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5話



それから寝ても覚めても、というわけではないが時折イングリッドさんの事を思い浮かべていた。人間とは現金な生き物で、生きる希望があるとどんなにきついことあっても耐えられるようになる。クレームスレスレの要望を出す利用客への対応も、ナンパ目的で同僚に絡む利用客への対応も、何故かここで言い合いを始めた女性客の対応も、皆が面倒と言ってやりたがらない書庫の蔵書整理も進んで引き受けた。どんなに理不尽な要求を言われようとも「いいのか、俺は二週間後に美女と二度目の邂逅を果たすんだぞ」と心の中の誰かが囁いているので自分が無敵の存在になったと錯覚するのだ。「あの給料分しか仕事をしないクラウスが…」と同僚、先輩は慄いていた。うん、俺に対しどういうイメージを持っているのか一度話し合う必要が出て来た。


それはそれとして、貴族相手に注意をするとほぼ9割が「この私にそんな口を聞くなんて、あなた『お前』絶対クビにしてやる」と叫んで出て行くのだ。他の図書館だとその横暴がまかり通ってしまうのが腹立たしいが、この図書館は国王陛下の管理下にあり、王城に勤める者と同じく王命を受けている。いくら上位貴族と言えど、あの司書生意気だからクビにしろ、と訴えたところで相手にされない。それを知らずにせいぜい恥を晒すと良いと性格の悪いことを考えるが、やはり新入りは注意するのを躊躇ってしまうのも事実。そんな時は俺を含めた先輩は進んで対処しなければいけない。が、いずれ後輩たちも今の俺たちと同じ立場になるのだ。出来るようになってもらわないと困る。




そんな感じで真面目に職務を全うしていると二週間はあっという間だった。当然ながら彼女のことを誰にも話すつもりはなかったのだが、色々察しが良すぎる館長には話さざるを得なくなった。というか尋問された。理由は俺が分かりやすく浮かれていたからだ。昼休憩の時間になり、休憩室に入った途端「クラウス~」と声がかかる。あーこのおもちゃを見つけた子供みたいな声、嫌な予感しかしない。が、上司に呼ばれて無視するわけにもいかず勿体付けて振り返った。


「…何ですか」


「うわ、落差酷いな。もうちょいポーカーフェイスを保つ努力くらいはしろ?」


「他に人が居るのなら努力はしますけど、2人きりの時は堅苦しいのは無しと言ったのは誰でしたっけ」


「…俺だな、じゃあ仕方ない」


あっさり納得する。この人偉い人のはずなんだけど何かなぁ。締まらないというか、まあ威圧感しかない上司よりはいいけれど、ここまで壁を感じさせないのもどうかと思う。上下関係は大事なはずだ、舐め腐った態度を取っている俺が言えることではないが。


「お前最近仕事しすぎじゃね、クレーム対応も進んで引き受けるし残業も。しかも笑顔で。他の奴クラウスが変なモノ食った、頭打った、洗脳されたって本気で心配してるぞ」


本当に一度話し合う必要がありそうだな。全く、真面目に仕事している人間を捕まえて酷い言い草だ。


「司書の職務を全うしているだけですよ」


しかし館長は納得しない。


「いや、お前普段の勤務態度が不真面目だったわけじゃないけどクソ真面目ってわけでもなかっただろ。そんな奴が急に他の奴の仕事も笑顔で進んで引き受けているのは傍から見てて心配なんだよ…まさかストレスに耐え兼ねて変なモノに手出してないよな…確かにうちの図書館給料良いわりにブラックだけど…」


ブラックって認めちゃったよ。まあ敷地面積もとんでもないし吹き抜け構造で6階まであるのに司書の数足りてないからね。そうなれば一人一人の仕事量が増えるのは仕方ないことだ。俺としては本に囲まれて仕事出来るからきついって感じたことは(あまり)ないけど。


いや、大事なのはそこじゃない。


「んなわけないじゃないですか、ただの心境の変化ですよ」


「ただの心境の変化で返却期限過ぎた利用者への連絡全部引き受けるか?」


ああ、確かに。返却期限を長期間過ぎた書籍のリストを作成、連絡は皆がやりたがらない仕事だ。電話を持っている利用者にはそのまま電話をかければいいが、持っていない利用者には催促の手紙を書かなければいけない。大体の利用者は連絡をすれば謝罪し、返却しにきてくれるが、中には「自分を泥棒扱いするのか」「仕事が忙しくて返すのを忘れていただけなのに、催促されるなんて気分が悪い」と気分を害したとクレーマーに変貌する人も少なくない。少数だが、返さないと言い張る人もいる。図書館の本は国民の税で購入されている大切なものだ。それを返却しないって普通に窃盗なんだけど。まあそんな方には騎士団に連絡すると軽く脅せば人が変わったように返却しに来てくれる。勿論ルールを守らない方には貸し出しを無期限禁止するペナルティが発生する。


なのでそこそこ大変な仕事なのだが、今回は殆どの方が謝罪して返却に応じてくれたから良かった。一人物凄くお怒りになった方がいたけど、今の俺には何のダメージもない。


が、そんな俺の変化を知る由もない館長は未だ疑いの目を向けてくる。…仕方ない、館長はむやみやたらに聞いた話を風潮するタイプではないし、このまましらばっくれても引き下がってくれなさそうだ。


俺は二週間前のことを話した。




「お前現金なやつだな、美女と会う約束するだけでやる気出すとか」


全く持ってその通りなので反論できない。俺もそうだと自覚していた。すると館長は心配したように顔を覗き込む。


「しかし、お人好しも相変わらずらしいな。酔っ払い相手は兎も角見るからに勝てなさそうな奴に向かって行くなよ」


「兄のようなこと言わないでくれませんか、無謀と勇敢は違いますしそれくらい分かってます」


「その兄から頼まれてたよな、クラウスがむやみやたらに面倒ごとに首突っ込まないように見張れって」


あのブラコン長兄、館長に何私的な事頼んでいるんだ、と知った当時は憤慨した。館長と長兄カインは士官学校時代の同期らしいとその時初めて知った。士官学校に通った館長が何故ここで働いているのかは不明だ。長兄曰く成績はぶっちぎりのトップ、侯爵家の人間なのに偉ぶらずに誰にでも分け隔てなく接していため慕われていたと。益々何で軍に入らなかったんだろうと不思議に思う。


そして次兄なんて目じゃないブラコンな長兄は弟が元同級生の部下になると知り、困っている人間を放っておけない弟を心配しさりげなく様子を見て欲しいと頼んだと。18の弟を子供と勘違いしているのかと流石に恥ずかしくなった俺は館長からこのことを教えられ、職場に押しかけ二度目変なことを頼むなと怒鳴った。本気で嫌がる俺を見てショックを受けた長兄はすんなりと受け入れ、それ以来俺の日常生活に干渉することは無くなった。代わりに次兄にちょくちょく俺の様子を見てくるように頼んだらしいけど、次兄は長兄ほどではないので放置している。20歳の弟に対しブラコンを発揮する28歳兄、絵面も字面もきつい。なお既婚者である。義姉はあんな長兄を良く支えてくれている、聖人かな。


そして館長は友人の弟だからと俺を特別扱いすることは一切なくビシビシしごかれた。とはいえ業務時間外や休憩時間はそれなりに砕けた話し方になる。


館長は見るからに豪勢な二段弁当を咀嚼しながらこう続けた。俺は因みに図書館近くの弁当屋で買ってきた普通のハンバーグ弁当をつまむ。


「えーと確か夜会で急にどっか行ったと思ったら迷子のご令嬢を連れてきて相手の家からえらく感謝されたことと、ひったくりに自分のカバンぶん投げて足止めしたことと、落第寸前で困っている同級生に勉強会開いた、だっけ?お前はトラブルに巻き込まれやすいのか自分から首を突っ込んでいるのか分からんな」


何でこの人それを知っているんだろう。どうせ長兄からの情報だろうけど。それ以前にあの兄は何で俺の学校でのことまで知っているのだろうか、当然俺は全て話しているわけではない。そこまで考えると背中が薄ら寒くなったのでそれ以上考えるのを辞めた。ん、夜会…。


「…夜会で思い出したことが」


「お、夜会で急にどっか行ったシリーズ第二弾か」


「勝手にシリーズ化しないでください」


そもそも俺は夜会にほぼ参加したことはないのでシリーズ化は出来ない。両親もその辺うるさく言わなかったため家に籠って本を読んでいることが多かった。最後に参加したのは17歳の時だっただろうか、その時既に司書になることを決め色々情報を集めていたのだが、両親から「流石に今回は参加しろ」と言われ渋々参加したのだ。王太子殿下の婚約者探しを兼ねた夜会で、どうやら両親は筋肉馬鹿の次兄と本の虫の俺を婿にどうか、という奇特な方々がいらっしゃることを期待していたらしい。お前ら2人は自分の食い扶持を稼ぐなら好きにしろ、と言ったくせに浮いた噂が一切なく心配したのは想像に難くないが。確かにこの日は国の婚約者のいないご令嬢の殆どが集まっていたのだから、言い方は悪いがおこぼれを期待し同じく婚約者のいない次男以下のご子息も多く参加していた記憶がある。



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