第756話 とあるドワーフの死と尊厳
メダリオン――その魔道具の成り立ちを、俺達は神獣ヘルが残した記憶を介して既に知っている。
愛する者を失った錬金術師ロキが生み出した人工生命、その核となる魔道具。
既存の生物の原型を弄って生み出された生命体とは異なり、魔力から肉体のみならず魂まで生成された、文字通りの意味での『人造』である。
一方、イーヴァルディはあくまで普通のドワーフとして生を受けたはずだ。
イヴが主張するような『魔王イーヴァルディのメダリオン』など、原理的に存在し得ない……ように思えるかもしれない。
「(だけど、例外はある。イーヴァルディもそうだったとしたら……)」
その例外とは、他でもない神獣ヘル自身である。
彼女はロキが生み出した旧来の人工生命として生を受け、他の神獣や魔獣のプロトタイプとして後天的に神獣となり、メダリオンを核とする新たな肉体を得るに至った。
つまり、自然発生した人造でない魂を持つ生命体も、後天的な改造によってメダリオンの神獣になることができるのだ。
「なるほど。驚愕の色の薄さから察するに、メダリオンに対する貴方達の理解は、我々が想定していた以上に深いようですね」
「……そうじゃなかったら、こんな風に敵の本拠地まで乗り込んだりはしないさ」
「そして我々も、こんなにも苦戦を強いられてはいなかった。人類ならぬ混ざり物とはいえ、文明を再興させる程度の性能があることを軽視すべきではありませんでした」
イヴは微笑みらしきものを貼り付けた無表情な顔のまま、開放した胸部に埋め込まれたメダリオンを指でなぞった。
「この御方……魔王イーヴァルディは人間を深く愛していましたが、決して人間以外の種族を愛さなかったわけではありません。むしろ多種族の協和する世界を尊んでおられました」
「だから第三階層を制圧したときも、他の魔族を殺さなかった。邪魔をされないよう封印だけしておいて、目的が果たされた後に目覚めさせるつもりだった……そういうことか」
ひとまず、あの悪趣味極まる標本の謎は解けた。
生きながら瓶詰めにして眠らせておくという凶行は、後で蘇生させる予定だから死なせるわけにはいかなかった、という明確な理由があったわけだ。
しかし、奇妙な点はまだまだ山程ある。
千載一遇のこの好機に、可能な限り情報を引き出すよう試みるべきか――
「聞きてぇことは山程あるが、まずは一つ聞かせろ。結局、アガート・ラムの頭はどっちだ」
――俺がそんなことに気を向けていると、ガーネットが威圧感に満ちた声を発した。
これは端的に言い換えるなら、最優先で殺すべき標的を探しているのだ。
アガート・ラムに対するガーネットの復讐。
何をもって復讐の完遂とするかはガーネット次第であるが、やはりリーダーの討伐は大きな目的の一つとなるだろう。
「テメェはただの玉座の一部で、メダリオンになったイーヴァルディが指揮を取ってやがんのか。それとも……今のイーヴァルディはただの王冠で、そいつを収めてるテメェが実権を握ってやがるのか?」
「くっ……ははは。気になりますか。どちらだろうと些事だと思うのですがね」
イヴの口元に笑みが浮かぶ。
それは決して穏やかな微笑みなどではなく、整った顔面の造形に似合った美しい笑顔ですらなく。
唇を裂けんばかりに吊り上げた、明らかな嘲笑であった。
「私からもいいかしら」
エイルが一歩進み出たのに合わせ、ガーネットがイヴを睨みつけたまま剣の柄に手をかける。
「イーヴァルディをメダリオンにしたのは誰の意志だったの? 本人の遺言? ……いいえ、違うわね。彼は後天的にメダリオンとなった魂も嫌悪していた。あるべき形を失った異形の魂としてね」
魔王イーヴァルディは魂こそが人間と魔族の『本質』であると定義した。
故にいくら肉体を人形に置き換えようと、魂をそのまま移し替えたに過ぎないなら、それらは人間であり続ける……アガート・ラムはそう解釈しているはずだった。
「あいつが自分をメダリオンにしろと言い残すとは思えない。だとしたら、可能性は一つよね」
エイルの声は凛と張っていたものの、耳を澄ませば沈痛な響きを帯びていることが伝わってくる。
それは紛れもなく、旧友の尊厳が踏み躙られた事実に対する怒りと悲しみ。
「お前達はイーヴァルディを……イーヴァルディの知識と技術を失いたくなかった。ドワーフとして天寿を全うするはずだったあいつを! そのまま死なせてやるでもなく! 瓶詰めの魔族達のように眠らせるのでもなく! 力の源泉として利用できる形で生き残らせた! 違うか、人形共!」
地下空間に響き渡るエイルの叫び。
その残響が薄れて消えた後で、イヴがゆっくりと口を開く。
「心外ですね。これは必要なことであり、我々の敬意でもあるのですよ、エイル・セスルームニル」
「……っ! 何が敬意だ!」
「遠い昔、あの御方は持てる技術の限りを尽くして延命を続け、第三階層の人間の絶滅を防ごうとした。メダリオンを研究し、魂を歪めずに物質へ移し替える手段を模索した」
こうして生まれたのが、アガート・ラムの人形達――のはずなのだ。
「ところが、あの御方は間に合わなかった。これは知らなかったでしょう? この地の人間が死に絶えるよりも、救済技術が完成を見るよりも先に、あの御方自身が力尽きたのですよ」
俺はガーネットに攻撃を命じることはおろか、口を挟むことすらできずに、イヴがエイルに語り聞かせる内容に耳を奪われていた。
「あの御方は最後の力を振り絞り、我々に研究の続きを託そうとなさいました。しかし、その研究は我らの手には負えないほどに高度な代物。あの御方がいなければ実現不可能ということは明白でした。人間を軽視するガンダルフが幅を利かせていた時代でもありましたしね」
「だから……イーヴァルディの魂をメダリオンに宿らせて、あいつの知恵を引き出せるようにした……」
「ええ。そこまでは辛うじて理解できる技術でしたから。メダリオンは不可逆の変化なので比較的簡単なのですが、あの御方は将来的に生身を取り戻すことまで構想に入れておりまして。とにかく難解だったのです」
悪びれる様子もないイヴを、エイルは唇を噛んで睨み上げる。
「そうだ。先程の質問にもお答えしましょう。実のところを申し上げますと、あの御方のメダリオン化は半分失敗に終わっておりまして。自我を引き出すことはついぞ出来ていないのです。つまり最高指揮官は――」
「――貴様ァ!」
エイルが叫んだその瞬間だった。
地下空間全体が激しく揺れ動き――いや、違う。
もっと広い範囲が凄まじい振動に揺らされ始める。
方舟の城、中央管制島、それよりも更に広く――第三階層全体が震えているのではと思えるほどの。
「な、何だこれは……!」
「ルーク! オレから離れんじゃねぇぞ!」
延々と続く激震に誰もが驚き、転倒を避けようと身構える中、ただ一人イヴだけが平然と玉座から立ち上がる。
「お喜びください。この戦いをチェスに喩えるとすれば、貴方達は残り十手ほどで我々をチェックメイトに追いやることができます。ガンダルフを味方に付け、想定外のタイミングで奇襲を仕掛けたのみならず、ああもメダリオンを活用されてしまっては、さすがの我々も正攻法では打つ手がないというものです」
イヴの発言は、あくまで淡々と、焦りも憤りも感じさせずに紡がれていた。
「なので、ゲーム盤をひっくり返させていただくことにしました」




