漠然とした不安
侍女が公爵の帰宅を伝えに来て、2人は話を終え迎えに出る。
結構長い間、話し込んでいたようだ。
玄関ロビーに出たアンセルマは、公爵と共に屋敷に入ってきたリカルドの姿にリカルドがアンセルマを公爵家に連れて来た後すぐに外出していた事を知った。
だから公爵夫人が代わりにアンセルマの相手をしてくれていたのだろう。
「お義父様、お帰りなさいませ」
「ただいま、アンセルマ。バジリナがいつも以上に美しくなっているが、君の仕業かな?」
「お義母様がお美しいのは元からですよ」
「それは間違いがないがな。アンセルマも可愛く出来ているよ」
「ありがとうございます、お義父様」
「アンセルマが素晴らしい魔道具を作ってくれたのよ。とても良いでしょう?」
「あぁ、また君の髪型を皆が真似するに違いない」
「私だけ仲間はずれだわ。お母様だけずるい!」
「さっき出来たばかりなの。貴方にも後で貸してあげるわ」
ライムンダの抗議に夫婦が適当にあしらっている横でリカルドがアンセルマの前に立つ。
アンセルマはにこりと笑ってリカルドを迎え入れた。
「リカルド様お帰りなさいませ。お出掛けされていたのですね」
「ごめんね、側に居てあげられなくて。問題はなかった?」
「お義母様もライムンダ様も相手をして下さいましたら問題ありません」
「それなら良いけれど」
「あの、そう言えば何故私はこちらに連れて来られたのでしょう?」
髪を揃えるなら別に伯爵家でも良かったはずだ。
ライムンダの家庭教師をして晩餐を一緒に取って転移陣で帰宅する事もある。
でもそれもいつもはアンセルマと伯爵家の了解を取ってからだ。
「そんなの帰したくないからに決まってるじゃないか」
「え?」
「アンセルマが離れたくないと言ってくれた時に僕は一生離さないと言ったろう?伯爵家に連絡は入れているから心配は要らないよ」
言った。
言いました。
笑顔のリカルドに返す言葉もない。
アンセルマの我儘をリカルドは聴いてくれただけなのだろうが、恥ずかしすぎる。
帰り際の自分の恥ずかしい態度を思い出してアンセルマは頬を赤らめて俯いた。
リカルドはアンセルマの髪を一房手に取ると髪にキスをする。
「着替えてくるね。また晩餐で」
「はい、リカルド様」
公爵は既にアンセルマの髪が短くなった経緯を知っている様で特にその事には触れない。
ただリカルドが武力大会の結果が3位だった為、熱りが冷めるまでアンセルマは学校を休ませたいと言えば、それは既に伯爵の了承を得ているから新しい種の事に注力しなさいと命じただけだった。
それに加えて公爵夫人がリカルドも一緒に事業を進める様にと申し付ける。
ライムンダがまた私だけ仲間はずれだわ、と拗ねたが流石にライムンダの参戦は許可されなかった。
参加したければやるべき事を終わらせるのが先でしょう、と。
ただ不思議に思う所もある。
リカルドもだが、カディネ公爵家の子供達が求められているスキルが他の家に比べて高すぎないかと言う事だ。
リカルドは元々優秀だったのかもしれないが、ライムンダだってそこに至らないものの同じ年齢の令嬢に比べると遥かに高いレベルであり、学校に通っている令嬢達にすら劣るところはない。
王子はもちろん、王子の側近、婚約者ですらライムンダより劣る。
充分教育は施されていると思うのに完璧を求めるのが行き過ぎに感じる事があるのだ。
それが宰相を代々務める公爵家の威信をかけた教育方針なら仕方ないし、ライムンダが苦痛に思っている訳ではなさそうなのでアンセルマは口出しする事はないが、将来自分が子供を産んだ後同じ様に育てられる自信はあまりない。
もはやカディネ公爵家とグロスター伯爵家の遺伝子に祈るしかないだろう。
「アンセルマ、ライムンダの部屋で髪を巻いてあげてくれる?魔道具は持って行かせるわ」
「承知致しました」
「リカルド、その間に貴方は私達の部屋に来て頂戴。新種の件、説明するわ」
「分かりました、母上」
公爵夫人の差配の通り、晩餐が終わると其々の部屋に分かれる。
アンセルマはコテを持ったオダリスとライムンダの部屋へ向かった。
寝る前に巻いたところで起きる頃にはぐしゃぐしゃになるか、元に戻っているのだから意味がないと思うのだがライムンダを仲間はずれにした訳ではないと示すには仕方のない事なのだろう。本当に明日の朝解けているか確認するのも重要だ。
ライムンダの性格からイメージすると本当はもっと細いコテで縦巻きにしたい所だが、太めのコテしかないので今日は波巻きにする事にする。
オダリスとライムンダの侍女に説明しながら巻き終えると、ライムンダの顔がパァッと明るくなった。
「お姉様はやっぱり凄いわ!同じ道具を使ったのにお母様のとも、お姉様のとも違う髪型になるなんて凄すぎませんこと?!」
「本当ですわね。初めて作った道具ですのに手際も様になっておられてますし」
「私達も精進せねばなりませんわね。練習用にあと何本か同じ物を作って頂かなければ」
何やらやる気を出した侍女達に頑張って下さいね、と声を掛けてアンセルマは自分の部屋に戻った。
ララにお茶を入れてもらってソファに沈み込む。
なんだか武力大会からこっち1人になれる時間がなかった。
ただ、来てくれると思っていたリカルドが部屋を訪れてくれないのは寂しいと思っている。
そんなアンセルマの心を読んだ様にドアがノックされ、リカルドが姿を現した。
引き連れてきた執事に大量の書類や地図を運び込ませ、机の上に積む。
ララがリカルドの分の紅茶も入れるとリカルドは侍従に下がる様に言った。
結婚前の男女を密室に残すことなど出来ない。そう、エニオが反論しようとしたが公爵にも許可は取ってあると退ける。
「聞かれたら困る内容でもあるのですか?」
「どうかな。君次第だ」
「私次第、ですか?」
リカルドは対面に座っていた席を立ち、アンセルマの横に座る。
そっとアンセルマの肩に手をかけてリカルドの腕の中に抱きこむ様にアンセルマを引き寄せた。
「り、リカルドさまっ!?」
「アンセルマ、今日僕を好きだと言ってくれたよね?僕はその言葉を信じている。だからこれは疑っているわけではなく、確認だと思って聞いて欲しい」
「は、はい」
「君はコルデーロ殿下の婚約者になるのは嫌だと言ったよね?」
「言いました」
「じゃあコルデーロ殿下を今更好きになったと言うわけではないよね?」
「え?私が王子をですか?ないないっあり得ないです!私が結婚したいのはリカルド様だけです!」
なんでそんな名前が出てくるのかとアンセルマは驚きしかない。
抱き込まれた腕から逃れ、アンセルマは絶対にないと勢いでリカルドの顔面に顔を近づけながら全否定する。
リカルドはアンセルマの勢いに少しびっくりとした顔をしたけれど、すぐにふわりと笑ってアンセルマの頭を撫でた。
「あぁ、僕も結婚したいのはアンセルマだけだ」
「何故、コルデーロ殿下のお名前なんて出てきたのですか??私、殿下とお話した事もないのですけれど」
「自覚なしかい?君がよく目でコルデーロ殿下の姿を追っているからだ」
「コルデーロ殿下の?違います、私はただ、」
「ただ?」
「・・・私が見ていたのは、側に侍っている者達です」
「聖女候補のドルー男爵令嬢とか?」
ビクリとアンセルマの肩が揺れる。
それが答えだった。
リカルドは眉を顰める。
「何故アンセルマがメラニア嬢を気にするのかな?兄上の手柄が取られそうになった件が曖昧なままになってしまったから?」
初めて聖女候補の話を聞いた時、西側の魔物が減ったのは聖女候補のお陰だという話がセットだった。
しかし西側の魔物が減ったのはアルギルダス伯爵領の者達が魔物討伐に力を入れて駆除したからだと知っていたアンセルマはその事について友人には否定し、リカルドにも報告した。
しかしリカルドからの返事は、承知しているが調査中の為関わってはならないとの厳命だったのだ。
結局、友人であるアイダ嬢が何故男爵令嬢が聖女候補になったのかを聞いて回るついでに魔獣が減ったのはアルギルダスの若夫婦主導で大規模な討伐が行われたお陰なので関係ないらしいと質問ついでに否定した為に聖女候補となった理由として聞かれなくなった。
社交界でもアルギルダス辺境伯が大規模討伐を認め、浄化などと言うならば是非見せて欲しいものだと言われたとかで、辺境伯を敵に回したくない方々が積極的に犯人探しを始めた事で噂は完全に消えたのだった。
お陰で聖女候補の根拠はかなり薄くなっており、養女とした男爵はかなり危うい立場になっているらしい。
「メラニア様は可愛らしいですし、行動力もあって凄いなと思っていただけです」
「それでメラニア嬢が気になると?」
「僕には権力に群がるハイエナ共と同じに見えるけどね。そういう意味であれば確かに凄いと思うよ。でもアンセルマが気にする様な相手じゃない」
「殿下ともその側近の方達とも仲良くされているじゃないですか。だからきっと何か聖女候補たる魅力があるのだと思うのです」
「確かにコルデーロ殿下だけならまだしも婚約者がいる側近達までもメラニア嬢を受け入れているのは気になるところだ」
「もしもリカルド様やガスパル兄様がまだ側近だったらと思うと気になってしまっていたのだと思います」
「僕を取られると思ったの?アンセルマは可愛いね」
アンセルマの髪を一房握って口付ける。
リカルドはアンセルマが聖女候補を認識してからどこか落ち込んでいたのに気づいていたのかもしれない。
リカルドに甘やかされて隣の部屋にリカルドがいると思うとアンセルマは久しぶりにその晩ぐっすり眠る事ができた。
最近はうなされる事も多くて、朝汗びっしょりな事も多かったが、今朝は爽やかな朝だ。
起こしにきたララもアンセルマが穏やかな朝を迎えた事にどこかほっとしている。
「今日は体調も宜しそうですね、お嬢様」
「えぇ。今日は朝から湯浴みをしないで大丈夫そうよ」
夜に湯浴みをしても寝汗でびっしょりになるので最近は朝も湯浴みをするのが日常になりつつあったのだ。
朝は訓練もするから結局1日に3度も湯浴みすることになる。
いくら水は自分で張るからと言え、侍女に用意をさせる手間をかけさせなくて済むのはアンセルマも嬉しい。
鏡で見た髪はすっかりいつも通りの真っ直ぐな髪に戻っている。
結局切れた長さに揃えただけだからそこまで短くなったわけでもいない。
腰近くまであったのが肩甲骨下あたりになっただけで充分長いと思う。
制服ではなく普段着に着替えて食堂へアンセルマは降りた。




