第737話 不死身の獅子の咆哮
「……まったく、ようやく陸地に辿り着いたと思えば、いきなりの修羅場とはな。後で状況を説明してもらうぞ、ルーク」
幻でも見ているんじゃないかと思わざるを得なかった。
俺達の窮地に割って入った人物は、別働隊として陽動作戦を指揮していたはずの、トラヴィスに他ならなかったからだ。
体のそこら中に負傷と焦げ目を負っていたが、精強な肉体の力強さに陰りは全く見られず、テオドールの剛力と対等に競り合っている。
「お、お前……どうしてここに……」
「何だ、ロイからの報告は受けていないのか?」
ミスリルに覆われたガントレットと金属の鉤爪が真っ向から組み合い、両者の凄まじい力に軋みを上げる。
「まぁいい、話は後だ!」
「……っ! ああっ!」
これ以上の言葉は必要ない。
俺はトラヴィスの背後で膝を突いたガーネットに全力疾走で駆け寄った。
「ハハハッ! 生身とは思えぬこの怪力! 蛮勇には程遠いその度胸! 貴様が地上の最強戦力か!」
「舐めるな。一対一なら俺より強い男もいる。現代の人間は、貴様らが思うほどに脆弱ではないからな!」
「それは楽しみだ! 魅せてみろ、ヒトモドキ!」
互いの右手を正面から掴み合ったまま、渾身の力で左拳をぶつけ合う。
空気が炸裂し、凄まじい衝撃が俺の腹の底まで震わせる。
間に人体が挟まっていたなら、潰れるどころか貫通して穴が空いていたに違いない衝撃力。
俺は怯むことなくトラヴィスとガーネットの間に駆け込み、力なく崩れ落ちたままのガーネットを抱えて【修復】を発動させながら、トラヴィスの邪魔にならないよう距離を離した。
中途半端に結合していた二つのメダリオンを【分解】して取り出し、反動で傷ついたガーネットの体を回復させる。
しかし単なる肉体的な損傷以上の消耗があったのか、すぐに戦闘を再開できる状態ではなさそうだった。
「(……戦闘不能というわけじゃない……だけどほんの少しでいいから休ませないと……)」
いくら【修復】スキルでも体力や魔力の消耗までは癒せない。
少なくとも『右眼』で見る限り、しばらく休息させれば戦線復帰できるはずだが、今すぐテオドールとの戦闘に復帰させることはできそうになかった。
トラヴィスの方に目をやれば、互いに右手を封じ合って足を止めての壮絶な殴り合いが繰り広げられている。
「ハハハハハ! どうしたどうした! やはり肉体強度が絶望的に足りていないな!」
一撃ごとに血飛沫が舞う。
全身を装甲に包まれたのみならず、負傷を気にする必要のない戦闘人形であるテオドールに対し、トラヴィスは防御面積でも強度でも劣る防具を纏った生身の肉体だ。
自ずと攻撃よりも防御に回る比率が高くなり、その度に鉤爪によって致命傷に至らない傷を負っていく。
――俺はその大きな背中を目にした直後、トラヴィスが無言のうちに伝えてようとしていることを理解した。
単独での戦闘能力に限れば、トラヴィスを凌駕する人間は確かにいる。
この作戦に参加している者だけでも、ダスティンは間違いなくその一人だろう。
トラヴィスがそんな連中と肩を並べて最強に数え上げられる理由――それは集団戦、いわば他の誰かと共に戦うことの上手さにある。
そして今、トラヴィスはあえて言葉にすることもなく、共に戦う時だと俺に告げていた。
「(ああ、分かってる。お前の考えることくらいお見通しだ――!)」
ガーネットを優しく横たえ、身を低くしてトラヴィスの真後ろから疾走する。
足を止めての殴り合いに持ち込んだのは、俺が確実にトラヴィスのところへ駆けつけられるようにすると同時に、俺の動きをテオドールに読まれないようにするためだ。
フットワークを駆使して激しい大立ち回りを演じれば、俺の身体能力では介入するどころではなくなってしまう。
だからあえて、不利を承知で至近距離での真っ向切っての殴り合いを演じているのだ。
こうするだけの価値が俺との連携にあると確信して。
そして、テオドールと掴み合って封じ合った右手には、刻一刻と膨大な魔力が蓄積されているのが見て取れる。
恐らくトラヴィスは、右拳の渾身の魔力撃で決着を付けるつもりなのだろう。
決定的な一撃を叩き込む瞬間を、今か今かと待ち受けながら。
「(俺がすべきことは何だ? 【修復】での回復か? いや、そんなものじゃない。だったら最初から攻撃を受けずに立ち回ればいいだけだ。アイツが求めているのは、俺にしかできないこと、俺の存在が必要な一手――)」
答えは簡単だ。
だから俺は全力でトラヴィスの背後に駆け寄り、迷うことなくその手札を切った。
「魔獣因子、限定解放――ネメオス・レオン!」
テオドールが振るった鉤爪がトラヴィスの防御を掻い潜り、鋭い爪を顔面に突き立てる。
――だがその切っ先は、トラヴィスの皮膚に傷一つ与えることはできなかった。
「何っ!?」
「……驚いた。てっきり魔狼のどちらかだと思っていたんだがな」
それはダスティンが討った特級人形のメダリオン。
魔獣因子を余さず受け止めきったトラヴィスは、獅子の鬣の如き髪を闘気に逆立てて、如何なる名剣にも勝る爪を悠然と顔面で受け止めていた。
肉体の変化に合わせて鋭い爪を生やしたガントレットの内部で、右手の筋肉が唸りを上げ、テオドールの右手を鉤爪ごと握り砕く。
「馬鹿な……っ!」
テオドールが後方に跳んで間合いから逃れんとする。
トラヴィスの踏み込みが隕石同然に地表を砕き、浮遊島全体を揺るがして傾ける。
その一瞬で回避不可能を察したテオドールは、両腕を顔の前で交差させると共に、全身の装甲を瞬く間に両腕に集中させて鉄壁の盾を作り出す。
「――ハアッ!」
気合一閃。
繰り出された渾身の魔力撃はテオドールの盾を砂細工のように貫通し、その頭部を音もなく粉砕する。
ああ、そうだ――俺の『右眼』は、トラヴィスの拳が音を置き去りにした瞬間を捉えていた。
一瞬遅れて撒き散らされた衝撃波が、テオドールの上体をバラバラの残骸に変える。
それでもなお止まりきらない拳圧が遥か後方にまで到達し、見上げるほどの廃墟をへし折り倒壊させた。
「……さすがだな、ルーク。まさかこれほどとは思わなかったぞ」
獅子の身体的特徴を得たトラヴィスが、余波で捻じ曲がったメダリオンを――テオドールに内蔵されていた戦利品を投げ渡す。
俺はそれを片手で受け止めて、心の底からの笑みを送り返した。
「お前こそ、いよいよ化け物じみてきたな。またレイラ好みの見た目になったんじゃないか?」
「むっ……今はその話題は止めろ……! 締まらん奴だな……」
Q.このメダリオン、元ネタ(ネメアーの獅子)的に無敵なのに何でダスティン勝てたの?
A.無敵なのは体の表面だけなので、捨て身で肉薄して人形ボディの開閉部分からゼロ距離魔槍発動




