第743話 これからのことを想いながら
「話せば長くなるから、説明は皆の手当が終わるまで待ってくれ。何にせよ、母さんを驚かせることに変わりはないかもしれないけどさ」
「どうせろくなものじゃない気がしますけど。母さんに説明できる内容なんでしょうね」
「それは……ちょっと保証できないかな」
「……やっぱり。そんなことだろうと思いましたよ」
マークは呆れ顔で帳簿を手に取り、深々と溜息を吐いてから仕事に取り掛かった。
「改めて。ご用件は何ですか。必要な物資の数と種類は?」
「魔力結晶の補給を。この供給器に詰められるだけ頼む」
「もう使い切ったんですか? 結構な容量がありますよね、これ。一体どんな戦況だったのやら」
俺から受け取ったウエストポーチ型の魔力供給器を受け取って、マークは熟れた手付きで補給作業に取り掛かった。
帳簿を手早くめくって在庫数を確かめ、後ろに山積みにされた物資の中から紙に包まれた魔力結晶を取ってきて、その分の数を帳簿に記入する。
続いて魔力供給器の蓋を開け、使い潰されてボロボロに崩れた魔力結晶の残骸を屑籠に流し込み、包み紙を取り除いた魔力結晶をセットしていく。
兄弟の贔屓目抜きでも関心してしまうほどの働きぶりだ。
「随分、慣れてきたんだな」
「事務仕事はソフィア卿にみっちりと仕込まれましたから。実務経験も嫌というほど積まされましたし、これくらいできなきゃ騎士失格でしょうね」
マークはそっけない態度を保ったまま作業を終わらせ、魔力結晶を補給した魔力供給器をカウンターに置いた。
「ところで、ガーネット卿は連れてきていないんですね。珍しい」
「あいつなら外で休んでるよ。ちょっとばかり無理をさせ過ぎたからな。ここなら護衛も必要ないだろ?」
「まぁ、それはそうですけど……」
何か言いたげに言葉を濁すマーク。
伝えにくいことでもあるのかと思い、魔力供給器を受け取ってもすぐにこの場を後にせず、しばらく様子を見ておこうとする。
マークはしばし逡巡してから、物資の管理業務に戻りながら口を開いた。
「……その右目、母さんたちへの説明は自分でやってくださいね。俺は代わりにどうこうする気はありませんよ」
「ああ、分かってる」
まるで突き放すような口振りだったが、そこに込められている感情は、本質的には俺の身の安全を心配しての発言だ。
故郷の家族への説明を肩代わりする気はない――それは裏を返せば、この戦いから生きて帰れということ。
たとえ間違っても、この戦いで命を落とし、故郷に訃報を持ち帰らせるような真似をするなということ。
もちろん、俺に対する親愛だの家族の情だの、そういう感情から出てきた言葉ではないのかもしれない。
俺がどうなろうと知ったことではないが、両親を悲しませたくないから死んでくれるな、と思っているだけかもしれない。
しかし、仮にそうだとしても、決して悪い気はしなかった。
男兄弟から向けられる心配なんて、だいたいどこの家族でもこんなものだろう。
「お前こそ気をつけろよ。後衛だろうと戦場にいることに変わりはないんだからな」
「そんなの言われるまでもありません。ついさっき身を持って理解させられたばかりですからね。船から振り落とされて死ぬかと思いましたよ」
忌々しげに顔を歪めるマーク。
あまりに生々しい実感の籠もったその表情に、俺は苦笑を返すことしかできなかった。
「だけど俺なんかより、あなたの方が危険なのは火を見るよりも明らかでしょう。この戦いが終わって、事後処理が済んだら、大人しく故郷に顔を出してください。もちろんアルマさんも一緒にですからね」
「ははっ、ひょっとしてまた催促の手紙でも届いたか。俺の方に直接送ってくれたらいいのにな」
「曲がりなりとはいえ騎士団長と、一介の新人騎士とじゃ忙しさが違うと思ってるんですよ。あんまり邪魔はしたくないだとか、これっぽっちも要らない心配まで書いてありましたから」
母さんらしいなと内心で思いつつ、この戦いが終わった後のことについて思いを馳せる。
もしも戦いが勝利に終わったとしても、当面は事後処理や資料の分析で忙しい時間を送ることになるだろう。
大書庫を首尾よく占拠したまま終えられたなら、重要資料を地上に持ち帰る大仕事をやらされる羽目になるかもしれない。
ヒルド達はここからが本番だとばかりに張り切るだろうし、このダンジョンの謎の解明を任された白狼騎士団としては、研究が一段落するまで気を抜けない日々が続くに違いない。
けれど、それが終わったら。
武器屋の仕事も騎士団の責務も片付けられたなら。
そのときはガーネットと一緒に故郷へ顔を出そう。
経営者と従業員の関係ではなく。
騎士団長と団員の関係でもなく。
これから先の人生を共に生きる伴侶として、もう一度故郷の家族に会いに行こう。
今度は予め連絡を済ませておいて、渋るかもしれないがマークも連れて行って、こちらの身内総出でアイツを囲んでやるのもいいかもしれない。
「(……ああ、そうだ。首尾よくアガート・ラムを壊滅させられたなら、もうガーネットが銀翼騎士団に所属している意味はなくなるんだよな。出向じゃなくて正式に白狼騎士団の団員になるよう誘ってみるか……それに、自分を偽る必要も……)」
思考がそんな方向に傾きかけたところで、冒険者の一人が補給を求めて物資小屋を訪ねてくる。
こんなところで立ち止まっていたら傍迷惑だと思い直し、次の仕事に取り掛かるためにこの場を後にしようとする。
だがその前にふと立ち止まり、小屋の出入り口の辺りでマークに向き直って、右目を覆う眼帯を親指で指し示してみせる。
「そうだ。怪我人の手当が終わったら、トラヴィスやソフィア卿を集めて『右眼』の事情を説明するつもりなんだが……お前も時間の都合がついたら参加してくれ」
「任意ですか? 命令ならいくらでも時間は作れますけど……まぁ、行けたら行きますよ」




