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悪魔の最期

 ポツリ、ポツリと雫が降り、いつしか点は線となり、叩きつけるような豪雨が地面を打つ。


 唸るような雷鳴がどこかで嘶き、遅れて真っ白な光が森を包む。


 そんな光を一際反射する一対の白刃。


 一方は細長く真っ白に、一方は太く鈍く光る。


 歩幅を合わせるように駆ける2つの影が、先に見える巨躯目掛けて更に速度を上げる。


 影の後にはバチャバチャと水飛沫が上がり、2つの影はやがて眼前の巨躯に対し、一直線になるように並んだ。


 巨躯の影もそれに応じるように、ふた振りの鉤爪を掲げ、弾き出すように影の正面へ突っ込んだ。


 巨躯の過ぎ去った後には水飛沫すら上がらず、ただ雨を遮る空間が残るのみ。


 鉤爪を司る巨躯――業魔は、眼前に一瞬見えた白刃の光に鉤爪を突き立てる。


 雷光が不可視の鉤爪を照らす。


 ――が、やはり鉤爪は例に漏れず曇天の空へ高々と弾き上げられる。

 その隙を縫うように、小さな影は懐に侵入する。


 鈍い銀を司る影――リノアは、泥に脚を埋めつつ、業魔直上からの鉤爪の叩き落としを力任せに弾き返していた。


 未だになぜ自分の細腕が、業魔の大木のような一撃を弾き返せるのか甚だ疑問である。


 だが、今はその疑問に頼る他は無い。


 この"弾き上げ"こそ業魔の命に至る唯一の活路であるが故に――。


 リノアに続くもうひとつの白刃。


 正面から堂々と業魔に突っ込んだリノアとは対極に、業魔の間合いの外で、器用に敵を翻弄する。


 リノアに続く白銀の影――リタは、リノアが業魔直下で頭を下げた瞬間、狙いすましたように魔技構築を完了させている。



 ――【魔技:風刃斬撃 中級】



 リタは折れた長剣を横一文字に薙いだ。

 その剣閃の軌跡から、雨を裂く三日月の残滓が業魔に迫る。


 リノアの頭上スレスレを掠めた風の刃は、咄嗟に身体を傾けた業魔の脇腹を撫で、背後の泥を抉る。


 完璧なタイミングで援護を入れたリタに対し、リノアは驚愕と賛辞を覚える。


 そしてリタが生み出した隙を突くように、リノアがもう片方の鉤爪を上段から沈めるように叩き落とす。


 無防備な鉤爪は情けなく泥を浴び、半身を地に埋める。


 業魔は上下に鉤爪を弾かれる形となり、敵に胸部を晒す。


 ――だが、業魔の武器は決して鉤爪だけではない。


 攻防共に剣でしか応えられぬリノア達に対し、業魔の強靭な全身はその全てが武器である。


 焦りや戸惑いはない。

 神話の怪物はただ現状の戦局を冷静に見据え、この場における最適解を導き出し、瞬時に身体へ下知を下す。


 尚も愚直に懐に迫り来るリノア。


 その小さな剃刀のような殺意に対し、業魔は後方に巨躯を倒しつつ、左脚の蹴りを突き上げる。


 泥濘んだ泥もろとも繰り出された業魔の蹴撃。

 リノアが目を見開き、業魔のどこまでも冷徹な対応に驚愕の意を示す。


 爆ぜた泥屑がリノアの全身を穿つ。

 遅れて迫る灰色の殺意。

 それは怯んだリノアを確実に仕留めんといった必殺の一撃――。


「――ぐっ!」


 泥が全身の傷を抉り、残り少ない血を背後へ奪い去っていく。

 それは同時に左眼の視力をも奪い、ボヤけた視界を更に狭める。

 ――が、


 意地が、渇望が、――怯んだ心を張り倒す。


 ここまで死線を幾度と無く斬り伏せ、その全てを剣で黙らせてきたのだ。

 この程度の絶望に屈するほど、生温い心胆は持ち合わせちゃいない。


「――!」


 それに答えるように、考えるより先に鉄剣は生への活路を見出している。


 リノアの左直下、業魔が軸としている脚の毛皮に鉄剣を突き立て、強引な軌道修正を図る。


 しかし、思考の外にあった泥によるロスがあまりに大き過ぎる。

 その結末は蹴りを躱す事が出来ないと言う無情な宣告。


 蹴りは完全に直撃コース。

 鉄剣の防御も無ければ受け身すら取る事を時が許さない。



 ――まずい、



 そう心の中で呟く。


 ――が、刹那、リノアの脇下を細身の白刃が有無を言わさず割り込んだ。



 ――【魔技:強振斬撃 中級】



 リタによって繰り出された突破重視の強撃。

 それは獲物を断つというよりは、正に押し返し戦局好転を図る強引な奸計。


 リノアの立つ危険な業魔の懐へ、彼女は一切躊躇せずに踏み入った。


 コンマ数秒にも満たぬ刹那の中、リタはその異常な構築速度を持って【強振斬撃】を完築させていた。


 が、あまりに時が短過ぎた為か、チェインすら乗せる事の出来なかった単発の魔技は威力に乏しい。


 しかし、他に蹴撃からリノアを救う手立てが無く、リタは自分が気付いた時には既に身体が動いていた。


 迷いや躊躇が一瞬でもあれば、リノアは既に肉塊となっていただろう。


 リタの剣では業魔の強靭な一撃を止める事はできない。

 直下からの蹴撃でリタの長剣が弾き上げられる。


 思わず、リタは衝撃で手放しそうになった剣の柄をギュッと握りしめる。


 だがそのリタの一撃が、リノアが蹴撃に対する時を生み出した。


 リノアは業魔軸足の毛皮に引っ掛けた鉄剣へ力を込め、強引に身体を蹴撃から引き離す。

 途端に灰色の残滓が眼前を掠め、必死の一撃の回避を完遂した事を告げる。


 瞬間、飛び込んで来たリタをチラリと見ると、彼女は示し合わせたようにこちらへ視線を向けていた。


 ――言葉はいらない。


 長剣と鉄剣。

 双刃は既に答えを得ている。



 刹那、リタが魔技構築を開始する。


 途端に折れた長剣が青白い光を帯び始める。


 ――【魔技:強振斬撃 中級】


 リタの目端に構築完了の文字が浮かび、発動可能を彼女へ告げる。


 だが――


 まだだ。


 対する業魔。

 全身を駆使した攻撃を一瞬で弾き返され、伏せていた直下からの蹴撃でさえ、示し合わせたかのように躱された。


 ――業魔は泥を計算に入れていた。


 ただ愚直に攻撃を加えただけではまだ弾かれてしまう。

 ならばこれではどうかと。

 業魔はなんと意図的に泥を蹴り上げていたのだ。


 だが、そんな業魔が生を受け、初めて使った搦め手ですら、目の前の敵は突破してみせた。


 ぐちゃぐちゃのボロボロになりながら。

 針孔に糸を通すような、か細く微細な唯一の活路を見出してみせた。


 あの自分が握り潰そうとしていたちっぽけで矮小な存在。

 ――いや、"敵"に、してやられたのだ。


 業魔はいつしか彼らを羨んでいた事に気づいた。

 しかし、業魔にはその感情がどんな意味を持つのか理解できない。

 最強故に"羨望"という感情を知らない業魔には未知の感覚。


 "共闘"という言葉を知らない業魔には、自身を翻弄する目の前の存在はただの"2体"でしかない。

 だが、1体では敵わなかった存在が、力を合わせる事でその力を何倍にも増している。

 これまでは矮小な存在がいくら数に物を言わそうが、そんなものは誤差でしかなかった。

 それを全て否定するように、眼前の"敵"は互いを信じ、支え合い、死の合間を縫って刃を振りかざしてくる。


 更なる"力"の高み――。

 そんなものを、よもやこんな形で知る事になろうとは、と。

 業魔は興奮を覚えつつ、驚嘆がそれを塗り潰していく――。



 土砂の様に降り積もる雨。


 濡れながら、手の内の全てを弾かれながら、業魔は後方へ身を委ねていく。


 しかしやはり神話の怪物。


 業魔の闘志は未だ堕ちず。


 さらに【魔技:強振斬撃】を重ねるリタの真横。

 不意を突くように灰色の殺意が泥に塗れて現れる。


 それは業魔が軸足にしていた最後の砦。


 これを攻撃に当てたとなれば、業魔は無様に背から倒れる他はない。


 目を見開くリタへ迫る業魔の意地。

 小さく華奢な少女を殺すにはあまりに過剰な暴力。


 だが――



「――ッ!」



 リノアが一瞬でリタと蹴撃の間へ身を投げ打つように滑り込み、鉄剣を地面に突き刺す。


 途端に灰色の暴威がリノアと鉄剣を直撃し、泥や石何もかもを巻き込み、リノアを中空へと舞い上げる。



「うぐぁああ――ぁ」



 地面に深々と突き立てていた鉄剣は一瞬で中空へ巻き上げられ、リノアも血飛沫を帯びて業魔直上へ舞う。


 相も変わらず、どんな攻撃も全て規格外。

 溜めの素振りすら無かった、ただ小突いただけの蹴り。


 剣が無ければ自分などこの程度であの世行きである事を、リノアは今更ながらに再認識する。


 泥と血、そして白みを帯びて霞んだ視界。

 意識と無意識がせめぎ合い、さっさと現実を閉じてしまえと誘惑を耳元で囁いてくる。


 落ちては返ってくる意識の中で、リノアはまだ確かにある鉄剣の感触を感じ取り、縋るように握り締める。


 今これを手放してしまっては全てが台無しになってしまう。

 これまでの全てが奪われてしまう。


 手放してはなるものかと。

 失ってなるものかと。


 握り締める剣柄の感覚が、リノアの脳裏に叱咤を叫ぶ。



 ちょうど今のような嵐の日でも。

 どんなに雨風が吹こうと、どれほど心が折れそうになっても、自分はコイツを振り絞り、この一本で未来を切り開こうと誓ったのだ。


 どんな誹りや罵りを受けようと。

 このボロボロの鉄剣だけは、いつも自分の手の中にあった。


 それは今も例外ではない。


 これは決して手放してはならないリノアにとっての道標(みちしるべ)


 断ち、穿ち、阻むモノ全てを打ち倒す銀の証。

 誰にも折る事のできぬ、乾坤一擲の意思。


 今こそそれを示す時だ。


 この血の滲む剣柄の感覚を、握り締めてきた意思の意味を。



 ――世界へ堂々と叫んでやろう。



 途端にリノアの意識が混濁の中から覚醒し、血の滲む隻眼を眼下へ向け、鉄剣の柄を確認するように強く握り締める。



 ――【魔技:強振斬撃 中級】

 ――【魔技:強振斬撃 中級】



 リタが最後の魔技チェインを溜め、青白い閃光が長剣に宿り、その白刃が一層の輝きを辺りに撒き散らす。


 リノアが吼え、その輝きに重ねるように、こちらを見上げる業魔に向け、直上から容赦の無い袈裟懸けを叩き込む。


 返ってくる金属の反響と、滑るような手応え。


 ――だが、


 今の一撃で業魔の毛皮が僅かに浮き、奥に柔らかな白い表皮を覗かせる。


 リタはリノアのいる上空を見るでもなく、必ず今の一撃があると言った確信を胸に、初めて見出された業魔の活路へ、青白い閃光を曇天に掲げる。


 業魔は眩い閃光を司るリタを食い入る様に見つめている。


 まるで羨望の眼差しを向ける様に。

 狂気を塗りつぶした感嘆の意が、閃光に反射する業魔の瞳を克明に飾り立てる。


 時が止まり、世界が決闘の行く末を見守る。



「これで、終止符――」




 ――【連鎖魔技:疾刃一刀】




 青の白刃が容赦無く業魔の表皮を斬り裂いた。


 それは余りに脆く、あまりに呆気ない業魔の幕切れ。


 ゴフッと吐血を眼前へ吹き、巨躯は堕ちる。


 リノアの袈裟懸けの残痕を辿る様に、リタの白刃が表皮を露わにした業魔の命を刈り取っていく。


 あれ程まで硬く、刃の全く通らなかった業魔の身体に、長剣の殺意が易々と食い込んでいく。


 叫ぶ様な咆哮を上げながら長剣を振り抜いたリタは、鮮血を噴水のように撒き散らす業魔の脇を抜け、泥水の中へ倒れこむ。


 袈裟懸けを放ったリノアも、着地の受け身を取る余裕すらなく、失った左腕から地面に荒々しく叩き付けられた。


 全てを出し切ったと言わんばかりに倒れこむ2人の後ろで、業魔は何も言わずに天を見上げていた。


 絶え間無く流れでる真っ赤な命の灯火。

 そんなモノには目もくれず、業魔は"痛み"というものを初めて感じている。


 その漆黒の双眸には少しずつ雲間から差し始めた光が映り、やがて瞳の生気は少しずつ消えていく。


 そしてドッとその巨躯を泥水の中に横たえ、ついに業魔は動かなくなる。


 だが、そんな悪魔の真っ黒な瞳は、どこか満足気なモノを語るようであった。






 ◇◇◇






 ゆさゆさと身体を揺すられているのが分かった。


 僅かに泣き声のような、高く切ない声も聞こえる気がする。


 無理やり覚醒させられた意識。

 だが、その声をきくと何故だか悪い気はしなかった。


 僅かに残った力。

 左目はズキズキと痛み、開かない。


 ならばと右目だけ意識して瞼を上げると、そこには予想通り藍色髪の少女が目を腫らしてこちらを見下ろしていた。


 リノアが目を開けたのを見ると、少女は脇目も振らずにリノアを抱きしめた。


 慣れていないのか、荒々しくぎこちない。


 だが彼女の手つきは優しく、柔らかで、それでいて暖かく、すごく心地の良いモノだった。


 だがそんな心地も束の間、満身創痍の身体が痛みを告げる。


 リノアが小さく「いつつ……」と苦悶の表情を浮かべると、彼女は慌ててリノアから飛び退いた。


 あわわと目を泳がせながらどうしたものかと慌てる少女、リタ。


 ぼんやりとしか見えないけれど、改めて彼女を見ると、折角の綺麗な髪や肌も台無しに、泥にまみれてぐちゃぐちゃだった。


 だが彼女はそんな事露ほども気にしていないようで、満身創痍のリノアをどうしたらいいか分からず、柄にも無く慌てている。


 会ってから昨日今日の関係ではあるけれど、リタのそんな一面を見たリノアは、なんだか少しだけ得をしたような気持ちになっていた。


 そんな事を考え、心の中で小さく笑うと、リノアは身体をゆっくりと起こした。


 急に起き上がったリノアを見ながら、リタが口に手を当てながらギョッとした表情を浮かべる。


 動いて大丈夫なの?とでも言うように、心配と痛々しさを告げるような碧の双眸が、リノアをパチクリと見ている。


 そんなリタの表情に答えるように、リノアはゆっくりと彼女へ言った。


「……いっつつ。……死ぬほど、痛いけど大丈夫。ッ……、業魔がもう1匹来たって、へっちゃらだよ――」


 リノアが冗談交じりに、にへらと笑い、リタは一瞬瞼をしばしばさせたが、すぐに真剣な表情を作った。


 時折苦悶の表情を浮かべながらそんな事を言われても、全く説得力が無い。


「……半分くらい死んでるじゃない。自分の状態、分かってる?」


「……腕と耳が無いみたい。何かスースーするよ」


「……」


 そのリノアの言葉を聞き、呆れたと言ったように肩をすくめるリタ。


 すると彼女はいつもの冷静さを取り戻し、数瞬晴れてきた空を見上げ、考えるような仕草をすると、「はい」と言いながら地面へしゃがみ、リノアへ背中を向けた。


 リノアはそんなリタを見ながら一瞬停止し、すぐに彼女が何をしているのかを理解し、唖然としつつも抗議の声を上げる。


「それはちょっと……、どうかなって」


「何カッコつけてるのよ。ボロボロのくせに」


「あんなのが相手じゃ仕方ないだろ……」


 そしてリノアはそこで言葉を区切り、リタのおんぶを断ったもう一つの理由を話す。


「ここからちょっと行った先に、仲間がいるんだ。衰弱してて自分の力で立つ事すらできない」


「……。それってもしかして、精霊使いの――?」


 それを聞いたリノアが目を丸くする。


「――よく、知ってるね……。今日出会ったばかりなんだけど」


「……」


 リタは特に何も言わずに、居心地が悪そうに視線を泳がせる。


 リノアはそれを見ながら少しばかり疑問を抱く。

 が、今はそんな事どうでも良いと話を先に進める。


「それと、仲間ともう1人、冒険者がいる。彼は確か杖を持ってたから、それを使えば――」


「――治癒ができる」


 リノアの言葉に合わせるように、リタが気づいたように呟いた。

 腰の皮帯に刺してある護符を確かめ、リタはリノアへコクリと頷いた。


 そしてリタは思い出したかのようにリノアへ背を向け、早く乗れと無言の圧力をかけてくる。


 リタ自身も何かしら怪我をしているようだし、その他諸々の理由で正直かなり抵抗はある。

 だがここからノノ達のいる場所まで距離はほとんど無いし、ここは素直に従う方が良いかもしれない。


 リノアはそんな事を考えながら恐る恐るリタの背中へ身を預けると、一瞬ビクッとなったリタにリノア自身も驚き、2人に微妙な空気が訪れる。


 だがリタがその空気を拭うようにふんっ!と小さく呟くと、細身で小さなリノアは軽々と抱え上げられてしまう。


 何とも複雑な気持ちがリノアに渦巻いていた。

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