第694話 古代の計画、果たすべき義務
「……やっちまった」
目を覚ますと、俺は壁も天井もない真っ白な空間に横たわっていた。
太陽もなければ空もなく、地面すらもなかったが、どこかに大の字で倒れているのだという感覚だけがある。
自分が置かれている状況はすぐに理解できた。
ガーネットを襲撃から庇って攻撃を受け、スキルが使えなかったせいでそのまま息絶えてしまったのだ。
もちろん、本当に死んだわけではないという自覚はある。
あくまであの世界からはじき出され、外見も元通りの姿に戻されただけだ。
だがそれでも、俺は強い後悔の念を抱かざるを得なかった。
「ガーネット……怒ってるのか、泣いてるのか……後でちゃんと謝らないとな……」
再現に過ぎない世界での反射的な行動とはいえ、あれは『ガーネットを庇って命を落としてしまった』という結果に他ならない。
どうせ現実には何の影響も与えない再現なのだから――なんて割り切り方ができるような奴じゃないし、自分の力不足を何よりも嘆く性格ですらある。
しかし、やらかしてしまったことはやり直せないし、それを思い悩んで他のやるべきことをなおざりにするのも良いことではない。
俺は真っ白な空間に仰向けで横たわったまま、この場にいるはずのもう一つの存在に語りかけた。
「アルファズル。何か得る物はあったか?」
「……ああ。収穫と表現すべきものではないがな」
視界の横側から、若い姿を保ったままのアルファズルが、足音もなく近付いてくる。
「そうじゃなきゃ困る。ヘルが死ぬほど気の長い仕込みに賭けて、しかも俺達を盛大に巻き込んでまで見せたがった光景なんだ。何の成果も得られなかったで終わらせられたら、正直どうしたものかと思ったぞ」
上半身をゆっくりと起こして、アルファズルを視界に収めず白い空間に座り込む。
「まったく……それにしても、一体どこでヘルに記憶を差し込まれたんだ? エイル議員のときは分かりやすいきっかけがあったんだが……」
「恐らくは最初からだろう」
「最初から?」
視線を向けずに怪訝な声だけを返す。
「神獣との戦いで命を落とすまでの間に、私は復活のための備えを大陸各地に残してきた。無論、それを補助する仕掛けもな」
「……くそっ、何となく読めてきたぞ」
舌打ちをして膝を叩く。
「お前が残した復活手段の一つ、スキルの原型になったっていう代物は、それ単体ではまず上手くいかないと分かっていたんだな。だからそれを補助する仕組みを――『奈落の千年回廊』に仕込んでいたんだろう」
「あの迷宮だけではない。備えは複数の場所に散らしてある」
「だろうな。もしかしてミスリルが採れたダンジョンっていうのは……そこまで確かめる手段はないか」
以前ガンダルフが語った内容を信じるなら、アルファズルは復活手段として『血縁によって受け継がれる魔法的な刻印』を残し、適切な条件を満たした者が現れた場合に復活を果たせるように仕込んでいた。
この試み自体は長らく効果を発揮できず、むしろ古代人達が魔法の代替手段――スキルを作り出す原型として役に立ったのだと聞いている。
「多分、数え切れないほどにいる地上の人間の中には、スキルの原型の本来の用途を偶然にも色濃く受け継いだ奴がいたんだ。そういう奴が『奈落の千年回廊』で長い時間を過ごすっていう偶然が重なって……それが俺だ」
低確率の偶然が重なり合ったことで、アルファズル復活の土壌が整い、器となりうる条件を満たした人間は、アルファズルから何らかの影響を受けてスキルを進化させた。
あるいはこの強化も、肉体がアルファズルに合わせて変わっていく過程だったのかもしれない。
俺が一旦言葉を切ったタイミングで、アルファズルが淡々と続きを口にする。
「……ヘルは神獣として『元素の方舟』に攻撃を仕掛けていた。その戦いの中で、第一迷宮が地上に対する防御機構だけでなく、いずれ地上へ帰還する者達に干渉する機構も備えていたと気付いたのだろう」
「地上帰還組の中に器の条件を揃えた奴がいれば、アルファズル様がそいつを器に復活して地上復興を指揮してくださる、っていう算段か。よく考えたもんだ」
「ヘルはそれを逆用することで、私にロキの記憶を送ろうと考えた。迷宮側の仕掛けに手を加えたのだろうな。あるいは、防御機構を無力化する試みの途中で、もう一つの役割を見抜いたのかもしれん」
「ったく……どいつもこいつも気長にも程があるな」
俺は思わず本音を口走ってしまった。
数百年や数千年は下らないであろう長期計画で復活を試みたアルファズルも、それを見越して記録を割り込ませたヘルも、人間の価値観では想像もできないくらいに長大なタイムスパンで物事を考えている。
――アルファズルは人間の体を自分の復活の器にできる手段を残し、不十分な点を外部から調整できる仕組みをダンジョンの正面玄関の迷宮に残した。
ヘルはそれに目をつけてロキの記憶を混入させたわけだが、何もかもが上手くいくはずもなく、両者の思惑が実を結ぶのはずっと後のこと。
地上に再び人間が繁栄した時代、偶然にも条件を満たしていた俺が、該当のダンジョンでさまよい続けるそのときまで――
あまりにも常軌を逸した計画の数々に、想像するだけで頭が痛くなってきそうだ。
「後でヒルドに教えたら喜びそうだな。というか、あいつくらいしか役に立てられなさそうな情報だろ、こんなの」
膝にてを突いて立ち上がり、あえてアルファズルに背を向ける形で振り返る。
「もう俺の役目は終わりだろ? さっさと帰らせてもらうぞ。間違いなく待たせてる奴がいるんでな」
「……待て、ルーク。伝えておかねばならないことがある」
俺は何も言わず、沈黙を返事の代わりに投げつけた。
言いたいことがあるなら好きにしろ――そんな意味を込めた沈黙だ。
「ロキが神獣を解き放った動機……それがヘルの告げた通りであるというのなら、私には確かめる義務がある。イーヴァルディの真意を。そして今も地上を脅かす理由を……」
「エルフじゃないんだから、イーヴァルディはとっくに死んでるかもしれないだろ。そりゃあまぁ……他の古代人の生き残りみたいに、人形を体にしていてもおかしくはないけどさ」
「だとしても、アガート・ラムを率いる者ならば知っているはずだ」
「……俺の体はやらないからな。第三階層に行くのはお前じゃない。この俺だ」
忠告のために振り返ろうとした俺の手元に、革製の眼帯が投げ渡される。
それはアルファズルの右眼を覆っていたものと同一であり、内側には金糸ならぬミスリル糸による精緻な刺繍が施されていた。
「力を貸そう、ルーク・ホワイトウルフ。お前がお前であり続けられるように、可能な限りの力を引き出せるように、あらゆる制御を補助してみせる。だから私の代わりに辿り着け」
「……アルファズル、お前……」
「それでも抑えきれぬほどに『右眼』の力を振るうなら……『右眼』の枷を外すのなら、その眼帯を使え。最盛期の俺の『右眼』をも封じた特別製だ。お前の『右眼』がどうなろうと、身につけている限り一切の悪影響を封じられる」
俺は投げ渡された眼帯を軽く握り締め、にやりと口元を歪めて笑った。
「なんだ、お前の力は使わせてくれないのか」
「貸してやっても構わんが、今のお前では一瞬で塗り潰されるぞ。借りたければいつでも言うがいい」
アルファズルもそれに応え、見た目の若さに釣り合った不敵な笑みを浮かべる。
体の感覚が薄れ、現実へと引き戻されていく。
五感の最後の一片が光に溶けていくその瞬間まで、俺はアルファズルをまっすぐ見据え続けたのだった。




