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堕ちた赤龍

 ソイツはさも当たり前のようにそこにいた。


 禍々しい雰囲気と不気味な佇まい。

 それが心なしか背景を歪めているようにも見えた。


 しかしこちらを見ながら微動だにしない。

 何かを待つように、ソイツはジッとこちらの様子を伺っている。


 灰色の体毛が身体中にビッシリと生えており、異常に発達した胸筋と腕筋がその強靭な力を主張している。

 黒く濁りきった瞳は何を考えているのか全く分からない。

 顔を覆う白い毛は短く薄い。しかし口は見えない。


 何より目を引いたのは、腕の甲で光る巨大な鉤爪。

 あの鉤爪が主な武器なのだろう。


 目の前のソイツはギギギと声帯を震わせて声を上げていた。

 どこから声を出しているのだろうと不思議に思えるほど、口を動かしている様子は見えない。


 これがカーズとワジムの2人が言っていた"業魔"なのだろうか。

 見れば見るほど確かに伝承通りの姿形であるが、リタは未だに本物であると信じる事ができないでいる。


 本物の"業魔"とはそれほどに恐ろしく、圧倒的な存在なのだ。


(これがあの業を喰らうと言われた悪魔……? 確かに似てるし禍々しいモノを感じるけど、何故直ぐにでも襲ってこないの?)


 リタの疑問を代弁するように、アリアスが振り向かずに言った。


「ワジム。例の"業魔"ってのはコイツか?」


 アリアスとリタの後方にガタガタと震えながら立っているカーズとワジム。

 2人はへたりこみながら後ずさり、小さく悲鳴を上げる。

 だがワジムが何とか声を搾り出すようにアリアスへ告げた。


「ま、間違いない……ああクソ震えが止まらねえ。ソイツだよ。俺たちの仲間を引き裂きやがったのは……!」


「……そうか。コイツがC級5人を」


 アリアスはそう呟くと、背中の大剣を右手で軽々と抜き払った。

 常人では振り回すことさえ困難であろう大剣。

 アリアスはそれを手慣れた手つきで操り、確認するように頭上で一回転させ、ゆっくりと業魔へ剣先を向ける。


 ブォンと空気を撫でる音が歯切れよく響いた。


 余りにも軽々と大剣を操るアリアスに、リタが驚愕の表情を浮かべている。


 その一動作だけで、アリアスの力強さと圧倒的な存在感を再認識させられた。


 これが幾多にもわたる命のやり取りを潜り抜けてきた"本物"の姿。

 "殺す"か"殺される"しか存在が許されない、地獄を生き抜いてきた者の存在感である。


 そこに酒場の前で見せたような緩んだ表情は無い。

 鋭い剣呑な雰囲気だけが彼を纏っている。


 背中の赤いローブの"穿つ赤龍"の刺繍が、その強靭な力の一端を裏付けている。



 王家直属の武力とされる魔導騎士団。

 騎士団という肩書きではあるが、その本質は恐ろしく効率化された魔導にある。


 今や戦場の風物詩ともいえる魔導士同士の戦い。

 そこに前時代的な白兵戦の介入する余地などない。

 威力と規模にものを言わせ、攻撃系魔技の撃ち合いをするといったものが、この時代の戦場の主体となっている。


 そんな戦場において、彼等魔導騎士団は、いかに敵の魔導士を効率よく殲滅するかだけに重きを置いている。

 戦闘は隊列を作り、それぞれが連携し合いながら敵を殲滅するというのが一般的である。

 しかし魔導騎士団は基本的に単独で行動することを前提としている。

 有り体に言えば"単騎の遊撃"を主な戦術としている戦闘集団だ。


 当然、単騎で多数の敵に攻撃を仕掛けるとなると、それ相応の魔技力と魔力が必要になる。

 一瞬で高難度の複雑な魔技を展開し、確実に敵を殲滅する威力まで昇華させねばならない。


 それがどれほどの困難を極めるのか、魔技を使う者であれば嫌と言うほど理解できる。


 そんな"魔技"を極めし者にのみ所属を許される魔導騎士団。

 彼らの戦闘力はまさに王国最強と言って差し支えないものだろう。


 その実力の一端を見せつけるように、アリアスは大剣を構えている。


 "剣姫"と呼ばれているリタですら目を見開く一幕であった。


 だが業魔に動じる様子はない。


 現れた時から何一つ変わらぬ表情は、一切の感情を感じ取らせる事を許さない。


 ただただアリアスを濁った黒い瞳で見つめている。

 まるで、それがどうした?と言わんばかりに微動だにしない。


 アリアスはそんな様子の業魔に怪訝なモノを感じていた。


 業魔の考えている事が分かるとすれば一つ。

 こちらをまったく脅威として見ていない。


 つまり業魔はアリアスの事を対等か格下としか見ていないという事だ。


 それが分かったアリアスは小さく鼻をフンと鳴らした。


「ハッタリか何かは知らんが、紛らわしい風体しやがって。こちらも舐められたもんだ」


 アリアスはその言葉を皮切りに、ほとんど一瞬で魔技を展開した。



 ――【魔技:脚力強化 中級】

 ――【魔技:腕力強化 中級】

 ――【魔技:縮地 中級】



 アリアスの目端に文字が光る。

 自身の身体能力を瞬時に強化し、"縮地"により業魔へ直線的な攻撃を仕掛けるつもりだ。


 途端にアリアスの身体が弾き出され、業魔へと一瞬で肉薄する。


 それはまさに奇襲。

 常人が彼を見れば、一瞬で何の前触れもなく移動したように見えるだろう。

 その魔技構築から発動まで、相手に何一つ感知を許さず、一切無駄無い流麗な踏み込みであった。


 更に彼は上乗せする様に、加速の中で新たに魔技を構築し始める。

 自身の身の丈程もある大剣を横へと構え、業魔へと大きく振りかぶった時、その魔技は狙いすましたかのように発動した。



 ――【魔技:強振斬撃 中級】



 アリアスは業魔の眼前で一気に大剣に力を込め、横薙ぎを叩き込もうと身を屈めた。

 アリアスはこの4段構えの奇襲に、絶対の自信を置いている。

 何の対策もしていない相手に対しては、初見で防ぐのはほぼ不可能と言って良い。

 現にアリアスはこの技で、数々の強敵を屠ってきている。


 重鈍な大剣使いでありながら、その対極を行くような、この"神速の剣"こそ、魔導騎士アリアスの本質である。


 それを裏付けるように、業魔はアリアスが眼前に迫っても反応すらみせていない。

 いや、反応できていないのだろう。



 ――初撃で終わりか、興醒めだ。



 アリアスは勝利を確信し、小さく笑みを浮かべる。

 そして業魔を二分するように、大剣を薙ぎ払った。



 ――終わりだ。



「――ッ!?」


 刹那、アリアスの視界が暗転した。


 アリアスには今の一撃で確実に業魔を両断したと言う自信があった。

 しかし、あるはずの手応えがない。

 返ってくるはずの血の匂いがしない――

 斬り裂いたはずの音がない――


 聞こえたのはグシャリと言う何かが潰れたような音。

 しかも音は前からではなく、自分から聞こえたように思えた。


 アリアスは遅れて、自分の左半身の感覚が無いことに気が付いた。

 何故か左目も機能していない。


 血の滲む右目から僅かに見える視界には、粉々に砕けた中かがキラキラと光を反射している。


 その後すぐにそれが何かが分かった。


 ――あれは、自分の()()()()()ものだ。



「ッ――ぁ――」



 アリアスは何が起こっているのか理解できず、反射的に何かを呟いたが、意味を持った言葉を発する事は出来なかった。


 脳が揺れ、歯が全て砕け散っている事に気付く事すら出来ていない。


 乱舞する赤黒い血潮の中で、アリアスは状況の一切を感知出来ていなかった。



「アリアスさん!」



 意識の外で叫ぶような誰かの声が聞こえた気がした。

 しかしそれも頭に入ってこず、誰の声であるかも思い出せない。


 そして追い討ちをかけるように、ヌラリと灰色の巨躯が眼前に現れる。


 何の気配もなく急に姿を現し、音もなくアリアスへ強靭な腕を伸ばす。


 業魔はうな垂れた鼠でも持つように、自分が半身を潰した弱者を片手で握りながら、ジッと正面から観察している。



 ――それで終わりか?



 アリアスは業魔から、そう語りかけられたような気がした。


 その瞬間、アリアスは自分が負けたのだとやっと理解した。


 攻撃したはずの自分が、あべこべに完璧な返り討ちにあったのだ、と。


 見えなかった。何も見ることができなかった。

 王国最強の騎士団である筈の自分が、その攻撃すら看破できずに一撃で沈められたのだ。


 格が違いすぎた。

 コイツは決して人では越えられない壁の遥か彼方に存在している、まごうことなき化け物だ。


 自分のような弱者が決して手を抜いて良い相手ではなかった。

 コイツにしてみれば自分など、道端の虫1匹と何ら変わらないのだから。


 あまりに隔絶しすぎている。

 あまりに乖離しすぎている。

 こんな化け物が地上に存在していようなどと、誰が想像できようか。


 そしてその時、アリアスは今まで絶対に認めなかった事実を認めた。


 ――間違いなく、コイツは本物の"業魔"だ。


 認めなかった自分が悪いのは間違いないが、こんな所に神話の化け物がいるなど誰が信じようか。

 その点に関して言えば、まあ責められる事もあるまい。


 唯一心残りがあるとすれば、そうだな、もう一度彼女からちゃんと返事を聞きたかったかな――


 視覚が落ち、嗅覚はすでに削がれ、今はわずかな音がアリアスをこの世に繋ぎ止めていた。


 しかし少しずつ、少しずつその呼吸は感覚を伸ばし、小さくなっていく。


 業魔はそれを握りつぶすでもなく、ただ手の中で弱り行く生物をジッと見つめている。


 その目に哀切や情はない。


 だが――


「――ッ」


 声にならない呟き。

 血泡が絶え間なく顔を朱に染め上げ、最期の言葉さえ封じる様に喉を圧迫する。


 絶え間無く滴る赤い命の灯火。


 それは"穿つ赤龍"の隊紋章を赤黒く彩り、淡く光を反射している。


 それは決して堕ちることの無かった王国最強の龍の証。



 ――すまない。リーシャ。



 アリアスは最後にそう呟き、眠るように呼吸を止めた。

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