第718話 突入直前の滑り込み
ともかく、古代魔法文明について魔王軍に聞きたかったことは、一通り聞き出すことができた。
これ以上は魔王ガンダルフに直接会うしかなさそうだが、さすがに俺の独断でそこまでするのは難しい。
そろそろ出発準備に戻ろうかと思ったところで、妙に聞き慣れた感のある声が投げかけられた。
「待ちなさい」
振り返ると、そこにいたのは美しい容姿をしたエルフの女。
若き日の姿形を取って実体化した、ハイエルフのエイル・セスルームニルの精神体――厳密にはその複製であった。
「何だお前、まだ消えてなかったのか」
辛辣な言葉を投げかけたのはガーネットだ。
エイルは少しばかりムッとした様子でそれを受け流し、ガーネットから視線を切って俺に向き直った。
「番犬の躾くらい済ませてもらえない?」
「犬ならこれくらいが可愛いだろ。そんなことより、何か用でもあるのか」
正直、エイルのこの精神体がまだ存在していたとは思わなかったので、俺もガーネットと同じ感想を抱いていた。
てっきりガンダルフに『右眼』から引き剥がされてすぐに消えたのだろうと思っていたので、想定外のしぶとさに驚かされてしまう。
「私も第三階層攻略戦に参加するわ。魔王軍側の提供戦力としてね。嫌とは言わせないから」
「いや……魔王軍が誰を送り込むかはあっちの裁量なんで、こっちからは文句をつけられないんだが。その……そもそも戦えるのか?」
「ええ。もちろん本体には程遠いけれど、人間の魔法使いには遅れを取りませんとも」
エイルは『精神体なのに戦えるのか』という確認だと受け取ったらしいが、実際はもう一つ別の理由がある確認だった。
神獣ヘルが見せた過去の再現世界で、ロキがアルファズルの仲間だった頃のエイルは、ほとんど後方支援や現場調査担当で、戦力としては期待されていなかった。
目の前に実体化しているエイルは、その時代の姿とよく似ていたので、そもそも戦闘能力があるのか心配になってしまったのだ。
しかし、当時と似ているのはあくまで見た目だけで、その実態はハイエルフである現在のエイルの弱体化版。
最低限以上の戦力として活躍できるだけの自信はあるようだ。
「いいんじゃねぇか、ルーク。足を引っ張るような雑魚なら、そもそも魔王軍が同行なんざ許しやしねぇだろ。連中も今回の戦いには本気で取り組んでんだから」
「まぁな。連中にとっては、人間よりもアガート・ラムの方が宿敵なんだ。そっちの邪魔になるような真似はしないか」
「ひょっとして、私よりガンダルフの方が信頼されてる感じ?」
エイルの疑問に、ガーネットと二人揃って無言の肯定を返す。
釈然としない様子のエイルだったが、この辺りを深く突っ込むと藪蛇になると察したのか、それ以上は何も言い返してこなかった。
「……とにかく! 今回は私も名実共に貴方達の味方です。存分に頼りなさい」
「戦場で力を貸してもらうよりは、昔の話を聞かせてもらう方がありがたいんだけどな」
何気なく俺がそう呟いたのを聞いたエイルが、意外そうに目を丸くする。
一体何が意外だったのか逆に聞きたいくらいだ。
エイルは古代魔法文明を生き、当時の魔法を知るハイエルフ。
現状、俺達は例の一件で得られた断片的な知識を元に、どうにか現代技術へのフィードバックを試みているところである。
そこにエイルの知識も取り込むことができたなら、きっと研究が飛躍的に前進するに違いない。
……と思ったが、よくよく思い返せば、エイルはずっとダンジョンの奥底で魔王軍と共にいたのだ。
俺達が当時の技術を吸収しようと奮闘していることなど、知る由もなかったのである。
「ふぅん……私から魔法文明の話を聞いて、内容を理解できる自信があるというわけ? それとも、既に当時の知識の断片を手に入れたか……アルファズルの『右眼』からね」
エイルは俺の顔を――右眼球を下から覗き込み、意味ありげな笑みを浮かべた。
「さて、どうだろうな」
「どちらにせよ、期待しているわ、ルーク・ホワイトウルフ」
果たしてエイルは何に期待を寄せているのか。
察することはできなくもなかったが、言葉にするのは止めにした。
ガーネットを妙に刺激して状況を混乱させかねなかったし、何より出撃前に縁起でもない言葉を口にするのは避けたかった。
「……第三階層では魔王軍の部隊と行動するんだな?」
「さぁ、どうかしら。急にねじ込ませたから配置が決まってないのよね。浮遊島に乗り込むまでには決めておくわ」
エイルはひらりと片手を振って、一足先に拠点の外へと出ていった。
その後姿が消えてから、ガーネットがわざとらしいくらいの溜息を吐く。
「なんつーか、マジで総力戦って感じがしてきたな。後は魔王ガンダルフ本人が出てくりゃ完璧だったんだが」
「さすがに魔王が出張るとは聞いてないな。ノルズリも『貴様らの主君が参戦しないのと同じことだ』って言ってたしさ」
「アルフレッド陛下は……しねぇよな、参戦……何か自信ねぇんだけど」
「……話は、聞いてないけど。この前も不意打ちで混ざってきてたし……ちょっと自信ないな」
これはこれで縁起でもない会話を交わしながら、俺もガーネットと一緒に拠点の外へ出る。
すると、それを見計らったかのように一人の少女が駆け寄ってきた。
「いたいた! おーい、ガーネット! よかった、間に合ったぁ!」
「何だ、エゼルじゃねぇか。お前も来んのかよ。てっきり王都で留守番かと思ってたぞ」
勇者エゼルは額に滲んだ汗を拭いながら、満面の笑みでガーネットに笑いかけている。
第四階層までよほど急いで駆けつけたのが容易に見て取れた。
もう少し向こうの方に目をやると、疲労困憊といった様子のエディが、膝に手を突いて必死に呼吸を整えている。
「いやぁ、ほんっと大変だったよ、皆を説得するの」
「だろうな。むしろよく説得できたもんだぜ」
勇者とはいえ国王の娘であるエゼルを、死闘が間違いないと思われる第三階層攻略戦に参加させるか否か。
王宮でかなりの議論があったのは想像に難くないが、結果的にはエゼルが我を通せた形になったようだ。
いよいよもって総力戦――先程のガーネットの発言も、あながち冗談ではないように感じられてきてしまった。




