ラウル・エルデハイムの怒り
午後の授業が終わり、学園の女子寮に帰るために私は教室を出ようとした。
教室に留まっていると、悪いことが起こる予感がしたからだ。
荷物を手早くまとめて帰路につこうとする私の腕を、ジョシュア様が掴んだ。
「リリステラ嬢。逃げるつもりなのか?」
「……逃げてなどいません」
「ミリア嬢の髪飾りは、今は亡き母君から貰った贈り物なのだそうだ。嫉妬のあまり、それを盗んで燃やすとは、君はそれでも本当にルーファン公爵家の娘なのか!?」
「私は……そんなことは、していません」
それは私のことなのに。
全てミリアさんのことのようになっている。
現実が歪んでいくみたいだ。まるで、私がお母様を亡くしたことも、髪飾りをプレゼントしていただいたことも、それが燃やされたことも、嘘だったように。
あの髪飾りが、ミリアさんのもので、私は自分の中で幻想を作り上げているかのように感じられた。
「嘘をつくな! 罪を認めて謝るのならまだ許せたものを。見損なったぞ」
「髪飾りを燃やされたのは、私です……!」
あぁ、無駄だとわかっているのに。
混乱した私は、強い口調で言った。私の腕をきつく掴んで締め上げるジョシュア様を睨みつけながら。
そうしないと、泣いてしまいそうだった。
「ひどい……」
ジョシュア様の背後で、再びミリアさんが泣き始める。
ミリアさんを囲むクラスメイトたちは「大丈夫?」「かわいそうに……」と、口々に言って、私に責めるような視線を向けた。
「何事だ?」
その時、教室に低く厳しい声が響いた。
心臓を鷲掴みにされたように、喉の奥に氷解を押し込まれたように、苦しく痛い。
青ざめた私の背に、冷や汗が伝った。
嫌な予感が的中してしまった。今、一番会いたくない方が、ジョシュア様に腕を掴まれている私と、泣きじゃくるミリアさんを、教室の中に数人の従者の方々と共に入ってきて確認するように視線を向けた。
金の髪に青い瞳の堂々とした美丈夫である、王太子殿下ラウル様。私の婚約者だ。
かつては、私に──それは婚約者としての義務であったかもしれないけれど、優しい視線を向けてくれていた。
けれど今は、冷たく、それから呆れと失望が含まれたような目で、私を見ている。
ラウル様の青い瞳に、体の奥底におそれと怯えを押し込んで、感情を表に出さないように必死に取り繕っている女の姿が写っている。
まるで、他人みたいだ。
銀の髪に青い瞳の、冷たい容姿の女だ。感情を出さないようにと表情を消した、なんの可愛げもない歪な女の姿。
──私の、姿。
「ラウル殿下! リリステラ嬢が、また……!」
「また、問題を起こしたのか」
「はい。ミリア嬢の大切な、母君の形見の髪飾りを、焼却炉で燃やしたのです」
ジョシュア様がラウル様に報告すると、ラウル様は私を侮蔑の表情で見下した。
「リリステラ。よくもそのような残酷なことができるものだな。ミリアの家は、お前の家と違って裕福ではない。教科書や服では飽き足らず、買い替えのきかない大切なものまでその毒牙にかけるとは。恥を知れ」
「私は……」
「私は! 謝っていただければそれでいいのです……っ、そうしたら、許して差し上げますから……」
私が何かいう前に、ミリアさんが声を張り上げる。
ラウル様はミリアさんの肩を優しく抱きしめて、その涙を指先で拭った。
「辛い思いをしたな、ミリア。リリステラ、お前の罪は消えることはないが、せめて謝れ。罪を認めて、謝罪をしろ」
「私は……私は」
認めて謝れば、この苦しみは終わるのだろうか。
けれど、それなら私の悲しみはどうなるのだろう。
脳裏に、焼却炉の中で燃えていた私の髪飾りの姿がチラついた。
優しかったお母様との思い出を、燃やされ、穢されているようだった。
「私は何も、していません」
「醜悪だな、リリステラ。お前のような者が婚約者など、虫唾が走る。このことは、ルーファン公爵に伝えさせてもらう」
「それは……!」
「それから──これは、懲罰だ。ミリアの受けた痛みを知れ」
ラウル様は、私に向かって手を振り上げる。
頬を張られる音が、ざわめく教室に響き渡る。
脳髄まで痺れさせるような痛みに、私は一瞬意識を飛ばした。
気づけば、床にしゃがみ込んでいた。
頬が痛い。痛くて、熱くて──吐き気がする。
痛いのは──怖い。
「……っ」
私は情けなく床を這うようにして、教室から逃げた。壁に手をつきながらなんとか立ち上がると、ふらつきながら歩き出した。
教室からは「いいきみだ」「さすがは殿下」という、皆の嘲笑が聞こえてくる。
情けなくて、恥ずかしくて、痛くて、怖くて。
このまま、消えてしまいたいと、願った。
堪えきれない涙が頬を伝って、ぽとりとこぼれ落ちた。
お読みくださりありがとうございました!
評価、ブクマ、などしていただけると、とても励みになります、よろしくお願いします。




