表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/25

8話



「え」


声の主―イングリッドさんのほうに視線を向けると彼女は顔を上げ、俺を凝視していた。耳はまだほんのり赤いが、ついさっき照れて顔を隠していた人とは思えないほどキリっとした顔だった。


「私に会えないことを寂しいと思ってくださっていたんですよね」


「え、あ、はい」


彼女の勢いに押され、つい肯定してしまう。とんでもなく恥ずかしいことを認めたのだが、少し押しが強いな、と感じていたイングリッドさんの変化に戸惑いそこまで頭が回らなかった。彼女の形のいい桜色の唇が弧を描く。


「私キールバルトさんとお話しするの楽しいと思ってたんです、なのでタオルを渡してこのまま終わり、というのは何だか寂しいなって。けど、キールバルトさんがどう思っているのか分からなかったのでどうしようかと悩んでたんですけど」


彼女は一度言葉を切る。押されまくりの俺は彼女の燦燦と輝く瞳から目を逸らすことも体を動かすことも出来なかった。まるで蛇に睨まれた蛙。捕食者と非捕食者。それぞれに俺と彼女を置き換えた、そんな馬鹿げた妄想が頭を支配している。


「―キールバルトさんも同じことを考えているのなら問題ないですよね。私と友人になって貰えませんか」


ここで「出来る男」ならどう答えるのだろう。こんなことになるのなら顔だけはいいためモテている兄たちや上司に教えを乞うておくべきだったか、と後悔している。きっとこんな場面経験済みのはずだ。だが俺にそんな経験は皆無かつ口も達者ではない。なので。


「…俺でよければ」


カッコよさもスマートさの一欠けらもない、つまらない答えしか絞り出せなかった。



こうして俺と彼女は「友人」となり定期的に会う仲になった。




友人といっても数週間に一度、公園で買ってきた酒を飲みながら語らう、ということになり今日はその初回だ。場所は出会いの場であるあの公園、持ち寄る酒は互いが交互に買ってくる、ということになった。「友人」とは果たしてこれでいいのか、と疑問に感じることがないと言えば嘘になるが、逆に親しくもない人間と仕事終わりに酒飲まないだろう、と自分に言い聞かせる。だから自分たちは「友人」という関係性でいいはずだ。



そして今、彼女から渡されたビールの銘柄を見て驚いた。


「これ、いつも飲んでいる奴…」


俺の言葉に彼女も驚いたように目を見開いた。


「そうなんですか、キールバルトさんの好きな銘柄が分からなかったので自分の好きなものを買って来たんですけど」


「何か好みが似ているみたいですね、俺達」


あ、まずい、言ってて恥ずかしくなってきた。それを誤魔化すようにビールを流し込む。彼女は俺の恥ずかしい発言を気にした様子もなくニコニコしている。そんな彼女は俺以上のハイペースでビールを飲んでいる。ほんのり頬が赤いのは酒が回っているからだろう、決して俺の発言に対してのものではないはずだ。



「お仕事どうですか」


確か彼女は薬剤師として働いていると言っていた。そろそろ一か月、仕事にも慣れ始めている時期だろうと思い話を振った。すると彼女の声がワントーン上がった。


「仕事内容自体は楽しいですよ、元々祖母から教わって薬の調合はやっていたので、好きなことを仕事に出来て幸せという気持ちです。キールバルトさんは司書のお仕事どうですか」


「俺も楽しいですよ、今年で三年目に入りますがまだまだ勉強することが多いですね。正直な話、本に囲まれていればどんな面倒な事でも気にならないと言いますか」


「分かります」


静かに相槌を打っていたイングリッドさんが食い気味に同意する。


「図鑑や祖母の薬屋で見た薬草は勿論、中々採取できないものまで幅広く保管されていますし、しかも有事の際は遠方まで材料を探しに行けるんです。場所によっては危険が伴うので騎士団の方が護衛に付いてくださるらしいんですけど、今から楽しみで仕方ありません」


騎士団?遠征?何だろう、彼女の口から出てくる言葉は俺の知る「薬剤師」という職業とは縁遠いものだった。てっきり街の薬屋だと思っていたが、どうやら違うようだ。

そこでふいに彼女の勤務先で思い当たる場所が頭に浮かんだ


「もしかして、イングリッドさんの勤務先って王城ですか」


「そうですよ、あれ、お伝えしてませんでしたっけ」


「初耳ですね」


キョトンとした顔で応える彼女に対し、どうにか冷静に言葉を絞り出した俺だが内心割と動揺していた。何故かと言うと宮廷薬剤師はエリート中のエリートだからである。採用試験は超難関、この国の医療の要と言っても過言ではない宮廷薬剤師はまさに雲の上の存在。同僚の女子が昼休憩の時に話している内容を小耳にはさんだのだが、結婚したい職業ランキング3位が宮廷薬剤師らしい。1位と2位は知らないが、軍人や騎士だろうどうせ。


まあ給料はいいらしいし、もし何らかの理由で辞めることになっても宮廷で働いていたと言うだけで拍が付き再就職にも困らないという。確かに結婚相手としては申し分ない。因みに「宮廷薬剤師の妻」が欲しいという理由で強引に結婚を迫る男もそこそこいたらしく、あまりに酷いと騎士団が出動する事態になると兄(次男)が愚痴っていたっけ。


俺もその話を聞きモヤモヤしたのを覚えている。その女性と結婚したいのではなく「宮廷薬剤師の妻を持つ自分」という肩書が欲しいだけだろうに。そんな理由で結婚させられる相手の方が不憫でならない、絶対幸せになれない。


そういう事情があるためか、宮廷薬剤師の女性は男に対し異常にガードが固い。何故俺が知っているかと言うと、兄(次男)の同僚の騎士が宮廷薬剤師の女性に一目ぼれして以来猛アプローチをかけているが、全く相手にしてもらえないらしい。余りの不憫さに他人のことにはドライな兄が珍しく心配していたのだから、その騎士の落ち込みようは相当だったのだろう。


というか騎士ですら相手にされないのなら、一介の司書の俺なんて視界にも入れてもらえないはずだ。そのはずなのだが。


目の前の紫水晶の瞳を凝視する。俺が急に黙ったので不思議そうに首を傾げる。何故この人は俺に対し些か距離が近いのだろう。ずっと疑問に感じていたことだが、勤務先を聞いて疑問が更に深まった。話を聞く限り同僚、上司とも上手くやれているみたいだし、勤務先が王城となれば様々な人が働いている。友人を作ろうと思ったのならそれこそ同僚や別部署の人間等候補はいくらでもいるはず。わざわざ俺と友人になりたいと言う彼女のことが良く分からない。単に助けて貰ったから、という単純な理由でもない気がしてきた。


が、正直彼女が目的を持って俺に近づいたとしてもその手間をかけるだけのメリットはない。家は領地持ちだが特別裕福と言うわけではなし、俺自身はしがない一司書。あるとすれば兄2人に関してだが、2人の勤務先も王城とその近くなので俺を経由するという手間をかける必要もない。つまり彼女が何かしらの考えがあって俺と友人になりたい、と申し出た可能性は低い、と今はそれで納得しておこう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ