落ちこぼれの日常
はじめまして。
拙い文章ではありますが、よろしくお願いします。
頬に鈍い衝撃が走った。
リノアは自分が殴られたのだと分かった。
少しばかり身を引いて受け身を取ったつもりだったが思いのほかいいパンチだった。
数歩ヨロヨロと後ずさるとペタンと尻餅をついてしまう。
そんなリノアの様子を見おろす者が3名。
殴った張本人。子供にしては大柄な体躯の少年。
リノアを殴ってご満悦なのか、下卑た満足げな表情だ。
彼に付き従うように、背後にも2人の少年がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
通りかかった大人がギョっとしてリノア達を見たが、目をそらすように去っていく。
関わりあうのはよそう。大人たちの目からはそんな怯えた表情が見える。
リノアは去っていく大人たちを見ても特に責める気はない。
仕方のない事だと分かっているから。
無論、リノアの目の前の少年達もそれは承知の事だ。
自分たちが何をしようと、平民である村人は傍観するしかない。
リノアを殴った少年。村の領主の息子で、貴族であるジェードにはそれがちゃんと分かっている。
彼の後ろに控える2人の少年も、領主に使える家臣の息子達だ。
リノアはただの村人である。
それも100万人に1人とされる"空魔奴"であり、通常持って産まれるはずの魔力をほとんど持っていない。
生活に欠かせない魔法をまったく使えないのだ。
まともな仕事につく事は難しく、常に誰かに支えられねば生きられない存在。
世間では卑下と嘲笑の対象だ。
そんなリノアに白羽の矢がたつのは当然の成り行きだった。
来る日も来る日もジェードたちの気分で玩具にされた。
殴る蹴るは当たり前。
まれに魔法の試し撃ちの的にされたり、もっと酷い時には実剣で斬り付けられたりもした。
それでも命だけは取られなかったのは運が良かったのかもしれない。
リノアはジェードに極力目を合わせないように下を向く。
自分はいつものように無抵抗で歯向かう気など無いと態度で示しているのだ。
空魔奴の自分が歯向かったところで万に一つも勝てないと分かっている。
それにリノアとジェードの間には村人と貴族という絶対的な身分の差がある。
ジェードを少しでも傷付けただけで、リノアは斬首されても文句は言えない。
リノアの様子を見ていたジェードはつまらなさそうに鼻をフンと鳴らす。
そして思い付いたように口端を吊り笑みを浮かべると、腰に下げてあった細長い杖をリノアへと向けた。
「喜べよ空魔奴。今日の俺はすこぶる機嫌が良い。なんせ父上から新しい"魔技"を習ったのだからなぁ!」
リノアがビクリと身体を震わせる。
「おお! それは素晴らしい! さすがは領主ジェノバ様のご子息であらせられるジェード様は違いますな! その歳でいくつも"魔技"を使いこなされるとは!」
「まことにその通りです! 是非この目で見てみたいものですな!」
ジェードの取り巻きは媚びへつらうように魔技を使えと囃し立てる。
もちろん、標的はリノアだ。
その言葉を聞いたジェードはにんまりと笑う。
「よかろう! 見せてやろうではないか!」
ジェードが杖を少しだけ振り、自分の魔力を杖の先端に集中させる。
途端に風が吸い込まれるように杖の先端に集まっていく。
風の塊がこぶし大程の大きさになった所で、ジェードは表情を一段と歪めて杖を振り下ろした。
【魔技:風弾初級】
ジェードは眼前に彼にしか見えない魔技の技名が浮かぶと、一切の躊躇なく風の塊をリノアへと放った。
リノアは恐怖で小さく悲鳴を漏らす。
だがリノアは避けるとジェード達の機嫌をそこね、更に酷い目に合うと考えた。
咄嗟に背を向けて両腕で頭を守った。
途端にリノアに風弾が直撃し、轟音と共に彼を吹き飛ばした。
リノアは余りの衝撃に息が一瞬止まり、嗚咽と共に空に巻き上げられる。
そして数メートルの高さから地面に叩き落とされ、動かなくなる。
着地が悪かったのか。左腕が関節と逆の方に折れていた。
左脚も折れているらしく、熱がこもっている。
リノアはあまりの激痛に悶絶していた。
文字通り、身体を動かすことすらできない。
ジェード達はそんなリノアを見ながらケラケラと笑い声を上げている。
「素晴らしい! これほどの威力とは恐れ入りましたジェード様!」
「いやまったく! これはジェード様が以前から羨望されておった魔導騎士団に入る日も遠くはないでしょうな!」
ジェードは取り巻き2人の賞賛に鼻をならす。
「まあ付け焼き刃ではこんなものだろう。父上であれば土猪を屠るほどの威力で放てるであろうがな」
ジェードは杖をしまいリノアに歩み寄ると、足でリノアを仰向けに転がした。
リノアの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっており、苦悶の表情で呻いている。
するとジェードは満足したようで、満悦といった様子で取り巻きと去っていった。
リノアだけが残され、小さな呻き声が響いている。
だがそばを通りかかった誰もリノアを介抱しようとしない。
気の毒そうな表情を浮かべる者、見て見ぬ振りをする者、汚れたモノでも見るような表情をする者。
彼らの誰も、リノアへ声をかけようとすらしない。
できないといった方が正しいのかもしれない。
そんな時間が1時間ほど過ぎた後、1人の少女がリノアを見て息を詰まらせた。
すると目に涙を溜めながら持っていた藁袋も投げ出し、リノアの元へ駆け出す。
そして這いずるようにそばへ寄った。
ボロボロのリノアの痛ましい傷を見た少女は、小さく叫ぶ。
少女が辺りを歩いていた人々を睨む。
彼らは足早に去っていった。
少女はリノアを抱き抱え、リノアの名前を何度も呼びながら揺さぶった。
リノアが再び小さく呻き声を上げると、少女は安堵の表情を見せた。
そして優しげな目でリノアへ語りかける。
「お兄様、わかりますか? 私です。アリスです」
その声を聞いたリノアがわずかに瞼を開ける。
アリスと名乗った少女はリノアを安心させようと、目元を腫らした顔で笑みを作る。
「お兄様、立てますか? 少し痛むかもしれませんが、家まで我慢して下さいね」
アリスがリノアの脇へ自分の肩を入れ、リノアを立たせる。
幸い男子であるリノアは年齢のわりには小柄であるため、アリスはそれほど苦もなくリノアを立たせる事ができた。
リノアは意識が朦朧としていたが、苦悶の表情と声を出しながらも、何とか折れていない右足でバランスを取る。
アリスは苦痛に呻くリノアを痛々しげに見ながらも、少しずつ家の方へ向かう。
時折崩れ落ちそうになるリノアを抱え直し、進む。
そんな中、リノアがポロポロと涙を零した。
リノアがアリスから顔をそらす。
それは苦痛によって流した涙ではない事を、2人は分かっていた。
アリスは見ないふりをし、家路を急ぐ。
「うっ……」
リノアは少しずつではあるが意識がはっきりとしてきていた。
アリスをチラっと見て目が合うと、アリスが笑みを浮かべ、リノアは気恥ずかしそうにそっぽを向く。
なんだかいたたまれなくて、痛くて、そしてくやしくて。
リノアはまた耐え切れずにポロポロと涙を地面へ落とす。
「痛みますか?」
「ああ……、そうだな」
「ふふっ、これは帰ったら治癒に時間がかかりそうですね」
「……すまない」
「なぜお兄様が謝るのですか?」
「だって俺は……、空魔奴だから」
「だから?」
アリスが歩みを止める。
お互いの息と息がかかる至近距離で、アリスはリノアをジッと見つめる。
リノアはそんなアリスに気圧されたのか、「迷惑をかけてすまない」と言いかけて言葉を飲み込んだ。
アリスは空魔奴のリノアを今までずっと支えてきてくれたのだ。
リノアがどれだけ罵られ、嫌悪され、害をなされ、あろうことか空魔奴ではないアリス自身にも害が及びかねない状況であっても、アリスはリノアを見捨てなかった。
両親ですら見捨てたリノアを、アリスは見捨てなかったのだ。
なぜこんな厄介者の自分を自らが誹りを受けてまで支えてくれるのか、リノアは未だに分からなかった。
リノアがアリスになぜ自分を見捨てないのかと聞いても、「お兄様だからです」としか答えてはくれないのだ。
そんなアリスに、今更謝るなど野暮であるとリノアは考えた。
「いや、何でもない」
リノアが気恥ずかしそうに言うと、アリスはまた笑みを浮かべた。