本当の魔物
「東の森に!? いつ!?」
「お、落ち着いて下さいリタ様。リノア様は今朝方キノコ採取の依頼をお受けになりまして、精霊使いのノノ様をお連れになり、"東の森"へ行かれると聞いております」
リタの目の前にいるギルド受け付けの女性。
おっとりとした目が特徴的な金髪の彼女は、リタをなだめるようにそう答えた。
(どうしてこのタイミングで……)
顔から血の気が引き、周囲の音が小さくなり、鼓動が速度を上げる。
無意識に受付から2歩、3歩と距離を置き、落胆と驚愕が全身に浸透していく。
受付の女性が言った東の森、そこはまさに7名パーティが崩壊した場所。
そこへリノア達が向かったと、彼女は何の躊躇もなく答えた。
リヴァインオルド辺境伯領は王国の中でも広大な領地だ。
わざわざ東の森へ赴かなくとも、行き先の候補は他にいくらでもある。
リノア達は危険な魔物がいるとは知らず、たまたまそこへ向かったのだろうが、偶然にしてはあまりにも運が悪すぎる。
ギルドにリノアがいれば運が良い、くらいに考えていたリタであるが、よもや狙いすましたように危険な地域にいるとは、夢にも考えていなかった。
首を傾げる受付の女性に気付く余裕すらなく、リタはいてもたってもいられず、慌てて踵を返す。
死んでいてくれるなと、そんな結末はあまりにも悲しすぎると、感情を押し殺す事を諦めたリタは、ギリっと歯を噛み締め、眉間に皺をよせる。
苛立ちを隠せないリタの表情を見た冒険者達が、慌てて道を開ける。
リタの雰囲気はそれほどまでに荒々しく、余裕の無いものだ。
一刻も早く彼を見つけなければならない。
大切な妹を奪われ、その上訳もわからず死んだとあっては、彼があまりに浮かばれない。
何としても見つけ出し、全てに決着をつけてやる。
保身の様にも思えるが、そうでもしなければ、自分は罪悪感と焦燥感に潰されてしまいかねない。
漠然とした不安が瞬く間にリタを支配し、グルグルと頭を巡り、やがて苛立ちと焦りは増していく。
そんな時である。
受付とリタのやり取りを見ていた冒険者達が、ヒソヒソと声を細め、嘲笑まじりに何かを口にする。
リタは聞き流すつもりで足速にギルドを出ようとしたが、幸か不幸か内容を理解してしまい、全身が熱を帯びるのを感じ、無意識にピタリと脚を止める。
「おいおい聞いたか今の、東の森だとよ。確か……さっきギルドへ飛び込んできた男が言ってた、化け物が出たって場所だろ?」
「ああ、あの業魔が出たとか言ってたホラ吹き野郎か。C級が全滅したって、本当なのか?」
「あのオヤジあれだろ? "赤い斧"って7名パーティで、D級冒険者の――」
「"赤い斧"が壊滅したのか? ははは、そりゃあおっかねえ化け物だ」
「そんな場所にあの空魔奴が? うへー、初日からツイてねーな」
「自業自得だろ。俺らに混じって空魔奴ごときが名を上げようってのが間違いだったんだよ。ざまぁねえぜ、ガハハ」
「まったくだな。さっさとおっ死んでくれて、こっちは名前に傷が付かねえで大助かりだぜ――ぁ」
ヒソヒソと話していた男の一人が、驚愕の表情を浮かべた瞬間、顔を陥没させて一瞬で壁へ吹き飛んだ。
グチャリと潰すような音を孕み、鈍い衝撃音が部屋に響く。
彼の身体は椅子もろとも柱をへし折り、物凄い勢いで壁に激突し、歯を辺りに散らしたまま、白目を剥いて動かなくなる。
途端にシーンと静まり返るギルド。
一瞬何が起こったか分からなかった冒険者達は、少しずつ状況を理解し、恐る恐る男を殴り飛ばした張本人へと視線を向ける。
無論、そこには蹴りを終え、右脚を上げたリタがいた。
ピクピク痙攣している男を見るに、死んでいないとは分かるものの、あまりにも凄惨な男の末路に、冒険者達は肝を冷やす。
しかしリタは男を見ても表情を変えず、当然と言った目で惨劇を見ている。
そしてゆっくりと右脚を下げ、恐ろしく冷えた声で言い放つ。
「黙りなさい。それ以上口を開くと斬り捨てる」
それは今にも斬り殺そうかといった鋭い視線であった。
室内全ての冒険者はリタの迫力に釘付けとなり、誰一人、一歩も動くことはできない。
冒険者達は何が起こっているのか分かっていなかった。
男を半殺しにするほどの暴力を振るい、それでは収まらぬと言ったように、更なる怒りを自分達に向けている、その意味が分からない。
自分たちはただ素直に喜んだだけである。
空魔奴が死に、ギルドから姿を消すことを歓迎し、喜びを露わにしただけだ。
それが何故かと問われれば、当然皆、口を揃えて言うだろう。
ギルドに空魔奴という恥ずべき存在がいる、それだけで、相対的に自分の立ち位置が下がる、そう考えたからだ。
死に物狂いで日々を生きる冒険者達は、他の人間に舐められる事を何より忌避する。
空魔奴でも冒険者になれる、そう思われてしまっては、冒険者である自らの価値が下がってしまう、そんな考えに至るのは自然の事。
それが、彼等にとっての当たり前。
だから冒険者達はその行為に対し、何の違和感すら覚えていなかった。
ギルドの厄介者が消えたと、大手を振って歓喜する。
その行為の何が間違っているのか?、と言ったように。
考えは当然皆も同じであろうと考え、そして正しいと分かると、徒党を組んで更に喜びを分かち合う。
おかしな考えであると立ち止まり、それは間違っている、そう声を上げる者は1人としておらず、娯楽の少ない冒険者は酒の肴にでもするように、人の死を平気で談笑の中へ放り込む。
リタはそんな空間に吐き気すら覚えていた。
これほどまでに悍ましく、歪んだ空間が存在するのかと、彼女は心の底からの嫌悪を彼等に示した。
しかし彼等にその侮蔑は届かない。
理解すらしてもらえない。
何が間違っているのか、何がいけない事なのか、自分達が一体何をやらかしているのか、もはや何も見えていないのだから。
だからリタは分かりやすく"力"を示した。
最も単純で原始的な方法で、冒険者達が理解できるよう、最大限に怒りを抑えた上で。
その効果は笑える程に絶大で、"死"のやり取りをしてきた冒険者達だからこそ、リタの殺意に過剰に反応し、それが本物であると理解するのに時間を要する事はなかった。
あの剣姫が本気で怒り、今まさに自分を殺そうとしている。
それは相手が冒険者であるからこそ、冒険者達の肝を捻じ切るのに十分な威力を発揮したのだ。
たった12歳の少女に、心臓を鷲掴みにされるような強烈な畏怖を覚え、身動き一つできない。
首筋に剣をあてがわれ、薄皮一枚で命を繋いでいる、"死"を眼前に突きつけられる感覚。
決して自分では抗えない、強力な魔物に睨まれている、そんな心地と何も変わらない。
その殺気の余波は冒険者に限らず、受け付けの女性までもが失禁し、椅子から転げ落ちる程のものだ。
「――」
しかし、殺気を荒々しくぶつけたリタ本人は、何とも拍子抜けも良いところであった。
冒険者連中のあまりの弱々しさ、反抗すら選択肢に無い姿勢、そして何故こんな事をするのかと言った無理解の瞳。
胸を支配していた怒りは既になく、呆れとなり、遂には落胆すら覚えている。
(これが、冒険者……? こんなにもチンケなものだったの……? 余りにも哀れで、卑怯で、心の底から救い難い連中だ。ここにいるのは本当に、本当に何の力もない、ただただ弱い連中ばかりなんだな……)
先日リノアと模擬戦をしたあの時、自分は本当に酷い状態であった。
実家や婚約、そしてジェードの事、色々な不安と鬱憤が絶え間なく小さなリタに積み上がり、いつしか自分の中で、何かが少しずつ壊れ始めているのがわかった。
だから逃げ場を求めるように、ジルに腕試しをすると告げ、フラフラと冒険者ギルドへ行った。
このまま全て投げ出し、全部全部放っぽり出して、世界の果てまで逃げてしまおうかと、そんな事も考えた。
けれどやっぱりそれはできず、何だかんだで冒険者ギルドへとやって来てしまった。
意気地なし。そう自分から糾弾されている様な気がした。
戸惑う職員を強引に押しのけ、修練場に入ると、溜まった鬱憤を晴らす様に剣を振った。
好奇な視線を身体中に浴び、"剣姫"だ、"婚約"だと指を指されて噂を囁かれる。
すぐに耳を塞ぎたくなった。でもしなかった。いや、できなかったのだ。そうした瞬間に、自分が何かに負けてしまうと思ったから。
自分は"剣姫"だ。名を決して汚さぬよう、"剣姫"たる存在としてあり続ける、そう誓ったのだから。
逃げや弱音はそれを否定する事になる。何があろうと、何を考えようと、自分は敷かれたレールを前に進むしかない。
考えるだけ無駄なのだから。誰も救ってはくれないし、誰も理解などしてくれない。
だから自分は独りであり続けるしかない。たとえそれが本当の"リタ"としてでは無く、"剣姫"や、"ジェードのお飾り"だとしても。
そんなどうしようもない、ぐちゃぐちゃで目を背けたくなる真っ黒な感情が、藍色髪の少女を少しずつ追いつめていく。
だから逃げるように、何も考えぬように、一心不乱に剣を振った。
それが、本当の自分を唯一肯定出来るモノだと思っていたから。
そんな時だった。
彼、リノアはひょっこりと現れた。
彼に対し、ヒソヒソと囁かれる好奇の目は、自分に向けられるものとは性質が異なり、悪意に満ちたモノだった。
何かとんでもない悪事でも働いたのかと思ったが、それは何ともくだらない理由で、彼本人にはどうしようも無い事だった。
空魔奴の存在は知っていた。極限まで魔力を持たない存在、いわゆる魔力枯渇障害で、生きる上で常に誰かの世話にならなければならない存在。
魔力は神が与えた神聖なモノである、という聖教会の考えが浸透している王国では、神に嫌われた忌み人であるとまで言われている。
自分以上に奇異な目を独占する存在がいたのかと、リタは素直に感心し、そして哀れみ、少しばかり安堵した。
しかし、そんな彼を改めてよく観察すると、リタの表情はみるみるうちに驚愕へ染められた。
それはリタが剣の天才だからこそ分かった。彼は根っからの剣士であると。脇目も振らず剣を振り続け、文字通り剣に人生を捧げているのだと、一目見て分かった。
その瞬間、リタの中で何かが芽生えた。
そして自分自身がどうしようもなくちっぽけに思えた。
空魔奴の少年、彼のこれまで人生の日々を思うと、想像するだけで身震いを起こす。
人としてのあり方一切を否定され、尊厳さえ踏みにじられ、いい標的だと人々のストレスの掃き溜めとされる。
そんなものが果たして人の歩む生と言えるのだろうか。
自らのちっぽけな悩みなど、彼に比べてみれば霞んでしまう。
だからこそ彼の姿が、リタには堪らなく眩しく、そして自らの希望のように思えたのだ。
自身に全力で牙を剥く世界を相手に、挫ける事も許されず、同情される余地もない。
そんな中で彼は、ひたすら愚直に前に進む事を決め、存在するかも分からぬ未来を掴むため、ただ一つ、信じた剣を極め続けてきたのだ。
それがどれほどの苦痛にまみれ、どれだけの感情を押し殺し、いくつの涙を飲んできたのか、ちっぽけなリタには想像もつかない。
何が彼をここまで強くしたのか。
何が彼の支えとなったのか。
リタは何がなんでも知りたくなってしまった。
彼が返してきたのは本物の"力"だった。
洗練された動きと剣筋、それらに一切の無駄は無く、剣の天才と呼ばれたリタも舌を巻く程の技量であった。
あの時は半信半疑であったが、今であればわかる。
彼は本当に、自らの身一つであの力を手に入れたのだ。
一体どれほどの修練を積めばこんな動きができるのだろうかと、リタはただ驚愕し、嫉妬すら覚える自分に気づいた。
そんな彼に投げられた冒険者連中からの心無い言葉の数々。
その時のリノアの表情を、今でも鮮明に覚えている。
何を言うでもなく、落胆するでもない。
いつものことだと、言われるのは仕方がないと、諦めたように下を向くあの表情。
これほどまでに逆境に抗い、踠き、這い上がろうと必死になっている者に、なぜそんな言葉を浴びせられるのだろうか。
未だ恐怖に小さく縮こまった冒険者達。
理解する事を放棄した彼らに、再び怒りが燃え上がる。
(何も知らない癖に)
あれほどの技術をたった独りで身に付けたリノアを、あのような表情にするまで追い込んだモノ。
それが、それがこんなにも矮小でちっぽけな存在だったのかと。
考えれば考えるほど怒りは収まらない。
やりきれない。
そんな中、いつしか自分と彼を重ねている自分がいる事に気がついた。
しかし、果たしてそれは正しいと言えるのだろうか。
自分と彼とでは何もかもが違いすぎる。
自分と比べるには、彼はあまりに大きすぎるのだ。
あの強さと折れぬ心は、何よりリタが欲しかったモノだから。
剣の技量もそうであるが、人としてのあり方があまりにも強烈にリタを揺さぶった。
だから、そんな彼を罪悪感すら持ち合わせず、当たり前のように貶める彼等を決して許すことはできない。
空魔奴だから?
魔力がゼロだから?
役立たずだから?
果たしてそれが何だと言うのだろうか。
それで彼が、何か彼らに迷惑をかけたとでもいうのだろうか。
誰かが言っていた。名前に傷が付くと。だから空魔奴は消えろと。
そんな事で傷が付くほどの名なら、そんなものは今すぐ捨ててしまえばいい。
ちっぽけな自尊心を満たすための名前など、犬にでも食わせてしまえばいい。
ここは根本からおかしいのだ。
何もかもが歪んでいる。
誰も過ちを直視せず、嫌なモノにはフタをするだけで、自らは何もせず、ただ徒党を組んで強くなった気でいる連中ばかり。
冒険者連中もそうだが、それを傍観する周りの連中もそうだ。
あれだけ小さな子どもが足掻いているのに何の手助けもしてやらない。
しようとすらしていない。
それどころか徒党を組んで彼を貶める手助けまでする始末。
タチが悪いなんてモノではない。
コイツらは悪魔だ。
人の人生を貶める、人の尊厳を奪う下劣な魔物だ。
だから言ってやる。
無駄だと分かっていても。
たったひと時の、自分ごときの小さな反抗ではあるが、この巨大な悪意に亀裂を刻む事ができるなら、そのきっかけとなれるのなら――
言い聞かせるように、紡ぐように、リタは声を胸の底から絞り出すように並べ始める。
「――なぜ彼に手を差し伸べてやらなかった」
例え何も変わらなくとも――
「なぜ優しい言葉の一つもかけてやる勇気を持てなかった」
何一つ彼等の心に響かなくとも――
「彼を追い詰めたのはジェードだけじゃない。ここにいるお前達のような連中全員だ。……業魔など可愛いものだ。本物の悪魔は、本当の化け物は、――お前達だ」
ぐちゃぐちゃになった激情。
それは震えた声となってギルドへと消えていった。
それがどれほどの意味を持っているのか、リタにもわからない。
彼らが何を思ったのか、自分には知る由もないのだから。
ああ、自分は本当に何をしているのだろうか。
たった一度、それも数秒剣を交えただけの少年のために、ここまで熱くなってしまうなんて。
いや、どうであろうか。
これはただ単に、ずっと前から自分が叫びたかった事なのかもしれない。
リタはギルドを見渡す。
だが、誰も何も言わない。
言えないという方が正しいのかもしれない。
リタは最後に彼らを一瞥し、ギルドを出た。
彼女の後を、小さな涙の雫が追っていた。
◇◇◇
「おいおいどうしたよ。目元真っ赤にしやがって」
「グスッ……な、何でもありません。それよりお待たせしました。東の森へ急ぎましょう」
「……そうかい。まあ聞くなってんなら聞かねえが」
アリアスは驚きの表情を浮かべ、ギルドの入り口から目を腫らして出てきたリタを見ていた。
リタはゴシゴシと袖で隠すように目を擦る。
そして気持ちを切り替えるように小さく一息をつく。
アリアスは不思議そうにギルドの入り口を見た。
そう言えばリタがギルドから出てきた後、ギルドから声がまったく聞こえてこない。
やはり何かあったようである。
何か落胆したような雰囲気のリタを見ながら、アリアスが困ったように頭をポリポリとかいた。
「カーズ、ワジムも待たせたわね。ごめんなさい。改めて案内を頼むわ」
リタがカーズとワジムへ謝る。
泣いていたリタを見ても、2人は特に気にした様子はない。
「いえ、とんでもありません。ギルドもほとんど取り合ってくれませんでしたし、お二人が来ていただけるだけで我々は大変感謝しています」
「そうですとも。剣姫と魔導騎士団の方に力添えいただけるんであれば百人力ですよ!」
カーズとワジムはニッと笑ってリタへ言う。
まるで何も見ていないというように。
リタはそれに少しだけ救われたように感じた。
だがリタは特にそれ以上何を言うでもなく、下を向いて何かを考えるような表情になる。
見かねたアリアスがリタの背を叩き、あえて目を合わさずに言った。
「しゃきっとしろ。行くぞ」
「……はい。すみません」
「なに、気にするな。若いんだから悩む事も必要だ。だろ?」
「そうですね。もう、大丈夫です」
目は腫れたままであるが、リタはいつもの自信げな表情を無理やり作った。
いつまでもウジウジと立ち止まってはいられない。
リノアが東の森へ行ったのが分かったのであれば、尚更急がなければならない。
リタは、今度こそ本当に大丈夫と言ったようにアリアスへ頷いた。
アリアスはそれを見て小さく笑うと、出発の合図をカーズとワジムへ送った。
いつも読んでいただきありがとうございます。
見ての通り文章がとっ散らかっていますが、少しづつ見直していきたいと思います……
頭の中の物語を文字に書き表すって本当に難しいです。
1話1話の長さも長すぎるので、もう少し短く纏めるようにしたいと考えています。
また、いつも誤字の指摘をしてくださっている方、この場を借りてお礼を申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い致します。