第696話 過去への旅で得たものは 前編
古代魔法文明の記憶をめぐる騒動から数日。
ホワイトウルフ商店は久方ぶりの定休日を迎え、店長のルークも含めた全員が思い思いの一日を過ごしていた。
例えば、胡桃街道のエリカ。
不本意ながらも巻き込まれることになってしまった少女は、春の若葉亭の隅にあるテーブルに腰を下ろし、頬杖をついてぼんやりと親友の訪れを待っている。
しばらくそうして時間を潰していると、看板娘のシルヴィアがパタパタと駆け寄ってきた。
「遅いぞー、シルヴィア」
「ごめんごめん、ちょっと長引いちゃった」
「ほら早くおやつおやつ……って、ケーキは?」
「後でミリシアさんが持ってくるから。もうちょっと待ってて」
二人の少女は、店長のルークがいるところでは改まった態度で振る舞っているが、友人同士で過ごしている間はいつも自然な口調で話している。
一回りも歳上の大人相手にはまず見せない、肩の力を抜いた気楽なやり取りだ。
決してルークに心をひらいていないわけではないが、世代と性別が違うと適切な接し方も変わってくるものである。
シルヴィアとエリカは宿の従業員が持ってきたケーキを突きながら、特に何の意味もない雑談に興じていたが、不意にシルヴィアが声を潜めて話題を変えてきた。
「……そういえばさ。お店の方で大変なことがあったって噂、本当だったりする?」
「あー、うーん……詳しいことはまだ口止めされてるんだけど……ていうか、あたし的には変な夢見てたのと変わんないんだけど、あったといえば、あった……かな」
エリカは大粒の苺に何度もフォークを挿し損ねながら、小声でごにょごにょと言葉を濁している。
箝口令が敷かれているのは本当だ。
あの夜に体験した出来事については、王宮やギルドとの協議を経てから、改めて公開の日取りを決めることになっていた。
ひょっとしたら、情報が一般公開されるまで十年や二十年も掛かる可能性もあるが、最終的にどうなるのかは今後の協議の結果次第である。
しかし、そういう込み入った事情とは全く関係なく、エリカはあの夜の出来事について、他人に説明できるほど理解できていなかった。
「一応、あたしも巻き込まれたからってことで、何があったのか説明してもらったんだけどさ……なんていうか、こう、内容がぶっ飛びすぎてて……最初の一割くらいで頭が理解を拒み始めたっていうか……」
「あー……ルークさん達がやってることって、結構凄いところに片足踏み込んでるもんね」
シルヴィアも笑いながらエリカの苦悩に同意した。
ホワイトウルフ商店や白狼騎士団が携わる分野はどれも最先端だが、中でも古代魔法文明についての調査と研究は群を抜いている。
その分野の専門家であるヒルドが、嬉々として白狼騎士団の職務に従事している時点で、その専門性の高さが自ずと伺えるというものである。
「まぁ、ルークさんに任せておけば間違いはないでしょ」
「だよな。ところでさ、シルヴィア」
エリカは表情を明るくし、やっと捕まえた苺を口に放り込んでから、ふと思い浮かんだ話題を切り出した。
「コーヒーって、知ってる?」
「え、コーヒー? 南方の作物でしょ、よく知ってるね。うちにも試供品が……倉庫のどこかに眠ってると思うんだけど。使い方が分かんないからさぁ」
実質的な大陸統一が果たされ、東西南北の特産物が広く流通し始めたといえど、全ての作物が大陸全体に行き渡るわけではない。
今もなお一部地の域だけで消費されている作物も数多く、コーヒーも産地以外ではほとんど認知されていない嗜好品である。
十五年も冒険者を続け、相応の範囲を旅して回ったルークですら、古代魔法文明の記憶で目撃したコーヒーを『よく分からない飲み物』としか理解できなかったほどだ。
「……あたしさ、多分だけど、淹れ方分かるかも」
「えっ、ほんと?」
「多分ね。凄い練習させられた覚えがあるというか、何というか。焙煎して細かく砕いて抽出して……あー、うん。やっぱり妙に覚えてるかも」
エリカは曖昧な言い回しに終始しながら、作業過程を手先のジェスチャーで繰り返した。
これもまた、再現された古代魔法文明で体験した記憶の一つ。
フラクシヌスの喫茶店の店員に当てはめられたエリカは、その店で提供していた商品の作り方のうち、普通の店員にも任せられる種類のものを覚えさせられていた。
コーヒーはそれらの代表例だ。
店主のバウンティハンターとしての仲間であり、常連客でもあった若き日のガンダルフが愛飲していたこともあって、他のメニューよりも念入りに仕込まれたものである。
結局ルークがその現場に居合わせることはなかったが、仕事とは無関係に客としてやってきたガンダルフが、エリカにコーヒーを注文しては文句を付けて遠回しなアドバイスをする、という光景が何度もあった。
修羅場に参加しなかったエリカにとっては、そんな何気ない時間こそが、あちらの世界での体験の全てであった。
だが、エリカは最後の最後まで、その常連客が若き日の魔王ガンダルフであることに気が付かなかったのだが――
「使ってない在庫があるならさ、ちょっと試してみてもいいか? 道具は……まぁ多分、それっぽいので代用できると思うし」
「いいね、それ! 面白そう!」
エリカの何気ない提案に、シルヴィアは大いに好奇心を刺激された様子で身を乗り出した。
「上手くいったら、私にもやり方教えてよ。美味しかったら追加で発注するからさ。それで新メニューにしてみたり!」
「いやいや、新メニューとかさすがに気が早いって。つーか、どうやって調達すんのさ」
「おばあちゃんに頼めば何とかなると思うけど」
「あー……そりゃそうだ。あの人だったら南方からでも余裕だよな。とりあえず、試しに作るなら砂糖と牛乳も要るかな。プレーンなままだと死ぬほど苦くて酸っぱいし」
食堂の隅で楽しげな会話を交わすシルヴィアとエリカ。
春の若葉亭に南方風の新メニューが加わる日は、決して遠くはないはずである。




