悪夢の正体
夕刻、薄暗くなってきた森の中。
泥濘んだ泥に小さな足跡が点々と残っている。
泥だらけのリタとリノアは、お互い疲れ切っているのか、特に何を話すでもなく先へ進む。
時折、リタに背負われたリノアが降りようかと尋ねるも、「大丈夫」という返事が短く返ってくるだけ。
そんなやり取りを繰り返すこと数回。
何のきっかけも無く、しずしずと歩くリタがぼそりとリノアに尋ねた。
「ねえ、リノア」
「……うん?」
「あのバチバチ言ってた槍みたいなの、あなたが出したの?」
リノアは疲労で悶々とした頭を無理やり働かせ、リタの言葉を呪文のように反芻する。
バチバチ言ってた槍みたいなもの――。
数秒思考を巡らし、何の事だろうかと頭を捻ると、ああと思い至る。
槍と言うと、あの、何たらの雷槍の事だろうか。
雷の槍である事は何となしに分かったが、興奮状態で詳しい名前まではよく覚えていない。
それに――、正直なところ。
あの時は無我夢中で何がなんだかよく分からなかった。
だが今になってふと考えてみると、色々と普通ではない事が起こっているなと、今更ながらに思う。
まず1番最初にそれらの予兆が起きたのはいつであったろうか。
一体目の業魔。
アイツにボロボロにされた直後では無かったか。
急に身体が豹変したあの時。
まるで自分ではないかのような、借り物の身体とすら思えるような、常軌を逸した洞察力と動き。
追い詰められ、死の淵に立たされたことで、無理やり引きずり出されたような、そんな感覚。
自分の実力と言ってしまいたい所ではあるが、そうでは無い事は自分の身体が1番よく分かっている。
極め付けは何と言ってもあの雷槍であろうか。
無論、初歩的な魔技すら扱えない自分に、あんな物騒な槍を出した経験などある筈がない。
あの破壊力と禍々しい力は、その辺の半端な魔技など遥かに凌駕していた。
あんなものを一本生み出すだけでも、一体どれほどの力を要するのか想像もつかない。
気の遠くなるような技術力、そして何より膨大な魔力を必要とするであろう。
……とは言ったものの、そんなふざけた魔技を自分は平然と何十本も発動させている。
魔力など最初から底を突いている筈の自分が、である。
なぜ出来たのかと問われとも、意味不明であるとしか答えようがない。
ただ一つ確実に言えるとすれば、普通ではない何かが起きてしまったという事。
何とも締まらない話ではあるが、他に情報らしいモノが無い今、自分の認識などそんなものである。
こんな話をどう伝えたものかと考えつつ、リノアはリタへ返答する。
「多分、俺が出したんだと思う」
「……」
何故出せたのか?と続けて質問してくるかと思ったが、リタはそれ以上何も追求して来なかった。
あの時の状況から察するに、リタはあの雷槍がリノアの仕業である事を確信していたのだろうが、彼女は短く「そう」と告げると、話題を切り上げるように歩みを進める。
リノアの曖昧な言い方から、リタは彼自身もよく分かっていないと判断したのだろう。
故に彼女がそれ以上追求する事は無い。
だが、リタが短く話題を切り上げた理由はそれだけではない。
彼女は柄にも無く目を泳がせながら、口をもごもごと忙しなく動かしている。
この表情はリタが困っている時に見せるモノだ。
何かしなければならないと分かっていても、方法やタイミングが掴めず、その場で足踏みするしか無いといったモノ。
だが、かと言ってリノアに助けを求める事も出来ない。
何故なら、リタを困った表情にしてしまったのは他でも無いリノアだからだ。
リタは何かを言いかけては口をつぐむといった行為を繰り返し、未だ伝える事ができていない「お礼」について考えている。
助けに来てくれた事。
何度も身を呈して庇ってくれた事。
そんなシーンが何度も頭をぐるぐると駆け巡り、どんな風に何を彼に伝えたらいいのか思考に耽っている。
だがそんな思考を邪魔するように、今まで感じた事の無いフワフワとした不明瞭な感情が、現れては消えてを繰り返す。
いつしか心臓の鼓動すら便乗し、遠慮なしに高鳴りを始める始末。
何とも形容し難い未知の感情だが、不思議と嫌な気はせず、困惑と焦りが胸を支配していく。
落ち着きの無いリタを不思議に思い、リノアが頭に「?」を浮かべる。
そんな2人を歓迎するように、それは目の前に現れた。
泥で泥濘んだ道の端。
そこに見慣れた灰色の巨躯が横たわっている。
赤黒い血が雨で辺りに流れ出し、小さな赤い湖が出来上がっていた。
リノアが倒した一体目の業魔だ。
斬撃が肩から斜めに入っており、身体が綺麗に真っ二つにされている。
あれだけ苦労してやっとこさ刃を入れる事ができた業魔が、なんと真っ二つになっているのだ。
リタが唖然とその光景を眺め、数秒固まった後、背中のリノアへ訴えかけるような視線をやる。
するとリノアは何も言わずにコクリと頷く。
それを見たリタが目を丸くし、何かを言いかけたが、此の期に及んでは、もう何も言うまいと前を向く。
そんな彼女を見ながら苦笑いを浮かべるリノアは、ちょんちょんとリタの肩を叩き、道反対側の大木の影へ指をさした。
リタがそこへ目を凝らすと、すぐに理由が分かったのか、なるほどと言ったよう足早に移動する。
大木の木陰には大と小の人影があった。
青いベレー帽を被ったノノ。
毛深い髭もじゃの大男。
大男の隣には巨大な斧が立てかけてある。
2人は雨宿りをするように大木に背を預け、その風雨を凌いでいた。
大男は腹に傷を負っているようだが、血が止まっており、意識を失っている。
ノノの方はまだ意識があるようで、リタとリノアの姿を見ると目を丸くし、涙を見せ、安堵する様な表情を浮かべる。
だが未だに身体は自由が効かないようで、何かを言いかけたようだったが、口が思うように動かず、悔しそうな目を見せる。
リノアはそんなノノを見ると、リタへ視線をやり、「頼む」と頷く。
リタもそれに答えるように小さく頷くと、冒険者の大男へ近付き、彼の腰の皮帯に刺してある杖を拝借する。
形状からして攻撃系魔技に使用するモノではあるが、治癒系魔技の発動に代用する事は可能だ。
ようやくこれでひと段落かとリノアが安堵のため息を吐く。
そしてリタが早速治癒を始めようかと、護符を手に持った、
――その時であった。
突如背後から短剣が飛来し、リタの持つ杖を弾き飛ばした。
眼前の光景を理解できず、リタが唖然とした表情で固まった。
リノアも一瞬何が起きたのか理解できず、信じられないモノを見るような目で振り返る。
リノアの視線の先、そこには知らない男が2人、怒りの形相を浮かべて立っていた。
若い男と中年の男が2人、リノアへ睨むような視線を浴びせている。
短剣を投げたのは若い男の方なのだろう。
今しがた投剣し終えた右腕で、ゆっくりと次の短剣を腰から引き抜いている。
なんだコイツらは?
そんなリノアのセリフを代弁するように、リタが驚愕の表情で呟いた。
「どういうつもり……?」
まるでその2人を知っているかのような口ぶりだった。
リタの怒りと困惑を孕んだ目が、彼等を問い詰める様に見据えている。
そんなリタをチラリと見た中年の男が、顔を一層の憤怒に染め、荒々しく言い放つ。
「どうもこうもあるか。あの方がどれだけ苦労して業魔を呼び寄せたと思ってやがる」
あの方……?
話の見えてこない男の言葉に、リタは警戒しつつも質問を重ねる。
「……どういう意味?」
リタの質問に、男は面倒だと言わんばかりに苛立たしげに悪態をつく。
だが、少しばかり間を置くと、何故かノノへと視線をやり、口端を吊り上げ歪な笑みを浮かべる。
そして男はリノアへわざとらしく一瞥し、再びノノへ視線を戻すと、バカにするような口調でノノへ言った。
「――よう精霊使い。今回のお仲間ごっこは楽しめたかよ」
ノノの表情が固まり、見開いた目が男を見る。
耳を疑ったノノは、男の言葉を理解するのに時間を要している。
今回のお仲間ごっこ。
その言葉が何を意味するのか、ノノはとっくに気付いている。
何かに気付いてしまったが認めたくはない、縋るような感情が瞳に宿る。
男はそんな表情のノノを見ると更に顔を歪め、下卑た笑いをクククと漏らす。
「なあ精霊使いよ。おかしいとは思わなかったか? 疑問を覚えることは無かったか? タイミングを見計らったように現れる魔物。使えない精霊術――。そんな事が偶然にそう何度も起こると思うか?」
ズキリとノノの心が軋みを上げる。
次は大丈夫、今度こそは無様な姿は晒さないと誓い、勇んで仲間を得ようとした結果、それがどうなってしまったのか。
悔やんでも悔やみきれない。
いくら思い出すのが辛くとも、あの光景だけは決して忘れてはならない。
だがそう思いつつも、自分は仲間を作ること諦めきれなかった。
独りになる事を何より恐れてしまった。
いけないと分かっていたが、根拠の無い期待を盾に、弱い自分はリノアに甘え、縋り、結果として命すら危ぶまれるほどの怪我をさせてしまったのだ。
まるで自分が仲間を作る事を阻む様に、孤独を生きろと突き付けられる様に。
無力感と罪悪感に苛まれ、やり場の無い感情だけが膨れ上がっていく。
何度自分を卑下し、蔑み、呪った事であろうか。
そんな長く、出口の見えないトンネルの先で。
泣き腫らした目に尚も涙を貯めるノノを見ながら、男は悪夢の正体をあっけからんと言い放った。
「お前はあの方……、精霊王に愛されすぎた。あの方の愛と嫉妬は、お前を生涯孤独にするだろう」
いつも読んでいただいてありがとうございます。
そろそろ一章も大詰めです。
誤字脱字報告、いつもありがとうございますm(_ _)m




