孤独な精霊使い
ノノが自分に選択肢など無かったと気づいた時には、全てが手遅れになった後だった。
手の届かない絵本の中の物語を、延々と見せつけられるように。
その物語はいつでも自分の想いとは相反し、見当違いな終幕が口を開けて待っている。
いくら泣こうが喚こうが、自分の力では結末を変える事はできない。
強大な力がどこからともなく現れ、その全てをいつも同じ結末へと矯正していく。
だから無様に泣き喚き、許しを乞うように叫びを上げた。
感情が心のヒビをこじ開け、堪らず外へ産声を上げる。
だが一方で、泣けば自分を自分自身が許してくれるのではないかと、そんな打算的な思いが心の隅にあったのではないかとも思う。
あの3人の冒険者を死なせてしまったあの日も、自分が皆を守るのだと、確かな決意を胸に刻み冒険へ出た。
村で仲間を死なせた時の記憶が頭を過ぎったが、そんな悪夢がまた起きるはずが無いと、不安に無理やりフタを被せた。
再び同じ様な事が起こるなんて確証はどこにもない。
だが、こんな事があったのだと、それでも私と組んでくれるのかと、示そうと思えばいくらでも危険性を示せた筈なのに。
冒険者としての行き詰まりを感じていた彼等に、自分は"精霊使い"としての力を振りかざし、結果として付け入るような真似をしたのだから。
少し立ち止まって考えれば、それがどんな意味を持つ行為なのか分かった筈だ。
独りは嫌だと、このまま孤独に野垂れ死ぬのだけは堪らないと、そんな焦りと不安が、いつしか自らをおかしくしていたのかもしれない。
彼等を殺したのは魔物ではなく、他でもない自分なのではないか?
心のどこかでそう糾弾された気がした。
だが自分はそれを覆い隠すように見ないフリをし、泣き叫ぶ事で目を逸らした。
違う、自分のせいではないと、言い聞かせるように耳を閉ざし、逃避するように目を閉ざす。
罪悪感と焦燥感に苛まれ、この先ずっと同じ様な地獄が自分を待っているのではないかと考えると、絶望で狂ってしまいそうだった。
だから自分は決意したのだ。
これほどの苦しみを伴うのなら、こんな思いをするくらいなら、仲間など2度と作りはしないと、作ろうなどとは思わないと。
笑い合い、時に冗談交じりに罵り合う、そんな冒険者達を横目に見ながら、自分はあんなモノに憧れてはならないのだと、そう思い直し目を逸らす。
自分には絶対に手に入れる事はできないモノなのだから。
視界に入れるだけ辛いのは自分なのだ。
だが、それが分かっていても尚、幼い頃から抱いて来た羨望には抗えず、無意識に遠くから見つめてしまう。
そんな自分に気付くたび、振り払うように本心を覆い隠す。
あんな地獄を見てしてもまだ未練があるのかと、怒りと呆れで自らを罵った。
独りで生きるしかないのだと、これ以上他人を巻き込んではならないと、自分は唱えるように何度も心で自らへ言い聞かせる。
だが、やはり自分はすでにおかしくなっていたのだろう。
あの小さな体躯の少年、リノアに、自分がかつて感じた事の無い強烈な何かに、心を真正面から揺さぶられた。
何かとんでもないモノを、両手いっぱいに広げても抱えられない程沢山抱え込み、それはとっても危うくて、どうしようもなく脆い。
いつだってガタガタで今にも崩れてしまいそうなほど弱々しい外見ではあるけれど、それは絶対に壊れず、絶対に揺るがない。
どんな逆境が牙を剥こうと、正面から立ち向かい全てを何とかしてしまう、そんな気にすらさせられる不思議な男の子。
自分が精霊使いとしての目を持っているが故か、彼の纏った強烈な印象と雰囲気は、無意識に自分の何かにかつて無い程の影響を与えていた。
そう感じてしまったのが運のツキであったのかもしれない。
だが、自分が彼に興味を持ったのはそれだけではない。
何より驚いたのは、気づけば言葉を選ばず、無意識に垣根なく彼と会話をしている自分がいたこと。
伸びっぱなしでボサボサの黒髪の間から覗く彼の目は、とっても鋭くて据わっている。
目だけ見れば、それが成人に満たない少年とは思えない程に。
でも自分はそんな彼の瞳が好きだった。
これまで、いつも自分に向けられる視線は様々だったが、それはどれも自分と明確に境界を設けたモノだった。
奇異を孕んだモノ、力を畏れるモノ、嫉妬するモノ、利用しようと打算を考えるモノ、そして憎悪や殺意。
精霊使いであるからこそ、克明に意を読む事ができる。
何を考えているかまでは把握できないが、目に表れる表層の感情くらいは手に取るように分かってしまう。
だが彼の目は、自分が受けて来た視線のどれとも全く性質が違っていた。
自分の服装に驚いてはいたが、そこに奇異を意味するモノは無く、"精霊使い"と名乗った後も、特に在り方を変えるでもない。
ただの1人の人間として、知り合ったばかりの仲間として、彼はそれがどうしたと言わんばかりに、全く瞳の色を変えなかった。
たったそれだけの事、だが。
そのどうしようもなく小さな出来事が、自分にとってはどうしようもなく心地良く、こんな人もいるのだと小さな希望が芽生えた気がした。
だが、そんなささやかな心地の良い時間はすぐに終わりを告げた。
またあの悪夢が起きてしまうかもしれない。
そんな考えが心の隅にありつつも、自分は彼に近づきたいという欲望に抗えず、自ら死地へ招き入れたのだ。
危険が迫れば自分を置いて逃げろと、そう伝えるも彼は全く聞き入れなかった。
曖昧な返答を返すか、安心させるかのような笑みを寄越すだけ。
だが、自分は彼がそうする事を分かっていたのかもしれない。
彼ならきっとそうするだろうと、いや、そうしてくれるだろうと、期待と甘えが自分の中で醜く蠢いているのが分かった。
幾人もの人々を死に追いやり、尚も彼に縋り、甘え、自らの拠り所にしようとしているのだから。
本当に自分は最低でどうしようもない愚か者だと、そう思った。
時が経つほどに増していく不気味な疲労の中で、あの悪夢が近づいているという予感が確信に近づいていく。
そしてあの時、血濡れの冒険者を発見した時、それは確信になる。
このような危険な事態に陥らない為に、自分は冒険者ランクを彼に偽ってまで危険性の少ない依頼を受けたのだ。
魔物などいよう筈も無い森の浅瀬に、大したお金にもならない依頼を受けて。
やはりこの悪夢は偶然ではない。
そう確信した時には全てが手遅れだった。
――強力な魔物が現れる。
その可能性は考えていなかったと言えば嘘になるが、魔物がいないのであれば何も起こるはずは無いと、そんな浅慮が招いた結果。
悪夢が起きる危険性が例えコンマを要する確率しか無いとしても、自分は彼を連れて来るべきではなかった。
そんな当たり前の事に気付いた時には、悪夢はすでに始まってしまっていた。
リノアが死ぬ。
その結末を考えただけで、絶望が全身を震撼させていく。
死地へ追いやったのは他でもない自分であると言うのに。
だが、そんな罪悪感や焦燥感を全て塗り潰してしまうほど、自分はリノアがこれから死ぬという事実に強烈な恐怖を感じている。
だから居ても立っても居られず、今すぐ逃げろと彼に伝えようとした。
だが、彼の瞳は血塗れの冒険者を助けるといった意思を持っており、それは揺らぐ事が無いものだと分かった。
どこまでもお人好しで真っ直ぐな彼に気圧され、逃げろなどという言葉はすぐに引っ込んだ。
だったら今すぐで無くてもいい、危険を感じたら逃げろと、約束を守れと、そんな事しか伝える事が出来なかった。
そして示し合わせたかのように、あの魔物は現れた。
悠々と剣を手に魔物へ向かい、リノアは自分達を守るように背を見せた。
業魔と呼ばれた強靭な悪魔を相手に、小さな男の子が見窄らしい一本の剣で立ちはだかっている。
その背は小さくボロボロで、今にも折れてしまいそうな程に細く、か弱い。
だが、その小さな身体に内包した闘志は本物だった。
その剣呑な雰囲気は一筋の名剣の様に真っ直ぐで、鋭く煌々と光を放ち、強大な敵を前に一歩も引く事はない。
それは最低で役立たずの自分など対比する事すらできない、あまりに大きな出で立ち。
折れる事を許さぬ乾坤一擲の意思、そこには何者も入る余地はない。
その後ろ姿に、自分は瞳の奥に熱を覚え、いつしか涙を流していた。
どこまでもお人好しで、素直で、優しくて、そして誰よりも強くあろうとする姿に。
耳を塞ぎ、目を閉じ、現実から逃げ惑う自分に比べ、あの少年の在り方はあまりに遠すぎる。
だが、あまりにも敵が悪すぎる。
精霊使いの自分の目から見ても、リノアの正面に立ち塞がるあの悪魔は、生物としての領域を遥かに逸脱している。
絶対に戦ってはならない。
自分の身体がそう警鐘を発し、リノアの敗北を確信している。
逃げろと叫んだ。
だが、もはや声は言葉にならなかった。
いくら叫ぼうともそれは意味を持った言葉にはならず、渇いた呼吸が空へ消えていく。
ならばと彼の元へ向かうべく、ズルズルと無様に身体を這わせる。
雨でぐちゃぐちゃの泥の中を、少しずつ、少しずつ彼の元へと向かう。
視界に白く靄がかかり、手足は痺れ、音は少しずつ自分から遠ざかっていく。
だがそれでも前に進んだ。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしまっても。
例えそれが意味のない行為であっても、例え何の役に立たない役立たずであっても。
ボロボロにされていく彼を見て、何もせずに傍観しているなど、自分には絶対に出来なかった。
彼の身体は既に満身創痍で、骨が割れ、全身至るとこで血が吹き、左腕は飛ばされ、今にも倒れてもおかしくはない。
だが、彼は決して諦めなかった。
眼前に立ち塞がる悪魔に対し、決して折れてはやらぬと剣を堂々と突き付ける。
勝てる見込みどころか、傷一つ負わせる事が困難な相手に、彼は剥き出しの闘志を叩きつけるように示してみせる。
そしてある時、彼はこちらを一瞥し、自分に対し小さく笑みを見せた。
自分は目を疑った。
これから死ぬと言うのに、何故あんな顔ができるのかと。
死地に追いやった自分に対して、何の含みもない純粋な笑顔を。
そして彼は、業魔を倒した。
彼は三叉の巨大な槍を、正面から業魔ごと斬り潰していた。
何が起きているのか全く分からなかった。
戦いの様相は自分の理解の範疇を超えていた。
自分が辛うじて理解できたのは、業魔が繰り出した攻撃の全てを、リノアが正面から捩じ伏せたという事だけ。
目で追えない人知を超えた速さの中で、一体何が行われていたのか、自分には一切読み取る事は出来なかった。
リノアは業魔を倒した後、脇目も振らずに自分と怪我をしている冒険者の元へ駆けつけた。
元いた場所から這い蹲って移動していた自分に、彼は安堵し、不思議そうな表情を浮かべた。
そんな彼を見た途端、自分の胸が熱を帯びているのがわかった。
経験した事のない不可思議な感覚に困惑しながらも、自分はリノアの瞳から目をそらす事が出来ない。
そんな何かを伝えたいと思う一方で、お礼と、そして何より、全てを話さなければならないと強く思った。
全てが終わった後で。
調子の良い話だというのは分かっている。
だが、誠心誠意謝り、真実を伝えなければならないと心からそう思っていた。
例えそうした事で、彼が自分を嫌い、自分の前から立ち去ってしまっても。
だが、そうしようと思ったところで、未だに身体の自由は効かない。
どうしたものかと考えに耽っていたその時、リノアが何かを感じ取った様に急に視線を街道へ向けた。
その先には町があり、自分たちが帰る方向でもある。
すると彼は慌てた様に自分と冒険者を木陰に移動させ、すぐ戻ると一言言うと、街道を町の方へと一目散に駆けていった。
◇◇◇
「……私の可愛いノノよ。なぜ怯える必要がある? 君は私に全てを委ねていればいい。何も心配することはない」
目の前の男は恍惚とした表情でノノへ言った。
ノノは身の毛がよだち、全身から血の気が引いているのを感じる。
男の瞳、見開いた黄金の目の奥で、その感情が一切淀みの無い本物の感情であることを感じ取った。
"最強の精霊使い"。
ノノは故郷の村で、そんな名前で呼ばれた事があった。
小さな頃から、ノノはその強力な精霊術で人々を驚かせていた。
誰かに教わるでもなく、真似をした訳でもない。
ノノがそう念じれば、それは現実となって目の前に現れる。
火を起こせと願えば瞬く間に火が燃え上がり、水を出せと願えば一瞬で川の様に水が現れる。
そんなノノの才能を見た村の人々は、諸手を挙げて"天才だ"、"最強だ"と歓喜し、期待や羨望を惜しげも無く投げかける。
それはもはや真っ当な"精霊術"と言うよりも、精霊そのものを使役していると言っても過言ではないレベルであった。
まるで側でいつも精霊が見守っているかのような、あまりにも強大で異常な力。
それが何であるのか、ノノ自身、全く分かっていなかったし、それほど良いモノだとは思っていなかった。
寧ろ、それが自分自身を孤独にしていると気づいた時、こんなモノ今すぐにでも捨ててしまいたいと思ったほどだ。
それはノノにとって、精霊に見守られていると言うよりは、無理やり囲われ、縛り付けられていると言った方が正しい。
ありがたみを感じろと言う方が無理であるし、もっと言えば嫌悪すら覚えていると言っても過言ではない。
そんな歪で強力な力の根源。
ノノを縛り付ける糸の先。
今目の前で自分を覗き込んでいる男は、まさに自分へ力を与えた者。
自分を力の檻に閉じ込めた張本人。
力を与えられたノノであるからこそ、目の前の"人ならざる存在"が何であるのかが分かった。
中年の冒険者の皮を被ってはいるが、その内にあるものは人知を超えた超常の存在。
それも強力な精霊術を自分に与えたとなると、そんな存在は一つしかない。
――"精霊王"。
心の中でそう呟き、認めたくない最悪の事実を飲み込んだ。




