フェデルタの皇子
ミリアさんが娼婦と聞かされて、ラウル様は信じられないものを見るような表情を浮かべた。
けれどミリアさんの哀れみを誘う可憐な泣き顔を目にして、気を取り直したように眉を寄せると、アルベール様を睨みつけた。
「貴様の言葉を信じる理由がどこにある。フェデルタの皇太子だからと偉そうに。同盟を破棄するつもりなら、今ここで貴様は我が国の敵となるが、それでいいのか!?」
「あぁ。エルデハイムは、もういらない。ラウル、よく聞け。破落戸たちに犯されそうになったのはリリステラだ。ミリアはそこの腕を切り落とした男と共謀をして、嘘の証言を作り上げた。──そうだな、女」
アルベール様はちらりとお義母様を一瞥する。
ジオニスと呼ばれた男性が、お義母様の首に剣を突きつけている。
お義母様は青くなって震えながら、振り絞るような声をあげた。
「全ては、娘のため……! その女が王妃になるなど許せなかった、私の娘こそ王妃に相応しいのよ! そんな売女、殺してしまえと命じたのに、ミリア、何をしていたの、役立たず!」
「何故余計なことをしたのだ、お前は! リリステラに王妃になれと命じたのは私だ。私に逆らうようなことを……!」
「あなたがいけないのよ……! あなたはリリステラに劣情を抱いていたでしょう、穢らわしい……! リリステラに仕置きだと言って、いやらしいことをしていたのを私は知っている。王妃にしようとしていたのだって、リリステラが可愛いからだわ、私のフィーナよりも……!」
「馬鹿なことを!」
「あんな女、死んでしまえばよかった! 何が公爵の血筋よ! 血筋が確かではない者は、生きることを許されないとでもいうの!? 許せない! フィーナが王妃になれないなんて、誰が決めたの!?」
あれが──お義母様の目には、お父様に私が可愛がられているように見えたのだろうか。
屈辱と、暴力しか与えられなかったのに。
『……まるで腐肉にたかる蛆虫のようだな。クズどもめ』
言い合いを始めるお父様とお義母様の姿に、アルベール様はフェデルタ語で言った。
私がびくりと震えてアルベール様を見上げると、冷酷な表情から一転して、優しく目を細めてくれる。
『リリステラ、フェデルタ語がわかるか?』
『はい。少しですが』
『思ったとおり、君は聡明だ。ここにいる者の中で、フェデルタ語を理解しているのは君だけだろう』
フェデルタ語の学習は、王妃教育の一つだった。
同盟国であるので、会う機会もあるだろうと。
とても嬉しそうにアルベール様は微笑んで、褒めてくださる。
血が流れて、叫び声に溢れて、泣き声や取り乱した怒鳴り声で飽和している大ホールの中で、アルベール様とジオニスという男性だけが、落ち着いているように見えた。
「……ルーファン公爵の妻が、何故君の名を知っているんだ、ミリア」
「わ、わかりません、私、わからないです……!」
ラウル様は怒りに眉を釣り上げて、ミリアさんを床に突き飛ばした。
ミリアさんはガタガタと震えている。けれど、以前のようにミリアさんに手を差し伸べる人は誰もいない。
私と、同じ。
「騙したのか、私を!」
「そう言っているだろう、ラウル。やっと理解できたのか? 騙されたお前は愚かだが、哀れでもある。許そうかと考えていたが、……お前はリリステラを犯そうとしたな」
「私は……!」
「リリステラは気丈にも、獣のようなお前を拒絶した。強い女性だ。拒絶されたお前は、それを恥じてリリステラを憎み、ミリアの虚言に便乗してリリステラを貶め、亡き者にしようとした。……あまりに、ひどい」
「私は騙されていただけだ……私は、何も悪くない……私を騙す者たちが悪いのだ……!」
「少し考えればわかるだろう、愚かなラウルよ。リリステラを信じ、対話を行えば、何が悪で何が善かなど簡単に分かっただろう。調べればすぐに知れたことだ。お前はそれをしなかった。そして、リリステラを犯そうとしたのはお前の意思。愛情を抱くわけでもなく、ただ欲のために。それは、ただの暴力だ」
「婚約者に触れて何が悪い!? リリステラ、お前も浮気をしていたのだろう!? アルベールに体を開いたのだろう、この裏切り者め!」
「俺はリリステラを奪うつもりでいるが、それはこれからだ。残念だが、その憶測もはずれだ、ラウル」
アルベール様は、空を見上げた。
穴の空いた天井からは、物言わぬ獣が私たちを静かに見守っている。
「……アルベール様、殺しますか」
ジオニスという男が、そう尋ねた。
「死とは、救済だ。ただ殺すだけでは、飽き足らない。死にたいと願うほどの苦しみを与えてやりたい」
「では、少しずつゆっくり丁寧に、指を落とし、手首を落とし、腕を落とし、どこまで落とせば死ぬのかを確かめながら、できる限り長く生かしましょうか」
「それもいいが、あまりリリステラに見せたい光景ではないな」
私は、どうしていいのか分からずにアルベール様にしがみついた。
確かに私は、呪詛の言葉を吐いた。
私の命と引き換えに、私を貶めようとした者たちが呪われるといいと思った。
けれど、苦しむ姿を見たいかと言われたら、そんなことはない。
怒りはある。苦しさもある。
けれど、アル様が……アルベール様が助けてくださったから、私はもう、救われている。
「……大丈夫だ。君の前で、残酷なことはしない。腕を落としたのは許せ。怒りが抑えられなかった」
アルベール様は優しく言って、それから「ルーゼ」と、獣の名前を呼んだ。
「刺刑の呪いを」
そうアルベール様が口にした途端に、ラウル様や、ミリアさん、お父様やお義母様。
集まっている方々が、見えない何かを追い払うような仕草をした後に、逃げ惑い、床に跪き、苦しみの声をあげ始める。
「これは……」
「幻痛の呪いだ。ルーゼは、幻覚を見せるのが得意でな。俺の頭に浮かんだ光景を、まるで本物のように相手に見せることができる。今は、そう、何万匹ものムカデの大群に襲われる夢を見ている」
「皆、死ぬのですか……?」
「死にはしないよ。今はまだ。数刻幻覚に苦しみ、その後も、身体中をムカデに刺されたような痛みがもたらされるが、死にはしない。全員殺してもいいが、今はその時ではない」
「……アルベール様、私は」
「リリステラ。どのみち、この国の貴族たちは皆、死ぬ。死か、隷属。俺がいらないと決めた時点で、その運命は決まっている。だが、君は違う。俺は君を、この国から奪う」
アルベール様はそう言うと、苦しみ呻く人々に興味を失ったかのように、大ホールから外に出る。
ジオニスという男性もそれに従った。
お父様やラウル様の、私を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、私は目を伏せて、その声から耳を背けた。
ルーゼという獣は、おそらく幻獣なのだろう。
フェデルタの皇帝が従えているという、神様みたいな獣。
ルーゼは神々しい白い巨体を持つ、狐に似た獣だ。
その背中からは白い翼が生えている。
アルベール様が外に出ると、恭しく頭を下げた。
「ルーゼ、ジオニス、帰ろう。リリステラは俺が貰った。この国にはもう、用はない」
アルベール様は私を抱き上げたまま、軽々とルーゼの背中に飛び乗る。
ジオニスという男性も同じように背中に乗って、そして、ルーゼは空へと飛び立ったのだった。
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