それぞれの意思
「やめろって言ったんだよ……クソッタレ」
ワジム、もとい精霊王は、リノアの言葉を聞いて雰囲気を変えた。
それは自分に対して言っているのか、とでも言うように。
黄金の瞳の奥に、不快感と威圧が淡く揺らめいている。
対するリノアは、筆舌しがたい圧力を全身に浴びている。
だが、圧を強める精霊王に対し、リノアは引く意思を見せない。
霞を帯びた隻眼で睨みをきかせ、限界を迎えた右腕を何くそと叱咤し、鉄剣を前へ掲げる。
そんなリノアを見る精霊王は、「腑に落ちぬ」と言った表情。
普通であれば、少年の隣で未だ震えながら立ち尽くしている少女のように、自身に対する反抗の意思など起きようはずが無いのだから。
自身がほんの少し威を見せ、多少力を示しただけで、矮小な人の子などすぐにでも戦意を喪失する。
卑しく地べたに這い蹲り、許しを乞うように、頭を擦り付けて懇願する。
それがこの生物の正しい在り方であり、在るべき姿。
何千年と生きてきた精霊王にとって、常識であり、そうでなければならないモノ。
精霊の長たる自身が威を示し、尚も戦意を失わず、刃を向けてきた人間など数える程しか存在しない。
それらはどれも、すべからく時代を代表する"強者"達であった。
知を司る"大賢者"、生を司る"大聖者"、次代を切り開く"勇者"、
そして、剣の神たる"剣神"。
目の前の薄汚い少年が、そんな者達と肩を並べる程の存在とは、とても思えない。
度胸や闘志は、なるほど大したものだ……。
だが――
"魔力"をほとんど感じないのはどういう事か。
――いや、訂正しよう。
"魔力"は全く感じない。
底をついている、と言うよりは、最初から無かったと言う方が正しい。
正に、"ゼロ"、と言っていい。
矮小な人の子の中でも、一際力を持たぬ脆弱な存在、と言った所か。
それを目の前の少年とて、自覚していない事はあるまい。
と言うのに、未だ少年はこちらに剣を向けている。
まったく理解に苦しむ話だ。
絶対に敵わないと、歯向かっても無駄であると、今しがたその身に教えたばかりだと言うのに。
"死"を与えるのは実に簡単だ。
指先一つで、存在そのものを消し去る事など、造作も無い。
だが、あの睨み付けるような目――。
まるで死に際の獣ではないか。
あんな目を向けて来る人間など、実に久方振りだ。
まあ……、実力も伴わぬ木っ端の分際で、単に息巻いておるだけと言うのは、何とも滑稽であるがな。
魔力だけで言うなれば、未だに縮こまっている娘の方が幾分かマシだ。
ワジムとカーズの報告では、この小僧と娘が業魔を倒したとの事だが。
実際にやったのは、ほとんど娘の方であろう。
あの娘、人にしては中々強力な力を持っているようだ。
業魔を倒す力を持っているかとなると、首を傾げるところではあるが……。
……そうだな、では手始めにあの少女を殺すとしようか。
できるだけ惨たらしく、凄惨に――。
精霊王はそんな事を考えつつ、僅かに口元に笑みを浮かべる。
そしてリタを殺すべく、ゆっくりと脚を出す――
その時。
「……驚いたよ。まだそれだけの力が残っていたのだね」
精霊王が僅かに目を見開き、戸惑いつつ動きを止める。
彼の眼下、弱々しく彼の脚を掴んでいるノノへ、精霊王は黄金の双眸をジロリと向ける。
掴むと言うよりは、辛うじて手が届いたと言うべきか。
物理的に精霊王を止める事は出来ないが、彼の関心を引くには、十分過ぎる効果をもたらしている。
う、、、、と、言葉にならない呻き声を上げつつ、ノノは縋るように、尚も精霊王の脚へ縋り付く。
精霊王はそんなノノを見下ろし、理解出来ぬと、眉根を寄せる。
「分からないね、ノノ。それは何のつもりだ……?」
ノノに答える術はない。
だが、ノノは返答するように尚も手に力を込める。
精霊王がリノア達へ近付く事を少しでも阻止しようと。
対する精霊王は、そんなノノを観察するようにジッと見つめる。
あれほど自分への拒絶を示していたノノが、打って変わり、自分へ縋るような行為に出たのだ。
まだ余力を残していたのかと精霊王はノノを見たが、とてもそんな風には見えない。
身体はガタガタと震え、目は虚ろで生気が無く、もはやその手に力を入れる事すら出来ていない。
そんなノノを無表情で見ていた精霊王。
すぐに振りほどくように歩みを進めるも、ノノは再びに追い縋ってくる。
精霊王は尚も進んだ。
が、その度に、ノノは何度も追い縋った。
何度も何度も。
無様に泥を這いずりながら、真っ白だった小さな手で、懇願するように精霊王の歩みを止める。
見ていられず、リノアがノノへ止めるよう叫ぶ。
だが、ノノが手を止める事はない。
そしていつしか精霊王はピタリと脚を止め、再び足下のノノを凝視する。
……今にも気絶してもおかしくない状態のはずだが。
業魔召喚に使役。そして転移。
これだけ多くの力を使ったのだ。
文字通り、指一つ動かすだけでも、身を裂かれる程の激痛と倦怠感を伴うはずだ。
「……」
精霊王は数秒思考を巡らせ、リノアを見る。
相も変わらず、全く魔力を感じさせない、脆弱な生物がそこにいる。
尚もこちらを睨み付け、ボロ剣を震える手で支えている。
少し小突いてやれば、その矮小な命など一瞬で吹き飛んでしまうだろう。
だからこそ、精霊王はノノの行為が理解できない。
身を引き裂かれる程の痛みを受け、尚もこの矮小な生物を守ろうとしているのだ。
魔力すら満足に持たないこんな生物に、一体何の価値があると言うのか。
理解できない。
いや、――実に不快極まる。
そんな感情が芽生えた瞬間、精霊王の表情に影がさした。
そして再びノノを見下ろし、凍るような冷たい目で言い放つ。
「……まあいいさ。だったらやり方を変えるだけだからね」
リノアとノノの背筋を、ゾクリとしたモノが過った。
警戒を更に強め、鉄剣に力を込めるリノア。
そんなリノアを見ながら、精霊王はこれまでで最も大きく表情を歓喜に歪め、その力の根源である"精霊術"を行使する。
精霊王の足下に緑の光が眩く輝き、辺りの空気を震撼させる。
「まだ私の"想い"が足りてなかったようだからね。いい機会だ、しっかりと見ておくといい。これが君の招いた結末なのだからね、ノノ――」
――【精霊術:妖霊傀儡】
その瞬間、ノノが小さく言葉を口にする。
リノアを悲痛な目で捉え、訴えかけるような表情がこれまで以上の危機を物語っている。
相変わらず声は聞こえない。
だが、ノノの口の動きから、リノアはノノが何と言っているのか辛うじて読み取った。
――「にげて」
その言葉を理解した瞬間、リノアは精霊王から数歩距離を取る。
先程の光は消えている。
精霊王は襲ってくる様子は無いし、武器や攻撃系精霊術を出したようには見えない。
相変わらず見下すような笑みを浮かべ、こちらを見ているだけで、特に変わった事はない。
だが、それが逆に不気味だ。
あの緑色の光。
間違いなく何かしらの精霊術を使ったはずだ。
ハッタリなど、あのプライドの高そうな精霊王がやるとは思えない。
そもそもここまで実力が乖離しているのだから、やる必要が無い。
必ず何かある。
どこだ。
奴の目、手、脚――。
何をしてくる。
ノノの表情がどんどん青ざめていく。
首を弱々しく振り、涙を散らしかながら目で危機を訴えてくる。
なんだ――?
何が危険なんだ?
精霊王は相変わらず何の動きも見せていない。
ノノはどこを見ている?
にげろとは――
――まさか、
「――ああまったく、気付くのが遅いよ」
刹那、背中に鋭い痛みが走った。
肩口から斜めに熱く鋭い感覚を覚え、直後に激痛が脳を蝕んでいく。
すぐに斬られたのだと理解した。
が、理解した所で何ができるわけでも無い。
悲鳴すらあげる間も無く、身体を保っていた糸を斬られたように、ぐちゃりと情けなく泥へ身体を横たえた。
ジワリと背中を熱い血が流れ出し、もはや汚れる箇所の無い服を朱に染めていく。
リノアはうつ伏せの身体を起きあげようと力を込める。
業魔に裂かれた左脚から血肉が滲み、泥へポタポタと血を滴らせる。
起き上がるなと身体が警鐘を鳴らすも、無論、そんな選択肢は無い。
血濡れの左膝をつき、ぐちゃぐちゃの泥に脚を取られながらも、右脚で何とか立ち上がろうとする。
だが――
「――ぁ」
ブスッと音が響き、前へ赤い飛沫が飛ぶ。
ガクリと下半身の力が抜け、リノアはその場にへたり込む。
途端に新たな激痛が脳を震撼し、リノアは声にならない絶叫をあげる。
うずくまり、燃えるように熱を帯びている右脚を見た。
見慣れた自分の細い太腿。
そこへ、細く長い白刃が血を滴らせて突き出している。
その白刃は剣先が折れて無くなっており、リノアは呆然とその様を見ている。
――リタ、なのか?
更に追い討ちをかけるように、リノアの太腿から白刃が荒々しく引き抜かれた。
ブシッと何かが弾けるような音が響きわたる。
再び声にならない絶叫が森を木霊する。
泥へ赤黒い血がダクダクと流れ出し、涙と鼻水が顔の血をつらつらと洗い流していく。
痛みが痛みを塗りつぶし、リノアは狂ったように声を上げる。
火で炙った無数の針で、延々と傷口を突き刺されるような壮絶な激痛が思考を完全に停止させる。
だが、泥の中でのたうち回る視界の端に、確かに藍色髪の少女の姿を捉えた。
自分の脚を抉った血濡れの長剣を握りしめ、俯いていて表情はよく見えない。
そして再び長剣を振りかぶっている少女を視界に捉え、痛みから逃れようとリノアの本能が働く。
痛みで狂った頭が大声で叫びをあげる。
そうでもしなければ、自分が自分でいられなくなってしまうから。
側にあった泥まみれの鉄剣を力任せに掴み取り、反射的にリタへ振り上げる――。
リタの動きにいつものキレはない。
まるで別人であるかのように、隙だらけで動きは散漫。
斬ろうと思えば、今の彼女であれば簡単に斬り殺す事ができる。
それを瞬時に理解したリノアは、鉄剣を思い切り振り払った。
ガンッと甲高い音が辺りに響き渡り、リタの持っていた長剣が泥へ転がった。
剣を弾き飛ばされた事に何の反応も見せないリタは、気が付いたように長剣の元へしずしずと歩いていく。
その表情は見えない。
何も語らないし、リノアを突き刺した事に対しても何の反応も見せていない。
リタは長剣を拾い直し、再びゆっくりとリノアへと歩み寄る。
それを見たリノアが驚愕の表情に染まり、泥を這いずるように後ろへ下がる。
そしてその瞬間、リノアは全てを理解した。
あれはリタじゃない。
あれは――!
リノアは精霊王をありったけの憎悪を込めて睨みつけた。
「ハァハァ……お前……」
「だから言っただろうに。気付くのが遅いと」
「クソ野郎が……ッ!」
リタがリノアの目の前へ迫り、長剣を振りかぶる。
相変わらず何の型も無い素人丸出しの剣だが、今のリノアにはそれを防ぐにも一苦労だ。
精霊王に操られている為か、まともな剣技は使えないようだが、リタ自身の腕力はそのままである。
脚を刺され、立ち上がる事すら困難なリノアに対し、上から剣を振るわれるだけでその脅威は凄まじいモノになる。
剣を交える度、リノアは全身に激痛が走り苦悶の表情を浮かべる。
だが、それでも何とか再びリタの長剣を弾いた。
そして予想通り、リタは長剣を再び拾いに歩いていく。
そのリタの姿を見て、リノアはギリッと歯を鳴らし、悔し気な表情で精霊王を見た。
鉄剣を握り締め、右脚の怪我を強引に泥で塗りたくる。
リタを操っている力の正体――。
あれは、ほぼ間違いなく精霊王が発動した精霊術と考えていいだろう。
精霊術の解き方など知る由も無いし、分かった所で自分には解術など使う事はできない。
ならばやる事は一つ。
あの精霊王とやらを斬る以外に選択肢は無い。
術を掛けた本人を殺せば、リタも元に戻るかもしれない。
確証は無いが……、それ以上の択が存在しない。
そう決意し、リノアは泥の中を精霊王へ近づいていく。
対する精霊王は、そんなリノアを見ても特に動じるような素振りは見せない。
何故動けるのか、と言った表情を一瞬垣間見せるも、すぐに小さく笑みを浮かべる。
「……言い忘れていた事があったが、私を殺せば彼女は自害するよ。信じる信じないは君次第だが――。すまないね、私の器が粗末なのが原因なんだがね。まあ、せいぜい終わらない殺し合いを2人で楽しんでくれたまえよ、少年」
「……」
「凄い顔だね。まるで自分だけが怒ってると言わんばかりじゃないか。なんて無知で傲慢なんだろうね。教えてやるが、怒りを覚えているのは何も君だけでは無いのだよ少年。私はね、実に腹立たしいのだよ。矮小な君には理解できないかもしれないがね。愛する者を誑かされ、あろう事か君を庇おうとするなど、捨て置ける話では無いのだよ」
「かわいそうな奴だな……。都合のいい解釈しかできないサイコ野郎が。……お前は人の痛みを知るべきだ」
「知ったような口をきくなよ少年。かわいそうな奴とは君の事を言うのではないか? 何の力も持たず、何の役にも立てない。口だけは一人前のようだが、つまるとこ君は、単に脆弱な存在でしかないのだよ。力を持たないとはそういう事だ。最初から最後まで、頭の先から尻尾の先まで、何をしたところで弱者は弱者。現に今、君は手も足も出ぬではないか。弱者は弱者らしく、どこまでも無意味に、どこまでも空虚に、苦しみと絶望を抱いたまま死んでいけ――」
「――、」
――もう、何度目かも分からない。
リノアは肩で息をしながら、リタの長剣を弾いた。
クルクルと舞った長剣がべチャリと泥へ着地し、リタがそこへ歩いていく。
右腕の筋は既にズタズタで、リノアはただ剣を支えているだけとなっていた。
鉄剣を握ろうと指に力を込めるも、剣柄の感覚は既に無く、辛うじて何かを持っていると言う感覚だけがそこにある。
これ以上は本当にまずい。
弾くどころか剣を受ける事ができるかすら怪しい。
ぼやけた視界が意識から遠のいていく。
音が、臭いが、感覚が、まるで夢の中にいるようにか細く、小さくなっていく。
いつしか鉄剣すら手の内から取りこぼし、手探りで探すも、泥に埋もれ見つからない。
そんな手も力尽きてしまったのか、次第に動きを緩め、泥の中でグッタリと動かなくなる。
か細い呼吸がヒューヒューと音を立てて鳴り響き、その間隔は少しずつ伸びていく。
そんな事などお構い無しに迫り来るリタ。
薄く伸び切った視界の奥で、藍色の影を感じ、無意識に身体が後ろへ下がろうとする。
だが、もはやリノアにそんな力は残っていない。
すべてが霞んでいく世界の中で、リノアは動かぬ手で未だに剣を探している。
意識は既に混濁の中。
本当の終わりが。
"死"という結末が。
無情な終焉を告げるように、最期の時を待つように。
少しずつ、少しずつ、全ての終わりへと近づいていく――。
だめだ――
――終われない。
まだ、終わるわけには、いかない。
こんな所で、こんな森の中で、何も成し遂げられずに、死ぬなんて。
自分が死んでは、アリスが、アリスが1人になってしまう。
アリスは寂しがり屋だから、自分がいないときっと、きっと、泣いてしまう。
幸せになろうと、決めたのだ。
どんな苦境も、困難も、2人で乗り越えようと、誓ったのだ。
絶対に、諦めないと。
どんなに泣きベソをかいても、どんなに辛い思いをしても、絶対に。
だから――
まだ――
終われない――
『――リ――ア』
――?
『――リノ――ア』
――声?
◇◇◇
「リノアってば!」
「……え?」
リノアがパッチリと目を覚ますと、正面に見覚えのある真っ白な男の子がいた。
トレードマークの青いベレー帽を深々と被り、長いまつ毛の生えた目をパチクリさせ、こちらを見下ろしている。
仰向けに寝っ転がっていたリノアに対し、ノノは側にちょこんと座り、至近距離でリノアの顔を覗き込んでいる。
それはリノアが目を覚ましても変わらないようで、一向に目の前から退こうとしない。
リノアが目で退いてくれと訴えるも、ノノは意に介していない。
相変わらず絶望的に察しの悪いノノへ、リノアはたまらず言い放つ。
「……どいてくれる?」
「あ、、、、ご、ごめん」
慌ててリノアから距離を取るノノ。
顔だけでなく、身体までリノアから数メートルも離れた。
え?と言った表情を浮かべるリノアと、何か?と言った表情を浮かべるノノ。
数秒の沈黙が2人の間を流れる。
今度は離れすぎのような気もするが……。
そういう奴なのだろう。
……何と言うか、自分と色々ズレがあるようだが、とにかく今は一先ず置いておこう。
リノアはそんな事を考えながら、辺りをグルリと見回した。
何も、無かった。
そのままの意味で、本当に何もない。
真っ白な空間がどこまでも永遠と続いており、壁や天井など存在せず、ただひたすらに地平線が続いているのみ。
文字通り、そこにはリノアとノノだけが存在しており、他には何も存在していない。
寒さも熱さも感じなければ、風や臭いも感じない。
ふと思い返して左腕を見ると、何事も無かったかのようにひっついている。
身体中の怪我は最初から無かったとでも言うように、服を脱いでどこを確認しても特に怪我はしていない。
何故か慌てて背を向けたノノを不思議に思いつつも、リノアは服を着るなり思考に耽る。
そんなリノアがこの状況下で真っ先に行き着いた結論。
それは無論、"死"である。
怪我は何もかも治っているし、見たことも無い真っ白な不可思議空間が延々と続いているのだ。
直近の状況を鑑みても、死んだと考えるのが自然だ。
途端に絶望と落胆が全身を包み込んでいく。
「死んだのか……」
リノアがポツリと呟き、ガクリと地べたにヘタリ込む。
そんなリノアを見たノノが慌てて駆け寄ってくる。
リノアの前にしゃがみ込み、顔を赤く染めながら、少しばかり躊躇を挟み、リノアの両肩に両手を当てる。
悲壮にかられたリノアがゆっくりと顔を上げ、絶望と落胆に染まった情けない顔をノノへと見せた。
そんなリノアの顔を見たノノは込み上げてきたモノを抑えきれなくなり、小さくクスリと笑った。
くつくつと笑うノノを見ながら、リノアは渋い顔で抗議する。
「ふふっゴメンよ。なんだか凄い顔してたからさ。あんなに頼もしかったリノアも、そんな顔するんだね」
リノアは僅かに滲み出ていた涙をゴシゴシと腕で拭き取り、不貞腐れるように口を尖らせた。
「……悪いかよ。君は俺を何だと思ってるんだ。悲しかったら泣くし、痛かったら大声で叫ぶに決まってる」
「じゃあさっきの顔は、うーっんと、悲しかった、のかな?」
「……」
「あ、当たりだ」
再び声を殺すように笑い出すノノを、リノアは呆れたように見る。
人の顔がそんなに面白いのかと、プイっとソッポを向く。
そんなリノアを見たノノが慌てて謝罪を入れる。
「ゴメンよ。別にバカにした訳じゃないんだ。思ったよりも全然元気そうだったから、つい、ね」
誤魔化すように笑みを見せるノノ。
リノアはまだ拗ねているのか、「あっそ」と言いつつソッポを向く。
そんなリノアにノノは小さく苦笑いを浮かべると、話を区切るようにコホンと一つ咳払い。
「ねぇ、リノア」
「……何だよ」
「……リノアは、どうして戦うの?」
「なんだ藪から棒に……」
「だって、あんなに傷付いてまで、まだ戦うなんて、普通じゃない……」
まるでもう止めろとでも言いたげな声だった。
消え入りそうで、とても悲しげな声。
リノアもそんなノノの声を聞き、何が聞きたいのかが何となく分かった。
「普通……じゃないからだよ。俺はいつだって世界の嫌われ者で、役立たずのお荷物で、無力な存在だ。だから戦うしかない。自分の力だけで。信じる事ができるのは、自分の力だけだから。他の何にも、何者にも、頼る事は許されない――」
「……」
返事を返さないノノ。
途端に重苦しい空気が流れ、2人は揃って俯いた。
そしてノノが顔を上げ、何かを言いかける。
だが、また俯く――。
そんな事を数回繰り返し、ノノが急に立ち上がる。
しゃがみ込んでいたリノアがゆっくりと顔を上げた。
「……役立たずじゃ、ないよ」
「は……? 何言って――」
「リノアは役立たずなんかじゃないよ!」
叫ぶような、訴えかけるような、そんな声だった。
ハァハァと小さな肩で息をし、ノノは真剣な表情でリノアを正面から見ている。
リノアはポカンとした表情でノノを見上げていた。
会って一日と経っていないが、こんなに感情を爆発させているノノを見たのは初めてである。
怒ってるのか……?
僅かに目元が潤んでいるのは気のせいだろうか。
しかし……、ノノが怒る意味が全く分からない。
気に触る事を言ったつもりは無かったのだが、何と謝ればいいのだろうか……。
無理解の瞳を見せるリノアへ、ノノは再びしゃがみ込んでリノアと視線を合わせる。
弾みでポロリとノノの目端から涙が飛び、リノアの手を僅かに濡らす。
ビクリと身体を引くリノアに対し、ノノは尚も近づいていく。
やがてリノアは仰向けになるまで追い込まれ、ノノはそれに覆いかぶさるように上からリノアを見る。
図らずとも目覚めた時と同じような状況となり、上に陣取る真剣な表情のノノに戸惑い、リノアがゴクリと唾を飲んだ。
ノノの目元は次第に潤んで行き、そして少しずつその涙腺は崩壊していく。
ポロポロと涙の雫がリノアの顔に落ちていく。
ほつれた感情が、溢れ出る想いが、訳もわからず目の奥から絶え間無く湧き上がってくる。
いつしかリノアも、そんなノノを何も言わずに見上げている。
何で泣いているのか?
そんなセリフが口から出かけたが、ノノの顔を見てそんなものはすぐに引っ込んだ。
真っ赤に腫らした瞳の奥。
吸い込まれそうな程綺麗な碧い双眸に、有無を言わさず声を奪われた。
今までこんな表情を自分に向けてくれた者など、アリス以外にいたであろうか。
そこにあるのは確かに、"怒り"の感情であることは間違いない。
――だが、そんな"怒り"を向けられた今、自分は全く悪い気はしていない。
それどころか、また違う何かが、形容し難い熱い思いが、ふつふつと胸から込み上げてくる。
こんなものは知らない。
こんな変な感情を、自分は知らない。
疎まれ、蔑まれ、卑下されるばかりで、自分はこんなものに触れた事などほとんど無いのだから。
優しくされたい、抱きしめてもらいたい、そんな事を望んではいけないと、受け入れてしまってはいけないと。
アリスのそんな思いでさえ、自分は見ないフリをして、フタをしてきたのだから。
そんなものに甘えてしまっては、自分が弱くなってしまうと。
そんなものに頼ってしまっては、自分1人で戦う事すら出来なくなってしまうと。
余計な異物だ。
優しさや愛情など、剣を鈍らせるだけで何の役にも立たないのだから。
5歳のあの日――。
アリスと自分が両親にゴミの様に捨てられた時から、全ては始まったのだ。
絶対に揺らいではならない。
今更こんなものを見せつけられたところで、決して変わりはしない。
死んだ今だってそうだ。
その在り方を変えようとは思わないし、変えたいとも思わない。
世界を恨み、憎み、諦めたあの時から。
何も変わりはしないのだから。
リノアはそう思い直すようにノノを見上げると、ノノは少しだけ笑みを浮かべ、ポツリと言葉を落とした。
「……そんな悲しい事、言わないで欲しいな」
「悲しい事じゃない。事実を言っただけだ」
「本当に、そう思ってる?」
「……ああ、思ってるとも」
「じゃあ……何でそんな悲しそうな顔で泣いてるの?」
「え……?」
リノアは思わず自分の目に手をやると、手のひらを暖かなモノがしっとりと濡らした。
途端に堰を切ったようにポロポロと涙が後ろへ零れ落ちていく。
慌てて隠すようにゴシゴシと腕で拭い取るも、目の奥から溢れ出る熱い感情を止めるには至らない。
悲しくなんてないはずなのに。
後悔なんて無いはずなのに。
胸の奥でから叫びを上げる感情を、抑え込むことができない。
崩れていく。
守っていたモノが。
鍵を掛けていた欲望が。
霧散し、弾ける。
全ての感情を振り切って。
抑えていたモノが湧きあがり、姿を現わす。
ゆっくりと。
だが確実に。
死んでしまった事実が。
全て終わったのだと言う結果が。
何1つ果たせなかった後悔。
アリス1人を残してしまった事への自責。
胸の奥を掻き毟るような思いが、自分自身をこれでもかと糾弾する。
だがそんなものを感じている反面、もうこれ以上苦しまなくていいのだと、リノアはどこか安堵してしまっている。
それがたまらなく悔しくて、情けなくて、あまりにも脆くて。
歯を食いしばって生きたあの日々の、何もかもが無駄だったのだと、眼前に突きつけられては目を逸らしたくなる。
これだけやっているのだから、いつかきっと報われると、それだけを信じて抗った。
世のドン底を這い、泥水をすすり、無様を晒し、それでも、それでも投げ出す事は無かった。
結末はあまりにも無情で、残酷だったが、全てやり切ったと言う自負はある。
だからもう嫌な思いはする必要はない。
全部全部終わったのだから。
あの蔑んだ目を向けらる事は無いし、理不尽な言葉を浴びせられる事もない。
血を滲ませてまで剣を振る事は無いし、これ以上アリスに負担をかける事はない――。
だからもう思い悩む事もない。
やるだけやった結果なのだから。
胸を張って死ねばいい。
自分はここまでやってやったぞと、世界に堂々と言えばいい。
だからもう、泣く必要は無い――
悲しい事なんて何も無い――
なのに――
「リノア、さっき言ってたじゃないか」
「……」
「悲しかったら泣くって。痛かったら叫ぶって」
「……」
「それで、いいんじゃないかな。悲しかったら大声で泣けばいいし、痛かったら叫んで周りに助けを求めればいい。我慢なんて、苦しいだけだよ――」
「あ、あんなもの、言葉の綾だ。自分1人で、なんとかしなきゃいけなかったんだ……、泣き事なんて言ってられないし、叫んだって他人は何もしてくれない――」
「リノアは1人じゃない。今は苦しいかもしれないけれど、世界にはきっとリノアの力になってくれる人がいるはずさ。その証拠にほら、リノアは、独りぼっちのボクを身体を張って助けてくれたじゃないか」
「それは――」
「逆にリノアがピンチの時は、ボクが助ける。えっと、、、、確かに今は足引っ張ってばっかりだけど……! 必ず、必ずリノアを助けられるくらい、強くなってみせる……、もし未来があるのなら、そう、心から思う……だから――」
少しばかり頬を染め、先走り過ぎたと語尾を弱めるノノは、ゆっくりとリノアの頬へ手を添える。
「もう、そんな悲しい顔は、しないで欲しい、かな…….」
ノノは腫らした目を隠す事すらせず、無理やり笑みを作ってそう言った。
向けられた言葉を、瞳を、リノアは直視できない。
そんな優しい言葉を掛けられたって、今更どうにもならない。
未練が、後悔が、再びリノアの胸を掻き立てる。
もっとちゃんとアリスに向き合っていれば良かったと。
世界を恨み、憎むだけではなく、人を信じ、理解し、歩み寄る努力を惜しむべきでは無かったと。
どうしようもなく無駄で、全てが後の祭りであるとは分かっている。
だが、溢れる思いは止まらない。
あと少し、ほんの少し何かが違ったら、自分は同じ結末を辿ることは無かったかもしれない。
剥き出しになる激情が殻を破る。
抑えてきた心が、見て見ぬをフリをしてきた心が、膨らんで限界を迎えた心が――、
鎖を穿ち、悲痛な感情が溢れ出す。
怒りが、悲しみが、後悔が。
ぐちゃぐちゃに混ざり合い、下手くそな言葉を並べ立てる。
「仕方ないだろ……! みんなが、みんなが俺を憎んで、蔑んで、口汚く罵って、殴って! 俺が、俺が何の役にも立たない能無しだから! ッ……クソの役にも立たないお荷物だから!」
「――」
「アリスのため、アリスのためって言っときゃ自分が自分でいられる気がしたさ! ああそうさ、そうだよ! そうでもしなきゃ前に進む事が出来なかったんだよッ! こんなクソ野郎の為に、こんなクズの為にここまで出来る訳がないだろうがよ!」
「――」
「笑いたきゃ笑え、笑えよ! 今更後悔して、悲しんで……! あろうことか被害者面してるこの無様な姿を! 結局、結局俺のやって来た事は、アリスにひたすら迷惑をかけただけで、俺は何1つ成し遂げる事が出来なかった……。無様に泥を這いずり回り、情けない声を上げてのたうち回っただけだ……!」
「――」
「まったく笑える冗談だよ。――世界が俺を嫌っている、忌み嫌っている? ああ、そんな事は百も承知だとも。――だがな、そんな奴らよりもっと俺の事を一等嫌っている奴がいる……、それはな、世界で一番俺を嫌いなのはな……!」
「――」
「――この俺だァッ!」
醜い叫びは、止まらない。
歪に溜まった行き場のない激情が、真っ白な空間に消えていく。
喚くような、叫ぶような声。
リノアが嗚咽混じりに泣きじゃくり、ぶちまけた声を、ノノは黙って聞いていた。
八つ当たりもいいところだ。
叫び終えたリノアが、目に腕を当てて歯を食いしばる。
――悔しい。
悔しい。
悔しい……!
どうしようもなく悔しい。
握り締めた拳が爪を手のひらに食い込ませ、忘れていた痛みを思い出させる。
こんなはずじゃなかったのに、と。
こんな結末の為に地べたを這いつくばって来た訳ではない、と。
相も変わらず、悔しさと後悔が心を容赦なく貪っていく。
自分は何のために生まれたのか。
何のために存在していたのか。
意味なんて無く、ただただ運の悪い存在として在っただけなのかもしれない。
そんな思考が脳内に止めどなく溢れ、リノアは尚も悔し気に隠した腕の中で涙を流す。
すると、そんなリノアを黙って見ていたノノが、彼の上から退くと――、
「ごめん。変なこと言っちゃったね」
ノノの謝罪に、リノアは何も答えない。
「なんだか、会った時からお願いばっかりしてる気がするよ」
「……」
チラリとノノがリノアを見る。
リノアは少しばかり落ち着いたようだが、未だに仰向けになり、腕で目を隠している。
そんなリノアを見ながら、ノノはポツリと言った。
「――まだ間に合う、って言ったらどうするかな」
「――!?」
弾くように身を起こし、リノアは腫らした双眸でノノを見た。
――間に合う。
その言葉がどんな意味を持っているのか、ノノ自身理解していない事はないだろう。
まさか……。
そしてリノアはゴクリと唾を飲み、恐る恐る尋ねる。
「どういう意味……?」
「そのままの意味だよ。リノア、君はまだ死んで無い。……まあ、半分くらいは死んでるけど」
「じゃあ――」
「うん……。現実世界じゃ、リノアはまだ生きてる。あと数秒後には死んじゃいそうだけど……」
まだ生きている――。
その言葉を聞いた瞬間、思わず右手を握りしめる。
まだ、諦めるには早い、と。
だが、リノアはすぐに思い直した。
死んでいないのであれば、完治している傷や、この不可思議な場所の説明がつかない。
ましてや何故ノノが、リノアが死んでいないと言いきる事が出来るのかが分からない。
リノア本人でさえ知り得ない事なのだから。
そもそも目の前にいるノノが本人であるという確証も無いのだ。
死んだ後にリノアが勝手に見ている幻影とも考えられる。
そんな事を考えながら、リノアがノノへ怪訝な瞳を向ける。
するとノノは何かを察したように真剣な表情になると、リノアの知りたがっている情報を順を追って語り始める。
「えっと……、まず何から話したらいいかな。そうだね……、うーんと、リノアは、現実世界で一番最後に何を見たか覚えてる?」
「……リタが、仲間……が、剣を持って向かって来てるのが、見えた、……気がする」
「精霊王に操られてた人だね。その後の事は何も覚えていない?」
「現実世界での記憶はそこまでだな……。その直後に、この不可思議な世界に来た訳だが、……なぁ、ここは何なんだ?」
「……ここは"深界"。人の世と、あの世の狭間。簡単に言えば、精霊が住んでる空間だね。リノアの身体は現実世界にあるけれど、精神体――、つまり、"心"だけが、この世界に招待されたってことだね」
ノノの言葉を聞いていたリノアが固まる。
そして、本当なのかと確認するように目で訴えかける。
ノノはリノアに対しコクリと頷き返す。
そしてリノアは小さく肩を窄め、更に質問を続けた。
「……なんで俺の精神体は、こんな所に来てるんだ?」
「それは……ボクが、呼び込んだから、……だよ」
語尾を小さくしながらポツリと呟いたノノ。
リノアは開いた口が塞がらず、尚も申し訳なさそうな顔をしているノノへ詰め寄る。
「君が!? だって精霊術は使えないって……」
「ボクも、信じられないよ……。本当は使える筈が無いんだ。でも、その……、ダメ元でリノアに触れたら、……使え、ちゃった」
使えちゃった……?
あれだけ衰弱して、指一本動かすのですら辛そうにしていたのに……?
また、あのよく分からない力のせいなのか?
だが"魔技"と"精霊術"は別物の筈だ。
そんなに都合良く行くとは思えないが……。
ましてや、魔力なんぞ持ち合わせていない自分の身体に、存在すら稀な"精霊術"の源である"精霊力"など、ある筈もない。
そもそも、自分の身体にそんなものがあるとして、そんなに簡単に譲渡したりできるものなのか……?
だがノノの表情を見る限り、申し訳なさそうな表情をしている以外は、嘘を言っているようには到底思えない。
仮に嘘であったとしても、そんな嘘をつく理由が分からない。
まあ、とにかく、死んでいないと分かっただけでも良しとすべき……なのだろうか。
リノアはそんな事を考えながら、ノノへ話の続きを目で促した。
「ゴメン。勝手にここに連れて来ちゃったのは、……謝らなきゃね。でも、この世界に呼び出したのには、理由があるんだ」
「……」
「怒らないで、聞いて欲しい。この"深界"は現実世界とは切り離されてるから、現実ではほとんど時間は経過していない。だからリノア、君はまだ生きてるんだ。……生きてる、けど――」
そこでノノは一度言葉を切り、意を決したように再びリノアを見た。
「もう、いいんじゃないかな……。だって、今更現実に戻ったところで、こう言っちゃなんだけど、痛い思いをして死ぬしか無いんだから……」
確かに――、今、現実世界に戻ったところで、待っているのは精霊王に操られたリタに嬲り殺しにされる未来だけなのかもしれない。
だが、それでも、それでもまだ可能性があるのなら。
例え、単なる苦痛による"死"が待つ未来が、確定に近い確率で存在しているとしても――。
それでもやはり、自分は――、
「リノアが望むなら、ここで終わらせる事も出来る。……ここは"深界"だから、意識を精霊に運んで貰って……、死ぬ、事もできる」
「……」
「リノア、それが君をここに呼んだ理由さ。精霊王は、君を更に甚振って殺すだろう。あのリタと言う少女を使って、治癒でゆっくり再生させながら、君を絶望と苦痛のドン底に突き落とす」
「……」
「だから、……もういいんじゃないかな? リノア、もう散々苦しんだじゃないか……。あんなリノア、あんなに苦しそうなリノア、ボクはもう見たくないよ……。それに――」
ノノの表情が崩れていく。
決意したように、言わなければならないと。
黙って聞いているリノアに対し、ノノは縋るようにリノアの膝に崩れ落ちた。
まるで許しを請うように、取り返しの付かない事を後悔するように。
ノノは目に涙を溜め、声を震わせ、泣き叫びながらリノアへ言った。
「ゴメン……! ゴメンよリノアッ! 謝って許される事じゃないのは分かってる! ……これから死ぬのが分かってる時に、都合のいい事だってのも分かってるさ! でも、謝らせて欲しい! ボクを憎んでくれても、罵ってくれてもいい! ……全部、全部ボクが悪いんだ……! あの怪物、業魔も。精霊王も、全部、ボクのせいで――」
悲痛な泣き声が響き渡る。
リノアの服を握り締め、ノノは下を向きながら、声にならない叫びを上げる。
怖かった。
凄く凄く怖かった。
リノアに嫌われる事が。
リノアに軽蔑されて罵られる事が。
初めて出来た分かり合える存在。
身を呈して自分を守ってくれた男の子。
それが何より愛おしくて、心地よくて。
離したく無くて、失うのが怖くて。
また独りになるのが、どうしようもなく、恐ろしくて――。
でも、そんな自分のわがままのせいで彼は死ぬのだ。
ちっぽけで、それでいて笑えるくらい傲慢な自分のせいで。
彼は、恐ろしい程の苦痛を味わったのだ。
黙っておけばいい。
どうせ死ぬのだから、黙っていれば最期まで嫌われずに逝ける。
そんな事も考えた。
でも――、そんな事が平気な顔で出来るほど、自分は強い人間じゃなかった。
どうしようもなくちっぽけで、どうしようもなく小心者で。
どうしようもない寂しがり屋。
それが、ノノという存在。
それが"天才"と持て囃された精霊使いの本質。
相変わらず何も言わないリノアに、ノノは顔を向ける事すらできない。
何て言われるだろうか。
何て罵られるだろうか。
怖い、怖い、どうしようもなく怖い。
でも、これくらいは罰として受けなくては。
こんなものが果たして罰になるのかは分からないが。
でも、これくらいの罪過は背負わなければ。
償いになるだなんて、思いはしないけれど。
リノアが許してくれるなんて、そんな甘い考えはない。
このどうしようもなく愚かで弱い自分を、何と罵ってくれようと構わない。
それほどの事をしたのだから。
これは自分が、地獄へ持って行かねばならない罪なのだから。
決して目を逸らすことはできない、決して逃げることは出来ない、自分が背負い続けなければならないモノだから――。
リノアが、ノノの肩に手を置く。
ノノはうずくまり、身体を強張らせる。
一体何と言われるのか、身体を震わせ、恐怖に目を瞑る――。
「……それで?」
リノアがポロリとそんな事を口走り、ノノは思考を停止させる。
すると、途端にリノアがノノの両肩を強引に掴み上げる。
そして、ついさっき自分がやったように、同じ高さに目を合わせ、これまでで最も真っ赤に腫らしたノノの眼を、リノアはピタリと凝視する。
真っ白な肌にぷっくりと腫らした目がおかしくて、リノアは少しばかりクスリと笑った。
ノノが目を丸くする。
「そんな事気にしてたのかよ……。業魔も精霊王も、来ちゃったモノはしょうがないだろ」
「はぁ……!? なんで、なんでそんな風になっちゃうんだよ! あれは、あの怪物はボクのせいで――」
「別に連れて来たくて連れて来た訳じゃないんだろ? 苦しそうな表情で、必死に逃げろって警告してくれたし、逃げなかった俺が悪い」
「な、なんでだよ……! そんなのおかしいよ……! 危ないって分かってて……、分かってて、君を連れ出したんだよ!? 絶対、絶対おかしいよ! もっとちゃんと怒ってよ!」
「そんな事言われても……」
「やだよ……、何でそんなに優しくしちゃうんだよ! 何でそんなになっちゃうんだよ! 死ぬ覚悟だって出来てたのに! こんなんじゃ、こんなの、また、また生きたくなっちゃうじゃないかッ!」
「……じゃあ生きればいいだろ。歯ぁ食いしばって、醜く足掻いて、それでもダメだった時に初めて、本当に諦めればいいさ――」
「グスッ……もう無理だよ。精霊王に勝てる人間なんて――」
「やってみなきゃ分からないだろ? 俺は、あのふざけた面をボコボコにするまで、絶対に諦めてやらん」
「な、何言ってるのさ! 忘れてるの!? リノアは現実では虫の息なんだよ!?」
「息があるだけ十分。死んでない。1と0は違うさ」
「……。もう、呆れて何も言えないんだけど……」
「何か弱点とか無いのかな。いくら王様でも、突かれたら弱い箇所の一つや二つあるんじゃないか?」
「ないよ……そんなの」
「……もうちょい頑張ってくれ」
「……でも、多分あれは、本体じゃない」
「と、言うと?」
「人間の身体を、精霊王の身体の一部が憑依……、つまりは間借りしてるんだ」
「な、なるほど……?」
「分かってないみたいだね……。簡単に言えば精霊王が人間を遠くから操ってるって事。本体は別の所にいる訳だね」
「つまり?」
「本体から指令を受けている憑依体の近くには、必ず何かしらの中継物が必要になる。その中継物に精霊力を貯めて、遠くから操る時の燃料源にするって訳」
「その燃料源ってのは……?」
「……分からない。これは憶測だけど、ボクの精霊力も、その中継物の燃料にされてるんだと思う。だからボクは全く精霊術を使えないし、身体を動かす事すらできない」
「……」
リノアはその時、昔アリスが言っていた言葉を思い出していた。
『精霊は誰かを好きになる事が大好きで、常にお守りを近くに置いている――』
ゾクリと背筋を悪寒が過ぎる。
欠けていたピースがパッチリとハマったような感覚。
「――なあ、ノノ。……精霊術が使えなくなるのって、仲間がピンチになった時なんだよね?」
「うん……。出発する時や、襲われた後は何ともないのに、魔物が現れた時だけ、精霊術を全く使えなくなる……んだけど」
そこでノノがハッと顔を上げる。
2人は視線を合わせ、同じ結論に至った事を目で確信している。
「まさか……、でも……!」
「そのまさか、みたいだな。"お守り"って言うよりは"お守り"って感じだけど」
「……でも、それが分かった所で、どうにも――」
「いや、案外何とかなるかもしれない。……なあ、その燃料源さえ破壊すれば、ノノは精霊術を使えるようになるのか?」
「それは、多分。強制的に精霊力を搾取している大元が無くなれば、一瞬で空気中の精霊がボクの味方をしてくれる筈だよ」
「よし。なら――」
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