第98話 想定外の二人きり
ノワールを自室に送り出したところで、ガーネットが二人がけのテーブルに座ったまま、非難がましくこちらを見やっていることに気がついた。
しまった、つい長々と話し込み過ぎたようだ。
夕飯の注文も待たせたまま放っていたら、流石に不機嫌になられても仕方がない。
慌ててテーブルの方に向かうと、ガーネットは片手を上げて従業員を呼びながら、むすっとした顔で俺に話しかけてきた。
「ったく、遅せーぞ。何やってたんだ?」
「アレクシアのことをノワールに伝えておいたんだよ。後で迷惑かけるかもしれないからな」
「そりゃ確かに。けどこっちも限界なんだっての。さっさと注文しちまおうぜ」
手早く注文を伝えて料理が届くのを待つ。
しかしガーネットが注文した料理は調理に時間が掛かるらしく、先に届いたのは俺の分だった。
「むっ……」
「ほら、お前も食べとけ。腹減ってんだろ」
届いたばかりの料理を小皿に取り分けてガーネットに渡す。
「いいのか?」
「後でお前の分も分けろよ」
「へへっ、んじゃ遠慮なく」
そのまま二人で雑談を交わしながら夕食を済ませていく。
武器屋の仕事も魔王軍のことも関係ない、ごく日常的でありきたりな会話だ。
ガーネットも先ほどの不機嫌さが消え、にこやかな笑顔を浮かべて楽しそうに喋っている。
やがて食事が終わり、そろそろ帰宅しようかという話になったところで、一人の客が俺達のテーブルに近付いてきた。
「お二人さん、ちょっといいかな」
「あん? あっ! 兄う……!」
ガーネットが叫びかけて咄嗟に自分の口を塞ぐ。
俺も驚きのあまり危うく声を出しかけるところだった。
飄々とした雰囲気の金髪碧眼の色男――カーマイン。
銀翼騎士団の騎士団長でありガーネットの兄でもある男が、まるで一介の来客に過ぎないと言わんばかりの態度で笑っていた。
ガーネットは慌てて周囲の反応を伺い、カーマインを睨み上げた。
幸運にも食堂スペースは満員御礼の状態が続いていて、すぐ隣の席の会話すらよく聞き取れないほどに騒がしかった。
「な、何やってんだよ、兄上」
「この前も言わなかったかな? 単なる休暇だよ。ここは日頃の激務の疲れを癒やすにはピッタリな休養地だからね」
そしてカーマインはガーネットの肩に手を置き、俺の方を見ながら絵に描いたようなウィンクを飛ばしてきた。
顔立ちは割とガーネットと似ているが、表情のバリエーションは大違いだ。
「ところで、ガーネット。ちょっと席を外してくれないか。ルーク君と二人で話がしたくてね」
「……変なこと吹き込むんじゃねぇぞ」
「えっ、おい、ちょっと……」
ガーネットはあっさり席を立ってどこかに行ってしまい、空いた椅子にカーマインが腰を下ろす。
何てことだろう。まさかこんな状況に陥ることがあり得るなんて。
友好的で非儀礼的な態度をとっているとはいえ、相手は曲がりなりにも貴族の末席に名を連ねる騎士団長。
それも俺を騎士にするよう国王陛下に推薦している人物の一人なのだ。
この状況で緊張と警戒を抱かない方が難しい。
貴族の家系に名を連ねている冒険者は、ドラゴンスレイヤーのセオドアを始めとして何人か存在したが、大抵は跡継ぎになれない次男や三男が趣味でやっているだけだった。
しかし騎士団長を務めるほどの人物である以上、当主かあるいは次期当主クラスの立場であることは想像に難くない。
――更に言えば、他でもないガーネットの兄なのだ。
冒険者でも騎士団でも性別を問わずに活躍できるご時世に、男子限定女人禁制の組織構造を維持する銀翼騎士団――その頭領が保守的な思想でないとは考えにくい。
十代半ばに過ぎない妹が、倍近く年上の男と寝食を共にすることを、果たしてどう捉えていることか。
「ルーク君。ひとつ残念なお知らせがある」
「な……なんですかね」
「君を騎士として叙勲するという話なのだが、アルフレッド陛下から一時保留の決定を下されてしまってね。黄金牙からの推挙も含めて、対魔王戦争が終わるまで凍結することになってしまったよ」
残念そうに語るカーマインの態度とは反対に、俺は心の底から胸を撫で下ろした。
銀翼と黄金牙、二つの騎士団から同時に自組織の騎士として推挙される異常事態。
どう考えても両騎士団の政治的な駆け引きの一環であり、どちらを選んでも相手方との関係が悪くなりそうな針の筵だった。
国王という最高の肩書で問題を先送りしてくれたアルフレッド陛下には、心からの感謝を抱かずにはいられない。
「正直、ほっとしました。心の準備が全く出来ていませんでしたよ」
「ははは。そいつは無理もない。僕も推挙は時期尚早だと反論したんだけどね」
「……? 団長が推挙なさったのでは?」
俺がそう尋ねると、カーマインは「まさか」と言って笑った。
「今回の件は父上の発案だ。前騎士団長にして前当主のね」
「えっと、それはどういう……」
「説明はするよ。身内の話だから少々気恥ずかしいのだけれど。おっと、お嬢さん。紅茶セットを二つ頼むよ」
カーマインは途中でシルヴィアに紅茶を注文をしながら、流れるような口調で話の内容を切り替えていく。
「騎士団はウェストランド王国に屈服した国々の軍事組織であった……という事情は周知の事実として進めるよ。構わないね」
「ええ、存じています」
「ならよし。我ら銀翼騎士団も例外じゃなくってね、父上はまさしくアルフレッド陛下と戦場で激突した張本人だったのさ」
初めて聞く事実だったが、驚くべきことではなかった。
陛下は即位から今に至るまでの二十年間で、伝統的にウェストランドと呼ばれるこの地域の大部分を征服し、ウェストランド王国という名を冠する統一国家を築き上げた。
二十年間――国家レベルで考えれば、それは『たったの』と枕詞を付けることができる短い期間だ。
征服した国の指導者や軍司令官も、戦いの中で戦死していないのであれば、今もなお当たり前に生き続けているのである。
「降伏後も軍組織を存続させる条件として、父上は総司令官を含めた最高幹部の総入れ替えという条件を飲んだ。そうして軍組織は銀翼騎士団と名を変え、僕が騎士団長の座に就いたわけだ」
「……ん? あの、それだと貴方が初代団長ということになるのでは? さっきは前騎士団長と言っていまいたよね」
細かいところに気がつくね、とカーマインは感心した様子で反応した。
「正式にはその通り。改名と同時に就任したわけだから、僕が初代銀翼騎士団団長ということになる。けれど組織構造自体は昔と変わっていないから、父上のことも便宜上『前団長』と呼ぶことにしているのさ」
なるほど、分かりやすさを重視したということか。
「父上を含む旧幹部は揃って引退したけれど、未だに影響力が強くてね。僕としては旧来の保守的な制度は変えていきたいんだけど、なかなか順調に進まなくて困ってるよ」
騎士団の内情という、普段では知ることのできない事情を知って、色々と納得がいった。
旧態依然の採用基準を保ちながら、ガーネットが性別を偽って騎士団に加わることを許容する――この矛盾も、強い影響力を持つ前団長と未だ年若い現団長の方針の食い違いで説明できる。
「さてと、それじゃ本題に入ろうか」
「本題? 騎士叙勲の件が本題じゃないんですか」
「そちらも重要な案件だけど、休暇中の僕がわざわざ伝えなくてもいいことだろう?」
このタイミングでシルヴィアが紅茶を運んできたので一旦中断し、また別のテーブルへ移動していったのを確かめてから会話を再開する。
しかしカーマインが次に放った一言は、俺の思考を停止させるには充分過ぎる威力を秘めていた。
「本題というのはね、ガーネットのことなんだ。その件で君とはゆっくり話がしたかったんだよ」




