聖女見習い アイニ・ミッコラの願い(中)
連れて来られた侯爵家……メリカント侯爵の屋敷はミッコラ男爵家の倍くらいあった。内装も男爵家とは比べ物にならないくらい豪華で、アイニはせわしなく見まわした。
アイニをここまで連れてきた教会の人間に侯爵に受け渡され、それから侯爵家の家族を紹介された。
娘のベルナルデッタは2つ上らしく、王立学園の先輩でもあるので学園の作法などを教えてくれるという。銀の髪に赤みがかったピンクの瞳の美人だが、伏し目がちで何だか気弱そうだ。アイニの義姉たちは男爵の娘という事で威張りくさっていたのに、侯爵家の娘でも気弱な人がいるんだなと思った。
反して、息子のサウリは侯爵と同じ銀髪に青い目で、自信にあふれた顔をしていた。アイニと同じ年らしく、ちょっと値踏みをするような目で見られたが、アイニがニコリと笑いかけたら、ちょっと顔を赤くして笑ったので悪い人ではなさそうだ。
侯爵家では広いお姫様みたいな部屋が与えられ、綺麗な服を着て、侯爵家の人達と一緒に美味しいごはんを毎食食べられた。男爵家時代は、マナーを見る為に家庭教師の前で一人で食事をするか、使用人が順番で食事を取っていたので、こうして誰かと一緒に食べる事自体、小さい頃に母と一緒に食べた以来だった。
(すごい……! みんな一緒に同じ物を食べてる! ここでは私も“同じ”なんだ!
そうよね、私は高位貴族と同等になるって言ってたもん。私は侯爵家と同じなんだ!)
朝早くに起きて掃除洗濯もしなくて良いし、嫌味を言って来る姉や義母もいない。
侯爵家の使用人は皆アイニを大事な客人として、お嬢様扱いをしてくれた。
朝から晩までぎっしり勉強時間なのも、男爵家時代に比べたら何も辛くないと思った。
しかし、男爵家時代の『貴族として最低限の嗜み』程度の勉強とは難易度が違った。
間違えたら鞭で叩かれたりはしないが、毎度アイニが勉強に詰まるたびに家庭教師が困った様にため息を吐くのが嫌だった。
(まるで、私が『下』みたいじゃない……)
特に嫌だったのは、ベルナルデッタの作法の時間だ。
高位貴族としての礼儀作法は別の先生が付いていたので、ベルナルデッタには学園で必要な作法を中心に教わるのだが、まず『身分が関係無いはずの学園』で作法が必要なのが、アイニは納得いかなかった。
その上ベルナルデッタの授業は淡々としていて面白みがない。
今も貴族の家門というのをつらつらと抑揚なく語っているが、正直眠くなる。
他の教師と違って威圧感もないのもアイニの緊張感を薄くさせた。
それから
「アイニ、勉強終わった?」
「サウリくん!」
こうしてサウリが様子を見に来る事がたびたびあった。
アイニは最初、ベルナルデッタを見下す様子だったサウリの事が少し苦手に思った。
だって同じ侯爵家の子なのに、どうして上下を作ろうとするのか。姉弟なのだから仲良くすればいいのに、と思ったが使用人たちの噂話で侯爵夫人が後妻で、ベルナルデッタとサウリは母違いの姉弟だと知った。きっと跡継ぎ争いとかあるのだろう。
それにサウリはアイニを大事に扱ってくれる。
あかぎれのある手を「素敵な手」だと言って、良い匂いのハンドクリームとピンクのマニキュアをくれた。
そしてこうして、つまらないベルナルデッタの授業の時間に現れて、アイニの味方をしてくれる。
「姉上、そんな詰め込み学習じゃ覚えられないですよ」
「そうですよ、こんな同じ様な名前の貴族の名前を紙で見るだけじゃ覚えきれません」
サウリが援護してくれているのを良い事に、アイニもベルナルデッタの授業が詰まらない事に声を上げた。そうだ、アイニは母親とは違い、自分の意見が言えるのだ。
「でもそれは学園内に在籍している方のお家だけに絞ってますから、必ず覚えてないと困りますよ」
ベルナルデッタに淡々と返され、内心「ゲ」と声が出そうになった。
「ベルさんは全部覚えているんですか?」
「はい」
当然みたいな顔をして返事をするベルナルデッタに絶望しそうになったが、そこでまたサウリが助け舟を出してくれた。
「と言っても、姉上は初等部の頃から徐々にじゃないか。アイニにこの期間で全て覚えろって言うのとは違うだろ」
「そうですけど、一か月もあれば覚えられませんか?」
まるで当たり前の事の様に言われ、再び紙に目を落とすが、長ったるい名前と説明がぎっしり書かれたのが何十枚もあってげんなりした。
「僕はこの間の試験でも学年上位だけど、姉上だって別に学園の成績が良いわけじゃないじゃないか。自分に出来ない事を人に押し付けるなよ」
「え、そうなんですか? ベルさんってば成績良いんだと思ってました」
ベルナルデッタは貴族子女としての作法も完璧だし、感情的になる事もなく喋り方も賢そうだったから、てっきり頭が良いのかと思っていた。
それはそうと、サウリが来たのならこの退屈な授業を抜け出すチャンスだ。礼儀作法にはちゃんとした教師が付いているから、ベルナルデッタの授業は少しくらい抜けても大丈夫だと思ったアイニは、王都に来てからほとんど外に出ていない事を思い出した。
「こんな紙の上だけで見たって全然頭に入んないです。ねぇ、外に行って実地で勉強しましょうよ! こっちに来て全然出掛けてないもの」
学園を卒業したら、聖女としてとても忙しくなると聞いている。それこそ使用人時代の様に休みなど無いに等しくなるだろう。
「いいね、それ。アイニは目で見て体験した方が覚えられるタイプっぽいし」
サウリが同意してくれたので、アイニはすっかりその気で立ち上がるが、それにベルナルデッタは眉をひそめて不可解そうな顔をした。
「え……基礎も出来ていないのに、外に行っても何を得るというのですか……?」
「それ。姉上よくそういう上から目線の言い方多いですよ。大して頭も良くないのに、そういうのどうかと思いますよ、本当に」
そう言うサウリのベルナルデッタへの態度の方がと思うが、ベルナルデッタは物静かで感情を表に出さない、気弱そうな女性だが、たまに、こういう言い方をするのがアイニも少し引っかかっていた。
(そうだ、上から……『同等』の相手への言い方じゃないんだわ)
だからどうもベルナルデッタが好きになれなかったのかと、アイニは納得した。
それでも、自分は聖女になるのだから高位貴族の娘であるベルナルデッタとは同等なのだ。それをちゃんと示さなくちゃ、とアイニはベルナルデッタに習った礼をして見せたが、もっと見下された。
怒ったサウリはアイニを街に連れ出してくれたし、それ以降もサウリにくっついていればベルナルデッタの退屈な授業を受けなくて済んだのでアイニはそうした。
そうこうしている内に、王立学園へ編入する日がやって来た。
どうにか高等部前までの学習は終え、礼儀作法の先生からも及第点を貰えた。
学園ではサウリと同じ学年であるし、何の不安も無かった。
実際、編入先のクラスの者達もアイニに親切だったし、誰もアイニを下に見たり、過剰に持ち上げたりもしなかった。同じだった。
それに気を良くしていたアイニは、サウリの校内案内の時に見つけてしまった。
唯一、位が違う者を。
食堂でランチを食べた後、サウリと校内を歩いていると、何となく周りの生徒の視線が集まる所があるのを感じた。見ると、見覚えのある青みがかった銀髪がその中心にあった。
改めて周りも見ると、金色の髪のキレイな男性と、赤髪の逞しい男性、それから黒髪のキレイな女性がいた。
ずいぶん派手な面々で、その中にベルナルデッタがいるのに違和感を感じながら隣のサウリに訊ねる。
「サウリくん、ベルさんと一緒にいるのは誰?」
「この国の第一王子で王太子であられるエーリク・ハルヴァリ殿下とその婚約者のセラフィーナ・パーシヴァルタ侯爵令嬢、それから3年のオルヴァ・マケライネン子爵令息だ」
「えっ王子様!? あれが……。ベルさんと仲が良いのかな?」
王子が学園に通っているとは聞いていたが、本物を見るのは初めてで、本当にいたんだという気持ちが強い。しかも王子とベルナルデッタが一緒にいられるなんて。
「ああ、殿下の婚約者であられるパーシヴァルタ嬢と仲が良いらしいから……」
黒髪のスレンダーで上品な美人が、王子の婚約者らしい。
「ねね、私たちも挨拶にいこうよ!」
せっかく身分関係なく話せる学園で、王子様に会ったのだ。行かなきゃ損だ。
「えっ」
サウリが驚いている間に、アイニは小走りで輪の中心に向かった。
「ベルさん!」
アイニの声に顔を上げたベルナルデッタが、目を丸くするのを見て、そんな顔もするんだと思いながら駆け寄った。
「ベルさんが見えたから来ちゃいました! えっと、そちらは王子様と婚約者さまなんですよね?」
紹介してという態度を隠さず、アイニはチラチラと王子の方を見た。
近くで見ると、金色のウェーブがかった髪に、海の碧と空の蒼が混ざった様な瞳が印象的な、絵に描いた様な『王子様』だった。
(こんな本物の王子様と話せるなんて、夢みたい……!)
護衛らしき体格の良い男子生徒が前に出るが、名前を名乗ったら納得して引いてくれた。やっぱり聖女は“同等”なのだと嬉しくなる。
ニッコリ笑いかけたら、この先輩もアイニに好意的な態度になってくれた。
「分からない事も多くてご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」
婚約者の人は微笑んでいて、ベルナルデッタはあの『不可解なものを見る顔』になっていたが、王子様は優しく「ああ、励む様に」と返事をしてくれた。
その日の帰りの馬車で、サウリからは「王族の人には自分から話しかけたりしちゃいけない」と注意をされたけど、王族だからといって“皆と違う様に扱う”のは学園の方針にも反するし、何よりも可哀そうだと思った。
(せっかくの学園生活もひとりぼっちなんて、王子様が可哀そうだわ。私はそんな扱いをしないであげよう)
こうしてアイニは心を決め、翌日からも王子の護衛であるオルヴァとエーリク王太子殿下と交流を続けた。
暴走し始めたアイニ。
そして何気に周囲の人の本質は分かっています。
基本皆と仲良くしますが、サウリの事もオルヴァの事も、好きか嫌いか分けろと言われたら『嫌い寄り』だった模様。




