子爵令嬢 サンドラ・アルディーニの場合(中)
サンドラは、自分の責務を果たそうとしない者が嫌いだ。
セラフィーナがいつもお茶会をしている中庭のサロンへと意見を述べに行った際に、同席していたベルナルデッタもその一人だ。
彼女は現宰相であるメリカント侯爵の長女でありながら、いつも自信を無さげに目を伏せて周囲に対して遠慮がちにしている。特筆すべき特技もなく、名門侯爵家の令嬢だというのに覇気も威厳もなく、自らの派閥も持つ事なくセラフィーナの茶会に参加している。
別に彼女自身が次期王妃であるセラフィーナを推しているのならばそれは勝手だが、そういった意思も見受けられない。誘われたから参加し、そのまま居続けている。それがサンドラから見たベルナルデッタの立ち位置だ。
その上で、彼女のメリカント家は聖女の後見人となるわ、長男のサウリはサンドラの婚約者と同じく聖女の取り巻きと呼んでも過言ではない振る舞いを見せている。
その現状で、聖女とセラフィーナが対立する様な学園内の雰囲気を見て取っても、何も行動を起こさない。
「これは一体どういう事なんですの? 前にも注意いたしましたわよね、貴女の監督不行き届きではなくて? ベルナルデッタ様」
メリカント家では彼女があの聖女に貴族としての基礎を教える教育係なので、そう言ってサンドラが責めても長いまつ毛を伏せて謝罪するばかりだ。高位貴族の威厳を見せてほしい。
「そうベルナルデッタ嬢ばかり責めるのではありませんよ。彼女も努力はしている様ですから」
見かねたセラフィーナからフォローの言葉が出たが、サンドラが結果を伴わない努力に意味などないと言えば、そうねと頷かれた。
セラフィーナは次期王妃としての努力はしている。彼女ほど完璧な淑女はいないし、威厳も持ち合わせている。
だからこそ、あんな聖女見習いに好き勝手にさせておく事に納得がいかないサンドラだった。セラフィーナが本気を出せば、あんな小娘一捻りなのに。
「あの……サンドラ様、申し訳ございません……」
お茶会が解散した後、ベルナルデッタがおずおずと謝ってきたのに、サンドラは目を薄めた。
「謝罪なら先ほどもお聞きしましたし、わたくしへの謝罪は必要ありません」
「で、でも私の教育不足のせいで、サンドラ様の婚約者の方が……」
ベルナルデッタが言いにくそうに言った言葉に、サンドラは苦虫を噛み潰した様な思いだった。
あの女に婚約者を奪われていると。そしてそれを謝られた。
そう思われるだけで業腹なのに、更に謝罪までされてはサンドラがまるで不憫ではないか。
「結構と申し上げておりますでしょう!? それよりも、あれの教育をし直すとお約束くださいませ!」
サンドラの張りのある声にビクリと震えたベルナルデッタが、困った顔をして回答を濁す。既に学園に編入をしていて、その上サウリが付いているのだから難しいのだろう。それでも彼女の行いを正すのは、後見人であるメリカント家長女のベルナルデッタの役割だ。
「改善する努力をする気もないのに、言葉だけの謝罪をして許しを請おうなど、少し恥知らずなのではありませんこと?」
ベルナルデッタの長い銀色のまつ毛が伏せられる。
青みがかった銀色の髪と長いまつ毛。ストロベリーピンクの瞳は輝きに満ちていると言うのに、ベルナルデッタはそれを生かそうともせずに下を向く。
あの髪になら、高貴な紫色も合うし、瞳に合わせて赤いベルベットも合うだろうに、ベルナルデッタの髪はゆるくまとめてあるだけでリボンも無い。銀色の髪に金と赤の髪飾りを差したらさぞ映えるだろうに、見た事もない。
ベルナルデッタは女性にしては背が高いので、シックな装いで髪を上げるのも良い。
これだけの物を持っていながら、なぜこうも全てを台無しにしてるのか。素材を活かす気がないのだろうかと、見るたび歯痒くなる。
「話がそれだけでしたら、わたくし忙しいので失礼しますわ」
明日はもうティルゲル伯爵夫人のガーデンパーティなのだ。
準備すべきことは山積みなのだから、セラフィーナが動かないのならば学園内にいても意味が無い。
サンドラは礼をしてから、ベルナルデッタを振り返ることなくその場を去った。
⁂⁂⁂⁂⁂
ガーデンパーティではまず主催のティルゲル伯爵夫人にご挨拶をして、それからオルヴァの紹介を。マケライネン家の領地の名産品をさりげなく会話に織り交ぜ……いや、オルヴァが知っているかあやしいので行きの馬車で叩き込もう。覚えきれない様だったら、自分が言うので合いの手を入れるタイミングを教え……
「…………それにしても、遅いわね」
ガーデンパーティ用に丈が少し短い白と緑の訪問ドレスに身を包んだサンドラは、応接間のソファで日よけ用の帽子を持ったまま時計を見た。
ガーデンパーティはお昼に開かれるので、午前中にオルヴァがアルディーニの屋敷まで迎えに来るはずなのに、まだ来ない。
「まさか剣の鍛錬に集中しすぎて時間を忘れているんじゃあ……」
あり得る。
というか、何度かあったのだ。そうやって約束の時間に遅れた事が。
こんな事なら、作法にのっとってはいないが何か理由を付けて、サンドラから迎えに行けば良かったかもしれない。
「今からでもそうすれば……でもすれ違ってしまう可能性もあるわね……」
「お嬢様、マケライネン様がおいでになられました」
そのタイミングで、侍女が呼びに来てサンドラはパッと顔を輝かせた。
「応接間にお通ししてる時間は無いから、私が玄関に行くわ」
もう少しで入れ違いになる所だったと、玄関へ急ぐ。それでも遅刻は遅刻だから、一言言ってやらなければ、そう思ってエントランスホールに下りると…………
「ジェラルド様……」
「お久しぶりです、サンドラ様」
そこにいたのは、オルヴァではなかった。
大柄なオルヴァとは違い、まだ少年の域を脱しきれていない体躯。だが燃えるような赤い髪は同じで、茶色の目は穏やかな色を醸し出している。
オルヴァの弟、マケライネン家二男のジェラルド・マケライネンだ。
もちろん婚約者の弟だ。知っているし、何度も会った事もある。
ただジェラルドはオルヴァより4つ、サンドラより3つ下なので学園内でも会う事が無く久しぶりではある。
と言うか、そもそもなぜここにジェラルドが……?と思ったが、答えは一つしかないだろう。
「兄様が急用が出来たとの事で、僕が代理でエスコートする様にと仰せつかりました。よろしくお願いします」
ニコリと笑って手を差し伸べてくる少年に、サンドラは怒髪天を衝くのをどうにか押しとどめ、その手を取る。
(あれだけ……あれだけ念を押しましたのに……っ!)
だが内心は怒りが暴れまわっているのは静まらない。
こういうすっぽかしも初めてではない。
オルヴァは騎士見習いとして、すでに王宮騎士団の演習に同行させてもらう事もあり、そういった予定が急に決まっては、サンドラを放っておいて行っていた。
だが今回は、事前の連絡も本人の謝罪も何も無しだ。
おまけに卒業の近いオルヴァの顔見せの意味もあったのに。本人は卒業後は騎士団入りが決まっているからと、他には何も考えていないままなのにも腹が立つ。
ガタン、ゴトンとゆるく揺れる馬車内で、明日学園で何と言ってやろうかと煮えたぎりそうな脳内で考えていたら、ジェラルドが小さな箱を取り出した。
「サンドラ様、良かったらこちらをどうぞ」
「? 何ですの……これは!」
差し出された箱の中身は、エメラルドのブローチだった。
サンドラが驚いたのは、宝石にではない。その美しいカット、そして装飾にだ。
「ティルゲル伯爵夫人の手掛けているブランドの、初期の作品ではありませんこと!?」
「はい。せっかくお伺いするのだからと、用意させてもらいました」
「わたくしもこのブレスレットはそうなのですが、昔の物は手に入れる事が出来ませんでしたのに……」
どうやってと聞くと、母の伝手を使ったと言われて納得する。
マケライネン家は歴史が深く、それだけ貴族間の繋がりも多い。サンドラの家のアルディーニ家がいくらお金持ちでも、そこは適わない。
「まぁ……それではお借りいたしますわ。ありがとうございます」
「差し上げます。同じのがもうひとつ、ここにあるんです」
そう言ってジェラルドは取り出したブローチを胸に付ける。まだ幼さの残るジェラルドだからこそ似合う。
「お揃いですか」
「はい。付けていただけますか?」
婚約者ではない男性と揃いの装飾品を身に着けてパーティに参加するのは、淑女としてはいかがなものか。
だがティルゲル伯爵夫人の初期の作品を身に付けないのはもったいないし、だからと言って用意してくれたジェラルドに外せと言う訳にもいかない。
(パーティのパートナーと揃いの装飾品というのなら……無くはないわね……)
「ええ……似合いますでしょうか?」
同じ様に胸元に付けて見せると、ジェラルドはパァっと顔を輝かせて頷いた。
「はい! サンドラ様の瞳と同じで、とてもお似合いです!」
「まあ、ありがとうございます」
ティルゲル伯爵夫人の初期作なだけではなく、わざわざサンドラの瞳の色に合わせた物を用意したのか。
…………という事は、オルヴァが来れなくなったのは、今朝急に決まった事ではないのだろう。
(だったら前もって謝罪を直接寄越すべきですわ……)
昨日だって王太子殿下と聖女と楽し気にお茶会などして、ずいぶん時間がある様に見えた。
万が一に、このブローチはオルヴァが用意していて本当に急用だった、という可能性だが……それはない、とサンドラは確信していた。
あのオルヴァがこんな気の利く物を用意が出来る訳がないからだ。
そもそもあの脳筋は、普段から装飾品すべてをまるで何の価値も無い物の様に言っている。
「ジェラルド様は装飾品にもお詳しいのですね」
「それはもちろん、産業に関わる事ですし、社交界での話題のひとつですから」
この違いよ。
ジェラルドは小さい頃は体が弱く、騎士としては期待されていなかったが今は健康になった。それでも物心ついた頃には剣を振っていた脳筋に比べると、腕も劣るし華奢だ。
それと引き換えに、穏やかで女性に優しいので、社交界では密かに人気がある。
「オルヴァ様も、ジェラルド様の爪の先ほどでも見習ってくだされば良いのですが……」
思わずそんな愚痴がサンドラから洩れた。
「そんな、僕は軟弱者ですから、屈強な兄様とは比べるまでもないです」
「何が長所かは、その人によりますわ。その上で、御自分の責務に努めれば良いのですから、ジェラルド様は剣の道よりも他の事をなさった方がよろしいのではなくて?」
マケライネン家は騎士が多いが、それだけではない。
小さいながら鉱山も持つ土地持ちの子爵家なのだ。騎士以外でもやるべき事は山ほどあるだろう。
「…………ありがとうございます、サンドラ様。あ、もうそろそろ着きますね」
「ええ、そうですわね」
小窓から外を見ると、見覚えのある屋敷があった。
さて、どうやってこのブローチをアピールしようかと頭の中を整理させていたら、再び名を呼ばれた。
「何ですか?」
「パーティの後に、少しお時間をいただけますか?」
「ええ、それはもちろん構いませんわ」
何だったら、マケライネン家に乗り込んで明日を待たずにオルヴァを沈めても良い。
そう頷くと、ジェラルドは嬉しそうに微笑んだ。
(本当に、似てない兄弟ですこと)
サンドラがベルナルデッタを褒め称えるので長くなってしまいました。
サンドラ編は次回完結です。
スカっとボコりに行きましょう!
そしてなんと、日間総合ランキング4位に入っていました!
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