第86話 有事に備えて 後編
ホワイトウルフ商店の裏手の勝手口から屋内に入ると、東方風の私服姿のサクラが出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ルーク殿。来客用の寝室の清掃、二部屋とも滞りなく完了しました」
「助かったよ。とりあえず夕飯にしようか」
「はい! 準備をしてまいります!」
サクラは夕飯の収められた籠をいい笑顔で受け取り、ダイニングルームへ運んでいった。
ひとまずあちらはサクラに任せるとして、俺は寝室の方を見に行くことにした。
元からあった四つの寝室のうち、二つは俺とガーネットが普段から使っている部屋で、残り二つは来客用の空き部屋だが、しばらくはサクラとノワールが宿泊することになっている。
室内の様子を確かめようと思い、念のため扉をノックしてみると、消え入りそうな声量で返事があった。
「……どうぞ……」
ノワールは寝室の床に大きな布を広げ、冒険者向けの頑丈な造りのウェストポーチを手に、裁縫にも工作にも見える作業をしていた。
時折、手元で魔力が光を放っているあたり、ただの手作業ではなくスキルを用いているようだった。
「【魔道具作製】か」
「何作ってんだ?」
ガーネットが部屋の入口に立つ俺の腕の下に潜り込んで、部屋の中を覗き込んできた。
「今は……ルークに頼まれたものを……」
「ん? お前が?」
「頼んだというか、こんな物が作れないかって尋ねたら、ミスリルを使えば意外といけそうだから試してみるって話になったんだ」
作業済みの品物を手に取って、どんな用途と仕組みの装備品なのかをガーネットに説明する。
「普通、魔石は手に握ってないと魔力を引き出せないわけだが、優れた魔法使いは杖の先に付けた状態でも引き出せるらしい。同じようなことができれば便利だなと思ってさ」
それの外観は完全にただのウェストポーチで、標準的なサイズと形状の魔石がすっぽり収まるポケットが設けられている。
「このポケットに魔石を入れた状態で、蓋の布の裏に刺繍された魔法紋に魔力を流すとスイッチが入る。そうすると、縫い込まれた十数本のミスリルの金属線を介して魔力が流れ、体に魔力を注ぎ込むって仕組みだ。これで合ってるよな、ノワール」
魔道具の説明が正しいかどうかの確認を求めると、ノワールは小刻みに何度も頷きを返した。
「へぇ、こんなモンまで作れるのか。凄ぇな、白狼の」
「俺はアイディアを出しただけで、設計したのも実際に作ったのもノワールだぞ」
「おっと、そうだった。俺の剣に掛けたエンチャントもそうだけど、大したもんじゃねぇか、ノワール。こういう仕事にメチャクチャ才能あるみてぇだな」
一切の捻りなく真っ向から褒められて、ノワールは赤面しながらごにょごにょと呟いた。
「ま、まだ……改良の余地が……直接触れるより……効率が、悪くて……」
少し前の俺も大概だったが、ノワールはそれに輪をかけて褒められ慣れていないらしい。
ちなみに、ノワールはホワイトウルフ商店の正式な従業員として届け出ているので、俺が王宮から受けている加工許可の範疇でミスリルを弄ることが許されている。
ミスリルと【魔道具作製】の組み合わせは、かなりの可能性を感じる分野である。
「ルーク殿! 夕食の配膳が終わりました! 冷めないうちに早く頂いてしまいましょう!」
空腹を我慢できていない様子のサクラの声が飛んでくる。
せっかくシルヴィアが用意してくれた料理なのだ。冷めさせてしまうのはもったいない。
そういうわけで、俺はノワールに作業を一休みするように言い、ガーネットと連れ立ってダイニングルームへ引き返したのだった。
――深夜、グリーンホロウ・タウン全体が深い眠りに落ちた頃。
静まり返ったホワイトウルフ商店の付近に、白いローブで全身を覆い隠した人影が人知れず佇んでいた。
家主である白狼の森のルークに招かれた者ではない。
誰に呼ばれたわけでもなく、誰一人としてその存在を認知していない、望まれざる来訪者。
白い人影は音もなくホワイトウルフ商店に接近し、数十歩ほどの距離のところで立ち止まった。
ここからもう数歩ほど先に進めば、黒魔法によって形成された結界が展開されている。
結界の種別は警報。
何者かが踏み込めば即座に術者の知るところとなる防衛術式。
基礎的とすら呼べる結界だが、それ故に術者の技量が表れる代物である。
そしてホワイトウルフ商店周辺に展開された結界は、常人には感知することすらできない水準に達していた。
「…………」
白い人影は円形の結界の縁に沿って歩き、とある場所で立ち止まると、足元の草むらに極小の魔力の弾を撃ち込んだ。
魔力の弾の直撃を受け、木片を組み合わせて作られた手の平程度の大きさのオブジェが砕け散る。
すると結界の一部に欠落が生じ、白い人影はそこを通って悠々と侵入を果たした。
本来、結界を形成するためには膨大な時間を掛けた下準備を必要とする。
魔道具を併用すれば手間を削減することができるが、このように魔道具そのものが結界のウィークポイントとなるリスクを抱えている。
冒険者が用いる結界石はその最も極端な例だ。
「…………」
白い人影は、ホワイトウルフ商店の正面玄関と相対する位置に移動すると、一定の距離を保ったままで足を止めた。
しばしの時間が流れ、玄関の扉が内側から慎重に開かれていく。
扉を開けて現れたのは、白狼の森のルークではなく、銀翼騎士団のガーネットでもなく、ましてや東方のカクエンの巫女たる不知火桜ですらなく。
「……やっぱり……来たんだな……こんな予感、当たってほしくなんか、なかった……」
黒魔法使いのノワールがそこにいた。
魔法使いとしての装束に身を包み、暗く物憂げな表情を浮かべ、少しばかり離れたところにいる白い人影と向かい合う。
対する白い人影は、頭を完全に覆い隠していたフードを外しながら初めての声を発した。
「よかったぁ。今夜はここにいるっていう噂、間違ってたらどうしようかと思ってた。元気そうでよかったわ、姉さん」
「ブラン……あなたこそ……」
白いフードの下に隠されていた顔は、ノワールと鏡写しのように酷似していた。
相違点といえば、頭髪の色がノワールの黒髪と正反対の白髪で、目つきと表情が自信と余裕に満ち溢れている程度。
それ以上の違いを見出すことは困難と言わざるを得ない。
「私がここに来た理由、姉さんなら分かるでしょう?」
ブランはすっと腕を伸ばし、数秒も歩けばたどり着ける場所に立つノワールへ、長手袋に包まれた手を差し出すように向けた。
「迎えに来たの。ガンダルフ様は寛大なお方。姉さんも魔王軍に協力するのであれば、脱獄の罪は問わないと仰ってくださったわ」
「……本当に、魔族の仲間に……なったんだな……」
「早く答えを聞かせて。あまり時間がないの。今すぐついて来てとは言わないけど、答えだけはここで聞きたいのよ」
提案の体裁を取ってはいたが、ほとんど強制じみた圧迫感を帯びた発言であった。
「こうなることも分かっていたんでしょ? 後ろの建物を覆っている防音結界、ちゃんと見えてるからね。嬉しいわぁ。私も姉妹水入らずの会話がしたかったの」
ノワールは沈痛な面持ちで俯き、短い沈黙の後で、今にも泣き出しそうな顔を上げた。
「私……ルークの店で、働いているんだ……」
「それが? また切り捨てればいいじゃない」
「最初は、罪滅ぼしだけの……つもりだったさ。けど、こんな私の、ことを……必要と、してくれて」
「私だって姉さんが必要よ?」
にこやかな微笑みの下で、ブランは露骨に苛立ちを募らせていた。
いつもなら簡単に開けられる扉が、今日は何故か軋んでうまく開けられないときの苛立ち――その程度の些細で傲慢な感情が。
ノワールはその圧力に押し流されかけ、しかし強く踏みとどまって、震える声で言葉を続けた。
「それに……私を、先生みたいに慕ってくれる……子も、いるんだ……素直な、いい子で……私なんかの、ことを……信用してくれて……」
何度となく言葉に詰まりながらも、思い浮かぶ全ての言葉を声にする。
「……分かるだろ、ブラン。私は、臆病だから……勇気がないから……だから……」
「ええ、よく分かるわ。生まれたときからずっと一緒だったんですもの」
「私は……」
「あなたは……」
全く同じ造形をした顔に全く違う感情の色が満ちる。
ノワールは涙を浮かべた毅然さを。ブランは嗜虐的な微笑を。
「信じてくれる人を! 裏切れない!」
「人に流されて! 間違える!」
黒の魔力と白の魔力が旋風のように巻き上がり、黒炎と白炎の奔流がぶつかり合う。
「残念。こうなったら、もう一つの命令を果たすしかないじゃない」
二色の魔炎が相殺し合う余波を涼風のように浴びながら、ブランは両手を首の後に回して、ローブの内側から長く艷やかな白髪を引き出した。
そして一切の躊躇も罪悪感もなく、非情な宣告を双子の姉へ投げかける。
「殺すわ。ごめんなさい、姉さん。私だって必死なのよ」




