身を潜めていたかった。


 私は誰もいない図書室に入る。

 ご高齢の司書の先生が、本の貸し出し用のカウンターの中に座っている。

 森の奥で静かに時を刻んでいる大樹のように、その顔には深い皺が刻まれている。

 必要なこと以外は何も話さない方だ。図書室でうるさく騒ぐ生徒たちが万が一いた時にだけ、目を開いて大きな声を出すのだと、誰かが噂をしているのを聞いたことがある。

 私にも、関心がない。それが、ありがたい。


 図書室の奥へ奥へと進んでいって、最奥にある高い書架に囲まれた休憩用の椅子まで辿り着く。

 奥の書架ほど、古い本が並んでいる。分厚く立派な背表紙のある本は持ち出し禁止のものが多く、けれど学園の授業には直接関係のないものばかりなので、ここまでくる生徒はほぼいない。


 椅子に座り込んで、私は俯いた。

 叩かれた頬がじんじん痛む。炎に焼かれる髪飾りが思い出されて、唇を噛んでも、堪えきれない涙がこぼれた。


 お母様が生きていた頃は、幸せだった。

 その頃からお父様は新しく始めた事業が忙しく、滅多に家に帰ってこなかった。

 お母様はお父様に対する不平や不満を一切言わず、いつも微笑んでいた。


「リィテ」


 おいで、と、お母様が私を呼んでいる。

 家庭教師の先生に中庭の庭園で植物の授業を受けていた私は、ちょうど午前中の授業を終えたところだった。


「お母様!」


「お勉強、お疲れ様。リィテ、頑張ったご褒美に、あなたにいいものをあげるわね」


 お母様はとても美しい人だった。

 艶やかな銀の髪に、アクアマリンのような青色の瞳。華奢だけれど、女性的な体を、品のいいドレスで包んでいる。

 いつも、私の手を引いて歩いてくれていた。

 庭園のテラスには昼食が準備されていて、お母様と一緒に席につく。

 お母様はそこで、リボンの巻かれた箱を取り出した。


「あけてみて」


「はい!」


 中に入っていたのは、花を模した髪飾りだった。

 可愛らしい髪飾りの入った箱を両手に持って、私はお母様を見上げる。


「これは……」


「リィテは、もうすぐ六歳。立派なレディになったわ。だから、プレゼント。丈夫で、火にも強い耐火布で作ってもらったの。気に入った?」


「お母様、ありがとうございます! すごく、可愛いです。嬉しい」


「お母様も、リィテが喜んでくれて嬉しいわ。あなたは、私の宝物」


 お母様の優しい手が、私の髪をそっと撫でる。


「何があっても、お母様はあなたを見守っている。私のリィテ。大好きよ」


「私も、お母様が大好きです」


 お母様がご病気で亡くなったのは、それから一年も経たないある日のことだった。

 心臓のご病気なのだという。

 突然お母様の心臓は、動かなくなってしまったのだと、泣きじゃくる私にお父様が厳しい顔で言った。


 それから、義理のお母様がすぐにやってきた。

 義理のお母様は、少しでも私のお母様の気配が家に残っているのが嫌だと言って、調度品やお母様の衣服、宝石や何もかもを売り払ってしまった。

 使用人たちも全員新しくして、私の部屋を日当たりの悪い北側の端にある、寂しい小部屋へと変えた。

 

 義理のお母様とお父様の間にはすぐに子供が生まれた。

 可愛い赤ちゃんだった。

 けれど、私は妹に会うことも触ることも許可を与えられず、起きている時間はひたすらに王妃教育をさせられた。

 その時はまだ、王妃になるとも決まった訳ではなかった。

 疑問はあったけれど──お父様の期待にこたえたかった。

 頑張れば、お父様は私を褒めてくださると思っていた。

 寂しかったのだ。


 一人ぼっちになってしまってずっと、寂しかった。

 お母様からいただいた髪飾りだけを支えとして、成績が悪いとやがて罰が与えられるようになった日々を、なんとか耐えてきた。

 

「……く……ぅ……っ」


 ぱたぱたと、制服のスカートに涙の雫が落ちて、丸く染みを作る。

 ラウル様のことが、好きだった。


「君が俺の婚約者のリリステラだな。いい名だ。そして美しい」


 はじめてご挨拶をした時、そう褒めてくださった。

 お父様は恐ろしかったけれど、ラウル様は優しい方。

 心底ほっとしたことを覚えている。


 痛いことも、怖いことも、もうおしまいだと思った。


 優しいラウル様が、好きだと思った。

 でも──。


「大丈夫ですか?」


 ふと、声が聞こえて、私は驚いて顔をあげた。

 一瞬耳を疑う。

 私を心配して声をかけてくれる人なんて、誰もいないと思っていた。

 だから勘違いかと思った。一人が寂しいと思う私がつくりあげた、幻聴かと思ったのだ。

 涙で潤んだ瞳が焦点を結ぶ。

 瞳の形がわからないぐらいの分厚いメガネをかけて、前髪をメガネを隠してしまうぐらいにボサボサと伸ばした青年が膝をついて、私を覗き込んでいた。




お読みくださりありがとうございました!

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