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第81話 今はまだ穏やかな日常と

 結局、雨は夜になるまで止むことがなく、トライブルック・シティからグリーンホロウ・タウンへ帰り着いたのは次の日の昼過ぎになってしまった。


 買い物をするつもりでいた客には申し訳ないが、今日は臨時休業とするしかなさそうだ。


 事前にノワールとエリカには『今日中に帰れない可能性もあるから、その場合は次の日は休みにするから好きに過ごしてくれ』と伝えてあった。


 なので今日は二人とも、別の用事で出かけてしまった後だろう。


 俺とガーネットだけでは店を回せないし、冒険者を雇うのも恐らく間に合わず、何より馬での長い移動を終えたばかりなので休息する時間が欲しい。


 ホワイトウルフ商店は普段から諸事情での臨時休業や営業時間短縮が多い店なので、お客の側も慣れているとは思うのだが、こういうことはなるべく避けるようにしなければ。


「痛たた……馬なんか乗り慣れてないから尻が……」

「明後日には太腿(ふともも)の筋肉が死ぬほど痛むかもしれねぇぞ」

「遅れて来るほど歳じゃないっての。痛むなら今日中だな」


 ガーネットは俺をからかうように悪戯っぽく笑っている。


 ――思わず昨日のガーネットの顔が脳裏を過ぎる。


 なるべく余計な感想は抱かないように気をつけてはいるものの、どうしても『こいつにもあんな顔ができたのか』という思いが抜けきらない。


 当分は……下手をすれば一生忘れられそうにない衝撃だった。


 ともかく、町の入口付近の馬屋で借りていた馬を返却し、メインストリートを通ってホワイトウルフ商店のある方向へ歩いていく。


 メインストリートは今日も盛況だが、周囲を油断なく警戒する冒険者の姿も、ちらほらと視界に入った。


 恐らく彼らは、マッドゴーレムの件で町の警備を依頼されているのだろう。


「にしてもよ、あの宿屋に風呂がなかったってのは誤算だぜ」

「近所の公衆浴場をご利用くださいってスタンスだったな。大雨のせいで行けそうになかったし、そもそもお前は使えなかっただろうけど」

「なぁ、夜まで我慢できそうにねぇから、今すぐ行かねぇか? いいだろ? お前も脚の疲れとか取りたそうだしさ」


 ガーネットにねだられて、今日一日の予定を済ませる順序の変更を考える。


 本来は今すぐという予定ではなかったが、風呂屋自体には行く予定だった。

 順番を入れ替えても大した問題はないだろう。


 個別浴室のある風呂屋で体を洗ってから春の若葉亭に向かい、エントランスに入ったところでサクラとばったり鉢合わせた。


「おや、ルーク殿。昨日はお顔を拝見しませんでしたが、お戻りになっていましたか」

「店の用事でちょっとな。予定より帰りが遅れたんで今日一日は臨時休業だ」

「それはちょうどよかった。ルーク殿、少しガーネットと二人でお話をさせていただいてもよろしいですか」


 急に話の矛先を向けられたガーネットが不思議そうに小首を傾げる。


「俺の許可は取らなくてもいいだろ。どうする、ガーネット」

「まぁ、白狼のが別にいいなら構わねぇけどよ」

「ありがたい。少しばかり私的な相談があったんだ。実は……」


 話し込み始めた二人を尻目に、ひとまず俺一人で食堂の席を取ってガーネットを待つことにする。


 その間にやたらと空腹感を覚えてしまったので、少しだけ小腹を満たそうと思い、持ち帰り品の販売カウンターで温泉を利用して作られた茹で卵を一つ購入する。


 すぐに殻を剥いて口の中に放り込むと、半熟の黄身の味が口いっぱいに広がる。


 相変わらず好みの分かれそうな食感だが、俺はかなり美味いと思ってよく買っている商品だ。


 もう一つ買おうかどうか考えていたところで、一仕事終えてきた様子のシルヴィアが食堂スペースを通りかかった。


「あっ! おかえりなさい、ルークさん。ノワールさんから聞きましたよ。昨日のうちにトライブルックから帰れなかったんですよね」

「ノワールから?」

「旅の疲れをしっかり落としていってくださいね。今日もいい食材を仕入れてますから」


 正直、少しだけ意外だった。

 エリカではなくノワールが休業の理由をシルヴィアに説明したということが、である。


 あんなにも無口で内向的なノワールが、自分からシルヴィアにそんな話題を切り出した姿が想像できない。


 やはりシルヴィアが年長者であるノワールに事情を尋ね、ノワールが戸惑いながらも回答したといったところだろうか。


「……ノワールもこの宿に宿泊してるんだよな。普段はどんな感じなんだ?」

「普段ですか? うーん……ルークさんはノワールさんの雇い主だし、勇者様のこともあるから、話してもいいのかな……」


 シルヴィアは宿泊客について他人に喋ることの是非に一通り悩んでから、表現の内容を選びながら話し始めた。


「他の人と頑張って打ち解けようとしてる……っていう印象です。特にホワイトウルフ商店の関係者の人達と。ルークさんもそんな気はしてますよね?」

「確かにな……」


 思い返せば心当たりはいくつもある。


 サクラから意見を聞いてスペルスクロールの小型化を図ったこと。

 薬師のエリカに様々な薬草の知識を教え、薬草採集にも一緒に出かけていること。

 ガーネットの武器造りに【魔道具作製】スキルの持ち主として協力したこと。


 これらのうち前半の二つは、ブランらしき人物が戦場で目撃されたと伝える前からのことだ。


「私は詳しい事情を知らないから、あんまり偉そうなことは言えませんけど……受け入れてもらおう、信じてもらおうとして頑張ってるんだなって思いました」

「……やっぱり、シルヴィアは他人(ひと)のことをよく見てるんだな」

「職業病みたいなものですから」


 シルヴィアは気恥ずかしそうに頭の後ろに手をやった。


 宿泊客の様子をよく見て、必要としているものを提供する仕事を子供の頃から手伝ってきたからだろう。


 そのとき、玄関の扉が勢いよく開かれて、冒険者らしからぬ雰囲気の男女連れが入ってきた。


「失礼! この店のレストランは予約が不要だと聞いたのだが、テーブルは空いているかな?」


 貴族的で華美な風貌の色男と、それに付き従うキツい雰囲気の美女。


 女の方は貴族ではなくその付き人、あるいは執事や秘書のように思える格好をしている。


「セオドア様。本当によろしいのですか? このような場所でお食事など」

「冒険者の間で評判の店だからね。一度は訪ねてみようと前々から考えていたのさ」


 ――ドラゴンスレイヤー、セオドア・ビューフォート。


 かつて俺が声を掛けた高ランク冒険者の一人であり、地下の『魔王城領域』に生息するドラゴンをホロウボトム要塞周辺から駆逐した、今代有数の竜殺し。


 貴族の生まれながら、ドラゴンと戦いたいからというだけの理由で冒険者ギルドに登録した変人だ。


「珍しいな、あのドラゴンスレイヤーをこんな町中で見かけるなんて。町外れの別荘を買い取って拠点にしてるって聞いてたんだが」

「ルークさん、お知り合いなんですか?」

「あっちは俺を覚えてるかどうか怪しいけどな。ちょうどいい、あいつには話しておきたいことがあったんだ」

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