1話
「キールバルト先輩~お疲れ様です~」
時刻は王立図書館が閉館し、諸々の閉館準備が終わった19時過ぎ。さあ帰ろう、と更衣室を出たところ背後から疲労感溢れる声に呼び止められた。疲れ切った顔で立っているのは後輩のリリア・フレーズ。肩より下で切りそろえられた黒髪が特徴的な後輩。去年この図書館に配属になったのでもう新人でもないのだが、今は4月下旬。引っ越しやら何やらで王都にやってきた人間が一年で一番多く訪れる時期。色んな人間が来るということはその分面倒な利用客も多いということだ。今年からこの繁忙期の業務を先輩のサポート無しにこなさなければいけないフレーズには荷が重かったのだろう。
図書館は身分関係なく誰でも利用できる、しかもここ、王立図書館は王家直轄の唯一の図書館。働くためには採用試験の他に身辺調査もされる徹底ぶり。かつての国王陛下の勅命で建てられたため当然である。ここではどんな高位貴族でも平民でも平等だ。
にも拘らず、時々身分を笠に着て横柄な態度を取る利用客がここに来る。今日もどこぞのご令嬢が「平民と同じ机で読書なんて出来るわけないじゃない!」と騒ぎ立てて大変だった。図書館の設立趣旨知らなかったのかな?平民と肩並べるのが嫌なら来なければいいのに、と笑顔で対応しながら心の中で毒吐いていたけど。最終的に館長が出てきて丸く収めてくれて助かったわ。
「おーフレーズにクラウス、お疲れ」
休憩室から出て来たのは金髪碧眼の美丈夫。この図書館の館長かつ侯爵家の次男という超エリート、その上長身イケメン。館長目当てで来る年頃のご令嬢が後を絶たない。しかし、騒ぎを起こすご令嬢の殆どは館長を前にすると大人しくなってくれるので助かる。当然婚約を申し込むご令嬢も多いのだが本人はのらりくらりと躱している。俺も二年の付き合いだが、館長の性格は良く分かってない。が、ここで一番偉い人にも拘わらず偉ぶったところがなく気のいい先輩、といった感じだ。俺も貴族の端くれだが館長のような上位貴族が居るのだと初対面の時は驚いた。何せその年の新人全員を食事に連れていき、奢ってくれたのだ。新人の中には貴族出身者と平民出身者が居るのだが、相手によって態度を変えるということもせず平等に(かつ雑に)扱ってくれる。
「館長お疲れ様です」
「館長~今日面倒な客多くなかったですか~」
「おいおい、お客様、だろ。面倒だろうが何だろうが来館されたお客様には誠意ある対応を。お客様は神様、研修で散々教えたはずだぞ」
「館長も面倒だって認めてるじゃないですか」
館長は俺の背中をバシバシ叩いた。い、痛い。この人力強いんだよなあ。
「細かいことはいいんだよ」
「それより、館長。明日休館日ですよね。皆で飲みに行きませんか!まだ何人か残ってるはずですしパーッと行きましょうよ、館長のおごりで」
フレーズはいつもの明るい口調でとんでもないことを言った。お前、上司に対して凄いな。それにこの人ヘラヘラしてるけど侯爵家の次男だからな。忘れそうになるけど。
館長は呆れた顔でフレーズを見ているが、怒っている様子はない。
「おいおい、休憩室に10人残ってたぞ。あいつら全員の酒代払ったらすっからかんだ」
「館長って給料良いって聞きましたけど」
「お前ホント怖いもの知らずだな」
「あーけどクラウスは行かないよな。今日金曜だし、公園の君と待ち合わせだろ」
ガン、と手に持っていたカバンを落とした。館長は平然としているがフレーズは突然の俺の反応に目を真ん丸に見開き、固まっている。
「え…公園の君って何ですか?まさか先輩の彼女???」
「違う違う、こいつの片思い」
「違いますよいい加減なこと言わないでください」
「お前嘘つくの下手だな、耳真っ赤だぞ」
え、と右耳を触る。あれ、何か熱い。ふとフレーズに視線を向けるとニヤニヤと笑っている。これは完全に俺を揶揄おうとしているな。
「先輩、水臭いですね~。黙っているなんて、私と先輩の仲じゃないですか。言ってくれたら協力したのに」
「お前面白がっているだけだろ。それに俺とお前の関係は職場の先輩と後輩、それ以上でもそれ以下でもない」
「ひどーい」と文句を言うフレーズ。こんな後輩だが去年出会った当初はこっちが心配になるほどオドオドしていたのだ。まあ、王立図書館に採用になった新人は皆雰囲気にのまれて気後れしてしまう。俺は数回図書館の何倍も気後れする場所に足を運んだ経験が功を奏したのか、緊張はしなかった。それも兄貴に言わせれば「鈍感で図太い」らしいのだが。というか褒めてないよね。
まあ、当時のフレーズは初日から緊張しまくり、特に男とは会話もままならず男性の利用客がカウンターに来た途端固まってしまう。そして男の先輩達にも同様の反応で、どうにかコミュニケーションを図ろうとしたが、皆匙を投げた。よくそれで面接通ったな、と思ったが筆記試験満点で合格したと聞き納得した。ここの筆記試験結構難関なんだけど、それほど優秀なら採用されて当然だな、男に対する耐性の無さには目を瞑るけど。そんな中で指導役を押し付けられ、いや、任命された俺の涙ぐましい努力により今では上司に軽口を叩けるまでになった。成長の方向性としてどうなんだこれ。
長々と喋ってしまい、ふと時間を確認すると19時半近く。まずい、彼女を待たせるわけにはいかない!
「じゃあお疲れさまでした!」
そう言い残すと急いで出口へ向かった。
「おー行って来い。美人をこんな時間まで待たせるな」
「え、例の彼女さん美人なんですか」
「俺も会ったことはないけど、クラウス曰く相当な」
館長余計なこと言わないで!絶対休み明けフレーズに揶揄われるじゃないか!が、今館長達に構うより待ち合わせ場所に向かうことの方が大事だ。まだ話している2人を放って俺は館外に出た。
図書館から10分程の距離にある小さな公園。昼間は遊んでいる子供もそこそこいるが、暗くなると誰も居なくなるし人通りもほぼ無くなる。俺としては別の場所にした方がいいと言うのだが、俺の職場への通り道で色々楽だろう、と言い譲らないのだ。そこまで仲が良いわけでもない俺からはそれ以上強く言うことも出来ない。今日も同じように待ち合わせ場所へと向かう。
公園の入り口に着くとベンチに座る人影を確認する。俺の口角は自然と上がり、足早に近づく。
「イングリッドさん、遅くなって申し訳ない!」
俺の声にベンチに座っていた女性はこちらに顔を向ける。アメジストのように輝く紫水晶の大きな瞳、長い睫毛、透き通るような白い肌に絹のような黒髪。着ているのはシンプルなデザインのワンピース。まるで人形のような美しさに思わず息を吞む。会うのは今日で3回目だが何度あっても見慣れることはない。美人は三日で飽きると言われるが、このように美しい存在に対し飽きるという感情が沸き上がるわけがない。イングリッドさんは俺の存在を認めるとパーッと顔を輝かせベンチから立ち上がる。
「キールバルトさん!私も今来たところですので、待っていませんよ」
ニコっ、と控えめに俺に笑いかけてくれている。あ、まずい顔がにやけてしまう。そんなことになれば彼女は「気持ち悪い…」とゴミを見る目で吐き捨てて二度とここには来てくれないだろう。そうなっては悲しみのあまり枕を濡らしてしまう。絶対ににやけ面を晒すわけにはいかない…っ!必死で顔を引き締める。
彼女の傍らには小さいビニール袋が。中からここに来る途中にあった小さな酒屋で買ってきたであろうビールを2本取り出した。
「始めましょうか」