ギャフンが終わったのか分からない
背後でオルシーニ侯爵が挨拶を始める声が聞こえると、リカルドは足を止めてポケットから出したメガネを再びアンセルマに掛けさせる。
「アンセルマ、上手に挨拶出来ていたよ」
「リカルド様、先程の」
「うん、その話は帰ってからにしよう。何か食べるかい?」
「食べている場合ですか?」
「むしろ皆が挨拶してる今しかないかな」
「じゃあ食べます!王宮の料理ですもの、美味しいものばかりでしょう、きっと」
「それはどうかな。他の者には美味しいだろうが、ウチやグロスター家のご飯の方が美味しいと思うよ」
そう話しながら料理が並ぶ方に歩を向け適当に少しずつオススメを乗せてもらう。
最近学校に行っていないので基本的に親族領以外でご飯を食べたことがなかったのだが、確かに一年生の時はそれなりに美味しいと思っていた王都の料理にあまり進化が見られず普段食べているものの方が美味しいと思う。
ただし相変わらず肉だけは無駄に美味しい。
気がつけばエルナンド兄様もエドゥアルド兄様もアンセルマとリカルドの背後に立っている。
「エルナンド兄様、エドゥアルド兄様、お仕事の方は宜しいのですか?」
「アン、僕達はこれでも働いているんだよ」
「そうなのですか?あ、ガスパル兄様!」
挨拶を終えたガスパルが合流して久々の兄妹勢揃いだ。母様は知り合いの貴族と少し離れた所でお喋りしているのが見える。
美青年揃いで眼福だ。
ある意味逆ハーじゃない?
悪役令嬢ではなく偽聖女が断罪され、何故か王妃や王子も断罪されたけど、なんとか断罪イベントをクリアした事がアンセルマは嬉しくて仕方ない。
あとはリカルドと結婚して末永く仲良く暮らしましたとさ、に向けて頑張るだけだ。
「アン、随分嬉しそうだけど、それそんなに美味しいの?」
「美味しくないです、ガスパル兄様。おうちのご飯の方が美味しいです」
「じゃあなんでそんなにニコニコしてるのかな?」
「だってお兄様勢揃いですよ?更にリカルド様も居て。それを独り占めなんて嬉しくないはずがないじゃないですか」
どうやら完全に顔に出ていたらしいアンセルマを囲む男達がハァとため息を吐く。
公爵家の嫁になろうという者が公の場でこんなに感情を顔に出ていてはダメだと思い直し、手で顔をペチペチ叩いて気合いを入れ直す。
しかしその手もリカルドにやんわりと下ろされてアンセルマはリカルドの影で顔を隠そうとリカルドの正面に移動する。
チラッと見上げたリカルドに二ヘラと笑ったら、リカルドにまで溜息を吐かれた。
「なんで前に移動したの」
「リカルド様の影に入ればみんなから顔が見えないかと思って」
「僕には丸見えだけどね・・・賢明だと褒めてあげよう」
「えへへっ」
笑ったアンセルマの頭をポンポンと叩いてから、さて、と言って食べ終わったアンセルマの皿を取り上げる。
流れる様に皿を隣に立つガスパル兄様に渡して、アンセルマに手を差し出した。
「アンセルマ、僕と踊ってくれるかな?」
「私で良ければ喜んで」
特に上級貴族が婚約者とフロアに出て踊り始める。アンセルマにとって初めての練習ではないリカルドとのダンスだ。
いつもは2人きりだけど、周りに咲くドレスの花や大きなシャンデリア、生の音楽が気持ちを昂らせた。
慣れたリカルドのリードも今日はいつもより頼もしく思えて身を任せれば誰にぶつかる事なく楽しく踊らせてくれる。
「リカルドさま、すごいっ」
「楽しいかい?じゃあ、もっとスピードを上げよう」
二曲連続で踊ってお辞儀をしてフロアを降りると拍手が起こった。
注目を浴びてしまったのはリカルドがカッコいいせいに違いない。
アンセルマは掴んだリカルドの腕にぎゅっとしがみ付いた。
「どうした?」
「リカルド様がカッコいいから目立ってます」
「アンセルマも可愛いよ」
そう笑ってアンセルマの腰を引き寄せる。
すぐに兄様達が囲う様に傍に立ってくれたが、リカルド様に挨拶をしようと他の貴族達が集まり始めた。
しかしそれを押し退ける様にオルシーニ侯爵が向かってきたので若者達は道を開けるしかない。
「リカルド殿、先程は場を譲って頂き失礼をした」
「とんでもない、オルシーニ侯爵閣下。御令嬢の冤罪が晴れて何よりでした」
「あぁ、長年の苦労が報われました。娘もこれでやっと自由の身となります。ところで、御婚約者を紹介して頂けますかな」
「これは失礼しました。私の婚約者であるアンセルマ・グロスター伯爵令嬢です」
そっと前へ押し出され、アンセルマは深くお辞儀をする。
オルシーニ侯爵は父様よりもう少し年上の渋い紳士で、目元の皺を深めてそれを受け入れた。
「アンセルマと申します。どうぞお見知り置きを」
「よろしく、グロスター伯爵令嬢。なるほど、よく出来た眼鏡ですな。それはご自身で作られたのかな?」
「これはリカルド様に作って頂いた物です」
「なるほど、噂通りの溺愛ぶりか」
噂とは?と思うけど、また聞いてはいけない話題な気がしてアンセルマはにこりと会釈するに留めた。
家に帰ったら色々説明してもらわないとダメそうだ。
今世はなんでも簡単に覚えられる頭脳があるので、結構勉強してきたはずなのだが、どうにも政治には疎い。
アンセルマが最初に公爵夫人教育はないかと聞いたせいなのか、礼儀などは叩き込まれているものの、あまり貴族の力関係などは教えられていないのだ。
こうしてリカルドが成人となった今、結婚してしまえばアンセルマ自身も社交界に出ることが増えるのだろうから貴族同士の人間関係など覚える必要があるだろう。
「お二人の結婚式を楽しみにしておりますよ」
「ありがとうございます」
挨拶を交わしてオルシーニ侯爵が離れると再び同級生達が2人を取り囲もうと近づいてくる。
ドレスの壁に圧死しそうだ。
認識阻害眼鏡のせいで影の薄い地味眼鏡だと思われているのは構わないのだが、リカルドがアンセルマを片腕に抱いているというのに、婚約者を無視して自分を売り込もうとする令嬢達には流石のアンセルマも辟易とする。これは自分の男なのだと本当は眼鏡を外して叫びたい。
「アンセルマ、大丈夫?」
「リカルド様、私、眼鏡外しても宜しいですか?」
「何故?」
「・・・なんででも」
嫉妬だとは言えずにアンセルマは少し俯く。
こんな所で我儘を言ってはいけないと分かっているけれど、まだ結婚していない内は安心してはいけないのだと思うと先程までの楽しさがすっと消えていく。
その固い意志を感じたのかリカルドは手を振って後ろに控えるガスパルを呼び寄せる。
「分かった、今日はもう帰ろう」
「え?でも、せっかくリカルド様の卒業パーティーですのに」
「いや、もう役目は済んだからアンセルマの気分が良くないなら居ても意味がないんだ」
「ごめんなさい、リカルド様。私の我儘なんて捨て置いて下さい!ちゃんと眼鏡も掛けていますから」
「大丈夫。さぁ帰ろうか」
少し後ろに立つガスパルに視線で助けを求めるが、大丈夫と笑うだけで帰宅を後押しされ結局そのままパーティー会場を辞した。
馬車に押し込められ、自分の我儘を後悔する。
リカルドの社会人生活が始まる第一歩の社交界なのに台無しにしてしまった。
未来の公爵夫人として失格だ。
「アンセルマ、本当に大丈夫?気持ち悪い?」
「違います、リカルド様。私のせいでこんなに早く帰る事になってごめんなさい!」
「どうして眼鏡を外したいって言ったか教えてくれる?不具合があったかな?」
そう言ってリカルドにつむじを向けて俯くアンセルマの眼鏡をリカルドはそっと外して自分のポケットに入れてしまう。
手を握って本当に体調を心配してくれているらしいリカルドに申し訳なくて涙がポロリと落ちた。
「違うんです・・・リカルド様が」
「僕が?」
「他の御令嬢達に言い寄られていたので牽制しようと思って・・・」
アンセルマの情けない告白に一瞬間が空くと、アンセルマの頭上でふはっとリカルドが堪えきれずに笑った。
「嫉妬したの?」
「ごめんなさい、私の我儘でリカルド様の卒業パーティーを台無しにして」
「アンセルマ」
名前を呼ばれて俯いていた顔に手を添えられクイと顔を上げさせられる。
どアップのリカルドの顔が迫ってきて、あっという間にアンセルマの唇を奪った。
びっくりして言葉を発しようと口を少し開けたアンセルマの口の中に舌をねじ込まれる。
驚きで涙も止まって目を白黒させている間に離れたリカルドのくちびるがペロリと舌で舐められたのをアンセルマは目を離せずに見つめていた。
唇へのキスは初めてだ。
「もう少しで結婚出来るからあと少し待っていて」
「リカルドさま・・」
「嫉妬して眼鏡を外したいとは想定外だったなぁ」
「ごめんなさい?」
「そんな可愛い我儘なら大歓迎だけどね、僕は」
機嫌が良さそうに笑うリカルドはどこか艶かしい。
どこか潤んだ眼差しから目を逸らせずにアンセルマは自分の唇にそっと指で触れる。
見下ろす様に背もたれに肘をついてこちらを向くリカルドに意識を奪われ、上の空で謝罪を繰り返した。
リカルドの言葉の意味も頭の中に入って来はしない。
ただ唇の柔らかさと、口の中を撫でる様に動いた舌の感触がザワっと心を泡立たせたままアンセルマの心を奪ってしまったのだ。
「アンセルマ?アーン?」
「はい・・」
「少し、刺激が強すぎたかな」
すっかり腑抜けたアンセルマの頬をリカルドの大きな手が撫でると、なんだかぞわりとしてアンセルマは首をすくめた。
その反応が楽しかったのかリカルドが猫でも撫でるみたいにサリサリと指の背で撫で続ける。
「や・・っ」
「そんな顔をしても可愛いだけだよ、アンセルマ」
意地悪な笑みを浮かべるリカルドの手を掴んでペイっと引き剥がすと、アンセルマはリカルドの胸に飛び込んだ。
懐に入ってしまえば悪戯も出来まい。
ぎゅっと抱きついたアンセルマをリカルドはぐっと抱き寄せて抱きしめ返してくれる。
「僕の理性を試しているのかな」
アンセルマの首筋に鼻先を掠める様にすり寄せてリカルドが耳元でそう囁いた。
アンセルマの肩がびくりと揺れる。
彼は何を言っているのだろう。
理性を試されているのは自分の方なのに。
アンセルマは抱きしめられた胸にすり、と頬を寄せる。
すっかり大人に近づいて細身だけれどしっかりとした胸も腕もただ愛おしいと思う。
「大好き・・」
つい溢れた呟きに今度はリカルドがびくりと肩を揺らす。
「君と言う人は・・・」
溜息混じりのリカルドの呟きにアンセルマはただ幸せを感じていた。




