第91話 少女達の笑顔 前編
――ブランとの戦いの翌日。
何も知らずに普段どおり出勤してきたエリカは、店の前の変わり果てた光景を目の当たりにして、口をあんぐり開けたまま言葉を失ってしまっていた。
店の前の地面は盛大に耕されたかのように荒れていて、地面を深々と抉る大きな斬撃の痕跡やら、黒く焦げたクレーターやらがくっきりと残っている。
これらを十数人もの騎士が真剣な顔で検証し、現場に残された手がかりを念入りに探し求めている。
そして更に、シルヴィア率いる春の若葉亭の従業員達が、小さな天幕を立ててハーブティや軽食を騎士達に提供していた。
「なっ……何この、何……? お、おい、シルヴィア、どうしたんだよこれ」
「私もまだ詳しい話は聞かされてなくって。ルークさんに聞いてみたらいいんじゃないかな」
「そ、それもそうだな」
エリカは現場検証を邪魔しないよう、遠回りで慎重に店先まで移動して、目を白黒させながら店の中に飛び込んできた。
「店長ーっ! 何なんですかあれーっ!」
「おはよう、エリカ。悪いけど今日は開店休業になりそうだ。あれじゃ客も近付きにくいだろうからな」
ひとまず商品を陳列する手を止めてエリカを出迎える。
昨晩の戦闘の痕跡は、最寄りダンジョンの『日時計の森』へ続く道路にまで及んでいて、部分的に道路の幅の半分以上が通行禁止になっていた。
土人形が一体生成されるたびに、地面から人体一つ分の土が抉り取られる。
そして一体破壊されるたびに、同質量の土がその場にばら撒かれる。
結果、広範囲の地面が乱暴かつ無秩序に掘り返されまくり、歩くだけでも苦労する有様になってしまったのだ。
ダンジョンへ向かう冒険者にとってはいい迷惑である。
俺としてはすぐにでも【修復】して元通りにしたかったのだが、黄金牙騎士団からストップが掛かってしまった。
少しでも多くの手がかりを集めたいとのことだが、少しは住民のことも考えて欲しいものだと思わずにはいられない。
「お客さんが近付けないだろうなーってのは分かりますけど! 一体何があったんですか!?」
「それは話すと長くなるんだが……」
「私に、やらせて、くれ……」
エリカに事情を説明しようとしたところで、店の奥からノワールが姿を現した。
ノワールは肉親との辛い決別を果たしたばかりだったが、少なくとも傍から見ている限りでは、普段と変わらない雰囲気を保っているように感じられた。
「いいのか、ノワール」
「……私の役目、だと、思うんだ。任せて、くれないか……」
「まぁ、本人がそう言うなら断る理由はないけど」
むしろ当事者として別の誰かに客観的な説明をすることが、気持ちの整理を付ける役に立つかもしれない。
「ありがとう、ルーク……」
ノワールが浮かべた微笑みはとても穏やかで、心の落ち着きを確かに感じさせるものだった。
きっとノワールは大丈夫だ――そんな思いが自然と湧き上がってくる。
俺はエリカへの説明をノワールに託し、次の商品を取ってくるために、店の倉庫の方へと足を運んだ。
何気なく扉を開けると、そこには既に先客が一人。
サクラが空の木箱を足場にして腕を伸ばし、棚の最上段を探っているところだった。
「捜し物か?」
「確かこの辺りに上質な砥石があったと思うのですが、ご存知ありませんか」
「砥石なら右隣の棚だ。刀が刃毀れしたなら【修復】するぞ」
「いえ、久々に研ぎの練習でもしようかと思いまして。ルーク殿に頼り切りだとコツを忘れてしまいそうですから」
普段よりも声が弾んでいるように感じるのは、俺の気のせいではないだろう。
サクラが砥石を見つけて木箱を降りるのを待ってから、上機嫌の心当たりに関する会話を切り出してみる。
「神降ろし、成功してよかったな」
「ありがとうございますっ! これで父上や郷里の面々に胸を張って報告ができそうです」
喜色満面を絵に描いた様子で笑うサクラ。
長い付き合いだとは決して言えないが、これまでに見たサクラの笑顔の中でも一番かもしれない。
「ひとまず目標達成ってことで、やっぱり故郷に帰ったりするのか?」
「まさか! 武者修行こそが最優先の目的ですし、神降ろしも使いこなせるようにならなければ、とても帰る気にはなれません」
サクラは力強くはっきりとそう言いきった。
「里帰りくらいはしてもいいと思うんだけどな」
「いいえ。ルーク殿だって長らく故郷に戻られていないのでしょう? 私も自分が納得できるまで帰郷しない所存なのです」
「……それを言うのは反則だろ」
故郷を飛び出して早十五年。
そう言えば俺はサクラの帰郷をどうこう指摘できる立場ではなかった。
新しい役目と居場所を見つけた今なら、気兼ねなく白狼の森に顔を出せる気もしたが、逆に仕事が忙しくて帰る機会を見つけられそうにない。
上手くいかない時期は意地を張って故郷に帰らず、上手くいっている時期は帰る余裕がない――どうにも噛み合わないものである。
そんなことを漠然と考えていると、ガーネットが店の方から俺を呼びにやって来た。
「白狼の。久しぶりな奴がお前に会いたいってさ」
「……? 誰のことだ?」
「顔見たらすぐに思い出すと思うぜ」
肝心なところをぼかされながら店頭へ戻ると、ガーネットの言うとおり久しぶりに見る顔が俺のことを待っていた。
やや女顔だが俺とさほど変わらない背丈の青年騎士。
銀翼騎士団副長の――
「あれ、フェリックスさんじゃないですか」
「お久しぶりです、ルーク殿」
「銀翼騎士団の到着はまだ先になると聞いていましたけど」
「本隊はまた後日になります。今日は町役場との打ち合わせのための先遣隊としてお伺い致しました」
フェリックスに求められて握手を交わす。
相変わらず、騎士団副長という高い地位に在るにも関わらず、謙虚で物腰の柔らかい人物だ。
「実は僭越ながら、グリーンホロウ駐留部隊の司令官の任務を仰せつかりまして。何かとご協力をお願いするかもしれません」
「もちろん、喜んでお受けしますよ。前々からお世話になりっぱなしですからね」
そうして職務上の話を一通り終えたところで、フェリックスは会計カウンターにもたれかかっているガーネットに視線を向け、店の外には聞こえない程度の声で語りかけた。
「ガーネット。ルーク殿にご迷惑をおかけしていないでしょうね」
「んなわけねーだろ! ちゃんとしてるっての! な、白狼の」
身に覚えがない悪戯を疑われた悪童を思わせる素振りで、ガーネットは俺に同意を求めてきた。
「大丈夫ですよ。彼にはいつも助けられてます」
「だろ? 心配しすぎだっての」
にかっと笑うガーネットを見て、フェリックスは目を丸くさせて驚き、そして感慨深そうな微笑みを浮かべた。
その驚きは俺の返答に対してではなく、ガーネットの笑顔に向けられているようだった。
「……あなたもそんな風に笑えたんですね。初めて顔を合わせたときには想像もできませんでしたよ」
「え、そうなんですか?」
正直、意外にも程がある発言だ。
いつもガーネットはこんな風に笑っているような気がしたのだが、前々からガーネットを知っているフェリックスにとってはそうではなかったのだろうか。
本当なのか聞こうと思って振り返ると、ガーネットは既にそっぽを向いて口を閉ざしてしまっていた。
しょうがないのでフェリックスとの会話を再開しようとした矢先、店の扉が何の前触れもなく開かれた。
「いらっしゃ――」
客かと思って応対しようとしたが、そこにいたのは黄金牙騎士団の騎士であった。
それも一般の騎士とは明らかに装備も雰囲気も違う。
冷徹さすら感じさせる無表情なその顔を、俺はかつて一度だけ目の当たりにしたことがあった。
俺がそのことを口に出すよりも先に、フェリックスが黄金牙の騎士に話しかける。
「ギルバート卿ではありませんか。黄金牙騎士団の騎士団長がいかがなさったのです?」
今回は第2章エピローグの前半になります。




