第84話 神降ろしの文様
そして日没の少し前に、俺とガーネットは町を出て例の橋まで足を運ぶことにした。
携帯用のランタンも忘れずに用意してある。
今はまだ使わなくても大丈夫だが、帰る頃には間違いなく真っ暗になっているはずだ。
それとシルヴィアからは、サクラへの差し入れの飲食物を預かっている。
「なぁ、ガーネット」
整備された山道を降りながら、俺は隣を歩くガーネットに話しかけた。
「本当はお前も、サクラと一緒に鍛錬したかったんじゃないのか」
「んだよ、いきなり」
ガーネットは眉をひそめて横目で視線を返してきた。
「俺の護衛ってことでずっと拘束されてるわけだろ。その時間も自分を鍛えるために使いたいとか、そういうことを考えてるんじゃないかって思ってさ」
今から一週間ほど前、建設中の陣地をめぐる攻防戦が繰り広げられたその日の夜、ガーネットは魔将ノルズリに敗北したことで酷く気落ちしていた。
そもそもサクラが鍛錬に力を入れ始めたのも、ガーネットが優れた武具を求めたことも、あの戦いでノルズリに歯が立たなかったことへの反省が理由である。
ならば、ガーネットも本当なら武具だけでは満足できないはずだ。
確かに装備は大事な要素だが、それ以上に己を鍛えるのも重要だということは、本人が一番良く理解しているはずなのだから。
「ったく……何も分かってねぇな」
ガーネットは歩調を速めて俺の前に回り込むと、おもむろに振り返って目の前に立ちはだかった。
「オレが嫌々テメェに付き合ってるように見えるか?」
「……いや」
「だろ? そういうことだ、馬鹿」
再び背を向けて歩き出すガーネット。
思わずその後ろ姿を呼び止めようとした直後、強烈な魔力の波動が木々の間を突き抜ける。
それとほぼ同時に、山林の奥が真昼のように照らし上げられたのが見えた。
「白狼の!」
「あっちだ! 川の上流!」
即座に思考を切り替えて、魔力の波動の発生源に向かって疾走する。
光は既に収まり、周囲は本来の薄暗さを取り戻している。
山道を全力で駆け下り、橋を渡らず渓谷に沿って上流を目指すと、やがて崖下の川辺に誰かが一人佇んでいるのが目に入った。
「サクラ!」
俺の声で人影が振り返ったかと思うと、その姿が音もなく消え失せて、次の瞬間には崖の上に現れていた。
「ルーク殿、いかがなさいましたか」
やはり人影の正体はサクラだった。
見るからに疲労困憊だが、頑張って普段どおりの笑顔を浮かべている様子だ。
「驚いたぞ。さっきのはお前がやったんだな。まさか今のが『神降ろし』って奴なのか?」
「……つくづく、ルーク殿には隠し事ができませんね。この国では神降ろしを試みないという約束を破ってしまい、誠に申し訳ありません」
「だから特訓してることすら秘密にしようとしてたわけだな。まったく、俺はそんな約束なんかした覚えはないぞ。好きにやればいいのに」
申し訳なさそうに頭を下げられても、正直困る。
確かにサクラはそんな宣言をしていたが、俺はそいつを約束とは捉えていなかった。
たとえそんな宣言がされていなかったとしても、あのときの俺はサクラに同じことを言っていたはずだ。
「ちょい待ち。話の前にこれでも飲んどけ。ひでぇ汗だぜ」
「かたじけない、ガーネット」
サクラはガーネットから水筒を受け取って中の水を飲み始める。
俺はその間に、尋ねておきたかった確認事項を伝えておくことにした。
「前にナギと言い争ってたときに、確か『文様』が歪んでいてもとか何とか言ってたよな。その問題は解決したのか?」
ふぅ、と一息ついて、サクラは落ち着いた様子で語り始めた。
「まずは私が『文様』と呼ぶものについて、説明をさせてください」
――そもそも神降ろしとは、神と呼ばれる人間にスキルを授ける『何か』の一端を、直接人間の体に憑依させようというものだ。
サクラの一族は神降ろしの研究を代々続けており、サクラに依頼されて制作した総ヒヒイロカネ造りの刀もそのための祭具なのだという――
「しかしこれだけでは足りない……総緋緋色金造の祭具に加え、受け皿となる器にも仕掛けが必要である……私の祖先はこう考え、自らの血筋に魔法的な作用を刻み込みました。それが『神降ろしの文様』です」
――サクラの一族の子供は、肉体に不可視の文様を持って生まれる。
この文様によって、神降ろしの安定性が向上することを期待しての処置であったらしい――
「ところが、この術式には欠陥がありました。世代を経るたびに文様の形状に微細な歪みが生じ、それが代々蓄積していくというものです」
――欠陥と歪みの存在が明らかになったのは、サクラの世代から数えて二世代前のことだった。
術式を伝えていた家系は長き戦乱の影響で既に途絶え、術式自体も不完全な指南書を残して失伝。
今から新たに術式を掛け直すことも困難だった――
「父と祖父の世代は大いに悩みました。文様の歪みを正す研究にも力を割くべきか、あくまで補助的なものと考えて顧みないか。父は後者を選び、研究中だった代替品の祭具を用いて神降ろしを試み……命を落としました」
その経緯は以前にもサクラから聞いている。
厳密には、ナギとの口論の中でそう主張したのを横で聞いただけではあるが。
「私は父の死の原因が代替品の祭具にあったと考えています。それを証明するために、私の不完全な文様とルーク殿の総緋緋色金造の刀をもって、神降ろしの儀を完全に習得したいのです」
サクラは落ち着いた声で、しかし強固な意思を込めて語り続ける。
「もちろん、文様が完全ならばより一層の性能を引き出せる可能性もあります。ルーク殿の力になることを考えるなら、拘りを捨ててルーク殿に【修復】をお願いするべきかもしれません。ですが……」
「別に構わないさ」
俺は葛藤を打ち明けるサクラの言葉を遮って、最短で返答を伝えた。
「多分、自分が十五年も憧れを捨てきれなかった大馬鹿野郎だからだろうな。夢を追いかける奴はどうしても応援したくなるんだ」
例えば、エリカにうちの店で薬を売ってみないかと提案した理由の半分もこの感情だ。
自分の店を持ちたいという夢を応援したかったのが半分、純粋に新商品としての魅力と需要を感じたのがもう半分の提案だった。
「ルーク殿……」
「だからお前は自分のやりたいようにやってくれ。そりゃあ余裕があったら力を貸してくれたら嬉しいけど、最優先事項はお前の目標でいいからな」
「……ありがとうございます」
サクラは心の底から安堵した様子で、再び深々と頭を下げた。
恐らく『神降ろしを試みない』という宣言を反故にしたことを、ずっと気に病んでいたのだろう。
そうでなければ、依頼の合間に鍛錬を積んでいること自体を隠したりはしないはずだ。
「でも、悪いけど当面は控えてもらえないか。実はな……」
まだサクラには情報が伝わっていない可能性があったので、銀翼騎士団が部隊を派遣する予定であることと、マッドゴーレムが危険な行動を起こす可能性を教えておく。
この情報を持ってきた伝令は、俺達より早くグリーンホロウに到着しているので、町役場やギルドハウスの人間には周知の事実だ。
普通の住民が知ることになるのはもう少し後だと思うが、今ここでサクラに伝えても問題はないはずだ。
「なるほど、それは由々しき問題です。神降ろしの儀もかなり感覚が掴めてきましたから、しばらくは町とルーク殿の警護に力を入れさせていただきます!」
サクラはぐっと拳を握り締めて気合を入れた。
「いや、物騒だから単独行動は控えてほしいっていうだけで……」
「……? 同じことでは? 一人で鍛錬するのをやめるなら、そちらに力を入れる他ないかと思いますが」
さも当たり前のように言い切られてしまい、俺はただ頷くことしかできなかった。
やる気に満ち溢れているのは良いことだと思うが、無理だけはさせないように注意しておかなければ。




