第692話 許せなかった理由
「ヘル。そろそろ答え合わせをさせてくれ。ロキとイーヴァルディが対立し始めた原因は、魔力による人間の創造、後の時代でリーヴスラシルと呼ばれる魔獣を生む技術に関わりがある――それで間違いないな?」
「……っ! ルーク! リーヴスラシルっつーと、ダンジョンに逃げ込んだ大昔の人間が利用したっていう……!」
リーヴスラシル。
魔王ガンダルフの口から語られた、古代魔法文明滅亡後の人口減少を補う契機となった、人間に酷似した魔獣。
ダンジョンに避難して地上の滅亡をやり過ごした生き残り達は、リーヴスラシルに更なる改良を加えることで人間の代用とし、大規模な人口の減少を乗り越えたのだという。
だが、この方策は二つの大きな問題を発生させてしまう。
一つは人間から魔法の力が失われてしまったこと。
この問題は、アルファズルが別の目的で残した技術を応用し、俺達がスキルと呼ぶ新たな力を代用として解決した。
しかし二つ目の問題は、むしろそれによって明かしたと言っても過言ではなかった。
「問題はきっと『魂』だったんだ。イーヴァルディは人間の基準を魂に求め、リーヴスラシルの創造技術を応用して水増しされた者達を、決して人間とは認めなかった」
「そして魂だけで生き残らせてた古代人を、精巧な人形にぶち込んで『人間』として扱った……それがアガート・ラム、だったな」
「ああ。イーヴァルディはさっきこんなことを言っていた。ロキ達のやり方で創り出されるのは肉体だけじゃないと」
ならば他にも何が生み出されるというのか――その答えは一つしか思い浮かばない。
「『魂』だ」
俺が断定も同然に発した推察に、ガーネットも目を丸くする。
「魔獣にだって魂は存在するはずだろう? じゃあその魂はどこから来たんだ? 魔獣本体だけじゃない。スコルにとってのフェンリルウルフ、ドラコーン・パイロスにとってのドラゴン、ダゴンにとっての半魚人……魔獣や神獣が生み出す眷属の魂はどこから来た?」
グリーンホロウの冒険者は数多くのドラゴンを相手取ってきたが、あれらが普通の魔物と異なっているという報告は上がってきていない。
他の魔物や動物達と同様、あれらも魂を持つ生物であるはずなのだ。
「恐らくは、魔力によって肉体を創造するのと同時に、魂も魔力だけで創造されるんだ。しかしイーヴァルディのように魂を重んじる連中にとって、自然発生ではなく人為的に作られた魂は、あくまで紛い物に過ぎなかった……」
「だからリーヴスラシルの血が混ざってる現代の人間は、奴らにしてみりゃ魂レベルで歪んだ代物だったってわけか」
「現に、古代文明が伝えてきた『魂に宿る力』としての古代魔法は、あれを期に断絶したわけだからな。主張に賛同するかどうかは別として、どうしてそう考えたのかっていう理由は理解できる……」
イーヴァルディがロキの研究を嫌悪する理由は、ロキの開発した手法が肉体のみならず魂までも魔力だけで創り出してしまうから――そしてこの嫌悪感は、巡り巡ってイーヴァルディと人類の間に消えない溝を生み、アガート・ラムの誕生に繋がった。
こう考えれば、あらゆる情報が一本の線に繋がるはずだ。
「……どうだ、ヘル。どこか間違っているところはあるか?」
「お見事。ご賢察に感服いたしました。それにしても、地下に潜った人間達はリーヴスラシルをそう使ったのですね。初めて知りました。生き汚くも逞しい……実に人間らしい行動ですね」
俺はヘルの微妙な言葉選びに違和感を覚え、思わず眉をひそめた。
ヘルは古代魔法文明が滅亡し、古代人がダンジョンに逃げ込んだことを知っていながら、リーヴスラシルを人口回復に利用したことは知らなかった。
今更になって考えてみれば、これ自体に矛盾を感じるべきだった。
「ヘル……お前は一体どこまで知っているんだ……いや、お前は一体、何者なんだ」
「私は創造主ロキによって生み出された人工生命。あの御方の忠実な従僕です」
「そういう意味じゃない。俺の目の前にいるお前は、ロキの記憶から再現された存在じゃないんだな? そうじゃなきゃ、ロキが死んだ後の出来事を把握しているわけがないんだ」
記録媒体が何であるにせよ、あらゆる記録は『記録された時点までの出来事』しか収められていない。
無意味な同語反復に聞こえるかもしれないが、重要な問題だ。
ガンダルフ達の証言を統合する限り、ロキは古代文明が滅亡する前に、神獣を世に解き放った咎で処刑されて死んだ。
この世界が単純にロキの記憶を再現したものであるなら、そしてロキが本当に死んでいるのなら、処刑以降の出来事は記録されていないはずななのだ。
「……もはや隠し通す必要はありませんね」
ヘルは前だけを見て夜道の運転を続けながら、意識はこちらに向けて俺の詰問に応じた。
「改めて名乗らせていただきましょう。私は神獣ヘル。数多く存在するメダリオンの神獣の中でも、後天的な調整を受けて神獣となった、三つの例外の一つです。厳密にはその人格の複製体と申し上げましょうか」
ガーネットが椅子から腰を浮かし、いつでも俺をヘルから庇えるように身構える。
しかしヘルは落ち着いた態度を崩すことなく、ただひたすらに淡々と語り続けるばかりだった。
「あの御方が処刑された後に、私はあの御方の記憶を記録として預かりました。そしてあの御方の意志を継ぎ、神獣の一体としてワイルドハント残党と……彼らが『元素の方舟』と呼ぶ地下空間と長い戦いを続けているのです。いえ……お客様にとっては過去の出来事なのでしょうね」
俺達を乗せた自動車は適切な速度を保ち、前を走る車と付かず離れずの距離を保っている。
ヘルが故意に操作を誤れば、俺もガーネットもまとめて危険に晒されるわけだが、そうする気配が全くないのは却って不気味であった。
「これはご存知でしたか? あの御方は私情を何も語らずに処刑を受け入れ、アルファズルは何も知らぬままにフェンリルと相打って死んだ……この事実を」
「……ああ、知ってるよ。だから俺は、ロキが神獣を放った理由が分からないままで……」
「あるとき私は、アルファズルが命を落とす前に復活の仕込みを済ませていたと知り、そして思ったのです。ならば――いずれ復活するであろうアルファズルに知ってもらいたいと」
ヘルの言葉に感情の起伏は感じられず、しかし確たる意志がはっきりと伝わってくる。
「この世界は遺言状なのです。告発状なのです。全てを貴方に知ってもらうため、私はあの御方の記憶と現時点の私の人格の複製を……つまりこの私を、貴方が散りばめた復活の布石の幾つかに混入させ、いずれ貴方が触れることに望みを託したのです」
もはやヘルの矛先は俺ではない。
俺の内側にいる、今は亡き主人の友に向けての訴えと化している。
「そこにいるのでしょう、アルファズル」
「……っ!」
『…………』
「見たのでしょう? 聞いたのでしょう? あの御方が何を思ったのか、誰を想ったのか! そしてすぐに知るはずです! どのようにして想いを踏み躙られたのかを!」
狂気すら感じる叫びが車内に反響する。
次の瞬間、精神の内側にアルファズルの警告が噴き上がってきた。
『伏せろ、ルーク!』
俺はほとんど反射的に行動へ移っていた。
自分自身の身を守るための防御行動――などではなく、ガーネットを守るためにシートへ押し倒し、全身で覆い被さるという正反対の行動に。
耳をつんざく轟音を伴って、自動車の扉に数え切れないほどの穴が穿たれる。
不可視なまでに小さく速い礫の雨が、俺やヘルの体に無数の風穴を開けていく。
制御を失った車体は路面を滑るように横へ逸れ、道路に沿ってそびえていた岸壁に横から激突し、潰れた金属の箱と化して完全に停止したのだった。




