侯爵嫡子 サウリ・メリカントの記憶(後)
アイニが編入してきた。
一足先に王立学園に入学していたサウリは、この時を待ち望んでいた。
あれ以来、ベルナルデッタの学習時間はサウリが誘って街に出る事もあったが、基本アイニは学習時間でスケジュールがいっぱいだ。同じ屋敷に住んでいるというのに、あまり自由に話せる時間がなかった。
だが学園となれば、同じ学年だし授業も一緒、昼食も放課後も一緒にいられる。
「サウリくん!」
教員が出ていってすぐ、アイニがサウリに笑顔で駆け寄って来た。登校は一緒だったが、編入生のアイニは別行動だったため不安だったらしい。
制服姿のアイニを学園で見ても、やっぱりアイニは際立って愛らしかった。
侯爵家嫡子であるサウリに遠慮がちなクラスメイト達も、アイニの親しみやすさと可愛らしさに惹かれ寄ってきた。それでもアイニの特別はサウリなのだと、少し優越感を感じた。
休み時間などに校内を案内し、昼休みに食堂に一緒に行った時、王太子であるエーリクと婚約者のセラフィーナ、そしてベルナルデッタと王子の学内での護衛も担っているオルヴァ・マケライネンが一緒にいるのが見えた。
「サウリくん、ベルさんと一緒にいるのは誰?」
ベルナルデッタはこんな事もちゃんと教えていないのかと呆れながら、サウリは簡潔に答える。
「この国の第一王子で王太子であられるエーリク・ハルヴァリ殿下とその婚約者のセラフィーナ・パーシヴァル侯爵令嬢、それから3年のオルヴァ・マケライネン子爵令息だ」
「えっ王子様!? あれが……。ベルさんと仲が良いのかな?」
「ああ、殿下の婚約者であられるパーシヴァル嬢と仲が良いらしいから……」
「ねね、私たちも挨拶にいこうよ!」
「えっ」
サウリが驚いている間に、アイニは小走りで行ってしまったので、慌てて追いかける。
「ベルさん!」
アイニの声に顔を上げたベルナルデッタが、目を丸くするのを見て、久しぶりに姉の驚いた顔を見たなと思ったが、そんな場合ではなかった。
「ベルさんが見えたから来ちゃいました! えっと、そちらは王子様と婚約者さまなんですよね?」
サウリが止めるのは間に合わず、アイニはチラチラと王太子殿下とその婚約者を見る。
「メリカント嬢……こちらは?」
エーリクを守る様に前に進み出たオルヴァが、ベルナルデッタに視線をやるが、その前にアイニが元気よく答えた。
「今日から学園に編入しました、アイニ・ミッコラと申します。よろしくお願いします」
そう言って礼の姿勢を取るが、そうではない。オルヴァはベルナルデッタに訊いたのだ。つまりアイニに発言は許されていない。
基本身分の高い者から声を掛けられない限り、自分からいってはいけない。いくら学園内では身分は関係ないを掲げていても、王族は別だ。
何よりも、初対面のどういった相手か分からない者を王族に容易く近付けるのは問題なのだ。
「ミッコラ……じゃあ君が“聖女”か」
アイニの事を知っていたのだろう、警戒をゆるめたオルヴァにアイニがニッコリと笑いかける。
「分からない事も多くてご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」
「あ、ああ」
アイニのこの素直さと向上心はサウリも好ましく思っているが、関係のない目上の者に言う事ではないとも思った。現に、ベルナルデッタは眉をひそめているし、セラフィーナも微笑みを浮かべているが目に感情が見えない。
さすが、エーリクは王子として聖女に礼節を持って「ああ、励む様に」と返事をしてくれた。
あとでアイニには王族へ対する態度の事を言っておかなくてはいけない。それにメリカント家は聖女見習いであるアイニを預かって親教会を示している。教会と王家は対立とまではいかないが、相容れない関係だ。
その上姉のベルナルデッタが考えなしに王太子婚約者のセラフィーナと仲良くしているので、余計王家との距離は気を遣う。
しかし、翌日アイニの姿が見えないと探したサウリは、アイニと親し気に話すオルヴァを見つけた。
「あ、サウリくん! オルヴァさんがね、お昼ご飯一緒にどうかって。サウリくんも一緒に行こうよ!」
昨日の今日で昼食を一緒にだなんて、ずいぶん仲良くなったのだなとサウリは少しモヤっとしたが、それに続くアイニのセリフにギョッとした。
「エーリク様もいるんだって!」
何で王太子殿下も一緒に!?
昨日「王族とは距離を置いて」と言ったはずなのに!?
しかし既に了承しているだろうアイニだけをやる訳にはいかない。仕方なくサウリはアイニと共にエーリクとオルヴァと昼食を取る事になった。
その後もアイニはオルヴァとエーリクを見ると寄って行き、昼食も一緒が慣例になっていった。サウリはまずいとは思ったが、今さら王族の誘いは断れないし、アイニを一人にも出来ない。オルヴァとアイニの距離がやたらと近いので、目が離せないのだ。
一度、アイニに「マケライネン先輩には婚約者がいるよ」と言ったが、「やだな、お友達だよぉ」と笑われた。
しかしオルヴァの婚約者は、気が強い事でも有名なあのサンドラ・アルディーニ嬢だ。
案の定、アイニはサンドラから直接咎められたが、そのあまりにもきつい言葉量にオルヴァとサウリが止めに入った。その後も何かにつけ、サンドラ以下サンドラの……正しくはセラフィーナの取り巻き令嬢に非難をされているので、サウリとオルヴァはアイニに対しどんどん過保護になっていった。
アイニは男子生徒だけではなく、女子生徒にも同じ距離感なので悪気がないのは分かるが、王太子や婚約者のいる男性に親しげなのが問題であるし、サウリも良い気分はしないので何度か注意はした。
それでも、今まで苦労していて、聖女になるための勉強も頑張っているアイニが他の令嬢たちに強く当たられているのを見ると、かばいたくなってしまうのが男心だ。
一度、聞いた事がある。
「どうしてアイニはそんなに皆と仲良くしたがるの?」
アイニはきょとんとした後、可愛らしく笑った。
「だって、今しか仲良く出来ないじゃない」
それは『身分差を気にせず』という意味だと思ったサウリは、それでもとアイニに忠告しておいた。
「でも王太子殿下は婚約者も決まっているし、色々ややこしいからあまり親しくしない様にね。」
「分かったわ」
しかしアイニは、サウリの忠告を全く聞き入れてはいなかった。
それはサウリが父から視察の同行を許された休日。
初めての視察との事で、とりあえずは新しい土地を見る様にと言われて、サウリはずっと胸を躍らせていた。
数日前にあらかじめ父からその土地の話は聞いている。でも話に聞くのと直接見るのとでは全く印象が違った。
視察を終えて帰ってきたら、休日だというのにずっと家にいたらしいベルナルデッタが何か言いたげな目をしていたが、無視をした。
それよりも、アイニが同時刻に帰ってきたのが気になり、どこに行っていたのかを聞くと、驚きの返答が返ってきた。
「エーリク様とオルヴァさんと街にお買い物に行ってたの!」
案の定、翌日の学園はその噂で持ちきりだった。
オルヴァが婚約者との約束を反故にして行っていたのも噂を加熱させた。
(なんて事をしてくれたんだよ……)
オルヴァだけを責めるのは筋違いだとは分かっていても、悪態をつかずにはいられなかった。
学園内は、今セラフィーナ派とアイニ派で分かれて一触即発だ。
王太子の正式な婚約者であるセラフィーナが沈黙を守っている事で、アイニ派が何なら強くなっている位だ。
だが、教会派であるアイニが王妃になどなれない事はサウリは分かっていた。
だからこの噂を打ち消す為にもサウリはアイニと婚約したいと母に申し出た。
サウリに好きな人が出来たら、その人と結ばれるべきだと言っていた母は、顔を顰めて却下した。
「どうしてですか母上! アイニは素敵な子ですし、僕には好きな人と結婚する様に言って下さってたじゃないですか!」
「言いましたけど、相手は聖女見習いですよ?
どこの世界に、かわいい息子を“種馬”にしたい母親がいるのですか」
「え……?」
アイニは聖女見習いだ。
聖女となったら、一生を大聖堂で過ごす。
光魔法に目覚めるかもしれない血筋を残すために子は産むが、その子は教会で育てられ、父親の家には入らない。
聖女の伴侶となる者は、ただ聖女が子を産むために種を注ぐだけの存在なのだ。
「だって、今しか仲良く出来ないじゃない」
あの時のアイニの言葉は、この事を言っていた事を初めて知った。
その後、アイニと王太子の外出はあくまでも見聞を広げたい王太子の視察だった事が判明し、アイニはセラフィーナに格の違いを見せつけられ、学園内の諍いはセラフィーナが女生徒の絶対的頂点で治まった。
王太子はあくまでも、セラフィーナと結婚して国を治める事しか考えていなかったし、オルヴァは婚約者に振られた。
王太子は浮気心など無く、貴族の婚約は絶対ではなく、自分が聖女と結ばれる事は無い。
(僕は……何も分かっていなかったんじゃ……)
子供の頃から優秀だった。
愛人との子だったが、愛し合った両親の元で生まれ、侯爵家の跡取りになれた。
かわいい女の子が家に一緒に住む事になって、全てが順調に見えていた。
「サウリくん、試験範囲の事なんだけど~」
「あ、うん」
セラフィーナにやり込められた後も、アイニの態度は変わらなかった。唯一王太子とセラフィーナには距離を置く様になったが、婚約者に振られたオルヴァとも仲良くやっている様だ。周囲はオルヴァの様に婚約者に捨てられない様に少し及び腰になっているが。
でもアイニは最初から婚約者を奪う気などない事を、サウリは知っている。
聖女となる彼女が家を継ぐ高位貴族の嫡子と結ばれる事は無いのだから。
前期の中間試験が近くなったことで、勉強がどうしても遅れがちなアイニはサウリによく質問してくる様になった。
教科書を開き、分からない箇所の綴られた文を音読する彼女に、まだ胸が高鳴る事はあるが、自分はこの侯爵家を継ぐのだ。この想いは早めに失くさないとと思うサウリの耳に、聞き覚えのある文章が入ってきた。
「え、今の……」
授業ではない。どこかで聞いた事がある……
「あ、ここ本当難しいし、怖いよね~」
―――貴方に意地悪して、怖い本を読んでたのよ―――
(この文章……)
それはこの国の歴史の学科で、昔あった法律とそれが出来る原因となった凄惨な事件の記述だった。
女性の、高い声で聞いて思い出した。
(これ……姉さんが昔僕に読んでくれた……)
ぞわり、とサウリの背中を冷たい何かが這った。
あれは、まだサウリがメリカント家に入ったばかりの頃だから、サウリは3才。…………ベルナルデッタは、5才のはずだ。
ずっと、違和感はあったのだ。
ベルナルデッタは大人しい。メリカント家では尚の事口数が少ない。
ただ一度たりとも、誰かからの質問に答えられなかった事は無い。
あの日見た父の執務室でのベルナルデッタは、饒舌だった。
宰相である父に、止まることなく質問をしていた。
大体あのセラフィーナがどうして、あの姉を側に置いているのだ。
サウリの胸に芽生えた、いや常にあった疑問が芽を出し、体中に広がっていった。
そしてそれは、否定する材料を探す暇もなく白日の元へと晒された。
「え……姉上が、学年一位……?」
夕食時、後期の中間試験の結果を聞き、サウリは何食わぬ顔の姉を凝視する。
サウリはここ数日はずっと思い悩み、試験は何とかギリギリ上位だった。
「ええっ? いつも真ん中位なのに、そんなに一気に上がるものなんですか?」
アイニの無邪気な驚きに、我に返っていつものように、不出来な姉に対する態度を立て直す。
「そんな訳ない、姉上まさか何か不正を……」
「やめなさい、サウリ」
しかしそれを止めたのは父であるメリカント侯爵だった。
(ああ、そうか……)
あの日見た執務室。
父はずっと、知っていたのだ。
夕食後、「自分が話すから」と止める母を振り切り、ベルナルデッタと父が入った執務室の前で待った。
何の話をしているのかは聞こえなかったが、出てきたベルナルデッタの真っ直ぐとしたストロベリーピンクの目を見て、分かった。
「聞き耳を立てていたの?」
常に下を向きがちで家の中では皆に遠慮をしていたベルナルデッタとは思えない、高圧的な物言いだった。
「違います、僕が父上に呼ばれて教えを請う日です」
父と執務室に入る権利を持っているのは自分だと、言い返すもベルナルデッタの表情は動かない。
「サウリ、ピナルディ地方はどうでした?」
「え?」
「行ったのでしょう? 先日お父様に付いて。その前にお父様から教わった上で」
確かに行った。
初めての視察に同行させてもらえ、浮き足立つ心でしっかりと見てきた。
「み、緑豊かな場所でしたよ。名産の小麦も順調に育ってましたし……」
「冷害対策は?」
「冷害?」
矢継ぎ早に投げかけられる質問に、脳が追い付かない。知らない。習ってない。まだその段階にはない。
戸惑うサウリを見て、姉は目を細めて小首を傾げた。
「そんな事も、分からないの?」
(僕は、僕は本当に何も分かっていなかった…………)
姉は天才であった。
そんな事は、とっくに知っていた。知っていて、知らないふりを続けていた。
母が自分を跡継ぎに強引に推すのも、父が母に負い目がある事と男社会に姉を出す気が無いせいで姉の才能を見て見ぬふりをした事も分かっていながら、それに甘んじていた。
勉強は苦ではなかったので、授業を聞けば大体分かったし、成績も良かったので、このくらいやれば良いだろうと高を括っていた。
姉は、いや姉だけではない。
王太子もセラフィーナも、そしてあのサンドラもサウリの遥か高みにいた。
学園の成績が良い程度の自分では、対話する事すらできない存在だった。
「サウリくんは本当に頭が良いね」
かわいいアイニのかわいい笑顔で褒められても、何一つ嬉しく思えなかった。
姉はその後も首席を取り続け、卒業後は王宮官吏となる事が決まっていた。侍女ではない、政治部署の官吏だ。
(姉さんは多分、侯爵家の当主になるおつもりだ)
男社会である事には変わりないから難しいだろうが、今のベルナルデッタに不可能な事では無く思えた。
だからと言って、サウリも易々と譲るつもりはない。
サウリはまだあと2年ある。
もっともっと、真剣に、深く学ぶのだ。
当主の座を争うため、ではない。
あのストロベリーピンクの光を正面から受け止める為に。
サウリ編終了です。
ボタンを掛け違えただけで、もしかしたら仲良し姉弟になれたかもしれない、まだなれるかもしれないメリカント姉弟。
次回はジェラルド編です。




