第99話 君の"特別"になっていた
「本題というのはね、ガーネットのことなんだ。その件で君とはゆっくり話がしたかったんだよ」
「ガ、ガーネットさんの話ですか……」
我ながら露骨過ぎるくらいに声が強張っていた。
護衛する側とされる側の関係とはいえ、一つ屋根の下で二人きりの生活を送っている少女の兄が、妹の件で俺と一対一で話がしたいと言い出したのだ。
この状況で平常心を保てる奴がいたら顔を見てみたい。
「そんなに畏まらなくてもいいさ。ガーネットのことは普段と同じ呼び方で呼んでやってくれ」
カーマインは軽い態度でそう言うと、俺の反応を待たずに言葉を続けた。
「……君の前だと、ガーネットはいつもあんな風に笑うのかい?」
「夕食のときみたいにですか? ……そうですね、最近は特に増えた気がします」
「そうか、それはよかった」
感慨深そうに頷きながら、カーマインは紅茶のカップに口をつけた。
「君の前ではあれが普通なんだね。安心したよ」
「多分、今の生活に慣れてきたんだと思います。最初の頃は全然違いましたから」
何がきっかけになったのかは、正直よく分からないが――分からないということにしておこう――近頃のガーネットの態度からは棘を感じなくなっている。
あくまで俺に刺々しさを向けてこないというだけで、他人に対しては出会った当初の辛辣さを見せたりするのだが。
「いいや、君だけが特別なんだ」
カーマインは一切の迷いなく断言した。
「身内として情けない話なんだけど、ガーネットが屈託なく笑う姿なんて、もう何年も見ていなかったんだ。だから心底驚いたよ」
一体どうして――という疑問は不思議と浮かばなかった。
ガーネットが少女らしく笑わなくなった理由に、もう既に心当たりがあったのだ。
それはガーネットの秘密、即ち本当の性別を知って間もなくのこと。
ドラゴンに負わされた致命傷を【修復】した翌日に、実は胸の古傷まで消してしまっていたということで、古傷の復元を依頼されたときのことだ。
この厄介な案件を成功させるために、全力で【解析】と【修復】を試みたところ、ガーネットの記憶としか思えない光景が頭の中に流れ込んできたのである。
燃え盛る屋敷の中、突き出された凶刃から幼いガーネットをかばって息絶えた一人の女性の姿が――
「ガーネットは幼い頃に母親を亡くしているんだ。それも目の前で殺されるという形でね」
――だから俺は、カーマインの言葉を落ち着いて受け止めることができた。
「おや? 驚かないんだね」
「そんなことはありませんよ。それよりガーネットの母親というと、貴方にとっても……」
「ああ、実は違うんだ。僕の母親はもっと前に故人になっていて、ガーネットの母親は父上の再婚相手なんだよ。僕から見れば姉のように若い女だったから、いやぁ驚いたの何の」
つまりガーネットとカーマインは母親違いの兄妹なのか。
実はガーネットの素顔を知るよりもカーマインと会う方が先だったのだが、顔を見たときに『あの男と似ている』とは感じなかったのも、その辺りに原因があったのかもしれない。
「閑話休題。下手人はすぐに討ち取られたけど、襲撃を指示した黒幕は未だに居場所を掴めないでいる。そして、ガーネットは黒幕を自らの手で捕らえたいと言って騎士になったんだ」
「黒幕というのは……ミスリルの密売と関わりがある人物なんですね」
「恐らくはね。騎士団が密売業者を摘発した報復だというのが有力な説だ」
だからこそガーネットは、グリーンホロウ・タウンへ来た当初は俺を酷く敵視していたのだ。
ファルコンを勇者に推薦した大臣の濡れ衣で、俺は勇者の殺害とミスリル密売の容疑を掛けられていた。
この疑いを晴らすためにやって来たのが銀翼騎士団の面々であり、ガーネットはその一員として俺と出会ったという流れになる。
しかしガーネットは個人的な感情から俺をミスリル密売犯と決めて掛かっていて、何かと噛み付いてくることばかりで――ああ、今思い返しても最悪に近いファーストコンタクトである。
「君は察しが良いから、事細かな説明は不要かな。ガーネットが今のような性格になったのは、騎士になると決意して以降のことだ。それ以来、僕も父上もあんな笑顔を見たことがなかったんだよ」
にもかかわらず、いつしかガーネットは、俺の前で屈託のない笑顔を見せるようになった。
理由は――先ほどカーマインに答えたように、今の生活に慣れてきたからだと考えることにしていた。
慣れない環境で気を張っていたが、最近になってようやく緊張を緩めることができるようになり、普段の表情を出せるようになったのだと。
しかし、カーマインはそれを否定した。
兄である自分ですら、ガーネットのそんな笑顔はずっと見たことがなかったと。
「君はガーネットにとっての特別だ。父上は快く思わないだろうけど、僕としては妹の意志を尊重したいと思っている」
「俺が、特別……」
「自覚はあったんじゃないかな?」
「…………」
そんなものは自惚れだ、として考えないようにしていたことを、カーマインから直々に突きつけられる。
身の程を弁えろという心の声が、思考に強烈なブレーキを掛ける。
大成できなかった冒険者崩れの武器屋風情と、騎士団長の家系の娘。
本来なら自意識過剰の極みである。
甘ったるい大衆小説よりもずっと考えが甘いと言わざるを得ない。
「僕はね、今すぐ君を騎士に推挙することは反対だけど、いずれ状況が落ち着いた暁には、改めて推薦したいと思っているんだ」
「……それは、黄金牙騎士団との政争のためですか?」
「分かりきったことを聞くものじゃないよ」
微笑み混じりに受け流されてしまったが、何を言わんとしていたのかは想像できる。
想像はできるのだが――やはり自惚れるなという心の声が邪魔をする。
もしも口に出してしまったら、自分で自分を軽蔑せずにはいられなくなりそうだ。
「これは騎士団長ではなく兄としてのお願いだ。どうか命だけは大切にして欲しい。母親だけでなく君まで失うとなれば、ガーネットは二度と立ち直れなくなるか……あるいは、今以上に壊れてしまうかもしれない」
「……言われなくてもそうします。命あっての物種ですから」
「ありがとう。そう思ってくれているなら、僕も大いに貢献しないわけにはいかないな」
カーマインは残りの紅茶を飲み干すと、二人分の紅茶セットの代金に相当する銀貨を置いて、おもむろに椅子から立ち上がった。
そして椅子に座ったままの俺の隣に立ち、周囲からの視線を遮るように上体を屈める。
「これは少しばかり法に触れる形で収集した情報だ。黄金牙から発表があるまではガーネットにも黙っていてほしい」
軽薄さが消え失せた鋭い声でそう告げられ、思わず息を呑む。
大勢の人々の声と無数の物音が入り交じる喧騒の最中は、まさかこんなところでという心理的な先入観も相まって、人目をはばかる話をするための穴場となっている。
木の葉を隠すなら森の中、声を隠すなら喧騒の中というわけだ。
夕食時を迎えた『春の若葉亭』の食堂スペースはその好例であった。
「黄金牙の諜報員が『魔王城領域』のドワーフと秘密裏に接触したらしい。彼らは魔王軍を侵略者として嫌い、二人の魔将が討たれたことも知っていたが、決してそれを喜びはしていなかった」
カーマインは声を潜めたまま、しかり俺だけにははっきりと聞こえるように、衝撃的な一言を口にした。
「四魔将は不死身だ、いつか必ず蘇る。彼らはそう言って恐れ慄いていたそうだ」
「必ず……蘇る……」
脳裏に魔将の一人――ノルズリと名乗るダークエルフの戦士との戦いが思い浮かぶ。
奴は俺を最大の脅威とみなして排除しようとしてきたが、他の誰かにその認識を伝える前に息絶えて、死体もブランが操るマッドゴーレムによって破壊された。
だがもしも、それでもなお蘇ることができるのだとしたら、ノルズリの俺に対する警戒心が魔王軍の中枢へ伝わってしまうかもしれない。
「あくまで言い伝えに近い話らしくてね。蘇る手段や所要時間、それどころか事の真偽も不明だ。それでも気をつけておくに越したことはないと思うよ」
「……はい、ありがとうございます」
カーマインは俺の肩に手を置くと、さっきまでの飄々とした態度を取り戻して笑いかけてきた。
「まぁとにかく、うちの妹を泣かせるような真似はしないでくれたまえよ。もちろん色んな意味でね」
「分かっていますよ。できるはずないでしょう」
今度こそ立ち去って宿を出ていくカーマイン。
それと入れ替わるようにして、宿のエントランスからガーネットが戻ってきた。
「おい、白狼の。兄上と何を話してたんだ」
「簡単にまとめるなら、お前のことをよろしく頼むってところかな」
「嘘くせぇな。本当は余計なこと吹き込まれたんじゃねぇのか?」
ガーネットは落ち着かない様子で、カーマインが立ち去っていった方をそわそわと見やっている。
その様子を眺めているだけで不思議と笑みが浮かんできた。
「……何だよ」
「いや、何でもない」
まったく、俺は臆病者だ。今の関係、今の距離感を崩したくないと思っている。
けれど焦る必要もないはずだ。きっかけがあってからでも遅くはない。
俺はそんなことを頭の片隅で考えながら、宿を出て二人の家へ帰ることにしたのだった。




