おとうさまの愛情
リカルドは公爵夫妻の前に座った後もまだ手を繋いだままでいてくれた。
エニオがハーブティーを人数分入れてサーブし終わると、承知している様に部屋を出て行く。
エドゥアルドは最初から部屋には入らなかったので4人だけの空間になった。
最初に口を開いたのは公爵夫人だ。
「貴方達、錬成なんてしている場合じゃないでしょうに何を騒いでいたの」
「お騒がせして申し訳ございません。アンセルマに今までの経緯は大体説明致しました。今後の計画について話していた際に新事実が発覚しましたのでまずはそのご報告をさせて下さい」
「新事実ですって?」
「まずはこちらです」
リカルドはそう言って片手で抱えていた瓶を机の上に置く。
ガラスの瓶は曇っていて外からだと何が入っているかまでは分からない。
ほんのり赤が透けて赤い物が入っているとわかるだけだ。
リカルドは蓋を開けて魔石を取り出すと、それを公爵と公爵夫人にそれぞれ1つずつ手渡した。
「魔石、か?こんな色の魔石は初めて見るな・・・聖水魔石?」
「聖水が作れる魔石ですって?!」
手の上で転がす様にして受け取った魔石を確認していた公爵が鑑定で見たらしい名前に驚いて組んでいた足を崩して深く座っていた椅子から身を乗り出す。
公爵夫人にも鑑定が使えるらしく、その効能をズバリ言い当てた。
鑑定はなかなかない能力だが、王族の血を多かれ少なかれ引く2人にはその能力が引き継がれているようだ。
「貴方これ、どこで手に入れたのです!」
「これはアンセルマが錬成したものです」
「なんだと?」
水道を設置する際にでも使用方法を説明すれば良いかと他の魔術具同様に簡単に考えていたアンセルマは相当にマズイものを作ってしまった事を嫌と言うほど痛感せざるを得ない。
2人の反応が怖くて、なるべくリカルドの影に隠れる様に小さくなる。
視線こそ向けないがリカルドはアンセルマが身動いだのに手を離してぎゅっと腰を抱き寄せてくれた。
「一体幾つある?」
「30個程度あります」
「量産出来ると言うことね?」
「量産は出来ません」
「30個も作ったのだから作り方は確立しているという事なのではないのかね?」
「原材料がありません」
「原材料は何なのだね?」
「私からは申し上げられません」
「何故言えぬ?」
リカルドは口を噤む。
これ以上答えるとアンセルマとの約束を破る事になる。
アンセルマとの約束だからと言えば矛先はアンセルマに変わるだろう。
何せ作り出したのはアンセルマだ。
だが公爵は陰で震えるアンセルマに問い質しはしない。
あくまでリカルドに答えを求める。
公爵夫人がチラリとアンセルマを見たが、怒っていると言うよりはアンセルマを案じる様な視線だった。
「では質問を変えよう。何故今露見した?」
「上下水道の設置の話をしておりました。アンセルマがこの魔石を我が家の水道に設置するつもりだ、と」
ハァ、と大きなため息が2人から漏れる。
こんな大事になるなんて思っていなかったのだ。だって普段から生活用水として使っている聖水なのだから。
だがこればかりは効率を重視してはいけなかったらしい。
あれだ。
パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、とか言うのと同じ事なのだろう。
アンセルマの周りには飲める水が普通にあるけれど、庶民は安全に飲める水がなくてエールやワインを飲んでいるのだ。
ただの水じゃなくて美容にも健康にも良い万能な聖水が出てくるなんて傲慢な考え方だったに違いない。
大きなため息にアンセルマは自分の馬鹿さにとうとう投げ出されるのではないかと恐怖が増す。マリーアントワネットだって最後は断頭台で処刑された。
やっぱりギャフンは終わっていなかったのだ。
次々と溢れる悪い方向の考えに震えるアンセルマにリカルドが腰を抱いていた手を肩に回してさする様に宥め始める。
「アンセルマ、落ち着いて。大丈夫だから。お茶を飲める?」
見上げると優しく微笑むリカルドが涙でボヤけて見える。
怖くて怖くてアンセルマの瞳からボタボタと大粒の涙が次々に溢れ落ちた。
アンセルマは小さく首を振る。
「ごめんなさい、わたし、こんなにダメな事だったなんて思わなくて・・・」
「ダメだなんて思ってないよ。素晴らし過ぎてちょっと驚いてるだけ」
「そうよ、アンセルマ。貴方は私の事を思っていつでも聖水を使える様にしてくれようと思ったのでしょう?」
「でも、よく考えたら、私の血から作った魔石なんて嫌ですよね?!」
「アンセルマ!」
「わたし、本当に安易に考えていて、」
「アンセルマ!!」
リカルドに口を塞がれ強制的に静止される。
公爵と公爵夫人の顔色がまた更に険しくなった。
「貴方、今、自分の血からこの魔石を作ったと言ったわね?」
「あっ!!」
公爵夫人に指摘されてせっかくリカルドが庇ってくれたのにテンパって自分で暴露してしまった事に気がつく。
アンセルマの反応に確信して公爵夫人は首を振る。
「アンセルマ、貴方、一体どれだけこの魔石を作るのに自分の体を痛めつけたと言うの。今まで黙っていたと言うことは自分でそれがダメな事だと理解していたのではなくて?」
「ごめんなさい」
「リカルド、貴方こんな大事な事を黙っていて言い訳ないでしょう」
「申し訳ございません」
「違うのです!私がリカルド様に秘密にして欲しいとお願いしたのです!リカルド様は悪くありません!」
「貴方達、さっき何かを錬成していると言って私を追い払ったわよね。まさかアンセルマがこれを作ってみせるのを黙って見ていたのではないでしょうね、リカルド?!」
「少し、違います」
「少し?」
「アンセルマ、そちらの石を」
リカルドの手が差し出されて、アンセルマは手に握っている石を差し出すのを躊躇った。
これを出せばリカルドも手を切った事を怒られてしまう。
だけどリカルドはまた優しく大丈夫だから出してと囁いてアンセルマの緩んだ手から大きな魔石を持っていってしまう。
聖水魔石よりも倍以上大きい黄色い魔石を机の上に置くと、バジリナもレイナルドも身を乗り出してまじまじと見つめる。
そしてそこに表示された名前にビクリと肩を揺らした。
「アンセルマを叱らないと約束して聖水魔石の作り方を聞き出したので、私は自分の手を切って二度とやってはいけないと諭そうとしました。その際、刃物に残っていたアンセルマの血と反応して出来る事が判明したのがこの賢者の石です」
「永久魔力供給、聖なる光、叡智の結晶、平和への祈り・・・効果がよく分からないわね」
「すぐこちらにお持ちしたのでまだ検証はしていません」
検証するまでもなく賢者の石が伝説級の代物である事は間違いないだろう。
聖水魔石も同様だ。
公式には聖水は大聖堂の裏庭に設置された王族の墓の脇に湧く清水のみとされている。
ある時、不治の病と言われた王が自分の死を覚悟し準備として先祖の墓を訪れた。
先祖に祈ると子供の頃に亡くなった自分を可愛がってくれた祖父の姿が目の前に現れ、墓の脇を指差す。
そこには水が湧いており、王はその水を掬って飲むと不治と思われた病が治癒する奇跡が起こった、と言う話だ。
その聖水は今でもチョロチョロと少量湧いており、大聖堂で毎日汲んで王侯貴族の洗礼に使われる以外は樽に詰めて王宮で厳重に管理されている。
10日で1樽貯まるかどうかだが、ローリングストックされ古いものから王宮の医療部と騎士団に払い下げられて使用されるのだ。
王族の墓は王家の者しか入る事を許されていない。
その存在を知るのは上級貴族だけで、庶民は噂程度に聞く伝説の類だと思っているだろう。
ごくたまに存在を知って病の家族のためにと忍び込む者が出る様だがすぐに警備の騎士団に捕らえられて終わる。
大神殿の敷地内の湧水だから神に祝福され聖なる力を持つと信じられていたが、今回の事から考えると過去の王族に聖女が居て遺体の血が魔石化したと考えた方が良いのかもしれない。
「アンセルマ」
バジリナとリカルドが賢者の石に気を取られている横で今まで何も言わなかった公爵がアンセルマを呼ぶ。
リカルドの影に隠れていたアンセルマは涙でグシャグシャの血の気のひいた顔を恐る恐るリカルドの影から覗かせた。
「こちらに来なさい、アンセルマ」
「父上」
「来なさい」
アンセルマはノロノロと立ち上がり、ヨロヨロと椅子の後ろを通って公爵の足下に立った。
どんな叱りを受けるのかとビクビクとするアンセルマの両手首を公爵が掴む。
公爵夫人とリカルドが今にも飛び出しそうな顔で見守る中、公爵はアンセルマの手を開かせた。
「傷は残ってないね?」
「ありません」
「誰も気づいていなかったという事は夜中に作っていたのかな」
「はい」
「あんなに何個も作って痛かったろう」
「あんまり、感じていませんでした」
「アンセルマ、お前は皆を幸せにしている。そんなお前を皆愛おしく思っている。なのにお前はいつも何がそんなに不安なのだ?」
公爵の問いかけにアンセルマの瞳が揺れる。
ボタボタ落ちる涙がアンセルマの手首を掴む公爵の手に落ちるのも構わず、公爵は下から見上げる様にしてアンセルマの答えを待つ。
だけどアンセルマには何も答えが浮かばなかった。
「私はお前が痩せ細って行くのを見ていられず、リカルドから離れるのが嫌なのだと理解しこの家に引き取った。クストディオだってこんなに早くお前を手放すのは辛かったろう。お前は皆に愛されている」
「はい」
「私の理解は間違っていただろうか?私もお前が可愛くて仕方ないのだ。出来れば私はまだお前をこの家に留めておきたいと思っている。だがクストディオの元の方がお前が安心出来るのならそれを叶えよう。お前の望みを言ってご覧、アンセルマ?」
クストディオとは父様の名前である。
つまり実家に帰るか、と聞かれているのだ。
だが決して実家に帰りたい訳ではない。
グロスター家も好きだが、毎日の様に帰っているし、アンセルマには前世で成人して一人暮らししていた記憶もあるから寂しいと思うこともなかった。
生活自体は毎日楽しくて仕方ないのだから不満などないのだ。
どうしたいかと問われれば、リカルドの側に居たい。
何が不安なのかと問われれば強制力でリカルドを失うかもしれないという漠然とした不安だけだ。
「わたしは・・・」
「うん?」
「リカルドさまと添い遂げたいのです。リカルドさまを失う事を考えると怖くて怖くて仕方なくなるのです」
「リカルドはお前と約束を違える事はない。お前以外の人間と添い遂げる事はないと私が保証しよう」
「私も保証してよ、アンセルマ」
「私、今がとても幸せなのです。だから未来が怖い」
「リカルドと結婚すれば少しは安心出来るか?」
「きっと」
「お前は本当にリカルドが好きなのだな。ではなるべく早くお前の願いを叶えよう。それはリカルドの望みでもある」
「そうだよ、アンセルマ。僕は1日でも早くアンセルマと結婚する事を希望している」
公爵が立ち上がり、アンセルマを徐に抱きしめる。
初めての行動にびっくりして固まったアンセルマの頬が思いの外がっしりとした公爵の胸に当たって温かい。
自分の涙が公爵のガウンの色を変えて行く。
「我々が上手く隠していたつもりでもアンセルマには何か分からないまでも感じ取って不安に思うところがあったのだろう。グロスター家から預かった親代わりだというのにお前の不安に気づいてやれなくて本当にすまなかった、アンセルマ」
「お義父さま・・・」
「私も謝るわ、アンセルマ。だからもう自分を傷つける様なことは止めて頂戴。貴方が作った魔石は素晴らしいけれど、私達を喜ばせる為に貴方を消費したいとは思わないのよ」
「お義母さま、お義父さま、私が考えなしで御免なさい。だから見捨てないで下さいっ」
号泣しながら公爵の腕の中で謝ると、公爵が更に抱き締める力を強めてぎゅっと抱きしめてくれた。
「馬鹿な事を言うな、アンセルマ。お前は私達の可愛い娘だ」
「そうよ、アンセルマ。親が子供を見捨てる事なんてないわ」
初めて人前で声を上げて泣いた。
大号泣して、一通り泣くと疲れ果てて眠くなってくる。
気がつけばまさかの公爵の膝の上でうとうととしていた。
アンダンテのリズムで公爵にあやされて、そのリズムがまた心地よくて眠りを誘う。
癒しとクリーンを掛けられて、顔の引き攣る感じも無くなっている。
「リカルド、今日からアンセルマと一緒に眠りなさい。でも手を出してはダメよ」
「母上」
「私は貴方の為を思って言ってるの。まさかもう手を出してないでしょうね?」
「出してません」
「出して後悔するのは貴方よ。アンセルマの安心の為にもあと少しなのだから我慢なさい」
「我慢すると何か変わるのですか?」
遠くでバジリナとリカルドのひそひそ話が聞こえるが、眠くて聞いていられない。
リカルドの驚く声がして、我慢します、と真面目な声で約束しているのだけが聞こえた。
フワリと体が浮く感じがして、キスが2つ降りてくる。
「おやすみ、アンセルマ」
「明日は元気な顔を見せてちょうだいね、アンセルマ」
応えたいけれど、もう瞼を持ち上げるのも億劫で、アンセルマはそのまま眠りに落ちた。
抱きしめられた腕に安心して、今日は夢も見ずに眠れそうだ。




