第746話 激流を下る船上にて
――それから間もなく、俺達とトラヴィス率いる陽動部隊の面々は、ユリシーズの船に同乗して移動を開始した。
船体は完全に陸上へ乗り上げ、水路からはかなり離れてしまっていたが、そこは召喚系スキルで呼び出された船舶。
一旦スキルで送還してその場から消し、徒歩で水路に場所を移してからスキルを使って再召喚すれば、何の問題もなく船を水路に移動させることができる。
もちろん、送還しただけでは損傷が直ったりはしないので、俺が合流していなければそれどころではなかったのだが。
「にしてもよ、まさかサクラが来るとはなぁ」
船尾の柵にもたれ掛かりながら、率直な感想を漏らすガーネット。
ユリシーズの船は空中水路の激しい流れに難なく乗り込み、あっという間に激流下りさながらの速度にまで加速していく。
サクラの長い黒髪やガーネットの前髪も、急加速によって生じた突風に大きくなびいているが、二人とも全く恐れる素振りを見せていない。
船体を襲う激しい揺れも、空中水路のカーブに差し掛かるたびに起きる傾きも、彼女達にとってはちょっとした刺激でしかないようだ。
「確かに【縮地】なら一瞬でこっちまで移動できる。向こうで合流するよりも時間が無駄にならねぇ。それにサクラなら戦力的にも申し分ねぇぜ」
「俺も同感だ。本当によく来てくれたよ」
「いえ、今回は私が言い出したわけではありませんから。あちらの司令官の差配ですよ。さすがは国王が選んだ人材というだけはあります」
そう謙遜しつつも、サクラは満更でもなさそうに笑っている。
この状況でサクラを派遣した人選は、恐らく考えうる限りで最良の選択だ。
まず何より合流が早い。
普通なら合流地点を予め決めておいて、お互い別々に現場を目指し、早く着いた方は現場で待機しなければならなくなる。
万が一そこに攻撃を受けてしまったらと考えると、相応にリスクがある作戦と言えるだろう。
けれどサクラの【縮地】なら、この通り何の心配もないわけだ。
しかし、こうしてサクラが来たことで何の懸念も生じないかというと、それはそれで嘘になる。
「ところで、向こうの戦況はどうなってるんだ? お前が抜けても大丈夫なのか?」
サクラは確かに申し分のない戦力だが、その本人が今ここにいるということは、戦闘部隊からそれだけの戦力が抜けてしまったことを意味する。
ただでさえ一進一退の戦況なのに、均衡を悪い方に崩すきっかけになりはしないだろうか……そういう心配を抱くのは当然の反応だろう。
「ロイ殿経由で報告を受けておられるのでは?」
「多少はな。だけど、詳細を聞き出すには時間が足りないんだ。あいつ一人が戦場全体の連絡網の中心になってるせいで、一つ一つの用件に割ける時間は限られてるからな」
戦闘能力よりも頭数を重視して精霊獣をばら撒き、精霊獣を介して会話ができる特性を生かして、擬似的な遠隔通信ネットワークを構築する――戦闘外におけるロイの切り札とでも呼ぶべき技術だ。
しかしこれは、いわばロイを経由した大規模な伝言網に過ぎず、一定時間内にやり取りできる情報の量にも上限がある。
もちろん現場では、他の連中がスキルをフル活用してサポートをしているはずだが、それでも限界をなくすことはできないはずだ。
「なるほど。それでは僭越ながら、私に分かる範囲ではありますが……」
中央島に到着するまでの短い時間を利用して、サクラは俺達が連れ去られた後の顛末を簡単に説明してくれた。
まず、魔将ノルズリとサンダーバードの力を得た人形ガラティアの戦闘は、ロイからの報告にもあった通り痛み分けに終わった。
方舟の城は依然として探索部隊の占拠状態にあり、新たな戦力が差し向けられる様子はなかったとのことだ。
そして城内に残してしまった面々は、期待通りに現場の判断で調査と探索を続行し、幾つかの喜ばしい成果を上げている様子だったそうだ。
「成果というと、具体的には?」
「申し訳ありません。皆様、嬉々として早口で説明をしてくださったのですが、私の知識では理解も記憶もできませんでした」
サクラは申し訳なさと呆れの入り混じった態度で首を横に振った。
ノワールにアレクシア、ヒルドにアンブローズ。
城に残された探索部隊の面々は、護衛担当のライオネル辺りを除いたら、基本的に研究者や技術者が本職と言える面々ばかり。
古代魔法文明の知識に触れた興奮のままに、分かりにくい専門用語も容赦なく交えて熱く語り、サクラを困らせたのが容易に想像できてしまう。
「まぁ、全員無事で調査も好調なら何も言うことは――」
思わず安堵に気を緩めたその瞬間、水流の揺れとはまるで違う振動が船を揺るがした。
「何だぁっ!? 敵襲か!」
ガーネットが即座に剣を抜いて身構える。
甲板にいた冒険者達も素早く警戒態勢に入り、そのうちの一人が船内のトラヴィスを呼びに船室へ飛び込んでいく。
俺はすぐさま眼帯を握り、【分解】の魔力を注いで紐を切断して、勢いよくもぎ取るように取り外した。
露わになった『叡智の右眼』が周辺状況を瞬く間に分析する。
船体へのダメージはごく微小。
マザーヒュドラのメダリオンによって付与された自己再生能力だけで対応可能。
原因は、斜め前方から固く鋭い何かが高速で降ってきたことによる、至ってシンプルな物理的破壊。
投石よりも大型弩級の矢弾に近い攻撃――しかしその正体を視て理解した瞬間、俺は思わず言葉を失わずにはいられなかった。
「おいおい……冗談だろ? 船を貫く鳥なんて悪い冗談だ」
「魔獣なら充分にあり得るぜ」
「だけど、それが何十匹もいると言ったら?」
「はぁっ?」
船を半ばまで貫いたのは一羽の鳥。
決して巨大なわけではなく、せいぜい普通の鷹程度の大きさだ。
しかしその体表は金属に近い硬質で、あまつさえ進行方向上の空に群れを成して羽ばたいているのである。
「恐らくさっきのは試し打ちだ! 気をつけろ、次は一気に降り注いでくるぞ!」




