第87話 黒魔法使いと白魔法使い
「殺すわ。ごめんなさい、姉さん。私だって必死なのよ」
ブランが右腕を横に動かすと、周囲の魔力の流れが切り替わり、次なる大規模魔法の行使の土台が整えられていく。
それに呼応してノワールが懐からミニチュア・スクロール――呪符を取り出し、地面に叩きつけると同時に魔力を注ぎ込んだ。
この呪符自体にさしたる効果はない。
あくまで起点。そこから波及した魔力が周囲に隠し置かれた木箱に達し、中に収められた複数の呪符を一斉に励起する。
木箱を突き破って、腕ほどの太さがある闇色の鎖が出現、あらゆる方向からブランへ殺到する。
だが、ブランの足元の地面から突如として湧き出した土人形の群れが、何重もの壁となって鎖の拘束を妨げた。
「危なかったわぁ。私がいつ迎えに来てもいいように、普段からこっそり準備してたのね」
「土人形……ブランは、そんな魔法、使えなかった……」
「偽物だと思った? 私だって昔のままじゃないの。それとも、姉さんの恥ずかしいところの黒子の数でも言い当ててみる?」
「……どちら、でも、同じ……!」
ノワールは十枚余りの呪符を投げ、更に両手の間に魔力を集中させた。
呪符が空中で規律正しく静止し、魔力弾を数連射して弾け飛ぶ。
一拍置いて、ノワールの手中から黒炎の塊が繰り出された。
数十発の魔力弾が土人形の群れの一角を吹き飛ばす。
その直後、こじ開けられた隙間に火炎弾が飛び込んでいくが、あと一歩のところで展開された防壁に阻まれた。
「……っ!」
「ほら。知らない技を使うのは姉さんも同じでしょう。土人形がいなかったら終わってたかも」
「ブラン……!」
「今度は私の番。姉さんばかり攻めるなんてずるいもの」
土人形の残骸が宙に浮かび、氷柱のような形状の土塊が複数形成され、ノワールめがけて一斉に射出される。
ノワールが対抗して放ったのは蛇のような黒い炎。
尖った土塊と同数が繰り出され、空中で土塊に絡みついて自爆し、土塊を粉々に粉砕する。
「まだまだっ!」
ブランが腕を振るって合図を送ると、土中から大量の土人形が再生成され、ノワールめがけて一斉に動き出した。
「……タールフラッド……!」
ノワールが迎撃のための魔法を発動させる。
足元から泥かタールのような黒い魔力が噴出して半円状に広がっていき、その範囲内に踏み込んだ土人形を次々に包み込んで固めていく。
しかしブランもすかさず対抗魔法を発動させており、同じく半円状に拡散させた浄化の魔力がタールフラッドを相殺し、土人形に自由を取り戻させていった。
「……! ファイア――」
「させると思う?」
土人形の群れの向こうから、大型の白い火炎弾が数発、弧を描いて降ってくる。
ノワールは標的を土人形から火炎弾に切り替えて、小型かつ速射性の高い魔力弾で次々に撃ち落としていった。
しかしその隙を突くかのごとく、土人形の群れが強硬手段に打って出る。
先頭の数体がタールフラッドに飛び込んで固められていく間に、後続の土人形がその上を駆け抜けて身を投げ出す。
その連鎖によって、土人形の群れが瞬く間にノワールとの距離を詰めていった。
「……このっ……!」
ノワールは両手で黒炎の塊を生成したが、それと同時に追加の火炎弾が弧を描いて飛んできた。
しかも狙いはノワールではなくその背後――ホワイトウルフ商店であるようだ。
空中と地上からの同時攻撃。
前者を優先すれば物量に飲み込まれ、後者を優先すればホワイトウルフ商店に火炎弾が直撃する。
「両方止める……! 術式分割……!」
猶予は一瞬。ノワールは黒炎を素早く左右の手に分割し、空中と地上にめがけて同時に解き放った。
爆発する白色の火炎弾。炎に包まれる土人形の一群。
ノワールが安堵の吐息を漏らした次の瞬間、炎を越えて一体の土人形が飛びかかってきた。
「――――っ」
半分では足りなかった。防御も迎撃も間に合わない。
揺らぐ黒炎の向こうでブランが嘲笑するのが垣間見えた。
建物を守って命を奪われることを侮蔑しているかのように。
体が回避行動を取るよりも先に土人形が腕を振るい――
「オラァッ!」
――背後の窓を突き破って飛び出してきた少年が、空中で土人形の頭を蹴り潰した。
少年はタールフラッドの消えた地面に着地して、ノワールに背を向けたまま銀色の長剣を肩に担いだ。
「悪ぃな。姉妹喧嘩、水を差させてもらうぜ」
「ガーネット……!」
白狼の森のルークと揃いの冒険者装束。小柄な体格に似合わない長剣。
防音結界によって実質的に外界から切り離されたはずの少年がそこにいた。
「……ど、どうして……」
「邪魔をするなァ!」
ブランは突然の乱入者に唖然としていたが、すぐに憤怒の形相を剥き出しにした。
魔力を滾らせて大量の土人形を生成し、全てをホワイトウルフ商店めがけて突進させる。
その直後、ブランの胴体が胸の下から真っ二つに両断された。
「えっ――?」
胸から上がずり落ちたところに縦一文字の斬撃が放たれ、頭と胸部がまとめて断ち切られる。
「やはりこれは偽物か。ルーク殿が予想なさったとおりだな」
【縮地】で音もなくブランの背後に回っていたサクラが、桜色の刀を振るって土を落とす。
三つに寸断された体に重なるように展開されていた幻惑魔法が消失し、機能停止したマッドゴーレムの残骸が露わになる。
「み、皆……どうして……結界が音を、遮断してる、はず……」
「防音結界って奴か。凄いな、こんな派手にやってたのに物音一つ聞こえなかったわけだ。けど、流石に静か過ぎたな」
後ろから男の声が聞こえ、ノワールは慌てて振り返った。
いつの間にか開け放たれていた玄関の扉の横に、白狼の森のルークが当たり前のように立っていた。
――俺が外で起きている異変に気がついた理由は、拍子抜けするくらいに単純なものだった。
「この辺りは森が近いから梟や夜鷹がよく鳴いてるし、風が吹けば枝のこすれる音まで聞こえるんだ。それなのに外が不気味に静まり返ってたら、嫌でも警戒するに決まってるだろ」
俺は冒険者ギルドや黄金牙騎士団から送りつけられた資料に目を通すため、普段より遅くまで目を覚ましていた。
部屋の雨戸とカーテンを閉め、ランプの明かりで資料を読み込んでいたところ、外が異様に静かだということに気がついた。
窓を開けてみれば、近くの木々が風で揺れているのに何も聞こえなかったのだ。
これは何かあったに違いないと考え、サクラとガーネットを叩き起こして着替えさせ、外の様子を確かめようとした矢先に事情を把握するに至ったわけである。
「多分お前はいつも町の方で寝起きしてるから、そこまで気が回らなかったんだろうな」
ノワールは安堵と驚きと困惑が入り混じった表情で、ぺたんとその場にへたりこんでしまった。
「私達……姉妹の、問題なのに……皆に迷惑が……」
「あいつが魔王に従ってるなら、もう個人の問題じゃ済まなくなってるだろ。大体、そうでなくったって……」
そして、ノワールの肩に手を置いて一番大切なことを口にする。
「仲間が背負ってる問題なら、力を貸すに決まってるじゃないか」
「……ルーク……ご、ごめんなさい…………ありがとう……」
不安と緊張で強張っていたノワールの表情が緩み、堪えに堪えていた涙が音も立てずに流れ落ちていった。
「泣いてる暇はないぞ。ブランはまだ諦めちゃいないみたいだ」
一時的に動きを止めていた土人形の群れが、顔のない頭部を一斉にこちらへ向ける。
そして更に、大きな地響きが聞こえたかと思うと、人の形に歪められた大樹――ツリーゴーレムが木々をかき分けて姿を現した。




