第716話 遠い過去を知る者 前編
ロイと分かれてすぐに、少し離れた場所で待機していたガーネットが合流し、当たり前のように魔王軍の拠点まで同行しようとする。
「おい、ルーク。魔王軍の連中に話があるって本当か?」
「まぁな。この前のヘルが仕掛けた一件……まだ分からないことが多すぎるだろ。当時を生きた奴からも話を聞いておきたくてさ」
「当時を生きたって……魔王軍の中でもそんな都合よくいるもんじゃ……」
魔王軍の拠点に乗り込んでまもなく、女ダークエルフの肉体に収まった魔将ノルズリが、これ以上踏み込むなと言わんばかりに立ちはだかる。
拠点の玄関先で足止めを食らった形だが、出てきた奴が魔将なら話は早い。
「止まれ。ここから先への立ち入りを許した覚えはない」
「ちょうどよかった。急な話で悪いんだが、会わせてもらいたい奴がいるんだ」
身構えるガーネットを片手で制し、こちらを睨むノルズリを正面から見据え返す。
「古代魔法文明を実際に生きた奴と話がしたい。あの時点で既に大人で、当時の出来事を冷静に理解できていた奴がいい」
「……何の連絡もなく乗り込んでおきながら、ガンダルフ陛下にお会いしたいとでも言うつもりか。不敬にも限度があるぞ」
「魔王本人なんて贅沢は言わないって。魔将にもいるんだろう? 魔王ガンダルフよりも更に長い年月を生きたダークエルフが」
ノルズリの目元がぴくりと動く。
俺が誰のことを想定しているのかすぐに理解したようだったが、すぐに要望を聞いてくれはしなさそうだ。
「どちらにせよ、贅沢な話だ。そんな要求が通ると思って……」
「カカカ。いいではないか。話し相手くらいにはなってやろう」
年老いたダークエルフの声がどこからともなく響いてくる。
それからすぐに、四方から大量の土埃が集まってきたかと思うと、瞬く間に腰の曲がったダークエルフの老人の外観を形成した。
魔王軍四魔将の一人、土のヴェストリ。
長命種であるダークエルフでありながら、肉体が老いさらばえるほどの年月を生きてきた存在である。
若かりし日のガンダルフが古代魔法文明に生きていた以上、ヴェストリもあの時代を実体験として覚えているはずである。
……加齢による記憶の摩耗がなければだが。
「下がっておれ、ノルズリ。ここは儂が引き継ぐ」
「ふん……好きにしろ」
ノルズリはこの件に関わる気も起こらないらしく、俺の相手をあっさりとヴェストリに押し付けて、拠点の奥へと引き返していった。
そしてヴェストリは――魔法によって作られた分身だが――愉快そうに笑い声を立てながら、同じく土埃で生み出した椅子に腰を下ろし、拠点のエントランスホールで俺と向かい合った。
「さて、用件を聞こうか。この老いぼれから何を聞きたい?」
「……ロキの記憶を垣間見た。古代文明がまだまだ健在だった頃のな」
「ほう……それは興味深い。では陛下やアルファズルの姿も垣間見たのか?」
ヴェストリの老いた口元に笑みが浮かぶ。
俺はヴェストリの問いには答えなかったが、その沈黙を肯定と受け取ったのか、ヴェストリが笑みを絶やすことはなかった。
「聞きたいのは神獣についてだ。ロキが古代魔法文明を滅ぼすと決めて、地上に解き放った魔獣と神獣……その中でも特別な三体について知りたい」
「カカカ。特別な神獣が三体いるということは知っておると。なかなか調べ上げたようだな」
今のところ、あえてヘルの名は出していない。
こちらから無意味に情報を開示する必要はないのだから、必要が生じるまでは伏せておいた方がいいだろう。
「ヘル、フェンリル、ヨルムンガンド。これらが神獣の中でも特別とされた三体だが、どれも既に地上から姿を消しておる。奴らがどのようにして斃れたか……詳細を聞きたいか?」
「そのためにわざわざここを訪ねたんだ」
「で、あろうな。とはいえ儂も伝聞に依らねばならぬ点が多い。それを承知した上で聞くがいい」
ヴェストリは呼吸を整えるように肩を動かしてから、ゆっくりと本題を語り始めた。
神獣ヘル――少女の姿をした神獣で、元はロキが錬金術師として生み出した人工生命の従者だった。
この『元素の方舟』を最も激しく、なおかつ長期に渡って攻撃した神獣であり、イーヴァルディが第一階層に防衛体制を築いて迎撃にあたっていたという。
ヘルの最期は魔王軍も把握していない。
戦いが次第に『元素の方舟』側優位に傾いていく中、突如として姿を消してしまったのだそうだ。
神獣フェンリル――天をも喰らう巨大な狼。
様々な能力を持っていたとされるが、実際はそれらを駆使するようなことはなく、ただ圧倒的な巨大さを振り回すだけで無数の都市を蹂躙した。
最期はアルファズルが命と引き換えに討伐し、このときにメダリオンが二つに割られたことで、肉体の再生成もできなくなった。
神獣ヨルムンガンド――単純な体長ならフェンリルをも上回る大蛇。
ヘルとフェンリルが地上を蹂躙していたのに対して、ヨルムンガンドは海を棲家として大陸間の物流と連絡を完全に寸断してしまった。
海底を通した魔道具による大陸間の連絡網も崩壊し、現在のように東西の大陸が断絶した原因になったのだという。
ヨルムンガンドを討伐したのは、故郷である東方大陸の防衛にあたっていた火之炫日女とその一族。
彼らは独自の術式をもって自らの力を高め、多大な犠牲を払いながらもヨルムンガンドを解体し、その残骸を海の藻屑としたのだそうだ。
「炫日女が!? そうか……神降ろしの源流を使って神獣を……」
「東方で起きた戦い故、儂も詳細は知らん。少なくともヨルムンガンドのメダリオンは、海に消えて回収されなんだようだな」
意外な情報に驚きを隠しきれない。
これについても掘り下げて聞きたいところだったが、当の本人が知らないと言ってしまっているし、何より当初の目的はそこではない。
「……神獣ヘルとは長らく戦ってきたんだろう。それなら、ヘルが持っている力、戦い方……そういうことも知っているんだよな?」