第701話 平和の裏の危機
山間の温泉郷グリーンホロウ・タウンは、今日も大勢の湯治客と冒険者で賑わっている。
一時期はダンジョンの発見と魔王戦争の激化で温泉目的の客が減り、冒険者が大部分を占めた時期もあったが、今ではすっかり客入りも回復しているようだ。
こうして町の大通りを歩いているだけでも、地元の住民や冒険者には見えない一団が、楽しげに笑いながら通り過ぎていくのが視界に入る。
子供もいれば老人もいる。
冒険者パーティーにはまず加わらないような顔触れだ。
数を増す一方の冒険者に回復傾向が続く観光客。
グリーンホロウ・タウンの賑わいぶりは、俺が初めて訪れたときと比べて桁違いだ。
「しっかし、奇妙なもんだな」
俺の隣を歩いているガーネットが、小さな声でぽつりと呟く。
「ダンジョンの奥底には、ヤバい連中がまだまだ潜んでやがるのに、地上はどんどん賑わってるときた。実情を知ってると、何かゾワゾワしちまうぜ」
「仕方ないさ。連中のことが秘匿されている以上、傍から見れば安全だっていう実績だけが積み上がってるんだ。客だって増えるさ」
俺は他の通行人に聞こえない程度に声を潜め、ガーネットの溢した率直な感想に答えた。
魔王戦争が想定されていたよりも早く終わりを迎え、それ以降は大きな事件もなく探索が順調に進んでいた――表向きにはそういうことになっている。
犯罪組織アガート・ラムの本拠地が存在していたことも、奴らが古代魔法文明の生き残りであったことも、奥深くに逃れていた魔王ガンダルフと手を組んでアガート・ラムと戦う決定が成されたことも、一般の国民には開示されていない情報だ。
このため、実際には大陸全土でも屈指の最前線でありながら、世間からは『魔王との戦いすら無傷で切り抜けた、王国屈指の安全な場所である』と思われているのだ。
「まだ本当のことを公表できないから、一般の観光客にグリーンホロウへ来るなとは言えないし、グリーンホロウの人達も絶対に納得しない。大事になりすぎたせいで、逆に打てる手段が縛られてるわけだな」
「真相を打ち明けなきゃ対策が取れないのに、肝心の真相がとてもじゃねぇが明かせない代物……ははっ、詰んでやがるぜ」
ガーネットが冗談めかして笑う。
もちろんガーネットが本当に心から『打つ手なし』と思っているわけではない。
あくまで俺の発言を引き出すための前振りである。
「だから、俺達は勝たなきゃいけないんだ。グリーンホロウの人達が目と鼻の先の危機に気付く前に、アガート・ラムとの決着をつけて、平穏な生活を真実にしないといけない……そうだろ?」
「まったくもってその通りだな。退路がなくても正面突破で勝っちまえば問題ねぇ。連中にゃダンジョンの奥底に引っ込んだまま、一網打尽になってもらうとしようぜ」
ガーネットは獰猛な笑みを浮かべながら、軽快な音を立てて掌に拳を打ち付けた。
母親の仇であるアガート・ラムを目前にしても、ガーネットは必要以上に焦ることもなく、落ち着いて周囲と足並みを揃えてくれている。
最終的に勝利できるかどうかは別として、こちらから先手を打って攻撃を仕掛けられるお膳立てが仕上がりつつある以上、殊更に焦る必要はないということなのだろう。
そうこうしているうちに、俺達はすっかり通い慣れた目的地へと辿り着いていた。
――銀翼騎士団、グリーンホロウ・タウン支部。
治安維持を任務とする銀翼騎士団は大陸全土に多くの拠点を有しているが、この拠点は町の規模に対してかなり大きなものとなっている。
理由は改めて言うまでもないだろう。
表向きには魔王軍を警戒し、実際のところはアガート・ラムを警戒しての重点的な戦力配備の結果である。
銀翼の騎士は俺達の到着に気付くなり、顔パス同然に支部の奥へ案内した。
「やぁ、久しぶり。活躍はいつも耳に届いてるよ」
「カーマイン団長? いらっしゃるなら事前に連絡してくれれば……」
そこで俺達を待っていたのは、銀翼騎士団の騎士団長、カーマイン・アージェンティアその人であった。
やたらとラフな服装で、何故か会議室の向かいの壁にもたれかかっているその姿は、町の遊び人がうっかり迷い込んでしまったようにも思えてしまう。
しかし、これでも彼はれっきとした騎士団長。
騎士の名門アージェンティア家の現当主である。
「どうせ兄上のことだから、オレ達を驚かせようとしてるとか、休暇ついでに来たとか、そんなところじゃねぇのか?」
「ははは! さすがにそこまで暇じゃないさ」
「そう思われても仕方ねぇことしてんだろ」
「まぁ、否定はできないかな。だけど今回はれっきとした公務の一環さ。ところで……」
カーマインはガーネットのからかい文句を軽く受け流し、今度は俺の方に視線を向けた。
より正確には、俺の右腕をまじまじと眺めている。
「……腕はまだ繋いでいないようだね。意外と気に入っているのかい?」
「ええ、まぁ」
生身の左腕で右の義肢を掴み、人工的な右手の指を動かしてみせる。
俺の右腕は、前に故あって切断されて以来、ノワールとアレクシアが共作した義手に置き換えたままにしてある。
腕自体は完全な状態で保存されているので、義肢のままにしているのは、あえての判断だ。
「魔王軍が俺の右腕を完璧な状態で保管していた手段……その辺の解析がまだ終わっていないようですし、何より恥ずかしながら、こちらの方が生身より戦力になりそうですからね」
「機能については、また後で詳しく聞かせてくれ。それと実際に使ってみた感想も頼むよ。引退した騎士の中にも、ホワイトウルフ商店の義肢に興味津々な奴が多くてね」
「もちろんです。今日の用事が済んだら、ゆっくりお話しましょう」
「ありがとう。それなら手早く終わらせるとしようか」
カーマインは廊下の壁からおもむろに背中を離し、会議室の重厚な扉を押し開けた。
「アガート・ラム討伐作戦に関する、銀翼騎士団と白狼騎士団の合同作戦会議。奴らの討伐はこちらにとっても悲願だからね。念入りに意見を交わすとしようじゃないか」




