第757話 目覚めるは太古の絶望
「なので、ゲーム盤をひっくり返させていただくことにしました」
「テメェ……!」
ガーネットが叫び踏み出そうとするも、ギリギリのところで――俺の守りが薄くなるのを避けるために――踏み留まる。
代わりに行動に移したのはサクラだった。
即座に発動した【縮地】でイヴの隣に移動するや、目にも留まらぬ抜き打ちでイヴの首を刎ね飛ばしたのだ。
そして床に落ちかけた頭を掴み、その場で崩れ落ちる胴体から距離を取るように後方へ飛び退く。
「あら、躊躇はしなかったのですね」
サクラの腕に掴まれたイヴの頭部が、何事もなかったかのように言葉を発する。
「私の破壊を引き金に破局がもたらされる……そうは考えなかったのですか」
「仮にそうだったなら、ルーク殿が最初の時点で気付いている。何も警告を発さなかったことそのものが、貴様の胴体に仕掛けなどされていなかった証明だ」
「なるほど。まぁそもそも、あなた方の襲撃は完全に予定外。事前に仕込みをしておく発想があったのなら、むしろ防衛体制の強化を優先していましたが」
なおも止まない激震に揺さぶられながら、俺は言いようのない不気味さをイヴに感じていた。
サクラの言う通り、人形としてのイヴの躯体を『右眼』で調べても、特別な装置はおろか標準的な内蔵武器すら見て取れない。
こいつはあくまで非戦闘員、トップに立って指示を下すことが役目の人形だったのだろう。
ろくな護衛も置いていないのは、王国と魔王の連合軍相手に戦力を割き過ぎているからに違いなく、詰みが近かったという本人の証言とも矛盾しない。
だが、この落ち着きようは何なんだ。
この期に及んで、自分達の勝利を疑いもしていないかのような――
「答えろ! 一体何をしやがった!」
ガーネットが剣を振り向けて詰問するも、イヴは余裕を微塵も崩さなかった。
「外に出てみればすぐに分かります。ちなみにですが、私には人質の価値などないのであしからず。あなた方の価値観は分かりかねますが、我々はそういうものです」
「……チッ! ルーク!」
「分かってる! 全員、一度引き返すぞ!」
現状、そう指示を出すより他にない。
ガーネットは俺の判断を聞くや否やイヴの胴体に飛びかかり、胸に埋め込まれたメダリオンをもぎ取って、すぐさま俺のところに取って返した。
そこから先は強行突破も同然の後戻りだ。
往路では慎重に降りてきた階段も、まともに駆け上ることすらせず、スキルと身体能力に物を言わせて跳躍を重ね、あっという間に最上部へと到達する。
もちろん俺にはそんな芸当はできないので、ガーネットとチャンドラーに支えられて荷物のように運ばれる。
こういうときだけは、物理的な制約に縛られない精神体のエイルが、ほんの少しだけ羨ましくなってしまう。
「どうするよ、大将! 正規の出口は敵さんが張ってんだよな!」
「もちろん天井をぶち破る!」
物資運搬用の線路がある地下通路に辿り着くなり、俺は壁に手を突いて【分解】を発動。
スキルの効果を通路の天井に波及させ、天井を破壊して路上への最短経路を開通させる。
そうして浮遊島の都市の路上に出るなり、俺の『右眼』が周囲一帯の異常を訴えた。
「……っ! まさか……島が動いているのか……!」
俺は『右眼』があったのですぐに気付いたが、そうでなくとも注意深く観察すれば、誰でも同じ結論に至ったことだろう。
手前に建ち並ぶ高層建築の数々と、遠くに見える第三階層の――山すら収まるのではと思えるほどに広大な地下空間の――壁面との位置関係に、少しずつズレが生じている。
喩えるならば、船の甲板に置かれた何かと、遠い岸辺の風景を同時に視界に収めたときのように。
「んだと!? ……いや、浮いてんなら動いてもおかしくねぇが、まさか島ごと逃げ出すつもりじゃねぇだろうな!」
「さすがにそれは無理だ! 階層間の障壁は浮遊島をぶつけて壊せるものじゃない!」
可能性があるとすれば、第二階層と第三階層を隔てる地殻、第三迷宮がある部分までもが動き、さながら蓋を開けるように道を譲っているという展開だ。
荒唐無稽だが否定しきれる理由もない。
俺はその可能性を確かめるため、第三階層の天井を『叡智の右眼』で仰いだのだが――
「――――」
――東方には、蛇に睨まれた蛙といった言い回しがあるという。
それを知ったのはサクラとの世間話だったか、それともナギの独り言だったか。
ともかく、俺は一瞬、まさしくその言葉の通りになってしまった。
無機質な爬虫類の瞳が宙に浮いている。
瞳が嵌め込まれた頭部も視界に収まっていたはずなのに、巨大過ぎて認識するのが遅れてしまう。
刺々しい鱗に覆われた巨大な蛇の頭が鎌首をもたげ、尖塔のような鋭い牙を剥き、浮遊島の数々を見下ろしているのだ。
目眩がするほどに長い胴体は、第三階層の内壁に沿って何重にもとぐろを巻き、身じろぎ一つで階層の内壁を削り崩していく。
言葉を失っているのは俺だけではない。
ガーネットもサクラも、チャンドラーも巨大過ぎる大蛇の存在に気が付き、呆然と天を仰いでいた。
ただ一人、エイルを除いては。
「何てこと……!」
エイルはサクラの手からイヴの頭部を奪い取り、両手で抱え込むようにして睨みつけた。
「神獣ヨルムンガンド! 回収していたことは分かっていたけど……こんな閉鎖空間で解き放つなんて! 貴方達、正気なの!?」
「面白いことを言いますね。正気なんて生の血肉と一緒に失いました。自覚のない者は多いようですが――」
「ごまかさないで!」
憤りと焦りに満ちた大声を上げるエイル。
その声色だけで、事の深刻さが嫌というほど伝わってくる。
「今はまだ寝ぼけてるようだけどね! アイツが本気で暴れ出したら、いくらこのダンジョンでも耐え切れない! 簡単に山ごと突き破って地上に出ていくわ! この階層だってタダじゃ済まないのよ!」
「ええ、だからこそです。大幅な前倒しになってしまいましたが、事ここに至っては致し方ありません」
首だけのイヴが嗤う。
俺達の戦いを丸ごと嘲笑うかのように。
「ゲーム盤をひっくり返すと言ったでしょう? あなた方の攻略作戦はこれにて終幕。ここから先は我々の悲願、地上奪還作戦の幕開けです」




