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強さの証

 霞む視界、震える手足、思考を放棄する自我。


 虚勢を張って立ち上がってはみたものの、思った以上に力が戻っていない。

 精霊王の力を削ぎ、ノノの精霊力を取り戻す事には成功したが、全て順調とはいかないようである。

 が、だからと言ってこのまま死を待つ気は毛頭無い。


 鉄剣はどこかと目を凝らし、泥の中に光る剣刃を見つける。

 そして確かめるように剣柄へ手を伸ばす。



「――ッ」



 ――重い。


 笑えるほど、ズッシリと右腕にその重みがのしかかる。


 血が滲むほど握ってきた剣柄である。

 だが、今のコイツはまるで別モノだ。


 今の自分がまともに戦える状態では無い事は、明白だ。


 それを理解した途端、血を交えた冷や汗が額を流れ、泥へポタリと波紋を作る。


 焦りと戸惑い、そして敵に悟られてはならないという焦燥感。

 そんな弱音をまとめて振り払うように、リノアは顔を歪ませつつ、無理矢理泥中から鉄剣を荒々しく引っ張り上げる。


 鉄剣を持ち上げた反動か、フラフラと身体が左右へと揺れる。


 呆れと倦怠感で苦笑いが自然とこぼれ、正面で長剣を携えるリタへ鉄剣の剣先を向ける。


 対するリタは、特に反応を示さない。

 精霊王からの命令を待つように、虚な目で下を向き、ダラリと長剣を泥へ突き立てている。



『……無茶は承知の上さ。でもあの女の人を助ける方法はこれしかない。――分かってる、簡単じゃない。決して短い時間じゃないのも分かってる。でもリノアがどうしても助けたいって言うなら、やりきるしかないんだ』



『――5秒間、女の人の動きを止めて欲しい』



 深界でのノノの言葉を思い出し、確かめるように小さく心の中で呟く。


 ――5秒、か。


 リタの動きを5秒間だけ止めろ。

 ノノによれば、それができればリタを助ける活路が開けるのだと言う。


 しかし、今の自分にそれを成し遂げることができるかと言えば、厳しいと言わざるを得ない。


 ノノにかけてもらった精霊術で体力は大方回復するだろうとの話であったが、実際に回復した体力は1割にも満たない。


【精霊術 妖精の治癒】は、欠損した部位を再生できるほど強力な精霊術ではあるが、実際に再生させるには時間を要するため、体力の回復に重点を置いて術をかけて貰った。

 ノノによれば、その程度であれば一瞬で可能との話だったからだ。

 無論、それだけ時間を切り詰めたのは、戦闘中にゆっくり回復術など使うことは出来ないからだ。


 自分の回復にノノを手間取らせ、負けてしまっては元も子もない。


 故に切り詰めに切り詰めた回復時間で最低限術を施して貰った訳だが――。


 結果的には期待していた状態で戦闘に挑む事は出来そうもない。

 が、そうなってしまったのであれば、それを受け入れてしまう他ないのだ。


 最もしてはならないのは、予想外の出来事に狼狽て隙を生み、敵を利する事である。


 そしてこの事実はノノに知られる訳にもいかない。


 これは彼女自身の戦いでもあるのだ。

 そこに余計な水を差す事などあってはならない。


 そして何より、この勝機を逃す事など絶対に許されない。


 この機を逃せば先はないのだから。


 文字通り死ぬ、それだけだ。


 精霊王が反撃に面を食らった瞬間に一気に奇襲を仕掛け、惜しむ事なく2人に残った力を全力で叩き込む。


 実に簡単で分かりやすい。


 体力の是非など、一刻前の状況に比べてみれば些事も良いところだ。

 まともに立ち上がり、剣を正面に構えることができているだけで十分お釣りが来る。


 つまるところ、体力や結果はどうあれ、最初からやる事は何一つ変わっていないと言う事だ。


 今できる事を最大限やりぬく。


 やる事もやれる事も、結局はそれだけしかない。




「――行くよ」




 ノノが一言、横に立つリノアへ言い放つ。


 それに対し、リノアは「うん」と小さく返事を返す。


 そしてリノアは剣柄の先を、ノノは左手を空へ掲げ、2人は合図を交わすように小さくタッチを交わすと、各々の相手に向かって走り出す。




 既に日は落ちきっており、辺りは深い暗闇の中。


 暗い森を照らすにはあまりに頼りない月明かり。


 その淡い小さな光源を頼りに、ノノは精霊術を構築しながら真っ直ぐ全速力で突っ込んでいく。


 そんなノノの視線の先に、空気すら歪める程の存在が確かにそこにいる。


 どんな表情をしているのか、何をしようとしているのか、その一切を闇が覆い隠している。


 だが、確かにそこにいるのを感じる。

 自分が精霊使いであるがゆえか、あの存在との関係は切っても切れない確かなモノだ。

 皮肉な事であるが、今はそれが敵の動きを知る事に大いに役だっている。


 精霊王は未だに本調子ではないのだと、今でさえ感覚的に感じとってしまうのだから。


 あの"光の槍"による反撃は、精霊王にそれほどの衝撃を与えたのだろう。



 精霊王による人間に対する憑依。

 それを可能としている媒体とは果たして何であったのか――。

 精霊王本体との中継媒体として、精霊力を集める為の器とは――、すなわち、"業魔の肉体そのもの"がノノから力を奪っていた正体だったのだ。


 正確に言えば、精霊王が"魔物の肉体"に仕込んだ何かしらの術によるものだと思われるが、その正体はハッキリとはしていない。

 生物を遠隔操作する精霊術は確かに存在するが、それらはもっぱら小動物や鳥などに憑依すると言った規模の小さなモノであり、人間に憑依するなど自分が知る限り存在しない。

 その上で精霊王がワジムに憑依術を行使したと理解できたのは、自分が精霊使いであるからこそだと言える。


 精霊王が行使した術が何であれ、その憑依術の様な何かを行使するにも、伝説の魔物を使役するにも、媒体である"業魔の肉体"が必要だったと言う訳だ。


 自分がそんなふざけた術の燃料元になっていたとは考えたくも無いが、そう考えるのであれば全てのピースがかっちりハマってしまうのだからゾッとしない。



 つまり――




 "業魔の死骸を跡形も無く消滅させる"




 それこそが、精霊王に対抗する唯一の活路だったのだから。


 無論その危険性は精霊王も承知の上だろうが、よもや10歳にも満たない少年にそんな事ができるとは考えもしなかっただろう。


 強者と言うモノは、存外予想外の状況に対応する事が苦手なのかもしれない。

 小細工など必要の無い程の力を持っているのならば、自分を脅かす程の埒外など起きよう筈も無いと自負しているためか――。



「――!?」



 その時である、眼前に捕らえた精霊王の姿にノノは目を見開いた。


 予想に反し、精霊王はこちらを見てすらいない。


 自らが首を掴み上げた何者かを空に掲げており、見開き、そして血走った目を筆頭に、怒りの表情が顔に張り付いている。


 首を掴まれた者は中空でジタバタと手足を動かすも、精霊王はビクともしない。


 それどころか、精霊王は罪を問うようにギリリとその力を強めていく。



「――貴様は一体この地で何をしておったのだ。なんたる怠慢、なんたる失態――。なんだあのふざけた小僧は。あのような人間離れした"魔技"、見落とす方が難しかろうが」


「――ぁッ、がっ……! やっ、やめっ、――ぇグ」


「この愚図が、カーズとか言ったか。実につまらん、使えん男だな貴様は」


「――、」


「何とか言ったらどうだカーズ。おい、何を言っているか聞こえんぞ」


「――ぁ」



 途端に、ゴキっと言う低い音が辺りに響き渡る。


 そしてゴミでも捨てるように、精霊王は首を折ったカーズを地へ打ち捨てる。


 まさかの光景に気圧されつつも、ノノは予め構築していた精霊術を発動させるべく手を翳す。


 そんなノノを見ようともせず、精霊王は恐ろしく冷めた表情で明後日の方を見ながら言った。



「……見苦しいモノを見せてしまったね。いや、本当に申し訳ないと思っている。こんな事をする為にこの地に赴いた訳では無いのだがね……。実に嘆かわしい限りだよ。不甲斐ない私を許してくれたまえよ。……まあ、代わりと言っては何だが、――ノノ、今こそ君に知ってもらわなければならないね」



「――」



「――認めようじゃないか、一方的であったと。ああ、強引であったとも。だから、やり方を変えようと思ってね。私を、いや……この()の事を、君にはもっと、もっともっと知ってもらう事にするよ――」



「――!?」



 ノノが背筋にゾクリと悪寒を感じる。




 ――【大精霊術 大妖炎の散華】




 次の瞬間、一切の挙動を見せない精霊王の周囲に、巨大な火柱が噴き上がった。

 まるで噴火したかのように、地面から猛烈な熱波を孕んだ烈火の炎が舞い上がり、精霊王を中心に車輪の様に回り出す。


 途端に身体を焼く様な熱がノノを襲い、走っていた身体に思わず急ブレーキをかけ、対抗するように荒々しく精霊術をぶつけた。




 ――【精霊術 氷刃】




 パキパキと鋭い氷柱が5本、ノノの周りを囲む様に現れると、ノノはそれら全てを炎の車輪へと撃ち込んだ。


 だが、それらは炎の刃に阻まれ、精霊王の司る火柱を打ち消すには到底至らない。


 氷柱は精霊王に到達する前に一瞬で蒸発し、その攻撃は全て真っ白な水蒸気になって辺りに小さな霧を作るばかり。



「……今の僕ではこの程度の術しか扱えないが、精霊使いの君であれば、この炎の精霊術がどんな代物であるのか、理解できる筈だ。これでも君が傷付かないように、力を抑えているくらいだからね」



 無言で目を見開くノノ。

 人間が行使できる最上位に迫るレベルの精霊術をいとも簡単に生み出し、()()()()と言ってのける精霊王。


 規格外であるとは分かっていても、実際に見せつけられてしまうと反射的に驚愕する他ない。



 ――力を削がれても、化け物は化け物と言う訳か。


 こんなモノを持ち出されては、自分が今持ち得る全ての精霊術を駆使したとて穴を開ける事すら出来ないだろう。


 伊達に精霊の王を名乗ってはいないと言う事だ。



 ……だが、その程度でこちらが引く理由にはならない。




 ――【精霊術 氷刃】

 ――【精霊術 氷刃】

 ――【精霊術 氷刃】

 ――【精霊術 氷刃】

 ――【精霊術 氷刃】

 ……



 ――【結集精霊術 大氷刃】




 ノノはあらかじめ構築していた無数の【精霊術 氷刃】を一瞬で中空へ展開し、あっという間に精霊術の威力を昇華させていく。


 腕ほどの【氷刃】が結集し、人の胴体ほどの【大氷刃】となり、無論、その切っ先は精霊王の正面に向けられる。



「――なるほど、素晴らしい技術だ。……術の構築から展開、更には結集までさせてしまうとは、――賞賛に値する。ノノ、君は間違いなく優秀、いや天才だろうね。――だがね」



 精霊王は笑っていない目をノノへ向け、その他顔のパーツ全てで歪な笑を浮かべる。



「所詮は人の常識の範疇だ。人間の非力と言うモノサシで測る事ができる以上、そんなもの、僕にとっては児戯に等しい水遊びだよ」



「……」



 その言葉に歯を食いしばりつつ、ノノは結集した【大氷刃】を猛烈な勢いで炎の柱に叩き込んだ。


【大氷刃】は唸りを上げて柱を貫いた――、かのように思えたが、何重にも重なった炎の刃が、生きているかのように鋭い斬撃を【大氷刃】へ繰り出していく。


 一閃、また一閃と炎の刃が【大氷刃】を削り落とし、その度にジュウ……、と音を立てて水蒸気が発生しては消えていく。


 熱が熱を呼び、炎の柱は尚も勢いを増して圧倒的な力の差を見せびらかしてくる。


 熱いというよりは、最早痛いと言った方が正しいだろう。

 張り付くような熱波が、炎に近付く事すらさせぬと自己主張を叫ぶ。



「何を企んでいるのかと思えば、僕を力付くで捕まえて、あの娘にかけた傀儡術を解かせるつもりだったのかね……? まったく……見くびられたものだね」



 その言葉を聞いたノノは不快感に顔を歪める。



「――あなたは本当にお喋りが好きだね」



「ああ、大好きだとも。ノノ、君との会話は特にね。そんな嫌な顔をしないで欲しいな。これからもっとずっと、色んな事を語り合えるのだからね。……どうかな、この辺で諦めてみては――」



「――、」



「無言の拒否、またそれかい? 何度やっても結果は変わりはしないよ? 何度僕に攻撃しようが、その程度の精霊術しか行使できない君に、僕を傷つける事はできない。それは君が1番良く分かっている筈だろう? それにこの身体はただの入れ物だからね。壊れようが心臓が止まろうが、僕本体には何の影響もない」




 ――分かってるとも。




 そう心の中で苛立たしげに呟き、ノノは尚も精霊王へ歩みを進める。


 一歩、一歩と。

 近づくに連れ、熱波が身体を焼いていく。

 皮膚を焦がし、激痛が心を蝕む。


 痛みが痛みを噛み砕き、また新たな激痛が全身をこれでもかと痛め付けては消えていく――。


 が、ノノは止まるどころか緩む様子すら見せてこない。


 灼熱のトンネルを真っ直ぐ、脇目も振らず歩いていく。


 微動だにせずに、無表情で炎を操り続ける精霊王は、一切の躊躇を見せずに距離を詰めてくるノノをジッと見据えている。


 勝てる見込みなど微塵も無い事など、ノノ自身が1番よく理解している筈である。


 唯一ノノが精霊王に強みを持っているとすれば、それは精霊王がノノを殺す事は絶対に無いと言う事だ。


 だが、それだけを頼みに精霊王に対する事ができるかとなると、難しいと言わざるを得ない。


 確かに精霊王がノノを殺す事は無いが、例えば、精霊王がノノの身体の自由を奪う事など造作も無い。


 それを分かって向かって来ると言うのであれば、精霊王はノノにタップリと激痛を与え、恐怖を植え付けた上で、治癒で元通りにするだけなのだから。



 ジュウと音を立てて燃える草木。

 地面に無数にある石は赤く染まり、時折り橙色の炎が手を上げる。


 敢えてノノへ直接炎を浴びせる事は控えているとは言え、熱波の猛威は、辺り一帯をもはや人がまともに存在してはならない空間へと変貌させている。


 文字通り呼吸すらままならない極限の環境下。

 そんな煉獄をも思わせる炎の草原の中で、ノノは表情一つ変える事は無い。


 さすもの精霊王もそんなノノの姿にピクリと眉根を動かし、わずかな不快感を持ってノノへ言葉を投げかけた。



「――実にくだらないね。その行為に何の意味があるのかな」



「……」



 一瞬歩みを止め、少し間を置いて再び歩み始めたノノに対し、精霊王は落胆するように息を吐くと、悲しげに目を顰め、




「……君がそれほど愚かだったとは、僕はとても残念だよ。確かに僕は君を殺せはしないさ、ノノ。何故なら僕は君を愛しているからね。――でも」




 精霊王はそこで言葉を区切り、新たな精霊術を一瞬で構築させていく――



「死なない程度に痛めつける事だって、できるんだよ」




 ――【大精霊術 大龍の炎牙】




 再び目を見開くノノの眼前。

 破裂するような熱波が新たに芽吹き、巨大な炎の龍が立ち塞がるように現れた。


 四方八方に真っ赤な炎上網を撒き散らし、夜であると言うのに、辺りを昼のように煌々と照らし出す。


 まるで自らが意思を持つかのように、炎龍は真っ黒な瞳をノノへ固定し、精霊王への道を阻む様に仁王立ちで威を見せつけて来る。


 これには堪らず呆気に取られるノノを見て、精霊王は僅かに笑みを浮かべながらノノへ最後通牒を告げる。



「これで終いだ。僕としても不本意ではあるけれど、君が聞き分けのない事をするからいけないのさ。だけど僕は優しいから、やっぱり最後にチャンスをあげるよ――」



「……」



「僕がこの龍に号令を下せば、君はかつて味わった事の無いほどの苦痛を味わう事になる。それも、死んだ方がマシだと思えるほどの、ね。トラウマにだってなるだろう。心だって壊れてしまうかもしれない。だからもう一度言うよ。いいかい? 僕にとってそれは本意では無い。君は良い子だから、――分かってくれるね?」



「――」



 "苦痛"と言う単語を耳にした瞬間、ノノはピタリと歩みを止める。


 真っ赤に染まり、空間さえ熱に歪んだ灼熱の嵐の中、ノノは静かに俯き、顔を覗かせない。


 いつしか泥に塗れた服は汚れや色さえ蒸発し、熱波の暴力は髪や皮膚を少しずつチリチリと焦がしていく。


 そんなノノを見下ろす精霊王は、どこか満足げに眉根を動かし、口角を吊り上げては抑えきれぬ笑みをこぼした。



 ――それで良い、とでも言うように。



 が、精霊王はすぐさま表情を冷徹なモノへと変え、僅かに綻んだ口元を引き締めるよう、ギリリと歯を食い縛る。



 2人を包む真紅の地獄の中――。


 ちょうどこのような、煉獄を思わせる炎の森の中だったか――。


 あの時の忌まわしい記憶、思い出したくもない悍しい過去が諸手を挙げて甦えっていく。


 殺し、憎み、奪い――、そして裏切り。


 この世の他に、これほど悍しい生物がいるであろうか。


 それはどれも笑えるほどに分かりやすく残酷で、悪辣極まるモノであった。


 どれも大して変わらぬ悲劇と喜劇を繰り化し、最期は須らく醜く嗄れて虫の餌になり、土へと還っていく――。


 ……何と儚く身勝手で傲慢な生物であろうか。


 なぜ――、なぜ()()()はこんな不完全で歪な存在を生み出し、在り方を肯定し、愛すると決めたのだろうか。


 私は、――いや、精霊王である僕には、理解できそうもないし、これからする気も毛頭ない。


 かつては彼等を愛した事もあったが、それを裏切ったのは他でも無い彼等なのだから。


 だから僕は向き合う事はしない。


 あんな結末を見るくらいなら、あんな悲劇が僕を待っていると言うのなら。


 僕が()()を愛する事は無い――。


 ああ、絶対だとも。



 だから――。



「――やっと、分かってくれたか」



 これでいい。



「ありがとう。君の選択は正しい。よく決心してくれたね。流石は僕のノノだ。――さあ、胸を張るといい。僕の愛に応える事こそ、天が君に与えた使命、天命なのだから。僕も君に苦痛なんて与えたく無いからね――」



 簡単な事ではないか。



「あの少年――、久方ぶりに度肝を抜かれた思いだよ。だが、君を誑かした罪は償ってもらわなければならないからね。分かるね? まあ、最早時間の問題だろうが、さすがの僕もあの魔技には少々驚愕したよ。……既にあの少女にかけた"妖霊傀儡"の制限は解除してあるからね。あの少年は君の為にも嬲り殺しにするつもりだったが……まあ致し方ない。今頃あの少女に斬り刻まれて地面に転がっているだろうね」



 どんな形であれ、()()()が僕の隣にいればいい。



「とは言え、ケジメは必要だ。少なかれ、君はこの僕を裏切る様な真似をしたのだからね。賢い君なら分かる筈だ。――とりあえず……、そこに、跪いてもらおうかな。僕の愛を、この僕を、受け入れる証として――ね」



 それが僕の、精霊王としての、――たった一つの証だから。




 精霊王が小さく右手を振ると、真っ赤に染まっていたノノの足元から炎が引き、彼を囲む様に炎が円を作った。


 跪いた際に炎によって痛みを感じないようにとの精霊王の計らいだが、なおも彼の頭上には煌々と燃え上がる炎龍が下知を下されるのを心待ちにしている。


 無論、精霊王を拒否すればどうなるのか、この場の誰もが理解している。



「ねえ――」



 ポツリと、下を向き、真っ白な髪で表情を見せないノノが、小さく小さく呟いた。


 そしてゆっくり、何の葛藤すら伺わせず、ノノは左脚の膝のみを地に付けた。


 精霊王の表情がみるみるうちに歪な笑みへ変貌し、目を見開き、ノノが残りの右膝を付くその時を待っている。



「……なんだい?」



 笑みを隠すことすら忘れた精霊王は、言葉尻を嬉し気なモノへ変えながらノノへ一言、そう返答した。


 精霊王は最早、感情を隠す事すら忘れたように、ノノを凝視しながら彼の言葉を待った。


 一時の沈黙――。


 それはものの数秒であった。


 が、何千年も生きてきた精霊王にとっても、その時ばかりは、その瞬間が、幾重にも重なる永遠の時のように思えた。


 そんな沈黙を切り裂く様に、ノノはベレー帽を右手で少しばかり上げ、真っ白な髪の合間から右目を精霊王へと向けやる。



 そして何を臆するでもなく、何を躊躇うでもなく――、



 ノノは真っ向から、ハッキリと言葉を叩き付けた。




「――ボクはあなたが、大嫌いだ」




 ピタリと、

 静寂の中で、再び時が止まる音が響いた。


 未だに表情の笑みを崩せずにいる精霊王は、聞き間違いかと、何度もノノの台詞を頭の中で反芻し、少しずつ意味を噛みしめていく。


 やがて目を見開き、口元をキツく結ぶと、あの冷徹で氷の様な表情へ変わっていく。


 いつしか辺りの炎も勢いを取り戻し、ノノを取り囲みながらその囲いを狭めていく――。


 それを追う様に、精霊王は炎龍をノノへ嗾けようと右腕を上げる。


 既にその表情は怒りに満ち、語尾を震わせながら声を上げる。




「おのれ……、何とも……、ああ何ともふざけた愚かしい奴だ。もはや情けは尽きたよ。実に心苦しい限りだが、これは君の選択だ。覚めやらぬ苦痛の中で存分に後悔したまえ」




「悲しい人だね、あなたは」




「……黙りたまえ。もう戯言にはうんざりだ。人にも、世界にも、……君にも、期待した僕の間違いだったよ――」




「……それは、どうだろうね。あなたは最初から、何の期待もしていないんじゃないの? あなたにあるのは歪で手に余る力だけ。無駄に歳を重ね、何も見ようとしてこなかった癖に偉そうに言わないで欲しいな。ずーっと同じ場所で足踏みし続けるだけ。――とんだ臆病者だね」




「……知ったような口を聞かないでくれるかな。僕が何千年生きたと――」




「……やっぱりね。あなたは少し前のボクにそっくりだもの。何千年も生きてるのに、まるで何も知らないんだね」




「なんだと……」




「だからあなたは、僕に負けるのさ。どれだけ力を持っていても、どれほどの時を生きても。向き合う事から逃げ続けたあなたには、決して理解できない」




「――」




「――あまりヒトを、舐めないで」





 突如、精霊王の後方で真っ白な霧が弾け飛ぶように出現した。


 空まで達するかと言ったような炎の壁に穴を穿ち、氷の破片をばら撒きながら、精霊王の背後へ黒い影が躍り出る。


 猛然と燃え上がる炎によって、その影が持つ巨大な赤い斧が口紅のような真紅に染め上がり、火を纏いながら唸りを上げる。


 フンスと鼻息荒く登場したのは、赤い斧を持つ髭もじゃの巨漢。


 あらかじめ構築していた魔技を極限にまで昇華し、既に振り上げた斧と魔技のタイミングを絶妙に調整している。




「何だ、貴様は……!?」




 後方へ弾く様に振り返り、驚愕に目を見開く精霊王は慌てて炎龍を巨漢へ差し向ける。


 ――が、時は既に遅い。



 巨漢の目端には既に完築された魔技が表示され、既に行使した後である。



 ――【魔技 一刀ニ刃 初級】




 巨漢が精霊王の右肩に狙いを定め、途端に斧による赤い残滓がニ振り現れ、同時に左肩をも狙い打つ。


 精霊王がノノから目を離した瞬間――。


 その僅かな隙をノノが見逃す筈がない。


 その人間離れした精霊術の構築速度を持って術を完築させ、精霊王へ迫る巨漢へ瞬時に術を放った。




 ――【精霊術 刹那の怪力】




 対する精霊王も、斧の勢いから炎龍が間に合わないと瞬時に判断し、氷の防御壁を背面に打ち立てる。




 ――【精霊術 氷瓦壁】




「――!?」



 だが、その氷壁は横から飛来した氷刃に打ち砕かれ、キラキラと炎の光を反射しながら辺りに飛散していく。




 ――【精霊術 氷刃】




 精霊王が見開いた目をチラリとノノへやると、ノノが右手をこちらへ掲げているのが分かった。


 無論、ノノの目端には【精霊術 氷刃】の文字が浮かび上がり、ゆっくりと消えていく。


 借り物の身体であり、更に憑依してから間がなく、まだ精霊王は()()()に慣れていない。


 故に大掛かりな術は何とかなっても、小回りが効かないのでは無いか。


 ノノはそこに全てを賭け、この瞬間だけに勝機を見出していた。


 精霊王がそれを理解した時には全てが遅く、対処しようにも、平凡な氷の壁を出すくらいしか対する術が無かったのだ。


 ノノに攻撃される以外に負け筋を見いだせなかった精霊王に、背後からの第三者の奇襲に対する策は無い。


 してやられたと思った時には、その全てが手遅れである。


 けたたましい音を立てて弾け飛んだ【氷瓦壁】の破片の中で、精霊王はもはや、自身に迫り来る真紅の斧をただ見つめている事しかできない。





「――不覚」





「くたばりやがれぇぇえええッ!!!」





 誰に聞こえるでもない、小さく呟いた精霊王の言葉。


 それに応える様に、巨漢が吠え、真紅の斧が精霊王に叩き込まれた。


 途端に新鮮な血飛沫が舞い、ほぼ同時に精霊王、もといワジムの両肩が跳ね飛ばされた。


 斧を振り終えた巨漢が小さく「ッよし!」と言うと、そのまま勢いを殺さず、両肩の無くなった精霊王をノノの方へ蹴り飛ばした。



 いつしか辺りの炎は消え、あの炎龍さえ忽然と姿を消している。


 精霊術は魔技と違い、杖などを必要としない代わりに、指先で操る必要がある。


 それは精霊使いにとって常識であり、精霊王であっても例外では無い。




「仲間の……仇だッ! 気味の悪りぃ化けモンが。戦斧の味、たっぷり味わいやがれ!」




 斧を地面に刺し、地面に転がった精霊を睨みつけながら、巨漢がノノへ一瞥する。




「……ごめんなさい。厳密に言うと殺すことは出来ないので」




 ノノの眼前。

 泥に塗れ、無様に倒れ込んだ精霊王を見下ろしながら、ノノは巨漢へそう返事をすると、急々としゃがみ込み、精霊王の胸へ手を当てた。


 仰向けに倒れ、ドクドクとドス黒い血を流し続ける精霊王。

 彼は虚な目で夜空を見つめていたが、すぐにノノへ視線をやり、その姿を見ながら何かを考えるように小さく目を細める。


 瞑目しながら、精霊術を構築するノノはそれに気付いておらず、焦りを隠せていない。



「……」



 少しずつ機能を停止していく身体。

 そこに力を入れる事は一切できない。


 両腕を失った事で精霊力を操る事の出来なくなった精霊王は、今やただの動かない人形である。


 事は終わったのだと全てを理解し、薄っすらと開く視界の先。

 そこでは自らが愛した存在が真剣な表情で術を構築している。


 幾度と無く近くで見守ってきたノノであるが、あのような真剣な眼差しをかつて見た事があったであろうか。


 高難度の精霊術は涼しい顔で行使してしまうと言うのに――、何をするつもりかは分からんが、ノノがここまで本気になった姿を僕は今まで見た事が無い。



 ああ、そうか。

 ……そう言う事か。



 ……1秒でも早く、あの少年の元へ行こうと言う訳か。


 ノノめ、数秒前まで地獄の淵に足をかけていた事など、まったく気にも留めていないようだ。


 実に愚かしい限りではあるが、……いや、本当に、人間とは……、相も変わらず理解に苦しむものだ。


 魔力すら満足に持たん出来損ないの坊主を、何故こうまでも慕えるものかね。


 ……実に、実に不可解極まりない。


 こうまで理解不能だと、もはや笑いすら出てこよう。


 おや、そう言えば、最後に笑ったのはいつであったろうか――


 いや……そもそも、この僕は笑った事があっただろうか……。





「どうだったか……な」





 精霊王の消え入りそうな声に、ノノがピクリと反応する。



「野朗、ふざけやがって……! まだ口で糞垂れる力があるとはなッ……、ッ……おい、何だよ……」



 精霊王の声を聞いた巨漢が怒気を孕んで斧を地面から引き抜き、精霊王へ近付こうとするも、ノノが小さな手でそれを制した。


 それを見て巨漢は納得のいかない表情をしつつも、それ以上詰め寄る事は無かった。


 そんな巨漢の様子すら気にも止めず、精霊王はノノへ尋ねる。



「……この()()()を、この身体を殺すのだろう? なぜ今すぐにでも殺してしまわない? 凍らすなり焼くなり、君は得意じゃないか」



 淡々と語る精霊王の言葉を黙って聞いていたノノだったが、苛立ちの表情を浮かべると予想していた精霊王の期待に反し、ノノが返したのは少しばかりの笑みだった。




「――精霊王、あなたには、"深界"に行ってもらう」




 ノノの返事に、途端に精霊王が目を丸くする。




「……まさか。……ノノ、君は最初からそのつもりで――」



「……そうさ」



「――バカな。 待て、それは、それは矛盾しているぞ! 奴を、あの空魔奴の少年を、君が絶対に助けたいと慕っているのであれば! 少しでも生きている可能性を上げるのであれば! 君は今すぐ僕を、この()()()を殺すべきなんだ! そうだろう!?」



「――リノアは死なないさ。だって、あの女の子より、……いや、ボクやあなたなんかより、ずっとずっと、強いからね」



「何を……、何を言ってるんだ君は!? あんな魔力すら満足に持たない出来損ないの人間のどこに、……どこにそんな強さがある!?」



「……」



「答えろノノ! 啀み合う事でしか進化の出来ない人間が! そんな未完全で不完全な悍しい種属の中でも最たる劣等個体が! あんなモノに、あんな魔力ゼロの小僧に何ができるッ!!」



「それは、ボクにも分からないさ――」



「……は? ふざけているのか?」



「まさか」



「――いい加減に……! いい加減にしたまえよ! まただッ! 結局あの時と何も変わってはいないじゃないか! また訳の分からない御託を並べて僕を遠ざけて……! 適当な事を言って僕を騙してッ! なぜだ! なんで僕じゃ無いんだ!? 一体全体僕の何がいけないって言うんだよ!!」



「……適当な事なんて一つも言った覚えはないよ。もちろん、言った事全てが正しいかなんて分からないし、それを押し付ける気なんて毛頭ない。……けど、ボクが言った事は、ボクの本心さ。そこに嘘偽りはない」



「……ノノ、君は何を言っているんだ。自ら合理性を欠く事に何の意味がある!? 私には、僕には、その少しも、いや、一欠片すら理解できない……!」



「理解……ね。どうだろう。しようと思ってできるかなんて分からない。……けど、いつか……、分かり合える日が来るとしたら、それは、ボクも嬉しい……かな」



「……」



「えっとね……、その上で一つ、すっごく簡単に言うとすれば、それは――」



「――」




「ボクがリノアを、信じてるってことさ」




 瞬間、ノノの精霊術が発動した。


 ――【精霊術 深界開堕】


更新が大幅に遅れました事、お詫び申し上げます。

更新を楽しみに待っておられました皆様には、大変申し訳なく思っております。


今後はコンスタントに更新ができるようにしていきたいと考えております。

引き継ぎ、本作を楽しんでいただけますと幸いです。

今後とも、よろしくお願い致します。


作者

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