トイレ作りはもう飽きた
リカルドが事前にお出かけ用として届けてくれた服はアンセルマが普段家で着ているのに近い簡素でシンプルなワンピースだ。
特に生地が上等という訳でもない。
色も地味めで、深めの帽子と黒いシンプルな靴も付いている。
これは庶民として街に溶け込む作戦だと理解し、髪はおさげにし、農園に行った時のメガネもかけた。
侍女のララが行く用意が出来たアンセルマを見て、少しお金持ちの商家の娘といったところですわね、と教えてくれる。
商家の娘に侍女がついているのはおかしいのでは?と聞くと、リカルドはララの分の服も用意してくれているから姉として付き添いますとララは笑う。
さすがリカルド様用意周到だ。
迎えに来たリカルドも普段と違い、アンセルマと一緒に森へ魔物を狩りに行く時の様な格好だ。
馬車は普段のままだったから、意味がないのでは?と思ったが、道中の森の中で簡素な馬車が待っていて乗り換える。
そのまま座るとお尻が痛くなりそうだが、柔らかいクッションが敷き詰めてあり、魔法が使われているので見た目と違って揺れも少なく速い速度で目的地に着いた。
王都に隣接する公爵家の領地内の端にある街らしい。ちなみに反対隣がグロスター領だ。
「大きな街ですね」
「貿易の要所の1つだからね」
緑が多いグロスター領とは違い、石畳が続く。
整備された美しい街並みに馬車が進むにつれて人も馬車も増えてきた。
ただ土がないせいか馬のフンが落ちていて若干臭う。
それでも公爵領地内はグロスター領に倣い堆肥を作るべく糞尿を集めているのでかなり綺麗な方らしい。
アンセルマが上級錬金術を習い始めて一番最初に作ったのはトイレである。
中級まででは脱臭が限界だったが、上級になって転移機能を付ける事が出来る様になったので、トイレを使った人が用を足した後、魔石に魔力を注ぐ事でおまるの中身を都度肥溜めに転送出来る様にしたのだ。
そう、この世界のトイレはおまるである。
一日に何回か小間使いが外に捨てに行くが、庶民は窓から投げ捨てるのが普通だ。
だから周りが土の農村部はまだ良いが、石畳の都会の方がむしろ臭いらしい。
そこで生活魔法レベルの少ない魔力でおまるの中の糞尿を決められた肥溜めに転送出来る様にしたのだ。
転送トイレは買えばそれなりの値段になるが、グロスター領では一家にひとつ以上現在使用している数だけのおまるを無料で配り、街などの要所には公衆トイレを設置して街中に糞尿を棄てる事を禁止とした。
守らなかった場合は罰金、3回やったら堆肥作りの強制労働だ。
もちろん公衆トイレは据付けだし、おまるの転売は出来ない様にしてある。
堆肥作りはグロスター家が直接人を雇って行い始めた事業だ。
糞尿を扱うし、落ち葉などを重ねて混ぜる重労働なので少し高めに給与を設定してある。
森に魔物避けの結界を張り、作業員が休憩したり帰りに風呂に入れる様に小屋も立てた。
大きな共同風呂も設置し、近くの川から水車で水を引いているので水汲みをする必要はない。
お湯を沸かす魔力は当番を決めて作業員達にやらせているが、毎日風呂に入れる高待遇だと案外人気の職種になっている。
堆肥になるまで一年はかかるのでまだ商品化までいってないが、転送おまるは王城からの大量受注を受けたり、魔道具の売上が潤沢なので運転資金は問題がないそうだ。
他の領地でも臭いには悩まされており、グロスター領に続きカディネ公爵領でも導入された転送おまるが商人達を通して話題になり、堆肥の事は知らなくても売ってくれという問い合わせは後を絶たない。
ただ、この転送おまるの魔石を作れるのがアンセルマとリカルドだけなので大量生産出来ないのが今の課題だ。
ちなみに王城の糞尿は隣接する公爵領地内の肥溜めに転送される仕組みである。今までの様に裏庭に埋められるのは肥やしの無駄遣いだから恩を売るついでに引き受けたのだとか。
「錬金術師が圧倒的に足りないですね」
「アンセルマの聖水を瓶に詰めて売れば少しは錬金術師の手が空くかもしれないね」
アンセルマが窓の外を見ながらつい呟いた言葉にリカルドがそう言って肩をすくめる。
リカルドにとっては冗談だったのだろうが、アンセルマには素晴らしい案に思えた。
錬金術師がポーションを作る為に一日を費やしているなら、確かにアンセルマの聖水を売る事で結構な代わりになるだろう。聖水にはそれだけの力がある。
「やっぱりリカルド様は天才ですね!なんでそんな素晴らしい案を早く教えて下さらなかったのですか」
「あれ、アンセルマ。また何か思いついちゃったのかな」
「聖水で良ければ幾らでも提供致しますけれど、代わりにどれくらいの錬金術師を雇えるでしょうか?」
「どれくらいというのは人数?それとも力量?」
「中級が扱えると嬉しいですけど、口が固い方でなければ困りますよね。契約で縛れば良いのでしょうけど。長く勤めて頂くには若い方の方がいいかしら?そうすると初級になってしまうかしら?」
「まずは何を作ろうとしているのか教えてくれるかい?」
暴走しようとするアンセルマを止めて軌道修正するのはいつも冷静なリカルドの仕事だ。
アンセルマはやりたい事をポンポン挙げてそれをリカルドに話せばいつの間にかいつも準備は整っている。
「上下水道を整備したいのですけど、それはまだ難しいので、まずは水道を作りたいのです」
「水道というのはこの間アンセルマの家に取り付けた魔石から水が出る装置の事だよね?」
「あれは魔力を使いますから本当はちょっと理想と違うのですけど、最初にやりたいのはアレと似たような物ですね」
「アンセルマの理想は本当はどんなものなの?」
聞かれて前世の記憶を出来るだけ話した。
ただ、小学生の時に社会科見学で行った気がするのだが上下水道の仕組みをちゃんと理解していない。
綺麗な水を流す管と使った後や雨水を流す管を地下に埋めること、下水は固形物も流れるので緩やかな傾斜で流れる様にすること、それを一箇所に集めて綺麗な水にしてから川や海に再び流す事を伝える。上水については川や雨水を貯めて飲めるくらいの綺麗な水にして流し、各家庭に届ける仕組みだと説明した。
「アンセルマはすごい事を考えるね。確かにそうすれば便利なんてものじゃないだろうけど」
「この間、堆肥小屋のお風呂に水を引いたでしょう?あれが出来れば井戸から水を汲む手間が省けると思うのですけど、街は川から遠いですから、井戸に転送バケツを入れて魔石が付いてる地上のバケツに水が転送出来る様にすれば汲み上げる労力くらいは減ると思うのですよね」
アンセルマが家で作ったのは水魔法を発生させる筒だから汲み出す元がない。
あちらは握っている間水は出せるが、その間魔力が吸い取られ続けるので伯爵家で働ける様なそれなりに魔力を持つ者であれば使えるが、ただの平民には水を汲んだ方がマシとなるだろう。
転送元に魔石が付かないので転送おまるより難しそうだがチャレンジしがいはあると思う。
アンセルマの発案にリカルドは顎を指で掴む様にして少し考えると逆に提案をした。
「アンセルマ、簡易複写機で魔法も複写出来るように出来ないだろうか?」
「え?魔法を?」
「魔道具を使えば魔法を一回使うよりも少量の魔力で同じ効果を得ることが出来る。しかもあの複写機は箱に入っている紙全部に複写するよね。あの箱の中に魔石を詰めて、魔石の上に錬金術を施した魔石を置いて複写すれば中の魔石に複写出来ないだろうか?」
「一個一個の魔石に錬金術を施さなくてもより少ない魔力で沢山の魔石に錬金術が施せる様になるという事ですね?!」
「しかも僕達でなくても魔力があれば作ることが出来る様になる」
「家に帰ったら試しましょう!以前作ったのは中級でしたけど、立体も複写出来る上級錬金術であれば叶うかもしれませんよ!?」
使えそうな術式を考えるだけでワクワクする。
最近すっかりトイレばかり作らされていたので他の物を作りたいと思っていたのだ。
ポーションばかり作らされる錬金術師達の気持ちが今ならよく分かる。
「それから、錬金術師の事だけど、1人アンセルマに紹介したい者が居てね。僕は来年から学校に通わなければならないから、その間魔法を仕込んでもらえないかな」
「錬金術でなく、魔法ですか?」
「アンセルマよりも2歳年下だからまだ魔法の勉強が途中なんだ」
「私で良ければ構いませんよ」
「後で紹介するね」
リカルドは来年から学校通う。
この国では11歳から貴族の子弟のみが通う学校に5年間通うのが習わしだ。
16歳で成人となり、働き始めることとなる。
学校が遠くなければ通学も可な為、王都に屋敷を持つ貴族は家から通う。
今は領地の住んでいるリカルドも例に漏れず王都の屋敷に移るそうだ。
ガスパル兄様も一緒に入学だから、来年からは王都の屋敷に移る。
王都からは少し離れた領地に住むアンセルマはそうそう会えなくなってしまう事になるだろう。
グロスター領は魔物が良く出る地域なので防衛を担う父様は領地にいる事が多いが、今でも王都と行ったり来たりの生活だ。
長男は既に17歳なので宮廷騎士団に入って働いている為王都の屋敷に住んでいる。
次男も学生なので王都の屋敷だ。
2人とも長期の休みにはアンセルマに会う為に領地の屋敷に帰って来てくれるが、母様と2人きりになってしまえば随分寂しい生活になるだろう。
「寂しくなりますね」
「心配しなくても今まで通り会いに行くよ。手紙も書く」
リカルドはアンセルマの手をとって、指先に約束だ、とキスをして目を合わせたままにこりと笑った。
不意打ちにアンセルマは目を見開いて固まってしまう。
頬が赤らむのがアンセルマ自身にも分かった。
兄達は額にキスをするし、リカルドも帰り際には今の様に手の甲にキスをする。
最初こそ今の様に固まっていたが、今ではすっかり慣れたと思っていたのだが不意打ちはやはり破壊力が違う。
アンセルマの初々しい反応にリカルドは益々笑みを深め、アンセルマの目にはキラキラ光って見えた。
「アンセルマ、そんなに可愛い顔をしていると街に寄らずにこのまま我が家に連れ帰ってしまうよ?」
「がっ、学校から我が家は遠いのですからお忙しいのに無理はしないで下さいませ。長期のお休みにはお待ちしてますから」
「アンセルマ、君は宮廷魔術師も凌ぐ力があるのにどうして僕に会う為にその力を使う事を考えてくれないのかな」
「え?」
「さぁ、街に着いたよ。この話は後にしよう」
街中の広場近くに馬車が停まる。
リカルドにエスコートされてアンセルマは馬車から降りた。