王太子婚約者 セラフィーナ・パーシヴァルタの場合(後)
ちょっと長いです。
「こ……いぬ…………」
丸っこい目を更に丸くして呟くアイニだが、すぐにカッと顔を赤くした。
「ひ、ひどいです! 犬だなんて……!」
「ひどい? どうして? 可愛らしいじゃありませんか、子犬。子兎の方が良かったかしら。殿下はどう思われます?」
犬扱いされたと、涙目ですがる様な視線を向けるアイニをチラリと見て、エーリクはスルリと握られていた手を振りほどいた。
「……そうだな、私は川イタチに似ていると思っていた」
川イタチは、川辺に棲むイタチの事だ。丸顔でつぶらな瞳で、ふわふわとした毛で可愛らしいと人気がある。
「え……? エーリク様、どういう……」
「どうも何も、殿下は貴方の事は物珍しいとしか思っていなかったという事ですわ。そのような相手に、どうしてわたくしが嫉妬しなければならないのですか」
何をまるで競える相手の様な顔をしているのかと、セラフィーナは本気で疑問に思う。
アイニとセラフィーナでは、生まれも血筋も培ってきた知識も、そして覚悟も違うのだ。
「セラフィーナ様、それはいくら何でも失礼じゃありませんか?」
エーリクの川イタチ発言に、パクパクと口を動かすばかりで言葉が出ないアイニの代わりに、サウリが口を挟む。しかしその内容は、決して侯爵家の子息のものではなくセラフィーナはため息を扇に隠した。
「失礼? わたくしと彼女を同等に扱うあなた方の方が、よほど礼を欠いていると思いませんか?」
改めて言葉に出され、ようやくサウリが唇を噛んで黙った。
しかし自分に味方がいると思う事で立ち直れたのか、アイニが再び声を発する。
「で、でも学園内では身分は関係ないって……!」
「それなのですけれど、アイニさんはどこでその情報を得たのですか?」
先ほど言われた時にも気にかかっていたのだ。それに王太子殿下であるエーリクを始め、高位貴族の子息たちと仲良くしているのを咎められた時にも同じ事を言っていたらしい事も聞いている。
「え……どこって、編入前に家でそう聞いて……」
「家でと言うのは、メリカント家かしら?」
「いえ、ミッコラの家です。あと学園の案内書に……」
それを聞いてセラフィーナは胸をなでおろした。
「良かったわ、教育不足でメリカント家に罰を与えずに済みそうで」
その言葉に、サウリはビクリと肩を竦ませ、ベルナルデッタは目を伏せながらも謝罪をした。
「いえ、改められなかった私どもの責任です。大変申し訳ございません……」
「え? え? 何でベルさんが謝るんですか? 学園内には身分は関係無いんでしょう?」
「そんなものは初等部までの話に決まってるでしょう?」
状況が把握できずにせわしなく辺りを見渡すアイニに、セラフィーナではなくサンドラが呆れた様子を隠す事なく口をはさんだ。
「え」
「身分関係なく仲良く、なんてデビュタント前の初等部まででしてよ。社交界に出たらそんな事気にせずにいられる訳ないでしょう?
ましてや高等部なんて、あと少しで学園を卒業して本格的に社交界に出るのですわよ? 社交を学ぶことも、学園生活の意味のひとつですわ」
もちろん、学園としては身分に関係なく各個人の才能を伸ばしたり、新たな人脈を作らせたい思いがあり、この『学園内は身分に関係なく』という標語が掲げられた。それは生徒側が権力を行使するのを抑止する力にもなる。
しかし学年が上がっていくにつれ、生徒達はおのずと社交を身に着け、自分の家の格と立ち位置というものを学ぶ。
卒業後、成人して出る場には学園内の者達がいるのだから、今の未成年で学生のお目こぼししてもらえる間に、社交を学ぶのは当然だ。
学園側でも防犯的な意味では、王族や高位貴族の生徒を特別扱いする事は多々ある。
その一つが食堂内のサロンだが、その場に招待されていながら何も気付かなかったのだろうか。
「で、でも教会で聖女になる私は、高位貴族と同等になるって…………」
「高位貴族とでしょう? 殿下は王族でいらっしゃるわ」
そしてセラフィーナも、王族になるのだ。
黙るアイニに追い打ちを掛けるように、サンドラが昨日とは違う金縁に赤い宝石を付けた扇子を向ける。
「それに貴女の立ち居振る舞いは、とても高位貴族のものではありませんわ。高位貴族と同等を自負されるならば、最低限の礼儀作法を身に着けてからになさっては?」
「アイニはずっと使用人の様な扱いを受けていて、作法を学び出してから一年も経っていないんだぞ?」
田舎とは言え男爵家に生まれたものの、アイニは使用人との間に出来た庶子だった。
一応認知はされてはいたが、その扱いはあくまでも“使用人の娘”であり、礼儀作法や勉強も最低限のものしか習っていなく、8歳を過ぎた辺りから使用人としての仕事が主だった。
同情を誘う様に熱心に訴えるオルヴァと涙ぐむアイニとそれを慰めるサウリに、サンドラもセラフィーナも顔色ひとつ変えなかった。
「その年で一年もあって、最低限の礼節も身に付かないなんて、よほど頭か意識がゆるいのですわね。どういった教え方をされていたんですか、ベルナルデッタ様」
サンドラに話を振られ、ベルナルデッタは周囲……アイニ達を気にしながらおずおずと口を開いた。
「基礎知識はある様でしたから、半年もあれば余裕のはずだったのですが……その、アイニさんはよく街に出掛けると言って抜け出したりしていたので……」
「姉上、それは今関係無いでしょう。御自分の教示の至らないのをアイニのせいにしないでください」
姉の言葉を押さえつける弟に、セラフィーナが後を引き継いだ。
「あまり関係なくは思いませんでしたが、今はその件はいいでしょう。アイニさんの教育についてはメリカント家で今一度話し合って下さいませ。ともかく、アイニさん」
高すぎず低すぎず、聞き心地の良いよく通る声で名を呼ばれ、アイニは思わず背筋を正した。
改めてセラフィーナを見ると、その美しさもさることながら、こちらが気後れする空気を感じたからだ。
「貴女には聖女となるにはまだまだ足りない部分がある事。そして、貴女がわたくしと殿下の婚約に関して口を出す権利が無い事を自覚なさってください」
セラフィーナにピシャリと言われてしまっては、誰も二の句を継げない。
…………アイニ以外ならば。
「で、でもお二人は愛し合っている訳じゃないんですよね!?」
まだ言うか、とサンドラが目を吊り上げたが、それを視線だけで制しながら、セラフィーナは静かに答えた。
「王が決めた、未来の国王と王妃の婚約です」
「だったら……だって……エーリク様は私の事『かわいい』って言ってくれました!」
一瞬、サロン内に沈黙が落ちる。
すっかり忘れかけていたが、令嬢たちのテーブルから「まぁ」「やっぱり」なんて囁き声が聞こえ、視線がエーリクに集まる。
今まで渦中にありながら、無言を貫いていたエーリクが一度宙を見てから、ああ、と口を開いた。
「お前が新しいリボンがかわいいかと聞いてきたから、かわいいと答えた事か」
「何ですのそれ……。リボンが、じゃない」
拍子抜けした様子のサンドラの声が耳に入ったのか、アイニが立ち上がる。
「じゃあどうして私と街にお買い物に行ってくれたんですか? セラフィーナ様じゃなくて! 私の話をもっと聞きたいって、言って下さったじゃないですか!」
確かに、アイニが編入してきてからしばらく、エーリクはアイニとよく共にいたし、食事もお茶も一緒にしているのを目撃されている。エーリクが拒否をすれば、聖女見習いと言えど無理な事であるから、少なからずエーリクからの接近もあったのだろう。
令嬢たちの視線がセラフィーナに向くが、相変わらず変わらぬ笑みを浮かべたまま黙している。
「ああ、アイニの話は実に興味深かった。あまり僻地の様子を聞く機会も、使用人の生活を知る機会も無いからな。とても勉強になった。礼を言う」
淡々と、ただ見聞を広げるだけだったと言う勤勉な王子に、とっさに返す言葉が出てこない。
「街へは詳しいと言うから同行を頼んだ。下町の様子を見れる機会は貴重だったから助かった」
あれだけ噂になった城下町デートを、簡単に覆されてアイニは必死で反論した。
「ま、街が見たいだけならセラフィーナ様と行けば良いじゃないですか! わざわざ私を誘うから……っ!」
「セラフィーナと行けば、視察になってしまうではないか」
「変装とかして、お忍びで行けば良いじゃないですか!」
「そんな勝手な真似は出来ない。私は次期国王として、セラフィーナは次期王妃としての責務がある。何かあってからでは遅い。それに護衛の者達に迷惑をかける訳にはいかない」
真面目だ。
ただただ、真面目で勤勉な王子である。
見た目は金髪碧眼で物語に出てくるような眉目秀麗な王子であるエーリクを一目見て、アイニは憧れを持った。
そして自分は聖女と呼ばれ、高位貴族と並ぶ存在になると言われ、今までの生活では考えられない綺麗なドレスを着せられ、憧れだけではなくお近づきになれると思った。
実際にエーリクの行動は、アイニから見たら誤解を生む言動だったのかもしれない。
だがエーリクはただ勤勉であっただけで、そんな誤解を生むとは考えなかった。
なぜか。
自身が王太子で、既に決まった婚約者がいるから、それを知っていて懸想してくる者がいる訳が無いからだ。
そしてそれは、セラフィーナも同じである。
「何か思い違いをしてしまった様ですが、もうお分かりになりましてよね?」
一応確認の意味で念を押すと、アイニはテーブルの上に置いた拳を震わせている。
「わたくしといたしましても、まさかここまで学園内で噂が広まるとは思ってもみませんでしたわ」
「噂が広がっていたのか? 私にはセラフィーナという婚約者がいるのに?」
「ええ、残念な事に」
本当に残念だ。
正式な婚約者がいる王位継承者に、別の女を宛がう動きを見せるなど、反逆罪に近いというのに。
「興味本意で広めた者との付き合いは、今後考えなければいけませんね」
面白半分で王族の醜聞を広める者には相応の対応を。
ビクリと隣のテーブルの令嬢の何人かが体を固まらせた。
今さら取り繕おうとしなくとも大丈夫だ。ちゃんと誰が何を言ったか、セラフィーナは記憶している。
「それから意図的に噂を広めた親教会派の家の者も洗い出しておきましたので、また後のお茶会でお話いたしましょう、殿下」
「さすが、仕事が早いなセラフィーナ」
微笑み合うふたりの二日に一度のお茶会の内容を知った面々は、今度こそ震えあがった。
それと同時に、少女が最後の望みとばかりに顔を上げる。
「そんな……愛の無い結婚で、仕事ばかりして……エーリク様がかわいそうです。王としての重圧もあるのに、そんな安らぎの無い生活……」
「まぁ、ふふふ」
あくまでもエーリクを想っての発言に、オルヴァとサウリが感動したような顔をしているのに対し、セラフィーナはそれはそれは美しく笑った。
「貴女は本当に、わたくしとエーリク殿下を見くびってらっしゃいますね」
パチン、と再び扇子を閉じ口元に笑みを浮かべたまま、セラフィーナは夜空の様な瞳をすうと細めた。
「そんな……見くびってなんか……」
アイニの反論に耳を貸す気は、もう無い。
「わたくしとエーリク殿下は、いずれこの国を支え、守り、向上させていく使命と責務のもと、固い絆で結ばれているのです。
愛などと言う薄っぺらい感情と比べてもらっては不愉快です」
婚約が決まったのは7年前。
初めて会ったのは10年前だ。
それからずっと、この国を背負うべく教育を受けてきた。
10年に及ぶ信頼関係が、恋愛感情などに劣るわけがない。
「それに愛と言うのならば、わたくしはこの国を愛しております。王妃とは、国の母です。
それ以上に、何が必要なのですか」
きっぱりと言い切るセラフィーナに、もはや誰も何も言えなかった。
そこにいる、気高き未来の王妃に圧倒されて。
ただ一人、その片割れとなる未来の国王だけ、満足げに笑った。
「ああ、共にこの国を愛して育てよう」
それから数十年後。
新しい王と王妃は、二男三女の子宝にも恵まれ、王は側妃を娶る事も無く、国を大きく発展させ稀代の賢王と王妃であったと歴史に名を刻まれた。
ちょっと長めになっちゃいましたが、これでセラフィーナ編は終わりです。
聖女とはどういうものかっていうのとかも入れたかったんですが、それはおいおい他の令嬢のお話で。
とにかく真面目で、勤勉で、腹黒じゃないまともな王子が書きたかった。
次回からはツンツン縦ロール悪役令嬢サンドラ編です。
搦め手と権力て圧し潰すセラフィーナと違い、スカッとぶん殴ってくれると思うのでお楽しみに!