3話
店に向かう道中、軽い自己紹介をした。彼女の名前はアリシア・イングリッド嬢。この春から王都で薬剤師として働くことになり、それに合わせて一人暮らしを始めたとのこと。てっきり出身地はここから遠く離れた地かと思ったが、実家も王都にあるらしい。若い女性で実家が王都にあるのにわざわざ一人暮らしをする人は珍しい。
「本当は実家から職場に通うつもりだったんですけど、色々ありまして…」
言葉を濁すイングリッドさん。あまり詮索するべきではないと思いそれ以上聞くのは辞めた。俺が王立図書館で司書として働いていると知ると、「司書の方だったんですね。私も本が好きで、たまに行きますよ王立図書館」と言われ思わず素っ頓狂な声を出した。マジか、彼女利用客か。こんなに目立つ人、2年務めて見かけた記憶がない。いや、図書館に毎日何百人の利用客が来ると思っているんだ。目立つ目立たない関係なく覚えているわけがない。そう無理矢理自分を納得させようとしたが、些か往生際が悪かったようだ。
あれ、利用客ということはもしかして俺の顏知っているのでは、と我ながら自意識過剰なことを考えてしまう。じゃあお前はよく足を運ぶ店(規模が大きい)の店員の顏一人一人覚えているか、と問われたとしよう。答えは「NO」。そんなものだ。彼女が俺の顔を知らないのは当然である。舞い上がっているのか、自惚れているようだ。いけないいけない、と気を引き締める。ほんの少しだけショックだが。
目的地は公園から5分程度の距離にある飲食街、その中でも端にひっそりと佇む一軒。小さな灯りに照らされた『食事処マグノリア』の看板。取り留めのない話をしているとあっという間に到着した。
「着きました」
「ありがとうございます…お洒落な外観のお店ですね」
第一関門突破。店の外観は気に入ってくれたらしい。そして、すっかり見慣れた店の佇まいに安心感を覚えながら、ドアを開ける。カランコロンとドアの上についているベルの音が店内に響く。店内はカウンター席4つ、四人掛けのテーブル席2つの最大10人しか座れない小さな店だ。今日はテーブル席は埋まっててカウンター席は全て空いている。
「いらっしゃい。ってクラウスじゃないか!」
「こんばんは」
カウンターから俺に声をかけてくれたのはここの女将のカミラさん。深みのある茶髪を後ろで纏めた活発的な人だ。サバサバとした気のいい人で常連客の中には彼女を母のように慕っている人も多い。
「いつもの席あいて…うん?」
急に怪訝そうにこっちを…正確には俺の背後で佇んでいるイングリッドさんを見ている。カミラさんはこっちに来いと手招きする。「少し待っていてください」とイングリッドさんに言い残しカウンターに近づく。
「何ですかカミラさ」
「クラウス!誰だいあの綺麗な子、まさかあんた引っ掛けてきたんじゃ」
人聞きの悪いことを言わないで欲しい。そんな度胸も、相手を引っ掛けるだけの顏も備わっていない。
「んなわけないでしょう。さっき酔っ払いに絡まれているところを助けたらお礼に食事でも、って誘われただけですよ」
「なあんだ、彼女じゃないのかい。…しかしあんたは相変わらずお人好しだね、親切なのは美徳だけど怪我だけはしないようにしなよ。あんたはただでさえ隙が多いんだから」
まるで母親のような口ぶりのカミラさんに「はいはい」と適当な返事をしてイングリッドさんの元へ戻る。
「すみません、お待たせして」
「大丈夫です…女将さんと仲が良いんですね。何か行きつけのお店って感じで羨ましいです」
「いやー女将さん若い客とは大体あんな感じですよ、私だけってわけでは」
ヘラヘラと笑いながらカウンター席へと移動した。向かって左側の端の椅子を引くと「ありがとうございます」と軽く会釈して座る。ここのカウンター席は隣の席と間隔が空いており、隣の客と距離が近すぎる、ということもない。一人で来る女性客にとって、隣の席に見知らぬ男性客が座るだけでも緊張するだろうに、その上距離も近いとなればゆっくり食事を楽しめない。それを懸念したカミラさんが本来ならもっと椅子を配置できるところをゆとりを持って四つにするに留めている、と本人の口から聞いた。
俺も彼女の隣の席に腰を下ろし、メニューを手に取り開く。俺がいつも頼む料理は決まっているのだが、始めて来た人には取り敢えずオーナーのおすすめを紹介するのが無難だろう。
「ここのおすすめ、ビーフシチューなんですよ。オーナー直伝のデミグラスソースを使っていて凄く美味しくて」
イングリッドさんのほうにメニューをスライドさせる。彼女はパラパラとメニューをめくる。暫く右手を顎に当て何にするか悩んでいたが、やがてメニューから顔を上げる。
「私ハンバーグにします」
「え?」
「…?どうかしましたか」
「あ、すみません、私もいつもハンバーグを頼むのでつい」
「ハンバーグお好きなんですか」
「子供の頃から好きなんですよ、友人からは子供っぽいと言われることが多いんですが」
冗談めかして言ったつもりだが、彼女はほんの少し形のいい眉を顰めた。
「好きなものに子供っぽいも何もないと思います。自分の好きなものを食べて何が悪いんでしょう…あ、ごめんなさい急に。あくまで私個人の意見なので気にしないでください」
恥ずかしがり顔を伏せてしまうイングリッドさん。か、可愛い…。
「いえいえ、私もそう思っていたんです。そうですよね、好きなものに子供っぽいも何もないですよね。ちなみにオムライスとパスタも好きです」
「奇遇ですね、私もです」
好きな食べ物が三つも重なった。偶然が重なると面白いもので二人でクスクスと笑いあった。
それからハンバーグを二つ頼み、料理が出てきてからも出てきた後も話は続いた。
「お兄様がいらっしゃるんですか、私にも兄がいます。仲いいんですか」
イングリッドさんにも兄がいるとは。妹がこの美貌ならその兄もとんでもない美丈夫なのだろう。興味本位で一度お会いしてみたい、絶対無理だろうが。
「仲は…いいとは思うんですけど…一番上の兄は八歳、二番目の兄とは五歳離れているせいか何かと口うるさい、というか過保護なんですよね。一人暮らしする時も物件のセキュリティがどうだって口を出してきて中々決まらなくて」
次期子爵の長兄は王国軍に所属する軍人、次兄は騎士団に所属している。どちらも脳味噌まで筋肉で構成されているせいか、筋肉が少なくひょろっとしている俺が心配でたまらないらしい。仕事に領地経営の勉強にと日々忙しく駆けずり回っている長兄に会う機会はあまりないが、騎士団の詰所と寮が近くにある次兄は連絡もなしに突然に来る、一人暮らししているアパートに。俺としては次兄は必ず食事をおごってくれるので邪険にはしない表面上は。時々うっとおしいと感じることもあるが、嫌いではない。
「イングリッドさんはお兄さんとは仲は良いんですか」
自分の少々ブラコン気味の兄たちの話をして気恥ずかしくなり、話題を変えようと今度はイングリッドさんに話を振る。だが、訊ねた瞬間彼女の美しいアメジストの瞳が翳る。
「…兄は私にあまり興味がなかったと思います。話した記憶もあまりなくて…色々忙しい人だったので。それに兄は自他ともに厳しい人で自分より劣る妹は認めたくなかったのだと…」
そんなことはない、と口を挟もうとして、辞めた。ついさっき会ったばかりの俺が何を言って綺麗ごとにしか聞こえない。しかし、妹に無関心の兄が存在することに驚きを隠せない。兄妹関係に色々あるということも理解しているが、自分だったら「妹」にそんな顔はさせたくないな、と思ってしまう。賢い賢くない関係なく、自分より後に生まれた「守るべき存在」たる妹弟は猫可愛がりする自信がある。やはり自分が末っ子のせいか妹弟が欲しいなと子供の頃から渇望していたせいだろうか。イングリッドさんのような妹がいたら兄二人もドン引きするレベルのブラコンを発揮する自信がある、うん我ながら気持ち悪い。
「?」
ふとイングリッドさんの方に視線を向けると彼女は顔を背けている。よく見れば漆黒の髪から覗く耳が仄かに朱に染まっている。え?どうしたんだ、と少し焦った俺はカウンターのカミラさんの方に首をぐるんと回す。そこには目を細め呆れながら俺を見ているカミラさんが。
「…あんた思ってること全部口に出ていたよ」
「え」
「妹に無関心云々のところから。私前に言っただろ、あんたは酔うと思ったことそのまま垂れ流すから注意しろって」
それ最初からじゃないか!ということは、自分で気持ち悪いと思ったこと全部イングリッドさんに聞かれたことになる。え、恥ずかしいなんてものじゃない。恥ずかしさのあまり厨房にあるナイフで一思いに刺せば死ねる自信がある。死ぬつもり一切ないけど。今度は俺が勢いよく顔を反対方向に逸らした。その様子を見たイングリッドさんの焦った声が背後から聞こえる。
「あ、ごめんなさい、嫌だったわけではなく少し照れてしまっただけで…あっ」
彼女の小さい悲鳴と共にグラスの倒れる音が。反射的に顔を彼女の方に向けると半分残っていた彼女のオレンジ色のカクテルがカウンターに零れていた。そしてその一部は彼女の方へ流れている。このまま放っておくとカウンターから零れて彼女の服を濡らしてしまう、と俺は急いで自分のカバンから小さいタオルを取り出す(未使用)。それを彼女に手渡した。
「これ使ってください」
「え…ありがとうございます」
一瞬躊躇った様子の彼女は頷きながらタオルを受け取る。彼女が自分の周囲に零れたカクテルを入念にふき取っている間にカミラさんが持ってきてくれた布巾で俺の方に流れて来たカクテルを拭く。半分だけ残っていたのが功を奏したのか被害は最小に抑えられた。
拭き終わった彼女はタオルをカウンター席に置き、こっちを見る。
「タオル、洗ってお返ししますね」
「え、良いですよそんな」
「私の不注意で零したのに、タオルを貸してくださったんです。せめてものお礼ですよ」
いや、イングリッドさんの「不注意」も元をたどれば俺の…と口に出そうとしたが彼女の瞳が真っすぐ俺を射抜いてくるので何も言えなくなった。何だろう、絶対洗うという確固たる意志を感じる。イングリッドさん結構押しが強いというか何というか、と少し不思議な気持ちになったが、親切心を無下にもできまい。
「じゃあ、お願いします」
おずおずと答えれば彼女は満足そうに微笑む。あ、眩しくて目が潰れそうだが反対に心は何だか温かくなった。




