第695話 現実への帰還
「……つっ……戻ってきた、みたいだな……」
くらくらする頭を押さえながら身を起こす。
部屋にはノワールとアレクシア、そしてヒルドの三人が横たわっているが、まだ誰も目を覚ましていない。
念の為、一瞬だけ『右眼』を使って確認してみたが、三人のコンディションに異常は見受けられず、しばらくすれば自然と目を覚ますだろうと分析できた。
あちらの世界に意識を引きずり込まれたときに、転倒して怪我をしているということもなさそうだ。
「(眼帯は……さすがに現物はないか。自力で作れってことなんだろうな。設計図もハッキリ頭に入ってる……と思う)」
記憶の世界から追い出される直前に、アルファズルは自分が使っていた眼帯を俺に投げ渡してきたが、それを握っていたはずの手を見下ろしても眼帯は影も形も見当たらない。
当然だ。あくまで俺は、意識だけを引きずり込まれたに過ぎないのだから。
いくらなんでも、この流れで物質的なものが手に収まっていたら、むしろ夢遊病か何かを疑うべきだろう。
代わりに与えられていたのは、あの眼帯を作り出すために必要な情報、つまりは魔道具の設計図の知識だ。
これを元にして手作業で作れということなのか、あるいはスキルで作り出せと言いたいのか。
通常の【修復】だと、形状の記憶だけでオリジナルを再現することはできないし、これまでの試みでも似たような形状を再現するのが関の山だ。
しかし――記憶の世界でアルファズルが使っていた能力――【創造】の魔法。
アルファズルの支援があれば、俺もあの域にまで【修復】スキルを駆使することができるかもしれない。
「……っと! そうだ、ガーネット!」
急いで部屋を出て店舗の方に駆けつける。
まず最初に見つけたのは、カウンターに突っ伏して眠るように意識を失っているエリカだった。
営業中に座っている方ではなく、会計のために客が商品を持ってくる方向から突っ伏しているあたり、片付けの作業中に意識を持っていかれたのだと一目で見て取れる。
そして、ガーネットは店舗の隅に力なく座り込み、壁に背を預けて俯いていた。
「ガーネット、大丈夫か?」
「う……ん……」
軽く肩を揺すると、すぐにガーネットは目を覚まし――じろりと俺を睨み上げてきた。
「こんにゃろう。まーた無茶しやがって。いくら現実じゃないからってな……」
「悪い、思わず体が動いたんだ。考えるより先にさ」
俺は座り込んだままのガーネットの前に膝を突き、その両頬を包むように手を添えて、目尻に滲んだ涙の後を消すようにスキルを発動させた。
これでよし。他の連中が起きてきて顔を合わせても、こいつが泣いていたとは誰にも気付かれないだろう。
「死んでも弾き出されるだけだったから良かったけどよ。もしもあっちで死んだら現実でも死ぬ仕組みだったら、一体どうするつもりだったんだ?」
「お前がそうなるくらいなら死んだ方がマシ……っていう返答じゃ納得してもらえないかな」
「たりめーだろ。テメェの立場分かってんのか? おいそれと死ねねぇくらいにあれこれ背負ってんだろーが」
ガーネットは説教を重ねながら、床に座ったまま俺の胴体に何度も拳を当ててきた。
しかしスキルの発動はおろか、拳と腕に殆ど力を加えておらず、ぽすぽすと軽く叩かれる程度の衝撃しか伝わってこない。
「分かった。降参だ、降参。今後はちゃんと気をつけるよ」
「ん……ところで、今何時だ? かなり長いこと捕まってたんじゃねぇのか?」
「そういえば。体感的には何日も過ぎてる気がしたけど……さすがにそれなら大騒ぎになってるよな」
朝になって武器屋を訪れたら何故か開いていないうえ、中を覗き込めば店員が倒れていた――こんなものあっという間に事件扱いされて、銀翼騎士団の連中が飛んでくるに違いない。
しかしそんな騒ぎが起きている様子はないし、何より窓の外は暗いままで夜も明けていない。
「……ほとんど時間は過ぎてないみたいだな。ほら、時計見てみろ」
「うげっ、マジかよ。古代の連中にはホント常識が通じねぇな。どんな仕掛けになってたんだよ、あの世界」
ガーネットは俺が指差した壁掛け時計の下に移動し、顔を歪めて呆れたように両手を腰にやった。
時計が示している時間は、未だ日付が変わるタイミングには程遠く、店を閉めてからさほど時間が経過していないことを証明していた。
「なぁ、ルーク。今更なんだけどよ、あれってオレが変な夢見てただけじゃねぇんだよな」
「お互いに答え合わせでもしてみるか? とりあえず俺は歳が半分くらいに逆戻りして、お前は少女趣味な服になってたな。結構似合ってたぞ」
予想通り、足に鋭い蹴りが打ち込まれる。
ガーネットも調子を取り戻してきていることが伝わってきて、痛みと一緒に嬉しさもこみ上げてくる。
「お前なぁ! 他の連中が起きてたらどうすんだ!?」
「そんな大声出してたら、それこそ起きてくるぞ?」
「……う、うーん……」
カウンターの方からエリカの声が聞こえてきて、俺とガーネットは揃ってビクリと身構えた。
しかしエリカは今まさに目覚めようとしている様子であり、これまでの会話を聞いていた様子は全くない。
「あれ……? あたし……寝てた……?」
「やっと起きたか。つーか本当にお前も引きずり込まれてたんだな」
「ガーネット……お前もって……あれぇー……?」
エリカはあちらの世界の記憶がごちゃまぜになって混乱しているらしく、半ばカウンターに突っ伏したまましきりに首を傾げている。
その仕草を眺めていると、何だか肩にずっしりと乗っていた重荷が軽くなるような気がしてしまう。
どうやらガーネットも同じ気持ちになっていたようで、首だけで振り返って俺を見やりながら軽く肩を竦めてみせた。
「白狼の。とりあえずノワール達も叩き起こして、全員で春の若葉亭にでも行かねぇか。あいつらが何を見たのかも聞いとかねぇとだろ」
「そうだな。せっかくだから、皆でちょっと遅い夕飯にでもしようか」




