第735話 どこであっても足掻き続けろ
「最優先標的を教えろ。まずはそれから殺す」
「……一番奥にいるあの男だ。前衛は替えの利く戦力だが、奴の治癒能力は唯一無二と見ていい」
「決まりだな」
金属的な外装に身を包んだ特級人形が翼を広げ、一瞬のうちに猛烈な勢いで加速する。
狙いは他ならぬ俺自身。
瞬き一つほどの間に迫る巨躯。
「させるか!」
俺の身体能力では回避し得ない突進に、ガーネットが即座に割って入って迎撃を試みる。
「温いわっ!」
「んなっ……!」
ところが、テオドールの巨大な鉤爪はガーネットの胴体を剣ごと鷲掴みにし、そのままもう一方の腕部で俺を拘束する。
握り潰さんばかりの圧迫を受け、肺の中の空気が悲鳴にすらならず絞り出される。
「がっ……!」
「ルーク!」
自分自身に【修復】をかけ続け、強靭な金属質の鉤爪が与える殺人的な圧力に耐え続ける。
体を直し続けていなければ、瞬く間に握り潰されて即死していたに違いない。
「ハハハハハ! 面白い、不死身かこいつは! 確かにこれは優先的に潰すべき能力だ! 鉤爪で貫いたところで殺せんだろうな! ……ならばっ!」
テオドールが直角に軌道を変えて飛翔する。
俺とガーネットは鉤爪からの脱出を試みる暇もなく、浮遊島の遥か上空へと連れて行かれてしまった。
「(くそっ! これじゃ腕を【分解】しても真っ逆さまに落ちるだけだ!)」
ただでさえ、肉体を【修復】しながら【分解】を発動させるというだけでも難易度が高いというのに、これでは落下後の身の安全すら確保できない。
仮に、ガーネットがハティの能力でテオドールを凍結させても同じこと。
ガーネット自身もそれを自覚しているようで、鉤爪の圧迫に抗いながらも、悔しげに反撃の手段を決めあぐねているようだ。
やがて高度が第三階層の天井に達しようかというところで、テオドールが俺達の負荷など構わず急減速し、金属の翼を広げて空中で静止する。
「少しばかり、原始的が過ぎる手段ではあるがな。これほどの高度からの自由落下、貴様らに耐えられるか?」
テオドールが鉤爪を開いて俺達を解き放つ。
その顔は愉悦に歪み、俺達の死に様を思い浮かべて楽しんでいることが明白であった。
揃って潰れたカエルになることでも期待しているのか。
ガーネットは爪を掴んで落下を防ぎ止めるが、俺は【修復】に意識を割いていたこともあり、抗うこともできずに宙へ投げ出されてしまった。
「しまっ……! くそっ、ルーク!」
鉤爪を蹴ってテオドールの爪を逃れ、落下する俺に追いつかんとするガーネット。
台風じみた空気抵抗を満身に受けながら、俺はガーネットに向かって精一杯に腕を伸ばした。
「ガーネット!」
「ルーク!」
張り上げた声すら掻き消えるほどの暴風に耐え、生身の左手でガーネットの右手を握り締める。
するとガーネットは力強く俺を引き寄せ、しっかりと抱きつきながら強引に姿勢を変え、落下方向に脚を向ける。
そしてハティの力を発動させ、板状の氷を足元に生成した。
風圧を受け止めた氷が急激に減速し、辛うじて足場として成立する。
だがこれでは自由落下を止めるには程遠い。
俺の『右眼』が告げる予測が正しければ、このまま落下すれば浮遊島にも水路にもぶつかることなく、第三階層の最下部までノンストップで墜落することになる。
「ルーク! 水路に跳ぶぞ! 合図は頼んだ!」
「……分かった! 任せろ!」
すぐさまガーネットの考えを察し、『右眼』に魔力を集中させて周囲の水路を探し出す。
第三階層の空中を立体的に交差する水路の数々――そのうちの一本がもうじき間近を通過する。
「向こうだ! ……跳べ!」
俺の指し示した方向めがけ、ガーネットが氷を蹴って跳躍する。
高度な技術で建築された、空中を行き交う人工水路。
そこを轟音と共に流れていく、船舶すら通過できるほどの水量の激流。
俺とガーネットは決して互いを離すまいと手に力を込め、第二階層から流れ込んだ身も凍る奔流へと飛び込んだ。
水中は激流が無秩序に渦を巻き、およそ真っ当な生物が遊泳できる状態ではない。
ろくに水面へ顔を出すことすらままならず、墜落死が溺死に変わったに過ぎないのでは、という考えすらもが脳裏を過る。
だから俺は、ガーネットに宿らせたメダリオンを、義肢に仕込んだもう一つと置き換えた。
「(魔獣因子、限定解放――ダゴン!)」
ガーネットの肉体から狼の特徴が消え、入れ替わるようにして下半身が魚のそれに変化する。
関節の曲がる方向を考慮するなら、魚よりもむしろイルカやクジラにこそ近いだろうか。
水中呼吸すら可能となったガーネットは巧みに水流を捉え、水路の激流を泳ぎ切りながら俺を水面まで引き上げた。
「ぷはっ……! げほっ、ごほっ……!」
「ちくしょう、二度も使いたくないメダリオンだったんだがなぁ!」
「悪い、我慢してくれ」
「……状況が状況だ。いっくらでもしてやるよ」
人魚と化したガーネットのおかげで、俺達は水路が次に通過する浮遊島まで、無事に泳ぎ着くことができそうだった。
二種類の水棲魔獣のメダリオン――ダゴンとマザーヒュドラのそれらは、トラヴィス達の陽動に用いるユリシーズの船に組み込むことになっていた。
しかし、二種類のメダリオンを同一の対象に同時使用するというのは、これまでに成功例どころか試した事例すらなく、さすがに検証もなく実行に移すのはリスクが大きすぎた。
そこで今回は、高い自己再生能力の付与を期待して、マザーヒュドラのメダリオンの方だけを組み込むことになったのである。
余ったダゴンのメダリオンは、使い道こそ思いつかなかったものの、地上で遊ばせておくのも惜しいということで、俺の義肢に組み込んでおくことにした。
今回はその発想が偶然にも窮地を救ってくれたわけである。
「んで、さっきの金ピカ銀ピカ野郎は追ってきてんのか?」
「ああ……上空を旋回して俺達を見下ろしてるな。水路は破壊したくないから、次の島に上陸するのを待って仕切り直すつもりだろう」
「上等だ。次はフェンリルで迎え討ってやろうぜ」
ガーネットが発した一言に、俺は思わず言葉を失いそうになった。
「……待て。あれを試すっていうのか。ヘルがお前に伝えたっていう……」
「試して見る価値はある……だろ? そろそろ次の島だ、腹ぁ括れよ!」
ガーネットが尾びれで激流をかき分けて飛び上がり、それと同時に俺が【修復】を発動させて【融合】を解除する。
行き着いた先は、元の中央島との直通経路を持たない辺境の島。
そして休む暇もなく、上空にテオドールの煌めく翼影が旋回し始めた。




