リタと魔導騎士
ガヤガヤとした町の喧騒の中。
多くの商店が軒を連ね、それを求める人々で賑わういつもの町模様。
そんな中を、1人の少女が人を縫うように駆けていく。
藍色髪の短髪。
腰には白銀色の長剣を携え、革帯には杖と、念のため多めに用意した治癒に使用する護符が連なる。
彼女を先導するように、1人の若い男が走っている。
彼はリヴァインオルドの屋敷に息絶え絶えで駆け込んで来た男。
D級冒険者であり、話によれば"業魔"に襲われたパーティの生き残りであるという。
パーティは全員で7名。C級5人とD級2人という構成だったそうだ。
彼の後ろを不安げな表情で追う少女。
藍色髪のリタ・シェールブルクは、C級5人を一瞬で殺したという"業魔"について考えていた。
まず結論として、魔物は間違いなく"業魔"ではない。
C級5人を屠った戦闘力は確かに脅威ではある。
だがこの辺りに出没する魔物の実力を鑑みても絶対にあり得ないという事はない。
基本的にそれほど強くない魔物が出没する場所であっても、稀に強力な魔物が出現する事はある。
しかしそれらはあくまでもその地域の中で、比較的突出しているというだけだ。
結局はその地域内の常識の範疇から抜け出す事はできない。
他所のレベルの高い地域の中では、ただの雑魚にもならなかったりする。
だから、この時リタはそれほど危険な目に合う事は無いだろうと考えていた。
そもそも危険な魔物が出没した際には、領主が兵を動かすのが一般的である。
無論リタも、リヴァインオルドの兵を借り受けようかとも考えた。
だが当主ジェノバ様が不在であった為、勝手に兵を動かす訳にもいかない。
しかし現在、リタはそんな事よりも気になっている事がある。
リノアの妹であるアリス。
彼女がジェードと奴隷商に連れ去られた事についてだ。
恥ずかしながらも自分の婚約者であるジェード。
彼がここまで愚かであった事に気付けなかった自分に腹が立つ。
そして同時にリノアへ申し訳ない気持ちでいっぱいになっている。
リタはこう考えていた。
もしやジェードはリノアに嫉妬したのではないだろうか?、と。
ジェードは確かに自分の婚約者である。
しかし自分は一切彼に付き合わなかった。
傲慢と暗愚を体現したかのようなジェードだ。
リタは彼のような人間を心から嫌っている。
近づくのですら嫌だった。
だからリタはジェードを拒絶し続けたのだ。
彼が顔を見せるだけでその場を去り、向き合う事すら一切しなかった。
いやらしい事を要求された事もあったが、長剣の柄で殴り倒してやった。
せいせいしたが、ちょっとやりすぎたかなと反省したりもした。
だからジェードは怒ったのだろう。
自分には見向きもしないくせに、何故他の奴と楽しげに話しているのかと。
つまり、彼の怒りの矛先をリノアへ向ける手伝いをしてしまったのは、他でもない自分なのだ。
ジェードがギルドに現れると予想できなかった事もあるが、自分の軽率な行動が、結果としてジェードを更に怒らせたのだ。
何とも笑えない冗談だ。
彼は権威を自尊心を満たすための道具としか考えていない。
絶対に逆らえない相手に対して安全圏から攻撃するなど、人としてのあり方が既に終わっている。
腹が立つからから痛めつける。
言うことを聞かないから嫌がらせをする。
思い通りにいかないから貶める。
それでは駄々をこねる子供と何も変わらない。
しかし彼を取り巻く環境がそれを許して来たのだ。
いつしかそんな駄々が彼にとって当たり前となり、絶対的なものになってしまったのだろう。
それはさしずめ勇者の力を持った暴君と言ったところか。
誰にも干渉できず、誰にも止める事はできない。
辺境という閉鎖的な空間が生んだ歪みとも言えようか。
残酷にもリノアとアリスはその歪みの犠牲となってしまったのだろう。
だがそれもここまでだ。
これ以上あの兄妹に負い目を背負わせる訳にはいかない。
見過ごせる訳がない。
これはジェードを見誤った自分の落ち度だ。
自分が決着をつけなければならない。
だから――
(私の剣をもってしてでも。必ず正してみせる)
リタは決意を固めるように長剣の鞘を握り締めた。
そんな中、前を行く若い男がチラリとリタを見て言った。
「仲間と合流するので一旦ギルドに寄ります!」
リタはコクリと頷き返す。
自分もギルドへは用事があったのだ。丁度いい。
ギルドへ到着すると、若い男がキョロキョロと辺りを見回す。
そしてギルドの隣にある酒場の方をチラリと見ると、安堵したような表情を浮かべる。
つられてリタも酒場の方へ目をやる。
酒場の入り口。
ちょうど今しがた出てきたところであろうか。
中年の冒険者の男と、真っ赤なローブに身を包んだ背の高い男がいた。
向こうもこちらへ気づいたようだ。
酒場から出てきた中年の冒険者が、リタを連れていた若い男を見て表情を和らげる。
そして「おお! カーズか!」と声をあげる。
そこでリタは合点がいった。
あの中年の冒険者は、彼の仲間なのだろう。
つまり壊滅したという7人パーティの内の1人だ。
そういえば屋敷へ来た彼、未だに名前を知らなかった。
カーズと言うらしい。
カーズは自分の名前を呼んだ中年の男へと歩み寄ると、2人で小さく頷き合う。
そして中年の男の隣。
赤ローブの男へと目をやる。
「ワジムさん。こちらの方は?」
カーズが紹介を促すと、ワジムと呼ばれた中年の男は「ああ」と言い、経緯を話し始める。
「彼は魔導騎士団の一員だそうだ。なんでも"業魔"を倒してくれるらしくてな。……申し訳ないが頼らせてもらうことにしたんだ」
ワジムがそう言うと、カーズは驚いて聞き返す。
「あの魔導騎士団ですか……? 本当に?」
その言葉を聞いた赤ローブはムッとした表情を見せる。
「ったく……。やっぱりこの凡庸な面がいかんのかねぇ」
赤ローブは渋々といったようにカーズへ背中を見せ、「ほれ」と言いながら親指で"穿つ赤龍"の刺繍を指さす。
それを見たカーズが目を見開きながら言う。
「じゃあ本当に……」
「そうだよ。まったく……人を面で判断しやがって」
「す、すみません。まさか王都の魔導騎士団の方がこんな所にいるはずが無いと思いまして……」
「……まー確かにこんな田舎に顔見せる事はほとんど無いけどな。なんつーか今回はちょっと野暮用でな」
そんな会話の後ろ。
リタは目を丸くしながら赤ローブを凝視していた。
(魔導騎士団? なんでこんな所にいるの?)
しかし、彼が見せた"穿つ赤龍"の隊紋章は、確かに王国の魔導騎士団のものだ。
この地、リヴァインオルド辺境伯領は王都から遥か東に位置している。
こんな辺鄙な田舎に、王都中枢の人間がいる事自体が珍しい。
野暮用と言っていたがこんな辺境に何の用であろうか。
軽装だが軽鎧も着用した上に、魔導騎士団を示すローブも羽織っている。
身分を明かした上での訪問。
つまりは仕事なのだろう。
こんな所に出張?
何の為に?
考えれば考えるほど分からない。
瞑目しながら首を傾げているリタ。
するとそんな彼女の気配を感じ取ったのだろうか。
赤ローブは一瞬リタを見る。
すると、みるみるうちに目を丸くしていく。
まるで何かに気がついたような顔である。
赤ローブは慌ててリタへと歩み寄り、顔を覗き込むように彼女を間近で見る。
困惑するリタ。
彼女は歩み寄る彼からぎこちなく距離をとった。
だが赤ローブはリタの様子を見ても、特に気にもしていないようだ。
状況の飲み込めないリタを、真剣な表情で見ている。
すると顎へ手をやりながら考える素振りを見せ、「やっぱり」と呟く。
「嬢ちゃんもしかしてリタじゃないか? ああ、顔立ちもそうなんだが、その仕草とか勝気な雰囲気とか、リーシャにそっくりなんだよな」
それを聞いたリタは確信した。
(間違いない。この人本当に魔導騎士団の人だ)
リタの姉、リーシャ・シェールブルクは魔導騎士団の副団長を務めている。
彼女は弱冠23歳にして数々の武功を打ち立て、王国ではちょっとした有名人である。
功績を認められ、異例の出世で副団長という地位まで上り詰めたのだ。
賄賂や実家の権威に一切頼らず自らの力でその偉業を達成したとして、巷ではかなり人気を博している。
言わば時の人である。
彼女を一言で言い表わすのならば、まさに叩き上げの猛将と言えよう。
そんな魔導騎士団のリーシャをまるで真近で見てきたかのような発言。
それは赤ローブの男が魔導騎士団の人間であると確証たらしめるのに十分だった。
リタは納得しながらもぼーっと渋い表情で突っ立っている。
それを見た赤ローブは「ありゃ?」と言いながら首をかしげる。
「すまんすまん。人違いだったかな。あまりにも似てるからつい興奮しちまったよ。悪かったな」
赤ローブは頭をポリポリとかき、リタへそう謝る。
しかしリタが気が付いたように顔をあげ、慌てて頭を振って否定する。
「すみません、つい考え込むとぼーっとしてしまう癖があって……。いえ、人違いではありません。私はあなたが仰る通りリーシャの妹で、リタ・シェールブルクという者です。魔導騎士団の方との事でしたね。いつも姉がお世話になっております」
リタはペコリと頭を下げる。
赤ローブはそれを聞いて歓喜の声を上げた。
「おお! やっぱりそうだったか! ははは、やはり俺の目に狂いは無かったな! いやあ良かった良かった! あの頭の固い槍術バカの事はよく知っているとも! 魔導騎士団ではアイツに散々振り回されたからな……。来る日も来る日も面倒な事ばっかり背負い込みやがって、こっちの身にもなれってんだよったく。口を開けば正義正義と今時流行らねえ事ばっかりしやがるから――」
「……」
何やら余計なスイッチを入れてしまったようだ。
赤ローブは何故かリーシャの事を「バカ」だの「頭でっかち」だのと言いながら、延々と彼女について語り出した。
リタが「あの……」と言いかけてもまったく止まる気配がない。
次から次にリーシャと自分のエピソードを持ち出しては、溜まっていた鬱憤を晴らすようにブチまけている。
リタはそれを無表情で聞きながら完全停止していた。
これは愚痴なのだろうか。
基本的に話す内容はリーシャに対する批評なのだが、特段彼女を毛嫌いしている様子はない。
寧ろ何かしらリーシャに言いたい事があるようで、それを代わりに自分へぶつけているような印象さえ受ける。
しかしこの男、本当に饒舌である。
そして畳み掛けるように、リタは男からツンとした匂いを感じた。
(あ、お酒の匂い……)
リタは赤ローブを制するように右手を上げ、「ストップ」を無言で告げる。
赤ローブはそれを見てピタリと止まり、すぐに自分がやらかした事に気がついたようである。
「失礼ですがお酒、飲まれてますよね? 積もる話もあるようですが、今は例の"業魔"に対処するのが先ではありませんか?」
すると赤ローブは右手ですまんと顔の前に手を出し、小さく頭を下げた。
「悪い。リーシャの妹だからって君にこんな話してもしょうがないよな。ああ、くそ。悪い癖が出ちまった」
「いえ、お気になさらず。では私はギルドへ少し用事がありますので。森へは後から追わせていただきます。えーっと……」
「俺の名前はアリアスだ。アリアス・ユーベルム。辺境男爵ユーベルムの小倅だ。……なんだ、君も業魔狩りに来るつもりか。ギルドへの用事ってのはすぐ済むのか? 色々と聞きたい事もあるし、1人で森を歩かせるのは気が進まん。できれば一緒に森へ行きたいと思ってるが」
「分かりました……。でしたら少しだけお待ちを。すぐに戻ってきますので」
「おうよ」
リタはアリアスと名乗った赤ローブにペコリと頭を下げると、ギルドへ足速に入っていった。