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第79話 雨宿りの一幕

「うひー、濡れた濡れた……」


 紹介された宿屋に着いた頃には、俺もガーネットもすっかりずぶ濡れになってしまっていた。


 これが往復一日の予定ではなく長い旅だったなら、厚手の外套やマントを雨避けのために着ていたところだが、今回は短い行程だったので油断していた。


 まぁ、たとえきちんと着込んでいたとしても、この豪雨の中をグリーンホロウまで移動するのは御免こうむるのだけれど。


「それにしても満員御礼って感じだな。雨で足止め食らったのは俺達だけじゃないみたいだ」


 宿には旅人や商人と思しき連中が押しかけてきていた。


 俺達が例外的に天候を読み間違えたのではなく、誰にとっても不測の事態だったというわけだ。


 部屋を借りるためにカウンター前の行列に並んでいると、商人らしき男達の会話が耳に入ってきた。


「いやぁ、こんな土砂降りでは明日まで動けそうにありませんな。商品に生物がなくて助かりましたよ」

「こちらも九死に一生でした。実は上流の村から下流に川魚を運んだ帰りでしてね。行きがけに降られていたら危うく大損害でした」

「ほほう? 川魚ですか。詳しくお話を伺っても?」

「実はこれが上流の清らかな水にしか生息しない魚なのですよ……もしもご興味がおありでしたら、連絡先は……」


 突然の雨に降られたことへの愚痴が、いつの間にやら商売の話へと切り替わっていた。


 抜目がないというか何というか。

 商人として生きていくならこれくらいの強かさが必要なのだろうか。


「……っと、悪い、白狼の。部屋取りは任せていいか?」

「どうかしたのか?」

「野暮用だよ。すぐ戻る」


 ガーネットが列を離れていって間もなく、宿泊受付の順番が回ってくる。


「お待たせしました! 何名様のご宿泊ですか?」

「二人で。一人部屋を二つ借りられますか」

「申し訳ありません、個室は全て利用中となっております。二名様でしたら二人部屋か、格安価格の大部屋をご用意できますよ」


 宿泊客の多さを見て薄々勘付いていたが、やはり使いやすい部屋は既に埋まってしまっていたようだ。


 大部屋は流石にまずい。

 雑魚寝よりはマシ程度の状況で眠るだけの格安部屋だ。


 俺一人で泊まるならともかく、ガーネットを連れて利用するのはなるべく避けたかった。


「(となると、二人部屋しかないわけだが……)」


 それも駄目なら豪雨の中で別の宿を探すしかない。

 選択肢は全く残されていないようなものだった。


「……二人部屋でお願いします」

「はい、ありがとうございます」


 鍵を受け取ってカウンターを離れ、ガーネットが戻ってくるのを待っていると、商人がずぶ濡れの宿泊客を相手に商売をしているのが目に入った。


 売り物は大きなタオルや簡素な古着。

 そして低ランクのスペルスクロール。


「そこの兄ちゃん! ヒーティングのスペルスクロールだよ! 服や体を乾かすのにピッタリの奴だ! 買っていかないか?」

「小銀貨五枚か……」


 極端な高額ではないが手頃な価格とは言い難く、一人や二人なら古着を一式買い込んだ方が安くつく。


 しかし、同時に暖を取ることができるというメリットもある。


 俺は少し考え込んでから、懐にあった銀貨を商人に渡し、スペルスクロールと二人分のタオルを購入した。


 その後しばらくして、人混みの向こうからガーネットが戻ってくる。


「悪い悪い。部屋は取れたか?」

「二人部屋を何とか」


 ガーネットは一瞬ぴたりと動きを止めてから、普段の調子でやれやれと肩を竦めた。


「雑魚寝部屋よりずっとマシだな。さっさと行こうぜ」

「で、さっきは何しに行ってたんだ?」

「その話は部屋でな」


 指定された二人部屋に到着してすぐに、雨でずぶ濡れになった服を乾かす準備に取り掛かる。


 まずは部屋の中央にヒーティングのスペルスクロールを広げ、魔力を注いで起動させる。


 スペルスクロールの真上の空気が瞬く間に加熱され、焚き火のように温かい空気の流れが生じ始める。


 スクロールは使い捨てであり、効果を発揮するとボロボロに崩壊するが、それは魔力の負荷によって引き起こされる現象だ。


 魔力的負荷の大きい攻撃魔法なら一瞬で崩壊するけれど、ヒーティングのように生活で役立つ程度の魔法なら崩壊速度も緩やかで、それなりに長い時間効果を発揮する。


 もちろん使い捨てであることに変わりはなく、途中停止させて後で使用再開するといった器用な使い方はできないのだが。


「ふぃー、あったけー……」


 まるで暖炉に引き寄せられる猫のように、ガーネットがスクロールの熱で暖を取り始める。


 その間に俺は、部屋に備え付けられていた椅子をスクロールの前後に持ってきて、着衣を乾燥させる準備を始めた。


 靴を脱いでスクロールの熱に晒し、上着を椅子の背もたれに掛ける。

 そしてシャツも脱いでしまい、カウンターで借りてきたバケツの上で水を絞ってから広げておく。


「お前もちゃんと乾かしておけよ」

「分かってるっての。にしても細っせーな、お前」

「当たり前だろ。迷宮をさまよってる間に落ちた肉が戻ってないんだよ」


 体格のことを言うならガーネットも大概だ。


 さっきまでは上着で体型を隠していたが、今は濡れたシャツが肌に張り付いていて、少女以外の何物でもない輪郭を露わにしていた。


 あんなに力強く戦えることが信じられないような肉体だ。華奢と言ってもいい。


 もちろんできる限り鍛えてはいるのだろうが、筋肉がついて太くなるのではなく引き締まって細くなる方向に寄ってしまい、繊細な印象に拍車を掛けてしまっていた。


「……おい。じろじろ見られてたら乾かせねぇだろ」

「おっと、悪い」


 俺が背中を向けて椅子に座り直したのを確かめてから、ガーネットがさっきの俺と同じことをする。


 濡れたシャツを脱ぐ気配。湿り気を絞り落とす水音。タオルで髪と素肌を拭う物音。

 しかし服を着直す気配は未だにしない。


 ひょっとしてこれはかなり拙い状況ではないだろうか、という思いが段々と強くなっていく。


「今更だけど、外に出た方がよかったか?」

「護衛対象を部屋から締め出す護衛がどこにいんだよ」

「……ごもっともで」


 ガーネットが今どんな顔をしているのかまるで想像もできない。

 案外、平然としているのだろうか。それとも無理をしているのだろうか。


「白狼の。さっきの話の続きなんだが」

「エントランスで何をしてたのかって話か?」

「そう、それ。かなり興味深い情報が手に入ったぜ」

「情報? 誰と会ってきたんだ」


 絞ったシャツを音を立てて勢いよく広げた後で、ガーネットがようやく話の本筋を口にする。


「銀翼騎士団の伝令だ。グリーンホロウに重要な情報を持っていく途中で足止めを食らったらしい」

「なっ……!」


 想像もしなかった一言に驚き、思わず振り返りそうになってしまうが、ギリギリのところで踏み留まる。


 俺の後頭部に荷物のどれかが投げつけられる。


 かなり勢いが乗った一投だったが、身体強化スキルを使わずに素の腕力で投げてきたようだった。


「すまん、今のは危ないとこだった」

「テメーじゃなかったらブッ殺してたぞ」


 冗談か本気か判断が難しいところである。


「それで……重要な情報ってのは何なんだ」

「銀翼騎士団がグリーンホロウに部隊を派遣することが決まったらしい。黄金牙の連中の苦々しい顔が目に浮かぶぜ」

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