初めての街歩き
アンセルマの暮らす田舎とは違い、五階建てくらいのクリーム色の建物がキッチリと並んでいる。
どれも同じ建物にみえるからすぐに迷子になるだろう。
「まずは何か食べてみるかい?それとも雑貨屋に行く?」
「屋台を見て歩きたいです」
「それならこっちだ。アンセルマ、手は離さない様にね」
「迷子になりそうですから、離しません」
「うん、良い子」
リカルドが聞いておいてくれたらしいここらで一番美味しい屋台で串焼きを買う。
ブラックボアの串焼きだそうだ。
脂がじゅわっと滴って美味しそうな匂いがする。
塩と少しのスパイスをかけて焼いただけらしいが、齧り付くと臭みも無くちょうど良い硬さで脂が甘くて美味しい。
「美味しい!」
「これはアンセルマが昨日仕留めたやつだろう」
「えっそうなのですか?!ブラックボア自分で食べた事無かったかもです」
「毎日あんなに狩ってるのにそれは勿体ない事をしたね」
今までは庶民でも獲れる小型魔獣は流通していても、ブラックボアの様に3メートルもある大型の魔獣の肉が流通する事は殆どなかったそうだ。
アンセルマみたいに一日に何体も狩る事はないし、獲れたとしても運ぶのが大変だから街まで運ばれずに森の周辺で消費されてしまう。
しかし今ではアンセルマが森の奥まで入って鍛錬がてら毎日何匹も獲り、転移魔法陣を使って獲ったその場から決められた肉屋に送るので流通が可能になったのだ。
肉屋から先は大型冷蔵庫に入れて鮮度を保ったまま運んでいるらしい。
「あ、転移魔法陣を使えばお会いするのも簡単ですね」
「正解。アンセルマの家の庭に転移魔法陣を作る許可は頂いたから、すぐに会いに行けるよ」
転移魔法は上級魔法だ。
普通は緊急脱出時にしか使わない様な魔法で、馬鹿みたいに魔力を使うからおいそれと使える代物ではない。
だが毎日魔法を使いまくって鍛えたアンセルマもリカルドも既に子供とは思えない魔力量であり、1回や2回使ったところで大したダメージはないのだ。
更に魔法陣を使えば更に発動は簡単になる。
肉屋に仕掛けた魔法陣は荷物を受け取るしか出来ない作りになっているが、双方向の魔法陣を仕掛けておけば行ったり来たりが可能になるということだ。
「リカルド様、あの行列は何ですか?」
「あれはポテトフライのお店だよ」
「ポテトフライ?」
「アンセルマが最初に振る舞ってくれたあのポテトフライ。馬鹿みたいに売れてるんだよ」
「お詳しいのですね?」
「アンセルマ、ジャガイモが採れるのは僕らの領地だけだ。ポテトフライのレシピを知っているのも僕達だけ。あれは母上達の店だ」
「どなたのお母様ですか?」
「グロスター伯爵夫人とカディネ公爵夫人が共同でやってる店ってことだよ」
「えぇっ!?」
母様達がそんな事をしてるなんて知らなかった。
確かにポテトチップスの為にジャガイモの生産を始めたが、流通させる程の量はまだ出来ていない。
我が家とカディネ公爵家で食べる分だけと聞いていたが、まさかその中にお店が含まれるとは聞いていなかった。
「それはポテトフライ以外にもレシピを教えなきゃいけませんね・・・」
「他にも美味しい食べ方があるの?」
「薄切りにするのも美味しいのですよ。あとは潰して衣をつけて揚げたり」
「それはまた楽しみだね」
他の事に忙しくてポテトチップスもコロッケも教えるのを忘れていたのだ。
これは早急に庶民の味を教える必要がある。
アンセルマはメモをとりたいと思ったが、紙もペンも馬車の中だ。
そもそもつけペンだからポケットにしまう事も出来ない。
そう、ボールペンが欲しい。
ボールペンは難しそうだからカートリッジ式のペンを作れば良いのだ。
あぁ、この案もメモしておきたい。
「アンセルマ、どうしたの?」
「思いついた事を書いておきたいのですけど紙もペンもなくて」
「僕が覚えておくよ。何を思いついたの?」
一応そのまま思いついた事を伝えると、リカルドは覚えておくからまた気になった事は共有してね、と笑った。
きっと全部伝えていたら忘れてしまうものもあるだろうが、2人で覚えておく方が確率は上がる。
なんならリカルドが良いと思ったものだけでも残ればそれが優先という事になるだろう。
本当に出来た婚約者だなぁと有り難く思いながら、意識を街の散策に戻す。
散策した結果、分かったのは人気商品はどれもアンセルマが開発したものばかりだ、という事実だ。
白物家電ならぬ家事魔道具は裕福な家庭のステイタスとされているが、庶民たちも洗濯機などは憧れの魔道具として人気が高いらしい。
気になったのは計算間違いの多さだ。
数が多くなればなるほど計算が怪しい。
これは電卓が必要だろう。
あとは馬の糞?というより衛生。
今は半日に一回公衆トイレと一緒に表通りは掃除夫を雇って綺麗にして貰っている。
ただ、水で流す訳じゃないから限界があるのだ。
アレだ、前世で駅の汚物処理に使われてたおがくずなんて良いんじゃない?
あとはやっぱり水が出る魔道具かな。
そもそも馬の糞が落ちない様に出来れば良いんだろうけど、オムツ履かせる訳にもいかないもんね?
そう、常々思ってたけど、トイレットペーパーも問題だ。
庶民は葉っぱなんかでお尻を拭くらしいのでトイレの中に棄てられても構わないのだが、貴族は木綿や麻布なんかで拭く。
グロスター伯爵家ではトイレに行くと未使用の布が置いてあって、使ったら使用済みの箱に入れる。
でも少し前までは小間使いに拭いてもらっていたらしい。
今では使用済みの布は専用洗濯機に転移出来る様にしてあるから良いのだが、いくら洗ったとはいえ誰かの使ったお尻拭きを共用しているのはあまり気持ちの良いものではない。
ここは堆肥にも影響しないトイレットペーパーの開発が急務だ、とトイレに行きたくなって深刻に考えた。
公衆トイレは入る前にお尻拭きの葉っぱを買うと使える有料トイレだ。
しかし葉っぱを手渡されてアンセルマはこれで拭けるのか?と葉っぱを握りしめて思った。
ララがすぐに用意してあったらしい木綿を渡してくれたが、これを使うと使用済みで持って帰る事になる。
ビニールもないのにどうやって?匂わない?
アンセルマは普段出掛けないし、使ったところで清浄の魔法を使うか、燃やしてしまえば良いが、これは早急に開発が必要だと実感したわけだ。
そして出てくればもちろん手洗い場がない。
もうなんならトイレごと清浄の魔法使っておいたけど、前世の記憶を持つアンセルマには昔海外旅行の観光地でお金を払って入ったトイレが土に穴を掘っただけという衝撃の光景を思い出させた。
あれよりはマシだと思おう・・・。
あとは・・・カメラも欲しい。
屋台の人達はIHがあると便利だよね。
電車、農機具、トラック・・・欲しいものがどんどん大きくなっていく。
動力がないのだから無理だ。
電気ってどうやって作るんだっけ?
手を引かれながら歩いていたので、ブツブツと気になった事を口にしている間に洋服屋の前に着いている。
リカルドとララで何着か見繕うと試着室に放り込まれた。
今日着ているものよりも明らかに高価だが、貴族の娘が街に出るには丁度良い程度の服ばかりだ。
普段はずっと家に居るからつい機能性を優先にした服選びばかりしてしまう。
農作業や魔物狩りには兄様の古着を貰って着ているし、普段も令嬢にしてはシンプルなワンピースを着ている事が多い。
母様が選んだヒラヒラの服も持っているがすっかり箪笥の肥やしだ。
「うん、どれも可愛いね」
「本当にお可愛いですわ、お嬢様」
「アンセルマ、どれか嫌な服はあった?」
「嫌、ですか?良いではなく?」
「アンセルマは実用性を重視しがちだからね。勿論、好きなのがあったのなら教えて欲しいけれど」
確かに実用性重視ではあるのだが、好みがないわけではない。
何より我ながら今世は可愛いので何を着ても似合う。
前世では似合わないから敬遠していたヒラヒラの服でもピンクでも着こなせるのは嬉しい限りだ。
「2着目のは好きな感じです。4着目のはあまり好きじゃないかな」
「まぁ、お似合いでしたのに」
「あまり首が詰まってるのが好きじゃないみたい」
そして無駄にゴテゴテしていて重い。
どうやらララが選んだものだったらしく、今の流行りなのにとまだ諦められない様子で服を店員に渡す。
リカルドは店員にカタログを見ながら何か指示をすると、店員が持ってきた服から1着を選んで再びアンセルマを試着室に押し込んだ。
今度はちゃんと好きなテイストだ。
「ところで私は何故こんなに服を試着する事になっているのですか?」
「それは勿論アンに似合う服を着て欲しいからだよ」
「いつもの服似合ってないですか?」
カディネ公爵が来た時は母様が選んだ令嬢らしい服を着ていたが、それ以降リカルドが訪ねてきてくれた時はシンプルな実用性重視の服だった。
錬金術で実験するのにヒラヒラした服では汚しそうでつい普段着を着ていたのだ。
誰にも指摘されなかったのでオシャレもせずに婚約者を迎えていた事にリカルドが不快な想いをさていたなら申し訳がない。
しかしリカルドはアンセルマの手を取って優しく笑いかける。
「アンセルマは何を着ても似合うよ。ただ、これからは外出も増えるし、買っておかないと明日着る服がないからね」
「明日着る服がない?服なら家に沢山ありますよ?」
「まぁお嬢様、先程リカルド様のお話聞いてなかったのですか?今日は公爵家にお泊まりする事になりましたのよ」
「えぇっ?!」
「さっきお嬢様、分かりましたって返事なさってましたのに」
困った方ですね、とララが頬に手をあてて呆れてみせる。
家でも研究に夢中になると上の空で返事をする事があるのでよく注意されるのだ。
「リカルド様、ごめんなさい。よく聞いてませんでした」
「アンセルマはこれからの計画に夢中だったものね。分かっていたから勝手に話を進めてしまったけど僕こそごめんね」
「いえ、それで何故急に公爵家にお泊まりする事になったのでしょう?」
家を出る時はそんな事言っていなかった筈だ。
着替え終わったアンセルマを自分の隣に座らせて、リカルドは成り行きを説明し始めた。