エピローグ
また長くなりました…
鼻血騒動を何とか収め、無事自宅まで戻ることが出来た。私、アリシア・イングリッドが住んでいるのは女性専用、コンシェルジュ、警備員常駐という他では類を見ない程のセキュリティ高さを売りにしているアパートメント。住み始めて数カ月だが部屋は広いし部屋数も多い、職場への距離も遠くない。まあ元々実家から通うつもりだったのでここに住むと決めた時も、職場まで車を出すと言う申し出を断った時も両親を説得するのに骨が折れた。しかし、隣室にお目付け役として私付のメイドだったメリッサが住むと言うことで何とか許しを貰えた。
一人暮らしを許可してくれるだけでも両親は寛容なのだと言うことは理解している。散々ここに住みたい理由を頑として語らなかったことで怪しまれたかもしれないが理由は口が裂けても言えない。
玄関に入り、パンプスを脱ぐとすぐ近くの部屋の前で立ち止まる。そしてカバンの中からカメラを取り出し今日撮影した写真を確認する。今日食べた料理、そして…パイン串を両手に持ち困惑しているキールバルト…いいえクラウス様の写真。見た瞬間私の顔はだらしなく緩み「ヒヒヒ」と下品な笑い声を発する。無理もない、だって見守り始めて三年目で初めてカメラ目線の写真を撮ることが出来たのだから。これを元に新たな絵を描き始めることが出来る。
ガチャ、とドアノブを回し部屋へと足を踏み入れるが真っ暗で何も見えない。手探りで灯りを付ける紐を見つけ引っ張ると部屋全体が明るくなる。するとさっきまでは見えなかったものが見えてくる。小さい窓は常にカーテンによって閉じられており、棚の上には熊、ウサギ、猫、犬、狼とバラエティーに富んだぬいぐるみが並べられている。如何にも女子らしい小物だが、その色は全て灰色である。そしてアクセサリー類が収納出来る小箱には青い石の使われたネックレスやイヤリング、キーホルダーばかりが収められている。クラウス様の髪と瞳の色に似ているものを片っ端から集めた。落ち着いた印象。温かみを与える灰色、透き通った碧海を思い出す青、どちらもあの時から私の好きな色。
向かって左側の壁に面する机の引き出しには二度目に会った時慈悲深くもタオルを貸してくださったので、そのまま袋に入れて外気に触れないように持ちかえりこのタオルがどこの店で購入されたものか調べ、全く同じものを取り寄せ数年使用したように加工した。返した際「新品みたい」と言われ内心動揺したがバレなくて良かった。元のタオルは当然洗わずに保管してり時々眺めている。あの方の手を経由してきた聖遺物にも等しい物を素手で触れるのは恐れ多かったが、本人の手前素手で受け取るしかなかった。帰宅してすぐ科学大国として名を馳せているアトール王国から取り寄せた真空保存出来る特殊な袋にタオルを入れた。あのカメラもこの国から取り寄せた。クラウス様と交流した記録を残すためだ。
壁一面に貼られた絵、被写体は当然クラウス様。当然これはほんの一部。描き上げるたびに一定期間眺めると、とある場所に移し保管している。私は幼少期の頃から少々記憶力が良かった。あの夜ほんの少し会話を交わしたクラウス様の顏も鮮明に覚えていた。そこで私が記憶したクラウス様の絵を描き記録として残すことにした。写真を撮るのは犯罪だが記憶を元に絵に残すのはセーフ、と独自理論を展開した結果である。絵を描くためにあの方の勤務日を調べ、通勤退勤時間も調べ上げ毎日欠かさずびこ…事故に遭わないかトラブルに巻き込まれないか見守っていたのだ。
勤務先の図書館にも変装して学生時代は毎日通っていた。仕事中の利用者に向ける目が潰れるほど眩しい笑顔、書棚に本を戻し整理している時の横顔、どこを切りとっても絵になるので一瞬も逃すことなく記録したいが、写真撮影は厳禁だし覚えるのにも限界があるので無理だった。数年毎日毎日描き続ければかなりの腕前になったし、もっと突き詰めればお金を稼ぐことも難しくはないと思ったが、描きたい対象が一人しかいないため考えたことはなかった。
このアパートメントのこの部屋を選んだ理由もリビングの窓からクラウス様の住んでいる部屋が見えるから。クラウス様は常にカーテンを開けているので双眼鏡を使えば部屋を除くことが可能。が、そんな下衆な行為は断じてしない。ただ、「あの部屋でクラウス様が生活している」という事実だけで心が満たされるからだ。
そう、私はクラウス・キールバルト様の所謂ストーカーである。一ミリも擁護する隙の無い完全なる、騎士団に突き出されて当然の愚かで浅ましい犯罪者だ。それはどうしようもない事実だ。つきまと…見守りを開始した当初は良心の呵責に苦しんでいた。当然だ、相手の個人情報を調べ上げ、尾行し、毎日毎日絵に収める。れっきとした犯罪である。が、結局自分の中に沸き上がる薄汚い欲を抑えることが出来ず、早々に開き直った。
学校に通われている時からあの方は慈悲深かった。困っている相手がいれば身分関係なく手を差し伸べる。しかし、むやみやたらに首を突っ込むわけでなく自分の手に負えないと判断したら然るべき機関に解決の要請を出す。それすら行わない人間も多いのだからあの方が慈愛に満ちた精神も持ち主なのは間違いない。だからこそ私にも手を差し伸べたのだろう。クラウス様もあの時話した人間が狂ったストーカーに堕ちているなんて思いもしないはずだ。
私の名前はアリシア・イングリッド。元の名前はアリシア・スコット。現宰相スコット伯爵の娘で、王太子殿下の側近ルーデンス・スコットは実の兄だ。15歳の母の実家のイングリッド家の養子になった。
私は貴族の子女が興味を示すドレスや刺繍、宝石、アクセサリーに一切興味を示さず薬草、薬の調合ばかりに関心が向いていた。母方の祖母は元宮廷薬剤師で、現在は小さい薬屋を営んでいる。祖母の薬を求めてくる人々は、祖母のおかげで元気になったと後日お礼を言いに来ていた。その時の人々の顔を見て、私も祖母のように自分の作った薬で苦しんでいる人を助けたい、と思うようになった。が、それよりも薬の調合が楽しかったからという理由が大半を占めていたのは誰にも言っていない。私は祖母の元に足しげく通い薬草の見分け方、薬の調合のコツを教わっていた。両親には内緒で山奥に足を運び薬草の採取について行かせてもらうことが何より楽しみだった。両親は私の異常と言える熱量を危惧していたが、聞き流していた。
母方の親戚に薬剤師を志す者はおらず伯父の唯一の息子である従兄はそれなりに興味があったが、家を継がないといけなかった。なので祖母の店はいつか自分が継ぎたいと母にお願いすることが増えた。その度に母は困った顔をしていた。父も「そういうことは程々に」と苦言を呈されていた。理由は暫く経つと分かった。
父は現宰相、兄は王太子の遊び相手を決める選抜試験を首席で突破、将来の地位がほぼ約束されていた。そんなスコット伯爵家の唯一の娘の私に貴族が目を付けるのは当然だった。実際婚約の申し込みがひっきりなしに来ていたが父が上手いこと断ってくれていたらしい。が、それもまだ子供だからと言う少々甘い理由に過ぎない。父自身私が伯爵家のためになる家に嫁ぐことを望んでいるのは分かっていた。
しかし、両親は私が貴族社会でやっていけないと察していたのかもしれない。実際お茶会に呼ばれても会話そっちのけで庭園の植物をじっと観察する子供だった。当時の私は家のことも気に掛けず自分に好きな事ばかりして将来は薬剤師になるんだと決めていた。
が、そんな私でも貴族の娘としても自覚が芽生えていたので薬の勉強以外にも語学、礼儀作法、ダンス、刺繍、主要貴族の基本情報などに力を入れた。元々勉強するのは好きだったので苦ではなかったが、問題は社交だった。
社交デビューの日、挨拶とダンスを無難に終えた瞬間人ごみに酔い気分が悪くなり会場を後にした。その反動で体調を崩し数日寝込んだ、実際は自分が作った死ぬほど苦い薬で体調はすぐに戻っていたが、これ幸いと薬の微調整を行っていた。この時のおかげで「スコット伯爵の娘は病弱」の噂が立ってパーティーのお誘いが減ったのは好都合だった。
もう自分にはこういうことは向いていない、いっそ領地に引っ込んで薬草園を作りたいという野望を抱いていたがここまで伸び伸び育ててくれた両親、兄の足を引っ張りたくないという意地であの日の夜会にも参加した。殆ど姿を現さない私はそれなりに周囲の注目を集め、というより伯爵家とお近づきになりたいという方々が代わる代わる挨拶に来るしダンスを申し込みに来た。既に限界に近かったが、どうにか耐えた。が、ここで王太子殿下が側近の妹だからと挨拶に来た。当たり障りのない会話を交わしていたが、
「…この夜会は私の婚約者選びを兼ねている。いっそアリシア嬢を選びたいくらいだ、ルーデンスの妹だし気が楽だ」
「殿下、このような場で不用意な発言はお控えください。妹は王太子妃の器ではありません」
「…ちょっとした冗談じゃないかそんなに怒らないでくれ。全く妹が大事なのは分かるが」
殿下、違います。私と兄は殆ど交流していませんし、私が大事なのでなく人付き合いが苦手で薬馬鹿な私が間違って王太子妃になったらとんでもないことになるからです。そもそもそんな話が出たら父が全力で潰すだろう。
殿下が去った後疲れたので壁の花となっていた。王太子殿下の婚約者はあり得ないとして、いつかそれなりの貴族の家に嫁がなければいけない。それが貴族の家に生まれた娘の役目。それは分かっているのだが…人付き合いが苦手なのはこれから直さなければいけない。もし駄目だったら社交をこなせない、「家の役」に立てない私に価値はあるのか。
仮に結婚した相手は私が薬剤師として働くことを許可してくれるだろうか。女性の社会進出が進んでいるとはいえ貴族の女性が働くことを良く思わない人間はまだ多い。「女は家に居ろ」「妻を働かせるなんて、うちに金がないと舐められたら困る」と理由は様々だが。仮に夫となる人から反対されたら子供の頃からの生きがいに等しいものを手放さなければいけない…そうなった私は、私には何が残るのだろうか。多分何も残らない、人にも何にも関心が持てない私は空っぽに等しいのでは。
そう考えたら急に気分が悪くなった。父に一言断り会場を出て、外の空気を吸うために中庭に出てベンチに座った。普段伸ばしっぱなしの前髪を今日はメイド渾身の編み込みで纏めていた。が、どうにも落ち着かないので折角整えてくれたメイドには申し訳ないがほどいてしまった。もう父が迎えの車を呼んでいるし会場に戻ることもない。暫くここで時間を潰そうと思っていた時だった。
「大丈夫ですか、顔色悪いですよ」
銀、というより灰色に近い髪に澄み切った海を思わせる碧眼の男性がこちらを覗き込み右手には水の入ったグラスを持っていた。一瞬この人も会場に居た人のように「スコット伯爵の娘」に近づいたのかと警戒を強めたが、眉を下げこちらの様子を窺う男性の目には「心配」の二文字が浮かんでいた。この人、純粋に私の心配をしていると分かり、親切な人だなと会礼を告げつつグラスを受け取った。その際、男性の左手にはワイングラスが握られていたことに気づく。この人、水を貰うついでにワインも貰って来たらしい。親切な人だと思ったが、ただ親切なだけの人では無さそうだ。
その男性はベンチの端に腰掛け、私を気遣う言葉をかけてくれた。人と話すのは苦手だったが男性の纏う雰囲気のせいか然程緊張しなかった。男性は私の正体に気づく素振りすらないことに安心し、どうせもう会うこともない名前も知らない相手だからと悩んでいたことを吐き出してしまった。男性は私の話を黙って聞いていたが、「ご兄弟は?」と聞かれたので兄が一人いると正直に答えた。何故急にそんなことを?と疑問に思っているとワインを一口飲んだ。「酔っ払いの戯言だと聞き流してください」と前置きした、そして
「お兄さんが家を継ぐならあなたは好きに生きていいんじゃないですか?」
自分の耳を疑った。何て無責任なことを言うんだ、と。実際男性の頬は紅潮してたのでしたたに酔っていたのだろう。最初はこっちの苦労も知らない癖に、と少し腹立たしく感じていた。が、当然ながら周囲にこんな無責任なことを冗談でも言う人は居なかった。だから少し経つとその発言が逆に新鮮に思えて来た。もしかしたら、無責任というよりあまりに私が思いつめていたから場を和ませようとしたのかもしれない。何も考えてない可能性も目の前の気分良さそうに笑っている姿を見ると過ぎるけど。そう思ったら何だか笑えて来た。
声を上げて笑う私を見て元気になったと思ったのか、気を良くしたのか。
「あなたの人生はご家族のためのものでなく、あなただけのものですよ」
雷に打たれたように衝撃を受けた。そうだ、私の人生は私だけの物、至極当たり前の事。親が宰相だから、兄が側近だから、私は2人の足を引っ張らないように貴族の娘らしくしなくては、夢を諦めないと、とずっと思っていた。が、ニコニコとワインを嗜んでいる何も考えていなさそうな男性の言葉で当たり前のことに気づいた。そこで私の心は決まった。今まで悩んでいたのが嘘のようにあっさりと。
その後男性に礼を言い、中庭を後にした。次の日から私の行動は早かった。そしてこの時から私は狂い始めていた。
すぐに両親に薬剤師になり、ゆくゆくは祖母の店を継ぎたいと伝えた。当然反対された。ただでさえ注目されている家の長女が薬剤師として働きだしたら、周囲の人間からどんな心無い言葉をぶつけられるか、普通に嫁ぎ働くことは無理でも趣味の範囲で薬草や植物を育てる方が幸せだから、とまるで幼い子供に対するように父は私を諭した。が、私は引き下がらない。
イングリッド家に養子に入る、スコット伯爵家の娘でなければ問題ないだろう、伯父達の許可は得ている、と。夢を反対されたくらいで家を捨てるに等しいことを言いだした娘を前に動揺を隠せなかった両親だが、私は本気で言っていると悟ると黙った。私は自分の夢のために家を捨てられる薄情な人間なのだ、と気づいたときは傷つきもしたがもう止まれなかった。互いに暫く無言を貫いていたが、助け船を出したのは余り交流のないはずの兄だった。
「アリシアに貴族夫人は無理ですよ父上。妹は薬草と睨めっこして薬の調合している方が性に合ってます。アリシアが嫁がなくても俺がこの家の地位を今より盤石なものにします」
まさか兄は後押ししてくれるとは。てっきり嫌われていると思っていたのだが。兄の言葉と私の本気が伝わったのか、養子の件を承諾してくれた。そして戸籍上は違っても血のつながった家族なのだから困った時は頼りなさい、と母は抱き締めてくれた。そういえば祖母とばかり交流して母と触れ合った記憶は朧気だ。薬剤師になりたいという夢を反対していたのは娘を取られたと思い、寂しかったからなのかもしれない。
その後私は荷物一式と共にイングリッド家に引っ越した。この人付き合いの苦手さを克服するため、ずっと引きこもっていたためあまりにも世間知らずたったことから王都にある学校に通うことにした。
同時期に私はあの日会った「恩人」のことが頭から離れず、つい伯爵家お抱えの情報屋を呼び寄せあの方の情報を集め始めた。ストーキングの始まりである。
クラウス・キールバルト。キールバルト子爵家の三男で17歳。家族構成は両親と兄2人。身長176㎝、体重53キロ。好きな食べ物、ハンバーグ 趣味、読書 好きなお酒、ビール、カクテル 一年間前から司書資格取得のため特別プログラム受講中、王立図書館への就職を第一志望としている。少々お人好しの傾向があり、学校内でも外でも身分なく困っている人間に手を差し伸べる。兄に近づきたい女子生徒に何度か利用された経験あり、その内の一人から暴言を吐かれたことから女性に対し苦手意識抱いている…。
苦手なのにあの日私に声をかけたのか、何て慈悲深い方、と既に頭のねじが何本か飛んでいた私はクラウス様を妄信し始めていた。そして暴言を吐いたという女子生徒に対しかつてないほどの怒りが湧いてきたので一度社会的に死んでいただこうとしたが、クラウス様への仕打ちが噂として広まっていたため軒並みの男子からは敬遠されていた。これはクラウス様を溺愛するお兄様が手を回したことも分かった。このお兄様2人には注意しないといけないと心に決めた。
両親が危惧していた通り、10年以上薬草、調合、薬剤師に関することにのみ向かっていた熱量が特定の一人に向かった結果、ストーカーに堕ちていた。
調べれば調べるほど、町中で遭遇したひったくりにカバンを投げ足止め、絡まれて困っている女性を助ける、迷子の子供の親探しを手伝い遅刻する、等本当に貴族か疑わしくなるような人だった。もっと知りたいという欲求を抑えることを知らない人生を送っていたため、自制心は端から備わっていなかった。最初はほんの出来心で図書館に向かうクラウス様の後を付けた。が、それが駄目だった。元々素質があったのか全く怪しまれることなく図書館までたどり着いた。そこで、悪魔が囁く。これこのまま続けてもバレないんじゃないか。結果今日まで全く気取られていないのだから、もしや諜報員の才能があるかもしれない。
この春宮廷薬剤師として王都で働くことになり、毎日毎日毎日どうやって自然にクラウス様と知り合いになれるかを考えていた。色々パターンは考えていたが、あの日普段のクラウス様の歩くスピードから計算して数分で公園前を通り過ぎる計算だった。そこに運よく酔っ払いが通りかかりこれは使える思った。この数年でダイエット、メイクの仕方、ファッションセンスに付いて学び自分を磨いた結果、美人と称される容姿になった。酔っ払いは直ぐ私に絡んできて、予想通りクラウス様は助けに入った。
それからは「初対面」として振舞った。恋人になりたいだとか分不相応奈望は持っていなかった。友人として交流を続け、同じ空気が吸えたら満足だった。
なのにどういうわけだがお付き合いすることになってしまった。
思えば今日は迂闊な行動が多かった。女性に話しかけられるクラウス様を見た瞬間どす黒い感情が沸き上がり、あんな真似を。その後映画の騎士を見て、私より何倍も狂っていたが自分の未来の姿を見ているようで気が気でなかった。それにレストランで「騎士みたいな男どう思うか」と聞かれ思わず咽てしまった。取敢えず当たり障りのない答えを返したが、私が騎士側です、と言いそうになるのを堪えた。
「ですよね、俺も好きな相手なら許容してしまうと思います」
恐らく私に合わせただけで本心ではない。そのはずなのに心の中で「もしかして」という期待に心が揺れた。この人は私の本性を知っても離れないでいてくれるかもしれない、と。鈍くはなかったので、クラウス様が自分に好意的なのは気づいていた。
が、すぐにそんなわけない、と否定した。これ以上交流を重ね自分の狂った片鱗を見せてしまったら。そうなる前に離れたほうが賢明だと思ったので「会うのは止めによう」と言った。辞めてもまた尾行し、絵に描き起こす日々に戻るだけだった。辞める気が一切ないのだから私も結構クズだ。薄汚れた人間が関わってはいけない人だったのだと諦めようとした。
どうせ最後だからと引かれるに違いないことを洗いざらい吐き出した。やばい奴だった、と手が切れてホッとしたと後で笑い話として語られればいい方だと。そう思っていたのだが…。あ、また鼻血が。
契約書でも書きましょうか、何て真剣な顔で言われるからつい興奮して鼻血を出してしまった。だって「絶対離れません」という契約書なんてそれはもう婚約と同じではないか。ストーカーとストーカーされる側が結婚なんて笑えない話だが。
しかし、付き合えるなんて夢にも思わなかったためこれから先の事を何も考えていない。まずこの部屋、付き合ったと言うことは互いの部屋を行き来すると言うことだし取敢えず絵は見られたらアウトなので例の場所に移す準備を。ぬいぐるみとアクセサリーは何とか誤魔化せるから放置。それにこれからは合法的にクラウス様の写真を堂々と撮ることが出来るという事実に気づき歓喜に震えた。もう(微々たる)罪悪感に苛まれながら絵を描かなくても良いのだ。とは言っても結局辞めないのだろうなと言う予感はした。…っ!大事なことを忘れていた。
私は画用紙と鉛筆、絵の具、そしてカメラを準備した。カメラ目線のクラウス様の絵を描かねば、と。写真があるのだから描く必要はないのだが今までの記録も全て絵として残しているので、これも改めて絵に描き起こす事にした。
そうして夜通しかけて仕上げた大作を見届けた瞬間、一日の疲れが限界まで達した私は倒れるように眠りについた。元々デートの次の日は浮かれて仕事どころではない、と休みを取って正解だった。理由は違えど、とても仕事どころではなかったから。
これにて一旦完結ですが、気が向いたら後日談とか書くかもしれません。




